第四〇八号(昭一九・八・一六)
   戦ふドイツ
   戦ふ物資 繊 維        農商省繊維局
          野生苧麻・繭   農 商 省

          

 六月六日、第二戦線の開始によつて緊迫化した欧州の戦局は、
七月中東部戦線におけるソ軍の急速な進撃によつて次第に決戦的
態様を示して来た。米英もソ聯も、一日も速かにドイツを打倒せ
んとして、全力を傾けて攻勢に出て来てをり、嘗てチャーチルが、
テヘラン会議の決定として呼号したドイツに対するいはゆる東西
南三方よりする総攻撃は、正にその頂点に達せんとしてゐる。こ
れに加ふるに最近、ヒトラー総統暗殺未遂事件、或ひはトルコの
対独断行等の事件も起り、欧州の風雲いよ/\急である。
 鉄量を誇る敵驕米の太平洋の新攻勢がいよ/\熾烈を極め、わ
がマリアナ群島サイパン島に橋頭堡を造るに至つて、大東亜戦争
いよ/\重大段階に突入するとき、欧州戦の動きもかくて一段と
急調化し、まさに世界決戦の秋至るの感が深い。

一、急迫せる欧州戦局

 ソ聯の進撃に様相一変す

東部戦線

 まづ独ソ戦線におい
ては、ソ軍は三月の攻
勢によりウクライナ全土を奪回した後
は、第二戦線開始に当つても鳴りを静
めた態度を示し、少からず米英を焦慮
せしめたが、六月二十二日、独ソ開戦
三周年記念日を期して、中部戦線にお
いて攻勢を開始し、爾後その攻勢は、
ルーマニア方面を除く全戦線に波及す
るに至つた。即ち、白ロシアのヴィテ
ブスク、オルシャ、モギレフ地区より進
発した四方面軍百万以上の大兵力の圧
力は、この二ケ月間に逐次扇形に戦線
を拡大し、遂には北はエストエア国境
のナルヴァから、南はポーランド南部
の要衝レンベルグ地区に至る約一千八
百キロの戦線に延びるに至り、一路中
央突破を敢行してワルソーヘ、ワル
ソーへと向ひつゝある。しかも米英が
北仏上陸五旬にして前進した三十キロ
の距離を、ソ聯軍は一日半の平均速度
として、獲得しつゝある。
 これに対し独軍は、北仏戦線の邀撃
に主力を注ぐ関係上、なるべく所在の
兵力を以て、やむを得ずんば地域を犠
牲にしつゝ、柔軟性ある防禦作戦を行
ふの戦法に出たのであつたが、兵力及
び武器において優勢を持するソ軍の攻
撃はなか/\鋭く、今日においてはソ
軍は中部戦線白ロシアのソ軍を全部奪
回し、更にバルト三国を両断して東プ
ロシア国境に迫らんとするの形勢を示
してゐる。
 それよりも重大なのは旧ポーランド
領方面の戦況で、レンベルグ、スタニ
スラウの独軍防御戦を突破したソ軍
は、ポーランド平原を長駆ワルソーに
迫り、ヴィスツラ河に沿つて大激戦を
展開すると共に、南方カルパチア山脈
においても相当大幅の進出をなし、場
合によつてはスロヴァキア、ハンガリー
の領内にも入らんとする気配が見え
る。ソ軍はこの方面においては、いは
ゆるカーゾン線を全面的に越えてポー
ランド領内に作戦してゐるのであり、
その戦争目的が失地回復から、ヒトラー
政権打倒、被圧迫民族解放と漸次塗り
替へられつゝあることは、最近締結さ
れたソ聯とチェッコ亡命政府及びポー
ランド解放委員会との協定についてみ
ても明らかである。
 戦況がかくなつた以上、ドイツとし
ても相当の力をこの方面に割いて、戦
線の建て直しを行はねばならぬのは当
然で、しかもそれは相当大規模に戦機
を捉へて使用されなければならない。
この点、独大本営は必ずや何等かの新
構想に基づく鬼策を有するものと思は
れ、如何に急速なソ軍の進出に遭つて
も、毫も動揺の色を示してをらぬやう
である。八月八日の敵側発表は、一
斉に全線における独軍の抵抗強化と反
撃とを報じてゐるが、果してこれがド
イツの新作戦の第一歩となるや否や。
策源基地を遠く後方に残したソ軍の進
撃にも、必ず一定の限度のあることも
想像されるし、奔放な攻撃作戦には常
に危険の伴ふことも戦史の訓ふるとこ
ろであつて、こゝ暫くたつた後の独ソ
の戦況が、今日われ/\の予断し得ぬ
やうな状況を呈することも十分考へ
得るところである。

  米英軍パリをめざす

北仏戦線

 ー方、北仏戦線は如
何。昨年来のドイツの
作戦指導が、東及び南においては防禦
態勢をとり、主力を西欧に対する米英
の進攻の撃破に置いてゐることを知つ
てゐた我々は、第二戦線の開設は、ド
イツをして戦争の主導権を奪回せしむ
る絶好の機会となることを期待したの
である。しかしながら敵米英といへど
も、乾坤一擲の大勝負を挑む以上、そ
の恃みとする物量を極度に動員して準
備を整へてかゝつたのであるから、そ
の攻勢をドイツが悉く水際において撃
退し得なかつたのはやむを得ないと同
時に、敵に或る程度の橋頭堡の設定を
許し、消耗戦を挑むことは、敵に打撃
を与へる見地からいへば、決してドイ
ツに不利な戦法ではない。
 現に上陸以来の戦績をみるに、敵の
蒙つた人的及び資材の消耗は、最初の
八週間においてさへ敵側の損害は戦車
二千五百輌、飛行機二千機、軍艦二十
数隻、輸送船約六十隻三十万トン、地
上兵力の損害に至つては二十数万に達
し、その予定を遙かに超えたのであ
る。その最も明らかに表はれてゐるの
は使用兵力量であつて、上陸後二ケ月
足らずの戦闘に、米英の注ぎ込んだ師
団の数は、少くとも四十五を下らぬも
のとみられる。この数はノルマンディ

