第三一五号(昭一七・一〇・二一)
   海軍武官・兵制度の改正      
       武官の官階、兵の職階の新制度について       海 軍 省
   大東亜戦下の国民錬成
       明治神宮国民錬成大会と健民運動秋季国民錬成   厚 生 省
   一一月の常会の貫
   戦時下のガスの使ひ方       南 エ 省
   思想戦読本(六)思想戦と教育   情 報 局

大東亜戦下の国民錬成

第十三回明治神宮国民錬成大会と健民運動秋季国民錬成   厚生省

 大東亜戦争の勃発以来こゝに十ヶ月余、いまや御稜威の下、征戦に、建設に、着々と成果を挙げつゝある時、いよ/\こゝに第13回明治神宮国民錬成大会を迎へることになりました。国を挙げて曠古の大戦を遂行しつゝある最中に、国民錬成の大祭典を開き得ることは何といふ有難いことでありませう。皇民(みたみ)われ生けるしるしありといふ国民的歓喜と、大君の御為にいよ/\わが身を鍛へてそなへ奉らむといふ決意とは、大東亜戦下の神宮大会に臨む全国民が共に抱く覚悟であり、感激であります。

大会の指導理念

 神宮大会は、いふまでもなく、明治神宮御祭神の大前に、国民が平素の錬成の成果を奉納する神事奉仕であつて、この本質はいつの時、いかなる年においても渝るべくもありませんが、しかし神宮大会は、国家の体力国策の精髄として、国家の国民錬成方策の最高の指標を示すものでありますから、国運の進展、内外諸般の状勢の推移によつて、大会の方針や内容が年々歳々に変化して行くことは当然であります。
 そも/\神宮大会は、大正十三年に明治神宮外苑競技場の竣成を機に開催されたもので、当時は内務省の主催で明治神宮競技大会と称してゐましたが、大正十五年になつて民間の明治神宮体育会の主催に移り、名称も明治神宮体育大会と改められ、第五回からは隔年に開催してきましたが、昭和十四年の第十回大会から厚生省、即ち政府の主催に還り、明治神宮国民体育大会と改称され、毎年開催されてきましたが、さらに今回から明治神宮国民錬成大会とその名を改めたのであります。このやうな主催や名称の変遷は、体育の国家的意義の推移を雄弁に物語つてゐるものであります。
 かつて自由主義が華やかであつた頃は、体育はいはゆる選手の独占物であつて、勝敗を争ふ競技本位のものでありました。それが、体力向上のために体育を実施すべしといふ考へに進んで来ましたが、最初は単に理念の上にとゞまり、実施者は一部の少数選手に限られてゐました。この状勢は、支那事変後、厚生省が新設された前後から急激に打破されて、御奉公を完うするため体育によつて全国民が心身を錬成すべきことが強調され、神宮大会もこれに対応し、昭和十四年に主催と名称を改めたのであります。
 しかし、深刻な内外の状勢の推移と、それを背景とした国民の真摯な体育の本義追究とは、遂に、体育に「体育」の語で以ては包摂しきれない深い内容を附与するやうになり、大東亜戦下に体育といふ概念は、一つの大きな飛翔を要望されることになつたのであります。
 即ち、体育は単に体力の増強のために行はれるものではなく、また体育を知育、徳育と共に教育の手段の一つとすることは、単に教育の方法論的な説明の便宜にとどまり、かやうな分析的な方法それ自体が、日本的な考へ方に適したものではないのであります。
 古来、わが国においては、文武を一如の道とし、これを履修することによつて皇民我の錬成を果してきたのであります。いはゆる修文練武によつて人を成して来たのであります。即ち、私ども日本人にとつて体育は、いはゆる練武であり、それは修文と不可分一体となつて皇民我を錬成する道なのであります。かやうな体育の本義に対する国民的自覚によつて、今やそれは「国民錬成」の語を以て表現する方が一層適切となり、本年から神宮大会は、その名を明治神宮国民錬成大会と改めることになつたのであります。
 次ぎに今年度大会の計画樹立に際し、特に配意した点を二、三述べませう。

