日本国民の精神的還元

 今や、我が日本と日本国民とは、国家的、国民的二つの最重最大の問題に逢着してゐる。尠くとも、其の二つの最重最大の問題を解決して、国家と国とを碓定不動の絶対安定的位地に置くべき、千載一遇の最絶好機会と、必然的運命とに迫られて居る。
 其の二つの最重最大の国家的国民的問題とは何であるか。一は即ち日本帝国を世界国際の最高線に置き、絶対不動たらしめんとする問題であり、他の一は即ち日本国民の内面的充実の問題である。
 語を換へて言へば、日本帝国を世界国際の最高線に絶対不動的に置かんとする問題は即ち日本帝国の拡大であり、日本国民の内面的充実の問題は即ち日本国民の精神的充実である。
 而も今や、我日本の国民は、為政者たると被為政者たるとを問はず、所謂識者たると青年たるとを論せず、一般に、挙国的に、其の一の問題をのみ高唱し遂行せんとしつゝあり、他の一の問題を等閑に附し、或は全く忘却し去つて居るやうである。即ち、空前にして又絶後たるべき世界大戦てふ最絶好の機会に際して、日本帝国を世界国際の最高の一線に而かも確定不動的に置かんとすることのみに急にして、日本国民の内面的充実と云ふことについては、殆んど何等の考慮をも費して居ないやうである。即ち、日本帝国を世界的に拡大せんとすることのみに日を暮し、国民の精神的圧搾問題に対しては、殆んど一顧一眄をも与へて居ないやうである。否、此の国民の精神的圧搾問題は、日本の世界的拡大と並行すべき、或は猶(より)以上に置かるべき最重最大の問題であるにも拘はらず、何等の考慮をも費されて居らず、何等の研究をも施されて居らず、何等の努力も加へられて居らず、全く等閑に附せられ、全く忘却せられて居ることは、何人も否定すること能はざる、最も明白なる、最も顕著なる、現在の事実である。
 現在、我が国民が、高唱し遂行せんとしつゝある日本帝国の世界的拡大、即ち、列国の外交的お世辞と、其れを馬鹿正直に真(ま)に受けて発したる自惚との二つによりて構成され、名のみ厳在して実(じつ)に至りては殆んど空漠たるものであつた今日迄の日本の世界的地歩を、現在の機会を利用して真に有名有実のものたらしめんとする努力は、国民の精神的圧搾問題を等閑に附して居る限り、到底、実現すべき問題でない。所詮徒労であり、無駄であり、ドウ/\廻(めぐ)りを遣(や)るに過ぎざるものである。仮令、其拡大が、真に有名無実なるが如く見へても、事実は依然として名のみの拡大であり、実の之れに伴はざる世界的地歩たるを免かれないのである。
 写真の引伸しは、其の写真面の粗漫を如何に調和すべきかゞ重要の問題であり、先決問題であり、根本の問題である。方一吋の写真が、方一メートルに引伸されたる場合、其写真面が、唯だ単に小なるものが大なるものに拡大されたと云ふに止まつて居るものであれば、美術的考慮と技術とを閑却したる、一個の無価値なる引伸し写真たるを免かれないことは、殆んど言を俟たない分明(ぶんみやう)の事である。
 現在、我が国民が、殆んど挙国的に、日本を世界国際の最高線に置かんとするに没頭しつゝある状態は、他の一個の最重最大の問題を閑却せる点に於て、恰かも、無能なる写真師が、美術的考慮と技術とを閑却して、無闇に広大なる引伸し写真を作らんとしつゝあるに等しきものである。斯くて製作されたる引伸写真が、美術的価値に於て殆んど零であるが如く、斯くて世界的に拡大されたる日本が、其の実質、其の実質に於て矢張り零(ゼロ)であることは分明である。
 其の問題、其の事件の性質が、たとへ何であるにせよ、必す閑却すべからざる根本の問題を閑却し除外しては、到底満足に解決さるべきものでない。今や我が国民の殆んど全体は、其の如何なる場合に於ても必ず閑却すべからず除外すべからざる根本問題を閑却し除外し去つて、重大なる国家的、国民的問題を解決せんとしてゐる。即ち、寧ろ一切問題の根本たり根柢たり根源たる国民の精神的圧搾問題を閑却し除外して、世界国際の最高線上、確定不動の絶対安定的地位に日本を置かんとすることにのみ熱中し、没頭し、盛んに論議を戦はせて居る。吾等が、主義に於て賛するも、根本問題を閑却し除外せる点に於て同すること能はざる所以である。
 然らば、国民の精神的圧搾とは何であるか。曰く、日本国民の精神的散漫の緊縮である。弛緩したる国民精神の緊張である。退廃的傾向の挽回である。惰眠に陥る国民精神に対する鞭撻であり、促醒的注射である。亡国的享楽主義謳歌風潮の打破あり、非国家的極端なる自由主義、自己本位主義傾向の撲滅である。極端なる官僚主義の打壊と極端なる民主主義の掃蕩である。国粋の保存を忘れ、発展を忘れ、尊重を忘れて、到底日本建国の精神と融和せしめ得べからざる外来の思想に心酔せんとする傾向風潮の殲滅である。識者をして、日本帝国の将来に或る戦慄すべき暗黒時代の現出することあらざるなきかを、暗に想(おも)はしむ事実が、日本国民間に萌芽し瀰漫しつゝあるを、根本より抽棄し撲滅するの必要である。即ち、無闇に西洋的に膨張したる国民精神の圧搾である。即ち、我が国民の精神的還元である。
 日本帝国を世界国際の最高の一線に置かんとすることについては、我等は何等の異議異論も唱へんとするものではない。否、我等は、微力言ふに足らずと雖も、猶其全力を挙げて尽さんとするものである。然(しか)しながら、我帝国を世界国際の最高線に置くべき原動力は何であるか。尠くとも、其の最高線上に置かれたる日本帝国の面目を失はず、其の実力を失はず冒されず、天壌の無窮と共に、之れを支持する唯一の力は、無闇に西洋的に膨張したる現在の国民精神を圧搾し、篩いにかけて残りたる、純粋日本固有の国民精神である。
 純粋日本固有の国民精神を閑却し無視し、除外し、忘却し去つて、而かも日本を世界的に拡大せんとするは、恰も、仏作つて魂を入れることを閑却し、無視し、除外し、忘却し去ると同様である。又た、龍を描いて点睛することを閑却し、無視し、除外し、忘却し去ると同然である。其の実際と結果とが、全然、期待に背馳するものであることは自明である。
 吾等は再び言ふ。繰返して言ふ。其の問題、其の事件の性質が、如何なるものであるにせよ、必ず閑却すべからざる、必す除外すべからざる根本問題を閑却し、除外しては、到底、満足に解決さるべきものでなく、魂入れることを閑却されたる作仏は所詮形体のみの仏であり、点睛を忘却されたる龍画は遂に無価値であり零(ゼロ)である。
 我等は復た再び言ふ。外来の文明に眩惑し、又心酔して、純粋なる日本固有の国民精神を離れ、西洋的に徒らに膨張したる現在の国民精神を以て、日本を世界的に拡大せば、仮令近き将来に於て、其の方寸(はうすん)の通り、我帝国の世界的地位を、世界国際の最高線に置き得たとするも、其は、決して、真の日本帝国の世界的拡大でなく、真の日本的日本が世界国際の最高線の重要なる一転に置かれたのでなく、西洋的日本の拡大であり、西洋人の日本が世界国際の最高線上に置かれたものある。而耳(のみ)ならず、真の日本人の日本の滅亡であり、真の日本的日本の滅絶である。