の上陸作戦を受持つたモントゴメリー
集団軍の全部及び他の地点に第二次上
陸を行ふべく待機中だつたパットン集
団軍の一部を含むもので、殊に戦力の
点からみれば、英本土にあつた精鋭師
団を総浚(そうざら)ひにしたものといつても差支
へなく、米英側は今日その第二次上陸
の企図に対し、少くとも重大な再検討
を加へざるを得ない立場になつてゐる
ことは確実である。
 上陸作戦において米英の頼みとした
ものは、疑ひもなく海軍と空軍との優
勢であつて、彼等は欧州においても大
東亜戦場におけると同じく、艦砲射撃
と爆撃とで一物も剰(あま)さず破壊した後、
戦車を先頭に前進する方法をとつてを
り、独側も海空よりの猛射の不愉快さ
を認めてゐる。
 しかも空軍の充実未だ全からず、ま
た敵の第二次上陸企図に備へて有力予
備兵団を控置(こうち)することを必要とした独
軍としては、寡兵を以てよく敵の物量
に対抗してカーンの戦線を完全に支へ
てゐたのであつた。が、しかし七月末
サソ・ロー方面から開始された米軍の
攻撃は、殆んど未曾有の有力な空軍の
掩護(えんご)下に遂にノルマンディ半島西岸の
独陣地を突破、一隊は一挙にレンヌを
経てブルターニュ半島遮断を図り、他
の一隊は同半島に突入してプレスト、
ロリアン等の基地を脅すに至つた。
レソヌより正にラヴァル方面に進出し
た部隊は、その目標としてパリの名を
口にしてゐる。
 この急速な戦局の進展は、一見すこ
ぶる意外かつ不穏のやうにみえるが、
機動性を主とする近代戦が、北仏の如
く道路の発達した戦域において行はれ
る以上、一旦防禦線を破られた側が、
少くとも一時的にこの程度の不利に陥
ることは避けられないところである。
攻者はその機動性を極度に利用し、防
禦の薄い所を衝き得るに反し、防者は
先づ敵の進撃の鋒先を喰ひ止め、陣容
を建て直さなければならない。しかる後
に初めて反撃頓に移り得るのであつて、
現在のドイツは正にこの段階にあるも
のと思はれる。
 敵の新二次上陸を大して恐れる必要
のなくなつた今日、ドイツがこの秋(とき)あ
るを期して保持してゐた機甲兵団、及
び最近充実増強を伝へられる空軍の威
力が発揮せられるのは、決して遠い将
来のことではないであらう。いづれに
せよ、西においても東においても、防
禦のみを以てしては勝機を掴むことは
愚か、戦線を維持することもむづかし
いことは、独作戦指導部の熟知すると
ころであり、必ずや今後は新らしいゆ
き方をもつて、新情勢に対処してゆく
ものと思はれる。

  独の口−マ撤収と
  出 血 戦 術

イタリア戦線

 次ぎにイタリア戦線であるが、反枢
軸軍は米第五軍及び英第八軍を基幹と
し、これに仏叛軍、ポーランド軍など
の雑軍が加はり、去る五月、カッシノ
の線からローマを目指して総攻撃を開
始、六月五日ローマ市に入城した。
 独軍のローマ撤収は独軍にとつて軍
事的には大して重大な意味はないが、
米英はこの機会を政治的に利用して第
二戦線を開始し、その宣伝的敗北を狙つ
たものゝ如くであつた。その後のイタ
リア戦線はチベール河流域に沿つて行
はれ、ヴィコ湖、ボルセナ湖両側から次
第に北方に進展し、独軍はグロセット及
びトラフシメノ湖東方のペルーシァを結
ぶ線上で驕敵を出血作戦に誘ひつゝ、頑
強な抵抗を試みる一方、エルバ島の独
罪は反枢軸軍の上陸作戦に対して六月
十九日夜、組織的撤退を行つた。かく
して、いまや伊戦線はピサ、フィレン
ツェ、リミニを結ぶいはゆるゴータ線
に集中せんとするに至つたのである。
 即ちローマ撤収後の独軍は、アベニ

ン山脈の陣地に向つ
て予定の後退を行ひ
つゝ、強烈な後衛の
反撃によつて、随時、
敵に打撃を与へてゐ
るのである。

 報復新兵器
 の偉力

 さらに注目すべき
は、ドイツの報復新
兵器の活躍が欧州に
更に新らしい一つの
戦線を構成せんとの
勢ひを示してゐるこ
とである。六月十五
日いはゆるV一号
使用が開始されて以
来、連日連夜、殆ん
ど休みなくその射撃
が続けられてゐるこ
と自体傑、すでに驚異
的といつてよいのに、最近その威力が
ます/\増大し、ロンドン及びその附
近に一大混乱を捲き起してゐる模様で
ある。これが英国民に対し、大きな精
神的、物質的打撃を与ハへてゐることは、
再度のチャーチルの演説にも窺はれるの
であつて、すでに英本土に待機中であつ
た軍隊の一部をX一号損害の後始末の
ため使用してゐるとの情報もあり、ま
たイギリスの社会組織において、百万
人のロンドン人を疎開させることが如
何に困難な問題となつてゐるかは想像
に難くない。のみならず独側は更に強
力なX二号の出現を予告してをり、英
国民は文字通り戦々兢々たる有様であ
る。
 ドイツはこのX一号をはじめ、最近
出現する戦闘機、海軍新兵器、戦車、対
戦車火器その他の多数の秘密武器を有
してゐると伝へられるが、一時の危機
を糊塗せんとして、これを尚早に使用
することなく、冷静に戦局全般を判断
し、その最も適当とする時機と択ん
でこれを使用し、百パーセントの効果
を挙げ、以て敵に致命的打撃を加へん
としてゐるのである。

  敵 の 焦 り と
  独の反撃態勢

 叙上の戦況と通観してみて我々が最
も強く感じるのは、米英ソ側が欧洲戦
局の終結を非常に焦り、一日も早くド
イツを打倒せねばならぬといふ考への
下に、相当無理と思はれる程度にまで
急激な攻勢をとつて来てゐることであ
る。しかもその攻勢は、巨大な物量を
背景とするだけに侮るべからざるもの
があり、今のところドイツが苦戦の状
況にあることは否定すべくもない。
 しかしながら、敵の一見華々しい進
出の裏に、非常な無理の潜んでゐるこ
とも明らかであつて、例へば米国にし
ても対日戦を控へ、これ以上どれだけ
の兵力を欧州に注ぎ込み、現在の莫大
な損耗を補充し得るかは頗る疑問であ
るし、英国に至つては、独新兵器の脅
威に曝されつゝ、ひたすら短期決戦の
希望のみを以て、国民を引張つてゐる
有様である。この敵側の焦りこそド
イツにとつて正に乗すべき点で、現在
ドイツはあくまで腰を落着け、技術的
にも量的にも長期戦を目標とした生産
計画と整備しつゝ、敵がその弱点を露
呈するに従つて反撃に出るべを力を養
つてゐるのである。

