第三三三号(昭一八・三・三)
   昭和一八年度予算の概要       大 蔵 省
   二百三十億貯蓄もあと一息      大 蔵 省
   日露戦争と大東亜戦争        陸軍省報道部
   撃ちてし止まむ
   大東亜戦争各方面の戦況       陸軍省報道部
   「頼母しい戦争生活例」当選発表

 

日露戦争と大東亜戦争       陸軍省報道部


まへがき

 皇國が興亡の岐路に立ち、国運を賭
して戦つた日露戦役も、今は早や昔物
語となり、陸軍記念日も今年で第三十
八回を数へるに至つた。日露戦争の様
相は、今日の総力戦の見地からみれ
ば、至極簡単なものであつたと考へら
れるが、しかし、当時のわが国力、戦
力を以てして、強大なロシアを敵と
し、よくこれを打ち敗つた所以のもの
を検討してみると、われ/\が今日戦
ひつゝある大東亜戦争に活用すべき、幾
多の貴重な教訓を発見する。以下、
戦争に対する国民の心構へといふ方面
から述べてみよう。

日露戦争の原因と目的

 日露戦争は、今さら喋々するまでも
なく、帝政ロシアの東洋侵略政策に対
し、東洋平和とその独立保全のために
帝国が敢然起ち上つた戦ひである。一
は全くの侵略征服慾から出た無名の師
であり、一はこれに対する正当の防衛
戦であり、生存権擁護のための戦ひで
あつた。戦争目的の正邪善悪がいづれ
にあるかは、当時においても、また今
日においても、極めて明瞭なことであ
つて、この点からも勝敗の帰決は自ら
明らかであつたといへる。
 今度の大東亜戦争についてこれを当
てはめてみると、戦争にいたつた経緯
や戦争目的の関係が、日露戦役と全く
軌を一にしてゐるのに驚かざるを得な
い。即ち日露戦争における満洲問題
は、即ち大東亜戦争における支那問題
に相当する。支那問題は、米国にとつ
ては東洋侵略政策の一つの道具に過ぎ
ず、全く征服慾を満足せしめんとする
余事に過ぎない。しかるにこれは、我
が国にとつては死活の問題であつて、
しかも支那事変五年の努力と犠牲と
を、米国の容喙によつて無為にするこ
とは、帝国の面目にもかゝはる問題で
あつて、到底容認することは出来な
い。苟くも三千年の光輝ある皇國民と
して、何の顔容(かんばせ)あつて父老に見(まみ)えんや
である。
 この間の経緯については、宣戦の詔
書を拝読すれば極めて明らかに御示し
あらせられ、更に詔書の末尾において
 「帝国ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事
既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為
蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外
ナキナリ」
と仰せられ、本戦争が日露戦争と同様、
我が国の生存権の擁護のための戦ひで
あることを御示しあらせられてゐる。
 しかも、日露戦争も対米英戦争も、
ともに外交折衝によつて最後まで平
和的打開方策を見出すべく、あらゆる
手段が尽され、これがために幾度か御
前会議も開かれた。当時の内閣総理大
臣は桂公であつたが、公を始め補弼の
重臣が如何に苦慮したかは想像に余り
あるものであつた。
 今次対米英戦争の始まる前約一ケ
年、日米交渉によつて日米国交の調整
を試みられたのも、全く同一の性格を
有するものであつた。野村、来栖両大
使が最後まで平和的解決に努力したこ
とは、敵国民も斉しく認めたところで
あつて、現に交渉まさに危殆に瀕せん
とした当時、ハースト系の新聞などの
如きは、日本の言ひ分の正当なことを
認め、米国政府当事者を戒めてゐた程
で、そのためにルーズヴェルトの対日
宣戦決議案には反対者も出た位であつ
た。即ち、今次戦争における我が戦争
目的が正常であることは、日露戦争と
全く同一であるわけである。
 さてこの方策は、日露戦争や対米英
戦争になつて初めてかういふ方策が樹
てられたものではない。これは肇國の
精神そのものである。戦ひは、まつろ
はぬものを、まつろはすにある。
即ち、
教へ導いてもどうしても聴き入れぬ
輩(やから)を打ち懲し、これを服せしめられ
たのであつた。即ち武力が発動せられ
る前には、我が誠意を以て相手を説服
するのが我が国の外交方策であり、戦
争指導となつてゐる。
 かやうに戦争にいたる経緯といふも
のが、人事を尽して行はれてゐるから
には、一たび宣戦の大命が下れば、「大
君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」とい
ふ大和魂が存分に発揮せられるわけで
ある。

