第三四七号(昭一八・六・九)
  アッツの雄魂に応へん
  戦争生活の徹底         厚 生 省
  戦時下の育児
  「頼母しい戦争生活例」当選発表
  甘藷増産の秘訣         農 林 省
  交通動員計画問答        企 画 院
  大東亜戦争日誌

アッツの雄魂に応へん

 アッツ島守備部隊は、五月十二日以来、極めて困難なる状況
下に寡兵よく優勢なる敵に対し血戦継続中のところ、五月二十
九日夜、敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮
せんと決意し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後、
通信全く杜絶、全員玉砕せるものと認む。傷病者にして、攻撃
に参加し得ざるものは之に先だち悉く自決せり。・・・・・・
 五月三十日午後五時、突如、この大本営発表をきいて、
誰か悲憤と感激の涙なき者があつたであらうか。
 山崎部隊は米軍上陸以来、数において十倍し、しかも戦
車、大砲等優勢な装備を有する敵に対して敢然として戦
ひ、好機をつかんでしば/\局部的攻勢に出でて敵を撃退
したが、五月二十七日頃には、敵は漸く陣地直前に肉薄
し、こゝに銃剣と手榴弾等による白兵戦が展開されるに
至つた。
 この間、山崎部隊長は只の一度も、一兵の増援も要求せ
ず、また一発の弾薬の補給も願はず、全員烈々決死の覚悟
を以て、「一人で十人はおろか二十人でも、三十人でも引
受けよう」と全軍の意気衝天の慨があつたが、遺憾ながら火
器の劣勢は如何ともすることが出来なかつたのであらう。
死傷は続出し、二十八日頃には生存者すでに百数十名とな
つた。しかも敵は続々と新鋭部隊を補充し、特に物質的
威力はます/\加はつて来たのである。
 かゝる情勢の下に如何に処置すペきか、山崎部隊長の
最後の決心はきまつた。
 「敵に最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮せん」
 二十九日夜暗を期し、敵の主力集団を索めて最後の攻撃
を敢行しようと、これに対する一切の処置が迅速に進めら
れた。
 「傷病者にして攻撃に参加し得ざるものは之に先だち悉
く自決せり・・・・・・」
 大本営発表にもかくあるやうに、攻撃に際して、傷病者
は枕を並べて自決し、魂魄戦友と共に敵中に突入を祈念し
たのである。
 最後の突撃に、完爾として死に赴いた勇士もさること
ながら、この傷つい将兵の心事は果してどうであつたで
あらうか。当時の情景が眼に見えるやうだ。
 我々はこゝに崇高な大和魂と精強世界に比なき皇軍の神
髄にふれることが出来るのである。
 「身心一切の力を尽し、従容として悠久の大義に生くる
ことを悦びとすべし」といひ、「生きて虜囚の辱を受けず死
して罪禍の汚名を残す勿れ」と戒められた戦陣訓は、こゝ
に山崎部隊の行動の上に躍動しし、軍人勅諭の精神は燦とし
て輝いてゐるのである。
 滅私没我の境地に立つとき、人間が如何に強くなるか。
その後の敵側の情報によると、この歴史的なる五月二十九
日夜半の血戦によつて、マサッカル峠にあつた敵集団は潰
走し、その他の敵戦線もために大混乱に陥つたといふこと
である。
 闘魂まさに敵の心胆を奪ふといふか、恐るべき事実であ
る。わが精神力の勝利は遺憾なく実証されたのである。

 かくして北海の孤島は、皇軍の神髄発揮の聖地として永
遠に歴史の上に記され、世界の人々を驚歎せしめた。
 勇士の肉体はたとへ死すとも凄烈なる攻撃精神は永久に
生きてゐる。そしてこの烈々たる精神こそ、いま銃後に強
く、逞しく生かされ、発揚されねばならないのである。あ
のアッツ島の将兵の無念を我々の無念として、あの英魂を
我々の心として、今こそ我々は奮起せねばならない。
 さきに山本元帥戦死の悲報あり、今こゝにアッツ島勇士
玉砕の報あり、我々は悲憤やる方なく、沸きかへる思ひ
がする。しかしこの憤激をじつとこらへるその中から、
むら/\と熱え上る復仇(ふくきう)の憎しみと、米英撃滅への強い
決意の昂まるのを覚える。
 思へば我々は、今まで余りにも戦勝に狎れ、安易に恵ま
れ過ぎて来た。しかし今、我々の直面した局面は容易ならぬ
ものであり、まさに天与の試練である。まだ/\試練の嵐
は吹き荒ぶかも知れないが、それを立派に乗り切つた時
にこそ、この戦ひの勝利の栄冠は輝く。
 戦ひが深刻になればなる程、局部的にはいろ/\のこと
が起るであらうが、これらに一喜一憂することは厳に慎む
べきである。大東亜の大勢、世界の大勢はすでに決し、
微動だにするものでない。それなればこそ敵米英は、今の
うちに何んとか頽勢を挽回しようと必死の攻勢を試み、
アッツ島の如き一孤島にまで多勢を擁して反攻陣を張り、
わが本土を虎視眈々としてねらつてゐるのである。
 敵の反攻が熾烈であればあるほど、強く反撥するのが日
本国の強さであり、日本精神の神髄であることは、今日
この頃の我々の国民感情が何よりの証拠である。