  トルコの対独断交

 以上の如く決戦段階に入つた欧州に
おいては、決定的重要意義を持つてゐ
るのは一に戦況であつて、その他の外
交的、政治的事象が第二義、第三義的
意義をもつに過ぎないことは当然のこ
とながら、欧州情勢判断上からは特に
注意を要するのである。
 例へばトルコの対独断交にしても、
今の時期になつて実現したのでは、そ
の政治的影響は殆んど皆無といつてよ
からう。世界一般がこれを非常に実現
の遅れた既成事実といふやうな感じと
以て迎へたのは当然である。英土同盟
を楯にとつた英米の圧迫も、主として
東部戦線の変化があつて漸く部分的に
成功したのであり、しかもトルコを繞
る米英ソ三国の利害が必すしも一致し
てゐないと思はれること、トルコは対
独断交によつて、元来切つても切れな
い欧州との経済的紐帯を無理に切断し
たものであること等を思ひ合せれば、
戦争が長引くにつれ、一番損をするの
はドイツではなくして、トルコ自体だ
といふことになるのではなからうか。
 最近欧州に頻りに流布されてゐるい
はゆる和平説も、同様に現段階におい
ては全然問題となり得ない。ドイツは
もちろん米英もソ聯も、武力のみが本
大戦の勝敗を決する唯一の鍵であるこ
とを熟知してをり、また今次戦争はそ
の性質上、中途半端な妥協を許さない
深刻なものであることは何人にも明ら
かなところである。現在の和平説は主
として米英側から飛ばされる謀略的宣
伝とみることができるのであつて、こ
こにもあらゆる手段を尽して短期に枢
軸陣を崩さうとする敵の焦りとみるこ
とが出来る。
 しかしながら、ドイツは決してこれ
に迷はされるが如き愚は演じないであ
らう。ドイツ政府が、例へば米英対ソ
聯の対立問題等を極めて慎重に取扱
ひ、苟もこの対立関係がら、ドイ
ツにとつて政略的に乗ずべき隙が生じ
得るといふやうな甘い考へと持ち、乃
至は国民に持たせることを厳に避けて
ゐるのは、その一証左であらう。
 このやうな種々の米英ソの謀略にも
拘はらず、欧州枢軸陣の結合の固いこ
とは十分注目されるべきである。戦争
の重圧が東欧の諸国及びフィンランド
に及ぼしてゐる影響は決して少くない
し、最近はまた米英の爆撃が強化され
てゐる。
 それにも拘はらず、これら諸国が有
力な兵力を以て東に西にドイツに協力
し、自らの血を流して欧州擁護のため
戦つてゐるといふ事実、これこそドイ
ツのめざす欧州新秩序が空文でない証
拠であり、次ぎの時代を担ふべき青年
の血をもつて固められた盟約関係は、
必ずや新欧州建設に当り重大な役割を
演ずることであらう。

 相当暗殺事件、禍
 を転じて福となす

 かゝる状況下にあつて、七月二十日
ヒトラー総統暗殺未遂事件の勃発
は、天下の耳目を聳導せしめた。
 これによつて、従来絶対に大丈夫と
信ぜられてゐたドイツの政治体制に、
一抹の不安があつたことが明らかにな
り、また事件が或る程度、独陸軍を背
景として起つたものであつたので、そ
の衝撃が大きかつたのは当然である。
 しかしながら、今日までにほゞ明ら
かとなつた事件の全貌をみると、陰謀
者の一味は予備の将官のほか、独陸軍
上層部の少数の参謀将校に限られてを
り、国内各方面はもちろん、前線部隊
とは何等の関聯がなかつた模様で、総
統暗殺が失敗したため計画は忽ち画餅
に帰し、国内や前線に何等動揺を起す
ことなく鎮圧されてしまつた。
 一味の動機としてはプロシア参謀本
部の流れを汲む軍部の急進的なナチス
党に対すろ反感、罷免された将官連の
ヒトラー総統に対する怨恨等が考へら
れるし、その目的としては、軍部政権
を樹立した後に何等か政略的な方法で
戦局を打開しようと考へたことも想像
できるが、その考へ方の根本が反動
的、敗戦主義的であることは疑ひな
く、また彼等の世界情勢及びドイツ国

05

内体制に対する認識が全然誤つてゐた
ことも明らかである。従つて彼等は、
熱狂的ナチス精神に満たされてゐる前
線将兵及びドイツの青少年とはもとよ
り、一般ドイツ国民とも何等の思想的
関聯を持ち得ないのであつて、その意
味において本事件が将来に胎(のこ)すべき影
響についても敢へて憂慮する必要はな
いと思はれる。歴史の進路に逆行する
彼等の計画が失敗に帰したことは、正
に神の摂理によるものといふべく、
ヒトラー総統が奇蹟的に助つたこと
は、実にその端的な表現ではなから
うか。
 この陰謀鎮圧に際しドイツ政府の示
した迅速な手際は、いつもながら鮮か
なものであつたが、さらにこの事件を
機会として、ドイツ政府は大ドイツ国
版図及び併合地域国力総動員
の命令を
制定し、徹底的な国力総動員措置をとる
ことになつた。
 ナチスの理論指導家ローゼンベルグ
氏は「一九四四年七月二十日こそ戦ふド
イツの歴史には忘れ難い日であり、こ
の日を期してドイツ人は生れ変つた気
持で最終決戦へ新らしく出発し出すの
だ」と力強く国民に呼びかけてゐる。
「雨降つて地固まる」といふか、「禍を
転じて福となさん」といふ気持が、今
のドイツ朝野官民を蔽つてゐる偽らざ
る実情であり、またこゝをめざして今
や逞しい進発を途げたのである。昨年
スターリングラードの悲劇の際にとら
れた措置を第一次国力動員とすれば、
今回は新二次の一層徹底的なものとい
ふべく、ヒトラー総統のいふ通り、前
線の気分をそのまゝ銃後に再現し、貴
重な人的資源を残りなく戦争遂行上に
活用せんとするものであつて、その壮
烈な意気込みはヒ総統をはじめゲッベル
ス、ヒムラー等の国民に対する呼掛けの
うちによく現はれてゐる。本来、畠違
ひのゲッベルス宣伝大臣が右国力総動
員の全権に任命されたことは、内務抄大
臣ヒムラーが独陸軍補充軍の司令官に
任命せられた事実と共に、現在ドイツ
国内体制の特徴を遺憾なく現はしたも
ので、この両人に、軍需大臣として軍
需生産の全権を持つシュペアーが、ド
イツ銃後を指導する真の三人男である
ことはます/\明らかにされた。この
三人が旧来の官制とか、官庁の権限や
会社の既得権益等に関係なく、あらゆ
る機関を合目的的に使つて戦力増強に
挺身しようといふのであるが、その背景
をなすものは実にナチス党の政治力で
あり、強力な国民組織としての党の存
在にほかならない。かゝるやり方によ
つてドイツは従来変転する情勢も迅速
に対応して、適切な手段をとつて来た
のであり、今回も前記三人男の実行力
が所期の効果を挙げ得ることは十分に
期待し得ると思はれる。