日露両国国力

 ロシアは当時、国勢最も盛んで正に
世界第一の大陸軍国であつた。その平
時総兵力二百万、戦時五百万を突破
し、東洋にあるもののみでも約二十万
程度のものを整備してゐた。これに対
し我が兵力は、後方を加へ動員総兵力
百十万を出てゐなかつた。それに軍の
編制、整備の一つ/\について比較検
討してみたならば、たしかに露軍の方
が優れてゐた。
 例へば当時、露軍は砲身後座式の野
山砲を以て整備されてゐたのに、我が
方は日清戦後の依然たる砲身固定式の
砲で、一発射つ度に車輪がガラ/\と
後退するやうな時代遅れのものを使つ
てゐた。また機関銃などは我が方には
全く無かつた。敵の機関銃が戦場に初
めて現はれ、前進する我が散兵が忽ち
薙倒された時には、流石の我がつはも
の達も喫驚(びつくり)した。何でやられるのかさ
つぱり見当がつかない。恐ろしいもの
があるわい、といふ気持で遮二無二肉
弾突撃したのである。敵の陣地を占領
して、見たことのない新兵器を鹵獲し
て、これが機関銃であるといふことを
初めて知つた有様であつた。
 以上は、軍の兵備そのものが露軍に
比べて貧弱そのものであつたことの一
例に過ぎないが、当時のわが財力も、
これまた同様に貧弱を極めてゐた。
 明治三十七、八年戦役の戦費は二十
億円である。そのうち三十七年の募債額
は一億円、三十八年の募債額は三億三
千万円で、公債は全戦役を通じ十三億
円であつた。当時、これだけの戦費を調達
し得ず、外債八億円を以てこれを償つ
てゐたのである。
 これをロシア側についてみると、戦
費総額二十三億五千万円、三十七年の
公債は三億円、三十八年の公債は同じ
く三億円を募集、全戦役を通じて十二
億八千万円ほど費つてゐる。ロシアは
大陸軍国ではあつたが、財力は必ずし
もこれに即応してゐなかつたといへる
が、我が国に比べてみたならば遙かに
優れてゐたといへよう。それは世界経
済市場における相場にも反映し、我が
国は連戦連勝しながらも、我が国の国
債は常にロシアのものより安値であつ
たことによつても明らかである。
 これを今次議会に提出された昭和十
八年度の総予算は正味約三百六十億
円、一日約一億円の戦費であることに
思ひ及ぶと、大東亜戦争が如何に雄大
な戦争であるかが察せられるであら
う。
 このやうな我が戦力、国力の実状は、
直ちに戦争の遂行に多大の影響を与
へてゐる。今その一例として遼陽会戦
を述べてみることにしよう。
 我が満洲軍は明治三十七年八月末か
ら九月にかけて、ロシアの大軍を遼陽附
近に包囲して、これを殲滅しようとの
企図を以て、黒木大将の指揮する第一
軍は、遼陽の東方山地方面から太子河
を渡つて、敵の左翼を包囲するやうに行
動、野津第四軍、奥第二軍は正面、す
なはち満鉄沿線方面から遼陽の竪陣を
攻撃した。有名な軍神橘中佐の首山堡
の戦闘はこの時のことであつた。
 この作戦は順調に進捗してぐん/\
敵の左翼を包囲することが出来た。敵
は遂に態勢不利と見て決戦を避け、我
が包囲を脱れて奉天方面に逃げ延びよ
うとあせつたのである。これを見てと
つた我が軍は、直ちに追撃に移つたが、
惜しいことには、この時にはもう既に
弾薬が欠乏し、逃げる敵を弾たうにも
弾薬がない。歯ぎしりかんで口惜しが
つたが仕方がない。遂にみす/\長蛇
を逸したのである。
 その後、露軍は続々兵力を増強する
のに反し、我が兵力弾薬は共に補充が
悪くなつた。それに旅順の攻略も思ふ
やうに進捗しない。国内の兵器工場で
は大騒ぎで夜を日についで弾丸を造つ
た。造つた弾丸は大急ぎで戦線へ送ら
れたが、これがため満洲軍は、遼陽会戦
後しばしの間、主力を遼陽附近に集結
して兵力、弾薬の到着するのを待つの
やむなきに至つたのである。
 この時、敵将クロパトキン大将は、
日本軍のなほ戦備整はず陣地構築に汲々
たる実情を知つた。それに兵力が増
強せられたので、この好機に乗じ過去
の不名誉を回復せんがため、大攻勢に
転ずるに決し、十月四日、有名なる宣
言書を発表して、攻勢に出て来たので
ある。
 かやうな四囲の情勢芳しからざる
中にあつた我が満洲軍は、徒らに守勢
に立つことなく、進んでこれを攻撃す
るに決し、十月十日、遼陽附近の陣地
を出発して敵を連日連夜攻撃、遂にこ
れを沙河以北に圧迫したのである。し
かし、爾後わが軍は兵力いよ/\不足
し、追撃意の如くならず、沙河の線に
踏みとゞまらざるを得なかつた。我が
国力が戦線に追及(つゐきふ)し得なかつたことを
明らかに示してゐる。