 世界戦局を大観するとき、その前途決して楽観を許さ
ない。大東亜戦争完遂の戦略態勢、もとより我に利ありと
はいへ、欧州戦局の転換以来、太平洋作戦に敵の重点が
移行することは当然覚悟せねばなるまい。
 敵は依然として物質力、科学力を以て最後の勝利を博し
得るとの自信を失つてゐないやうだ。勿論、アメリカの物
質力については今日初めて知つたわけではない。尨大な生
産力については多少割引する必要はあるにせよ、最近の
情勢は我々に一段の覚悟を促すものがある。
 あのガダルカナル島方面の反攻といひ、このアッツ島の
上陸作戦といひ、尨大な物質力を恃んでの反攻であり、今
もなほ、至るところの前線では消耗血戦がつゞけられてゐ
る。アッツの勇士は言葉にこそ出さないが、一機でも多く
の飛行機が、一隻でも多くの船舶が生産されることを銃後
に期待し、これを信じつゝ散華したことであらう。いはれ
なくとも、否、寧ろ積極的に生産に挺身するのが、銃後に
課せられた当然の任務であり、責任なのである。

 「今明年が決戦の年だ」といふことはお題目ではない。敵
もそのつもりで必死になつてやり出した。我々もまたその
覚悟でゐる。戦争はいよ/\身近かに、厳しさを加へて来
た。戦ひは遠い前線の問題ではなく、われ/\一人々々の
生活の問題であり、持場、職場がはつきりと戦場になつ
た。
 我々もその気になつてかゝらねばならない。
 政府はいまこの緊迫せる世界戦局に直面し、鉄石の決戦
体制を一段と強化推進する決意を固め、着々と諸般の施策
を実施してゐるが、来る六月十五日から三日間に亘り、臨
時議会を召集、時局に関し特に念を要する予算案及び法律
案の協賛を求めると共に、国策遂行に関する帝国の所信を
中外に閘明することになつたのである。
 戦力増強のための企業整備の強行、食糧の緊急増産な
ど、戦争完遂に必要な施策は、こゝに力強く推進され、戦
争に勝つための超重点政策はいよ/\明らかにされるであ
らう。戦力増強に直接関係のない行事は、たとへ今までは
必要であつても、今後は公私ともにこれを制限しようとい
ふ強い方針もすでに決定されてゐる。
 我々は今大きな踏切りをする秋に直面した。今までの
やうな惰性ではいけない。戦時的ならざる一切のものを
なげてかゝらねばならない。そして一方、いよ/\求敵必
滅、必勝の信念に燃えて、あらゆる困難を克服して戦ひ抜
く肚をきめて出直さねばならない。あのアッツ島の将兵の
大勇の如き逞しい踏切りが、我々の心の中に、生活の中に
行はれねばならぬ秋である。
 戦力増強のためとあらば、一路挺身する。その自信と気
魄と実行力とを、いま我々は前線の将兵の行動から学ばね
ばならない。
 「・・・・・・当方幾多困難なる条件之あり候も小官儼存する限
り当方面何卒御安神賜はり度候・・・・・・」
と山崎部隊長は、前線から富永陸軍次官に私信を寄せてゐ
ることが新聞で報道されたが、この自信と責任感あつてこ
そ、あの大勇は発揚され、皇軍の神髄は遺憾なく発揮し得
たのである。

 我々にはもはや、遅疑逡巡は絶対に許されない。戦争に
勝つために一歩でも前進し、一つでも実践することが必要
なのである。徒らに時局を憂へ、或ひは他を顧みていふ余
裕があるならば、その間にまづ自らの職域において、また
持場において、自らの責任において戦力の増強に役立つ
ことが肝要なのである。
 生産に従事する者は限られた条件を最も有效に活用し、
少しでも多くの軍需物資を生産することである。農家は一
粒でも多くの食糧を収穫するやうにすべきである。また
輸送に関係するものは、一つでも多くの物が運ばれるやう
に工夫努力し、消費生活の面においては、少しでも多く消
費の節約をはかり、貯蓄の増加、戦力の増強に資するやう
にすべきである。
 少しでも暇があつたら働くことである。今や全国民のあ
らゆる時間と労力は、この点に集中され、国家国民の総
力はこゝに結集され、米英撃滅の敵愾心となつて燃え熾ら
ねばならない。このことを措いて、アッツ島に奪戦散華し
た雄魂に応へ、また山本元帥の英霊を安んじまつる道はな
いのである。
 かく前線の将兵が皇国のために殉じつゝあるとき、「何は
割がよい、何が損だ」といふやうな考へ方はこの際、はつ
きりと清算してかゝることを、我々お互ひの心に固く/\
誓はうではないか。