二、ド イ ツ の戦 力

  強みは重要資源
  の 自 給 自 足

 しからば今、盟邦ドイツは如何な
る決戦態勢の下、如何に戦ひつゝある
か、その基礎をなす戦力はどうか。し
ばらくこれをみることにしよう。
 戦力の中心をなすのが、軍需生産力
であることは、いまさら説明を要しな
いが、鉄量決戦とも称すべき欧州戦線
の科学戦の新様相をみるとき、この軍
需資源の重大さが骨身にこたへるので
ある。
 ドイツの軍需生産が、如何なる程度
に拡充強化されたかは、詳細を知る由
もないが、ドイツ軍需省は昨秋大改組
を行ひ、戦時生産省となり戦時生産の、
全分野を掌握し、民需生産の徹底削減、
規格の整理縮小、技術の交流、企業整
備、外国人労働力の導入、女子労務の
大動員等、目標を軍需増産の一点に指
向して、この決戦突破に真向から切り
込んでゐるのである。
 ドイツ総生産の上昇は、敵英国側が
調査したドイツの国民所得によつてみ
ても、一九四〇年度には九百億マル
ク、一九四一年千二億マルク、一九
四二年度千五百十億マルクといふ上昇
数字によつて察知し得るのである。
(これに対してドイツ側当局では一九
四三年度千五百億乃至二千億マルクと
言明してゐる)。
 いづれにしてもドイツの軍需生産は
飛躍的に増産の一途を辿つてゐること
は事実であり、それが空襲激化の下に
なされてゐるだけに注目に値ひすべき
ものがある。さきのシュペーア軍需相
の報告によれば、ドイツの軍需生産力
は一九四〇年に比べて、約四倍になつ
たといはれ、フンク経済相も「ドイツ
軍需生産の増大は空襲激化に拘はらず
頗る著るしく、ドイツの経済圏におけ
る生産設備の増設、移転、労働配置及
び生産工程自体の改善等の結果、生産
力は量質共に強化せられた。また原料
生産も戦争第五年度において開戦以来
最高の水準に達した」といつてゐる。
 空襲下において、かゝる好成績を挙
げ得てゐるには、いろ/\の原因はあ
るが、まづドイツの強味として、資源
的に鉄、石炭、アルミニウムの如き基
本資源を国内自給に保ち得る点をあげ
ねばならない。
 まづ製鋼高であるが、現在の推算は
三千三百六十万トン内外、これにベル
ギー、フランス、ルクセンブルグ、ポー
ランド、ベーメン、メーレソなどドイ
ツ支配下の欧州主要製鋼国の生産高と
合せれば年産四千万トン以上となる。
 占領地を含めてそのドイツの石炭の

06

生産高は一九四三年の推算によると年
産的三億七千万トンであることも何よ
りの強味である。
 非鉄金属の需給はやゝ窮屈である
が、アルミニウムはドイツ本国だけで
も既に一九四一年度において年産三十
一万トンを示し、占領地その他を含め
て五十万トンと推定せられる。
 銅、ニッケル、クローム、マンガン
等の需給率は必すしも高くはないが、
プラスチック、アルミを中心とする代
用品の技術的発展によつて軍需生産に
さしたる影響は与へてゐない。またド
イツの化学工業の優秀牲は説明を要し
ないところであり、ドイイツ人造ゴム生
産も注目に値ひする。
 さて次ぎに石油である。現在、ドイ
ツ及びその支配地域における石油年産
総額は天然、人造と合せて約一千六百
万トンで、そのうち天然石油の年産は
九百三十万トンと推定され、その約三
分の二を、ルーマニア、旧ポーランド、
エストニアの三国から供給されてゐ
る。これらの三国を除く天然石油供給
地域は旧オーストリア、ハンガリー、
ドイツ本国等であるが、旧オーストリ
アの石油年産は百万乃至百二十五万ト
ン、オーストリアを除くドイツ本国の
石油年産はだいたい百万トン前後であ
らう。
 これを補つてゐるのは人造石油であ
る。残余の六百七十万トンのうち五百
五十万トンは石炭及び褐炭より生産さ
れ、約百万トンがベンゾール、アルコー
ル及び低温蒸留法による製品より供
給せられる。かくの如くドイツは天然
石油の不足を人造石油で補充し、その
増産拡充を強行した結果、現在では世
界一の人造石油産額を示してゐる。
 問題のルーマニアの石油生産高であ
るが、これは一九三五年の八百七十万
トンを最高に、その後は逐年減少し、
一九四三年度は五百二十万トンといふ
数字を示してゐるが、最近ドイツが資
材、技術の点で積極的にルーマニアと協
力し、増産に努力した結果、さらに一
定量の追加獲得に成功したと伝へられ
る。今後仮りに一部石油生産額が爆撃
その他の理由で減少したとしても、東
部補給線の短縮、防禦地域の縮小を見
てゐるから、ドイツの戦闘力がこれに
よつて萎靡すると速断することは誤り
である。またソ聯のバルカン進出が更
に進展し、今次の反枢軸軍の北フラン
ス上陸による北仏戦線の結成によつ
て、ドイツの戦力に多少の変化をもた
らしたとしても、燃料油の欠乏によつ
て直ちにドイツの後退を結論するのは
当を得てゐない。
 因みに米国の指導的石油コンツェル
ンの一たるシナーズ・サービース・コー
パレーションの発表によれば、一九四
二年の世界石油産出量は三億一千四十
四万五千トンで、そのうち欧州は二千
百万トンに過ぎない。さらに米国の
ウォーア・サービース・コッミチーの統
計によれば、欧州石油産出量漫一千百万
トンの内訳は次ぎの通りである。(但し
欧露を含まず、英国及びドイツの産出
量中には頁岩油を含む。単位千トン)
ルーマニア 五、二五六
英国 二、一〇〇
ドイツ 一、八五六
オーストリア 一、一一〇
ガリシア 一、四五〇
フランス 三五〇
ハンガリア 二一〇
イタリア 一四五


  技術精神の輝か
  しい勝利、V一号

 勿論かゝる資源生産量は、戦局の推
移とも関係し、こからを基本とするド
イツの飛行機、戦車、火砲、潜水艦等の
生産額も敵側と比べると、数字的には
小さいであらう。こゝを以て前途に対
して危惧を抱く者があるかもしれない
が、この点はこの戦争において枢軸側
がすでに覚悟してゐるところで、され
ばこそ、ドイツは兵器生産に当つても
重点主義をとり、全力とあげて対抗手

 