日露戦争の勝因

 日露戦争は、当初、作戦当局に何も
勝つ自信があつて始められたわけのも
のではない。当時の海相山本権兵衛
は、明治三十七年二月四日の御前会議
を語つて、それが森厳(しんごん)にして激烈な会
議であつたことを述べ、
 「なかにも伊藤公は、先づ寺内並びに
自分に対し、陸海軍の軍備について
質問し、果して、勝算があるか如何か
と質された。寺内にしても、自分に
しても、それに対して確信ある答弁
は残念ながら出来なかつた。
 すると伊藤公は曾禰に向つて財
政上の準備には非常な苦心を重ね
て正確な答弁を求められ、大蔵大臣
の責任にまで及んだので、傍らにゐ
た松方公がそれを見兼ねて言葉を添
へなかつたら、或ひは曾禰蔵相は辞
表を出さなければならないやうなこ
とになつてゐたかも知れない。
 事実、松方公が傍らから口を出し
たので、伊藤公はやつと黙つてしま
つたが、その時の伊藤公の真剣さと
いふものは、全く想像に絶したもの
であつた。それは単に伊藤公と蔵相
の二人ばかりでなく、列席した元老
各大臣が、陛下の御前で火華を散ら
して激論した・・・。各列席の激論が
漸く鎮まると、伊藤公は、陛下に対
し奉り『只今御聴き遊ばされました
通り、いづれも是と申しての確信は
ございませぬが、事実かくの如きに
立ち至りました以上、陛下の御親裁
を仰ぎ、博文以下一身を賭しても戦
はなければなるまいと存じまする。
でなくて、むざ/\露国のために蹂
躙されるのを待つわけには参りませ
ん。』と申上げた。」
 これで万事は決したのである。この
当局の熱烈さを見よ。そして政府が、
確信なくしてなほ且つこれを行はうと
するのは、露国の暴戻に対して、正義
の剣を敢然として加へんとする大義に
基づいたものであり、同時に澎湃とし
て波打つ民意を反映したものであつ
た。
 当時の民意は、対露同志会として結
成されてゐたが、これに帝大の七博士
の参加をみて、国民的運動の形式を完
成した形であつた。これはすべての階
層の国民を参加せしむるよき門戸とな
り得た。彼等は演説会に、決議文発表
に、当局への面詰(めんきつ)に寧日がなかつた。
そして、つひに上奏文すら捧呈するに
いたつたのである。かくして主戦論は
全国を風靡するにいたつて、戦意はい
やが上にも昂揚した。この戦意の昂揚
こそ、戦役後における講和締結に際し
て、国民大会となり、焼打ちとなつて
爆発したのである。
 これは今から考へれば、当時国民が
国力を過信した結果生んだ悲劇であつ
たが、しかし、この戦意の昂揚あれば
こそ、日露戦争の大事業を完遂し得た
のである。
 これに対しロシア帝国は、東亜侵略
の野望に駆られ、無名の師を起したた
め、国民一般の戦争に対する熱意を欠
き、第一線において戦敗を喫したのみ
ならず、国内の結束も十分でなかつた
ため、遂に反戦論が戦争指導を阻害す
ることになり、戦争完遂の余力を十分
に持ちながら敗戦に終つたのであつ
た。換言すれば、物的戦力は我れに優
れてゐたにも拘はらず、戦意が乏しか
つたので戦ひ敗れたのであつた。