段を講じると共に、空製の影響を最小限
度に喰ひ止めるために、重要工場の分
散や、地下工場、各工場の対空防火施
設の強化等の防衛措置が相当進められ
て来たのである。
 しかしながら、あらゆる悪条件を克
服して、ドイツ軍需生産力が維持さ
れ、昂揚されてゐる根本原則は、ドイ
ツの持つ高度の科学技術の偉力と相俟
つて、シュペーア軍需相を中心として、各
工場において、その生産能率が最高度
に発揮されてゐるといふ事実である。
 シュペーア軍需相は、「我々は敵の量
に対し伝統的に優秀な技術を以て最後
の勝利を獲得し得る十分の自信あり」
と述べて、自ら工場にも寝泊りして陣
頭指揮に当つてゐるが、各工場で行は
れてゐる能率競争においても、二百五
十万の青少年が動員され、標準以上の
能率をあげたもの五万といふ好成績を
収め、しかも生産過程の単純化、労力、
原料の節減、工場作業の共同化等にも
みるべきものあり、産業人が自己の責任
を遂行し、創造的能率を発揚せんとし
てゐることが十分に実施されてゐる。
 ヒトラー総統も去る七月五日、総統
大本営に独軍需工業の生産責任者と引
見、「独民族存亡のこの最大の戦ひに
おいて、各個人の任務は勝利のために
絶えず戦ひ働くことである」と前提し、
「今回の戦争は第一段に技術との戦ひ
である。技術的発明が戦争の当初から
極めて明瞭にその刻印を今度の戦ひに
印したのである。独民族の発明精神は
敵との間に再び技術的な平衡を確立
し、かくして明確に戦局を転換する前
提条件を充足する途上にある」と彼等
を激励し、必成必勝の信念を披瀝した
のであつた。
 物的、人的資源の不足、または喪失
を技術的改良によつて補つて余りあら
しめんとする、産業技術における愛国
心が、よくX一号を生み、X二号、X
三号を生み出さうとしてゐるのであ
る。

  婦人と外国労務
  者の徹底動員

 軍需生産の上でドイツの当面せる一
大困難は労務の充足である。旧ドイツ
本国の人口八千三百余万人に対し、現
有兵力を○○万と推定し、開戦以来の
兵力の損耗や、スターリングラード戦
線とイタリア脱落後の大動員の結果、
当時においても国内の労働力が如何に
逼迫したかは想像に余りあるのであ
る。
 そこでドイツは夙に青少年を十七歳
で労働奉仕に服せしめる一方、十八歳
で兵役に就かせることとした。壮年男
子の高度の軍動員を行ひつゝ勤労要
員を如何に確保するか、これがドイツ
当局者の頭を悩まして来た点である。
昨年一月、例のスターリングラード戦
線の危急を機として、ドイツ政府は
労務登録令 (男子十六歳―六十五歳、
女子十七歳―四十五歳) を公布し、つゞ
いて不急経営閉鎖令を実施したこと
は、まだ記憶に新たなことであらう。
 かくして徹底的な労務動員と企業整
備とは並行して行はれ、不急産業に従
事してゐた男子労働力は全部吸収され
ると共に、婦人の徴用を徹底し、また
大量の外国人労務者の移入を図り、ま
た俘虜を使用することによつて、極力
軍需労務者の増加を図り、。同時に戦闘
における人的消耗の補充に備へて来た
のである。
 これによつて当時約三百万人の増加
をみたといはれた。
 盟邦ドイツが使用してゐる外国人労
務者は、ベルギー、フランス、イタリ
ア、オランダはじめ各国人があり、そ
の数は、ドイツ国内だけでも数百万人
と、これに俘虜と、占領地に働いてゐ
る労務者を加へると、尨大な数に達
し、これがドイツ軍需生産力を生み出
す大きな力となつてゐることは特に注
目すべき点である。
 東部戦線の消耗補充、第二戦線の展
開によるその後の戦局の推移は、さら
に新たな軍動員の必要に迫られ、熟練
工その他で応召を受ける者もだん/\
多くなり、国民動員の強化が更に要請
されるに至つた。折しも突発したヒト
ラー総統暗殺未遂事件直後の決戦体制
強化の一環として、総統の異常の決断
力によつて具体化したのがこの第二段
の労務の強行転換策である。
 去る七月二十六日夜、ゲッペルス総
力動員統監は、ラジオを通じて全国民
に次ぎのやうに訴へた。

 

07


  「総統は既にヒムラー内相に対し、戦線
 の背後における独軍の最高指揮官に任命
 したが、ヒムラー内相はまづ国内各軍の
機構全体を再編成した上で有力かつよく
訓練を受けた予備兵力を前線に送るであ
らう。シュペーア軍需相はまことに驚歎
に値ひするくらゐ軍需の増産に成功した
が、絶頂までは前途遼遠である。いま必要
なのは多数の労働者だ。工場から前線に
出掛ける労働者達の代りを見つけなけれ
ばならない。絞り出すことが出来るだけの
人員を軍需工業と前線に送らうではない
か。ヒトラー総統は二十五日絶対的な総
力戦をあらゆる意味において睨H化†る
環忠巾一で・小山和したっ余は…m蹄からその大任
を託さ九た。∧小は的付とか椚批とかにと
らはれず、余に托された枠mを打址して
昭申のn打をハハ平に阿分し、利くも拉性
なる人々に削しては時代た捕叫エd什祁を
詐†るであらう。その折那、粍川代の敬
悪は決してm穀せず、かへつてH即gされ、
必ず札確の鮫▼叶△酢耶を試できよう。
 特に余はナチ米の支持に依存するとこ
ろが大きい。各職繰における情勢、特に文
部職緑における情勢は間もなく一奨して
巧軍に有利となり、殿局は新たな撰相を
帯びるに繁るであらう。七月二十B、現団
長に封Lて致命的打撃を輿へたとH信L
た敢周は、かへつて沌国民を盤践させた。
枚等ほ間もなくその結果を柁験するであ
らくノ。或る液術的同においてほ、散開は掬
箪を浪ひ出してゐるが故に、われ〈は
懲土罪来せねばならない。将に敵と同じ
水準に逢するばかりか、さらに敵を泊ひ
舶椚すことが必努である。
 X一流の椚動の如きは将に序の口に過
ぎない。招四民があくまで職悶指紳を讃
拝すれば、前線の翌ハと新鋭丘拡叩とほ必
ずや和閉代に射して弊制をもたらすであ
らう。間もなく職局に新出悶を輿へるか
どうかは、一に舶りて我等の釈bにあり、
我々ほ一切の粥禽を凝中に封つてゐる。
同氏試射、棚托へてこの搾禽を清川しよ
モノではないか。全離の紳は把統の奇断的
生抜によつて印が数等と共にあるととを
本音に示してくれんヽ汚君、我一に座す
 る貯水に日を注いで一緒に仕事に取りか
 からうでほないか1」
 「統力出すことが出来るだけの人艮
を宰領工費と細線に法らう」といふ徹
底せる方針に基づき、まづ野馳された
のが、粟野粉の辟蕊禁止である。
              てプr
 偶数沸蕗といふのは縁故などの手費
によつて今秋やエ場尊に席は砥いて
ゐるが、‡際には働いてゐないといふ
名日野汚者のことである。ザサケル人
的資海兵官の発令した條例によると、
八月十五日まで自敬的に中指とさせて
それ以後にかゝる者を見つけたら、鹿
央と共に現行法令の定める故重刑を挽
さう。また労働確汚から逃れょうとす
ろ常に封して成体の珍師事と出した督
常に対しても駅前を以て臨まうとh
          l† ひ
ふ0巧くも労働を忌出して何人の安逸
のみた囲り、国民としての戦争途行
                小し●く
協力鞋鞍患づた者に野しては仮借

08

なく登別と加へょうといふ断の】字で
九Yる。
 欠いで教戒されたのが、替持中台
我持年齢の引上げで、女チ四十五凌が
五十濠に引上げられた。鞍常者がお上
モ三宮万人と凛され、そのうち三介

 の一は撞々の事捕で山野働に紹事できな
 h忙しても、壌りは全部虚丁籍工場に山勘
 占只し、これによつて男子の軍葬一員の碓
 保に資さうとしてゐるのである。
三、戦争一本の図民生活
 ▲Tや仝ドイツ駒艮は、老幼男女、す
1て‥前線か鑑丁冊′エ仙莱に線動員されるに
車つた。ヒトラー・斗−ゲソナにも戦時
坤仕として大洗凱〕月令が下され、従凍
の牧樺時の‥椰助勢働や高射砲酸、防・峯
憶硯隊の祁助任抄のほかに、渾番射撃
†柵兵役娘訓練が強化されてゐる。
 そして椛榊‥防衛陣は、新規現役軍に
配†るに、食掛現衝族や武装衆準隊忙
ょつて〆段、と堺化され、乾。フロイセy
カブでは、地節締労音の命令lT、十
五哉以上六十五凄までの男子は、あら
ゆる職場から前線へ、団墳の竪壕拍少
に出勤し、ヒトラーエーゲソナもこれ
に協力してゐると、最近の一情報は緊張
するドイツの国内情勢常倖へで米てゐ
]る●

  団内哉場の敬儲生活

 †べてを戦争へ − それは界勒態勢
ばかりではない。「・今後一切の曙家故
構は−切取年目的のために活用され、
鞄筈鰻に奉仕しない−切の寄集はこ
の際停止されよう」。「礪駒民の負槍す
ち犠牲と重荷とは、あらゆる階級忙均
分され血ばならない」と組力動月の鹿
血瓦たるゲ,ペルス侍士は強調する。
 そして八月十日には、地力動員六ケ
倹と教義し、新たに文化生活の制眼、
−般内♯行政、錬遭、租借並びに文化
部門だおける節約的措嘩公的生活壊
申の簡素化等の音施と隼明し、
  r今やドイ’市民ほ一人残らず全力む
 卒げて嗣家に革仕しなければならず、◆
…徒敗週間乃繋蚊ケ月さらに一層の努力む
 傾けねばならない。従つて各人の生活填
 革が教学のため、ます〈影響を受ける
 のほ必然である。台存のための坑銃サの帝
 烈さと合致しないすべてのことが八的よ
 汚から取り瞬かれねばならない。ドイタ
 桝民は生活標準の一丁ベてを捧げ、如何な
 る恍牲を桃はうとも、存亡の馳ひか最後
 ¢陀町利まで執ひ扱く不動の決意を懸印す
 もであらキノJ
■キーイツ団民への決意を婆山謂し、」均
  \ノ
托・もたた敢然これ虹呼施し、て額起した
のである。
  テロ爆撃に滋悪
  い よ ′ヽ 男印 し
 今やドイツ励民にとつては、日常の
沌)いれそのものが馳ひである。恥印やあ
為e岨内はすでに久しい以前から黙場
で渋る。
 叶舛十一月の大場撃以来、ベルyy
湖托の約牛数は家を失つた。それでは
    。hぐ ●
どこに叫を見つけたか、残る者は郊
外にある家の一部屋と借り、或る者は
快け残つた友人の同じ都塵に喪てゐ
る′必要以上に部屋を持つ者は何人と
いへどtそれa鶉供したければならな
い。敬十万の・焼けmされた人人がどこ
かに鞭まつてゐる。士た怯黎の激化は
†べての人々と地下愛に迫ひやつた。
モこでは†べての市民が何付寸の差別な
Lに軒じベンチに輝かけてゐる亡何じ
苦しみを分け合つてゐる。彼等は同じ
やうに家を焼かれ、物を失つた人々で
ある。「坪利のみが救ひである」といふ
生活の座に根ざす信念が規準七ケ月の
粥歯民の切賓な生前感情となつて米
た。これが偶はらぎるドイツ均民の戦
ふ生活の普相である。
 しかも敵のテロ嬢邸によつて礪閲民
の懲悪は一段と強められてゐる旬であ
る。とのテロ爆撃は、いづれも煉準壊
五官乃至入首撥忙よつて敢行され、そ
の規模はます′〜叔大されてゆく留向
にある。稚つて集中爆撃の敷兵を婆坪
し得ない場合でも市内全般に五つて被
啓が増大し、托に西部地域に患いて眈
 はい●一
に塵竣と化した地域に落下した捧弾が
桶常数あるとはいへ、モの被審甚だし
く、現殊ではベルクツ鼻倍としても拍
常大なるものがあるのである。
 しかも、市民一般の士気の凄めて鑑
煙たととは賓に幣款に使ひテるものが
ある。決して山川民は冷血河と失つてわな
い。さうかといつて締め切つてゐるわ
けではない。婁烙と受けても、臼ら山
手で、跡かたづけとし、また甥き上げ
て頼らしい生活姦設してゆ′、気力と
北濃に持つてゐる。そして梢托に輔と
mしてわるのである。銃後の聞出山全
部が瀞線の兵隊と同じく、俄率といふ
ものに正面からぶつかつて、とれ〜亡こ
なし朝つてゐるのである。
 とれは政府常局の摺櫨宜しきむ柑て
         一づ小
わることが大いに輿つてカある。即
ち周到なる池」備と迅速なる誉碓招稚に
†−づて、一人とも飢ゑしめぎるりせと
奉げてゐることにあるのである。ドイ
ツ常M周では・大境竣毎に市民の秋する
食杜、増絃品串と円滑に供給して慰安
た輿へるとともに、来るべき峯現に封
しても、苅一の場合に廃すため、敬凱
だもしない倍額と市民の駒に栴ゑつけ
てゐるのであるG長江尉鞭した人力の