大東亜戦争への教訓

 今次大東亜戦争は、盟邦独伊枢軸国
と相提携して、世界の大国米英を相手と
する世界戦史未曾有の大戦である。米
英の戦意は、直接豊富な資源と強大な
先産カに対する自信に由来する。しか
し、さらに一歩突つこんでその根本に
遡つてみれば、アングロサクソンは絶
対に日本人に負けるはずがない---と
いふ傲慢不遜な自惚れに他ならないの
である。
 もつと露骨にいふならば、敵アメ
リカ人は、日本人なんか猿同然の劣等
民族だと思ひ上つてゐる
のである。日
本軍如何に勇敢なりといへども、それ
は結局死にもの狂ひに牙をむいて向つ
てくる動物のそれに過ぎない。結局は
優れたアングロサクソンが猿同然の劣
等民族に勝つといふのである。日本民
族に対するこの許し難い侮蔑観こそ、
彼等をして執拗な出撃を繰返させる戦
意の実体である
のである。
 今次の大戦における彼我の抗戦能力
を比較検討してみるのに、日露戦争当
時に比べて、我れは各種の点に有利な
条件を備へてゐる。即ち我れは八紘為
宇の国是に立脚し、既に大東亜の要域
を勢力下に収め、戦略的に、経済戦的
に必勝不敗の基礎を確立し得た。
 たゞ日米生産戦において、数では今
日たしかに敵米国はわれに優れるもの
がある。しかし、これ等は組織の改善、
技術、訓練の向上等により戦ひ得るも
のであつて、不可能なことではない。
この数的劣勢は克服し得るものであつ
て、敵倒のいふやうな戦争勝敗の大な
る要囚とはならない。
 結局、問題は彼我の精神力、戦争意
識の強弱に帰結せられる
。この点、ド
イツは前大戦に敗れた苦い経験からし
て、今度の戦争に敗けては死も同然だ
との強い意識が国民の一人々々にまで
よく徹底してゐるといはれ、英国もま
た三百年世界制覇の夢が破れやうとし
てゐることとて、国家民族の存亡の戦
ひであるとの意識は旺盛である。問題
はアメリカである。吾人は祖先伝来の
大和魂をこの秋に遺憾なく発揮し、以
て横暴なる米英を屈服せしめるまで戦
ひ抜かなければならない。

撃ちてし止まむ

 昔、神武天皇が御東征の折、賊共の
ため御苦戦遊ばされた時、しば/\
「撃ちてし止まむ」とどこ/\までも戦
ひ抜く御決意を御示し遊ばされたので
あつたが、この御精神こそは、いま我
等一億国民が大東亜戦争に処する心そ
のものでなければならない
と思ふ。撃
ちてし止まむ、撃ちてし止まむと雄た
けびながら、敵米英まどこ/\までも
撃滅せずんばやまざる総国民の燃ゆる
が如き熱意こそは、大東亜戦争必勝の
要訣であつて、今日、戦争に処する我
等の心構へでなくてはならない。