09

稚と開いても「大場率後ベルyソの多
         いらく
朱は明朗化され、悠々した鮪分がなく
なり、市民が甥仲よくなつた」といつて
わるが、政府を侶赦し、最後愛で戦ひ
軟く以外に途なしと決潰したとき、l
取市民の気分はかへつて明朗とな虹、
敢の都市に封する謀略的テロ爆撃は既
に失敗に抑してゐるといつても埠盲で
ほなからう。
 下イツ団托が峯袈の試練に封して強
扱な粘り強さ▲鑑敢坪してゐる原因のl
つに、防婁封栄の完備が串げられょ
う。ベル少ソは歪塊以歯、昨年八月
から遊休人口の大部分は疎開し始めて
ゐた。そして、現存住宅は閥民社禽主
義厚生囲の管理の下に、焼け出された
者に貸し輿へられるなど、強力な統制
が加へられてゐる。
 病院の焼失或ひは破壊も多数に上つ
 たので、緊急封策として、病院地下金
 の抑強ヤ地下蒋院も新紋され、と1に
性格封安静と婆ナる重症患者や大手術
と要する新が収容され、またヒトニフ1
線統が、由分の官邸の地下防察壕と姦
現下の帝院に提供したことも報道され
てゐる。
 か上ろ防棋施設の充賓と相侯つて、
強調されねばなら拍のは、γイツ図怯
の近しい防術輔紳である。工場と生産
の安全が、団の越命を映することとよ
く知つてゐる工場弊持寄は、餉根脾兵
と同じ菊持で、自らの職場を死守する
東映に払え、桁人もまた立派な防姦戦
士となつてゐる。査問爆撃のとき市民
の住宅を搾るのも主▲軒たちであ♪、女
子防卒士官制度も創設され、庶鋭、測
定、泡報年の梯極的任務に参加してゐ
るのも齢人である。

  鼓ふ食糧に不安なし

  rドイツにほ全然イyフレーa†ソの危
 櫻ほ見られない。とれほ配給制度の熊山皆
がとノまくいつてゐろためであり、切符女
将つてゐて物が皆只へないなどといふこと
はドイツでは絶封に見られないことなの
であろ。この反唱闇行煩が頸見されれ
ば滞ちに重刑を似て戌晰aれることにな
つてゐる。現にドイツに在托する日米人¢
うちで⊥聞物安の買一驚見たものなどほ一
人もないといふほく統制は山蛮に行ほ
れてゐる。この鮎が前大職常時と非常に
異つた特色となつてゐる。
 帝一次・芸域にほベルyソに在り、今度
の取牢にほ∀−†にゐたコ’クの一邦人
柁、最汝サイーソに灘秘してゐたが、後日]
自分にかう述懐してゐた「今度ほドイタ
ほ大丈夫ですよ。前の大戦の最中にはベ
ル,ソでも根粒で歩く硝民を見たり、女
物がなくて町を彷睨してゐたものがたく
さん見られたが、今度ほドイツ人ほみな
靴を放いてをり、食和も十〓分とはいへ
ぬせでも、その日に郡軟いてゐないのほ一
時に目に付くことで とれでほドイツほ
放けません」と語つてゐた。いづ九にせ
よドイツが英米ソ≡馳叫と最後†で仙嘲ひ故
)ノ
  ′、▲決▲者を持つてゐることは、疑ひm付ね山争
 伽只であり、−喝雫は恐ら〈敵味方ともへと
 へとになるまで紐くことと恕ほれ、環掬
 和平などの驚現性ほないといつても宜し
 い」
 さきに辟朝した前駐伊特命全権大使
堀切並一兵衛氏の談話にかういふ一節が
あつた。
 「今度のγイツは負けない」といふこ
の戦力の基解はどとにあるのであらう
か。食抑h策の成功灯その耗蝮の少く
も冤要なるものを求められねばならな
   ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
い。扱が拭つては戦さは〓純ないとは
栗し妓理である¢食瑞相にしてγイツ
環艮の維持澤君たるバ,ケ氏がしばし
ば力説するやうに「今日のドイツは一九
一入年のドイツではない。敵は泣ギヤ
飢旅によつてドイツを榊服させること
ほm純ない。しかしてまたドイツ忙は
飢節で破滅するやうな根性は少しもな
い」のである。
取時におけるγイツ食絹耽節の根本
                    と ‘つ
方針は、外周よりの輸入物資の枇組む
考賠して、河内における榊耗に拍碑と
かけ、開災の不簸を防止することにあ
              ●〜・ラ・たい ヽ ヽ ヽ
る。即ち耶吋允柑政策の要諦は睨を滅
 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
らさねばよいのである。γイツの第二
次四ケ年計誠(一九三大年十月より一九
三入年三月まで)の下に行はれた新方
舵が如何なる械功と収めたかとこ1に
は省略するとして、ドイツが団円生産
により、その悶内需宴を充足せしめ得
た梓庇をドイツ景気研究仰の作成灯よ
ろ−九三先年度の表によつて見れば次
ぎの如くである。
 ハ食椅晶の絶凶杓滑兜に対する局内
 生産の糾合)
 ライ変、小変、大変、燕変、馬鈴沓、砂
 抑、肉料(豚肉を除く)、牛乳、ホップー九
 入I⊥−00バーセyt
 陀均果那1入oI◆九〇バーセソト
 鳥斯、耶1七〇1⊥七九バーセyト
 ペイコソ、新鮮な淡水魚、野琴1九〇◆
 九七バーセノト
 滞藷魚−六〇−⊥七〇バーセソト
 憫肪払(マルガリン、ヲードを含む)・1
 五〇−⊥五九。ハーセゾ・ト
 仙寛竿−四〇−⊥四九バーセソト
 これによると、竹…時ドイツは穀物及び
馬鈴黎は串班上自給し待たが、その必
要とすろ附肋斯は何かに年分しか自給
し符なかつたことが知れるが、しかし
食柑晶仝礎についてみると、ドイツ
は平年作の状態では凶朽詑姿の約八〇
べ−セy†の自給力を有してゐるので
ある。
 粛一次大戦の際には流Tせる食料政
鵡爪と倉橋統制の細純がなかつたため、
大戦中性食料は守るしく沖縄したが、
今次大戦でほ、渦滋十年問における食
和改新と食料純料純綿を巧帖歩怖した
持埠現水まで耽肘は允柑紹給に何等
 こ わん
軒念すろことなく政的的、符節的に必
要なる方節を富灘するととが川氷るの

10

である。これは、パン用穀物の生産数
量の戦前水準の維持、油脂植物の増産
確保、甜菜、馬鈴薯等、野菜の飛躍的
増産、乳牛及びバターの増産確保、家
畜現在数の順調なる発展等々、かうし
たドイツ食糧政策の成功を物語るもの
である。
 ところで、ウクライナの喪失はドイ
ツの食糧事情にどう響いてゐるであら
うか。ドイツは、欧州経済圏の一国よ
りの供給減少は他国よりの増加を以て
補ひ得るといふ大ドイツにおける食糧
自給対策を実施してをり、またドイツ
のウクライナの総督は漸く緒についた
ばかりで、われ/\の考へるほど欧州
の食糧に重大な貢献はしてゐなかつた。
従つてそれをもつて直ちにドイツの食
糧に重大な影響があるといふ懸念は考
へられないのである。
 さてこゝにドイツを盟主とする欧州
における与国の食糧事情についてみる
ならば、幸ひにして昨年は天候に恵ま
れ、ドイツをはじめ欧州一帯の作柄は
良好であつた。たゞ日照りが続いたの
で、蔬菜、馬鈴薯は不作ではあつたが、
パン用穀物及びデンマーク、オランダ
の小麦も増産を見、殊にフランスの小
麦生産高は六百五十万トンと前年より
百万トンの増加を示し、またバルカン
一帯は数十年来の大豊作に恵まれて、
ルーマニアの如きは最もその成績よく、
既に昨秋以来、白パン、砂糖の割当制が
解かれ、肉無し日も廃止され、しかも
なほ大量を小麦を輸出する余力がある
といはれるから、この方面からのドイ
ツへの寄与は相当大きなものがある。
 ドイツの食糧政策の上で最も苦心を
要するものは脂肪の確保である。ドイ
ツ国民の消費する食用油脂は、一九三八
年においてバター四五パーセント、マ
ルガリン及び食用油三〇パーセント、
屠殺家畜油二五パーセントであつた
が、一九四三年にはバター六〇パーセ
ント、マルガリン及び食用油ニニパー
セント、屠殺家畜油一八パーセントと
バターの占める割合が極めて大となつ
た。かくして戦前僅か十万トン内外の
バターを生産したドイツは、現在は七
十万トンの生産能力と有し、北米に次
ぐ世界第二位のバター生産国になつた。
 その他食料油としてバターのほかに
菜種、向日葵、けしなどの油脂植物が
ある。が この生産量も戦前の八万ト
ンから五十八万トンと飛躍的に増大し
た。

  増 産 奨 励 と
  配 給 の 実 情

 以上の如き食料対策と睨み合せて農
産物価格を逐次是正し、特に油脂植物
の栽培奨励を図るためには奨励金を出
すほか、一定量の油は自家用として農家
の使用に委ね、油粕は肥料として農家
に返却し、さらに新たに菜種類を栽培
するものには応分の窒素肥料を配給す
る等の方策を講じてゐる。なほまた多
数の農業技術員を派遣し、土壌試験を
始め土地改良、製品の合理化を図ると
とも支配下の諸国及びドイツ軍進駐
地域に対しては、ドイツ農業当局を代表
する食埋葬月、枝術指導者が配催され、
食糧行政に剛興せしめて今日の稀ぎな
き食糧故に打ち鬼つてゐるのである。
 次ぎに鼻薬労力確保封朱であるが、
ドイツ常局ではn力不足抑充のため教
官万の外聞節約者を農村に配浸してゐ
る。秩にウクライナ頚失以来、Fイツ
水団の食樹相席のためには、ぜひとも
必姿なる農溌労力を確保しなければな
らない。その方法としてドイツ常何で
ほ民兵労働力の紹給詞塾を囲つてゐち
が、それによれば、農村に定位し段共
弊拗に従事し締る能力あるものは、す
べて農業経営に勤持する鵜持を有し、
その勤艶の粁度はその年齢、健奴拙放、
家庭における地位、労働魂劫の有舛専
の事情を考慮して決定せられるのであ
る。さらに十人歳未満のヒトラー・ユー
ゲytの農業労働挺身はもとより、ま花
婁興鹿瞼地帯上り農村に疎糊してゐる
ものは、農村労働力需給紺係緩和及び
厨艮食囁の見地より柴発券力に封して
懸分の協力を致さねばならないのであ
少、・とれによつて必婆弊力と絶封に
確保してドイツの食棉として馳秤速
行にいさ1かの不安なからしめてゐ
る●
 かくして確保された籍柑は、ドイツ
閻民に如何に配給されてゐるか。ニ週
間につき…叫佗グラム)
現  在
一九一入年
バン
 普通人
 軍努働h者
 起算堺倒老
脂肪
 背泣人
〓・四二五  二・一五〇
三・入二五  ニ・七五〇
四・八二五  ≡・四五〇
ニl九
七〇
悪弊働老    ≡一九  一〇〇
 薪悪弊働者   五入入   〓一〇
■再
 普通人   〓五〇   〓五〇
 家筋働者   六〇〇
 超茸努働者  入五〇
 これによつてみても、賠大戦の末期
ょりも飴祢があり、今後も。ハソの現在
刺常を緋拝することも〓氷る見込で、
脂肪についても、。ハクーの生落盤など
は最近とみに増加し、誇姿の六割以上
を自給し縛るに至つてゐる。本年度は
また油脂川純物淑柁状況も良好だつた
から、現水の酎松永を維柑†頂ことも
川ん外よう。
 牛族の付布荒も、戦綿の六割二分と
維持してをり、肉の配給求も靴前山六
割を保つてゐるヤうである。
 このほか砂祈、ジャム、粉鮎、卵、
ク。ハコ等の配給もあり、過激な労働と
する常には、特別券が支給され、十八

11

歳以下の蒼少年には油やパン類の配給
が多い。
 空襲時には、一般にコーヒー、酒類、
チーズ、油類、タバコ、米等の配給が
行はれたり、罹災者に対する食糧配給
の不安なからしめてゐることは、さき
にも述べた通りである。

  東西相携へて
  試煉に耐へん


 盟邦ドイツは戦局の急転と共に今や
今次大戦の最も重要な決定的段階に突
入した。東西南三方に敵を受けたドイ
ツの状態が楽でないのはもとよりであ
り、殊に今が一番昔しい時機であるこ
とは、ドイツ人自身の最もよく知つて
ゐるところである。しかしながら味方
の苦しい時は敵もまた苦しいといふこ
とは、勝負の原則である。顧みれば、
スターリングラードの悲劇以来ドイツ
は、内外の憂患交々至る状況であつ
て、その間にドイツ国民の受けた精神
的、物質的な重圧は、蓋し想像に余る
ものがある。しかしながら、民族の偉
大性が発揮されるのは実にかゝる難局
に直面してである。ヒトラー総統をは
じめ、心あるドイツ人はこれこそ神の
ドイツ民族に対する試練として正面か
らこの難局に取組んでゐるのである。
 事こゝに至つてドイツ国民の択ぶべ
き途はいよ/\明瞭となつた。即ち途
は一つ、生か死かである。昨年一月三
十日開かれたナチス政権獲得十周年記
念日に、ヒトラーは今次大戦にドイツ
民族の一体不可分性を強調して
「現在の戦争にあつては戦勝国と
敗戦国といふやうなものはなく、
生き残る国と亡びる国があるば
かりだ。この戦ひは今後数千年の
歴史を飾るもので、これは永遠の
ドイツを建設せんがための生死の
戦ひである」と絶叫してゐる。まさ
に然り。ドイツは興廃生死の分水嶺
に立つてゐるのである。生きるも
死ぬもドイツ国民全体の双肩にかゝつ
てゐるのである。さればこそ、ドイツ
は今や国民の全力とあまさず絞り出し
て、あらゆる努力となし、斃れて後止
まんの気魄もて、勝利の日まで戦ひ抜
かんとしてゐるのである。我々はこ
の盟邦ドイツの奮闘に対し絶大なる
讃美と声援を送るとともに、東西相携
へて共同の敵驕米、狡英の徹底的撃
滅の決意いよ/\固くし、完勝の
日めざして、誓つて邁進せねばなら
ぬ。