今次大会の特色

 一、国民の錬成を重んじ、その優秀者の表彰と大会参加を考慮したこと

 これまでの参加者は、とかく一部の特殊な技能優秀者、いはゆる選手に極限され勝ちでありましたが、国民錬成の見地からしますと、平素錬成の成果がいはゆる選手のやうに或る特殊技能に長ぜねばならないといふことはありません。例へば、朝に竹刀の素振りや銃剣の刺突を演練し、夕に駆足行軍を行つて心身を鍛へてゐる青年は、剣道や銃剣道、マラソンの選手にはなれなくても、皇國民としての日常錬成を立派に果してゐる者でありますし、また年中無休のラジオ体操会で毎朝、無病息災を楽んでゐるお爺さんやお婆さんは、またそれ/"\適当な国民錬成を実行してゐる人々であります。このやうに黙々と日常錬成に励んでゐる人々も、神宮大会が平素の成果を奉納する大会である以上、いはゆる選手の人々と同様に神宮大会に参加する資格があるものといはねばなりません。
 そこで今年から全国の優良国民錬成団体と、今夏行はれた建民運動夏季心身鍛錬を熱心に実施した団体と合計約一千団体を本大会で表彰し、また、その代表者は神宮大会に参加し、特に十一月三日の全国一斉体操には、全国民の代表として中央会場で体操を行ふことになりました。

 二、基礎体力と戦技能力の錬成を旨とし、綜合訓練を重視したこと

 国民錬成の目標は、均整して強剛な日本人の錬成にあるのであつて、単に一競技にのみ秀でた人間をつくるのではありません。そこで後述のやうに、今年は参加者の体章検定資格の標準を引上げ、また青少年の陸上競技は、各人の体力章検定種目の総合得点を競はせることにしました。
 また戦技訓練は、国民錬成の重要目標として大いに重視し銃剣道、射撃、行軍訓練、滑空訓練等の内容を拡充しました。しかし実際の戦闘は、一般に長い行軍の後に射撃、突撃、銃剣格闘と連続綜合して行はれるのでありますから、真の戦技訓練は、かうした数種の訓練の綜合されたものでなければなりません。そこで今年から戦場運動の一部として綜合戦技訓練といふ種目を設け、野外行軍、疾走、懸垂、運搬、障碍通過などの後に水泳を行ひ、さらに射撃、銃剣術を行ふ綜合競技を実施することにしました。また大学高専の学徒は、行軍、射撃、銃剣道の総合訓練を行ひますが、これも同様の趣旨に基づき、訓練を少しでも実践に即応させようとするものであります。

 三、国民体育指導方針に基づき、参加資格者の体力的条件を厳にしたこと

 第一に、参加者の体力章検定の合格標準を原則として初級に引上げました。周知の通り、初級は国家が少くとも「これだけの体力は、ぜひ具へてほしい」と要望する標準体力でありますから、神宮大会参加者は、少くともこれだけの基礎大量をもつてゐなければならないとするのは当然であります。昨年は本制度を実施した初年度でありましたので、級外甲合格にとゞめましたが、昨年の該当者の殆んど九割が初級合格者以上でしたので、今年から初級合格者以上に引上げさせました。但し十七歳以下の者には、やゝ困難なので、級外甲合格を認めることにしました。
 次ぎに、参加者の健康状態を資格条件に加へました。運動選手と結核の問題は、一般でも取り上げられ、また、これを裏書する事実も少くなく、神宮大会衛生係でも年々、結核性疾患に基因する運動不適者を多少づゝ発見してゐますので、本年からは、国民体力法に基づく体力検査の結果、結核性疾息(ママ)、心臓疾患、腎臓疾患、脚気等のため「要注意」と判定された者は、原則として参加できないことにしました。
 さて、第十三回明治神宮国民錬成大会は、畏くも三笠宮崇仁親王殿下を総裁に奉戴するの光栄に輝き、すでに八月末の夏季大会で海洋競技と水上競技を終り、いま旬日の中に秋の大会を迎へようとしてゐます。
 秋季大会の演練種目は、剣道・柔道・弓道・銃剣道・射撃道・相撲・騎道・戦場運動・滑空訓練・集団体操・行軍訓練・陸上競技・蹴球・ラグビー蹴球・野球・排球・籠球・漕艇・硬式庭球・軟式庭球・体操競技・自転車の二十二種目にのぼり、十月二十九日から十一月三日まで六日間にわたり、明治神宮外苑を中心に各競技場で行はれ、この参加者は、内地は勿論、朝鮮、台湾、樺太、関東州の外に、国威南方に発展する年に相応はしく、初めて南洋庁管下から三十名の選士が海を渡つて参加し、また在満教務部、蒙古、北支、中支、南支等の海外在留の同胞が馳せ参ずると共に、例年の通り唯一の外国選士として、盟邦満州国が建国十周年の意気も高らかに百数十名の大部隊を以て参加し、これら選士の総数は実に四万五千に達します。
 なほ秋の大会に引続き明年一月には、群馬県榛名湖で氷上競技、二月には栃木県日光でスキー競技が行はれ、これが終つて、はじめて約半歳にわたる今次大会の豪華多彩の幕は閉ぢられるわけであります。

建民運動秋季国民錬成 

 次ぎに、この神宮大会秋季大会の期間中に、大会と並行して行はれる建民運動秋季国民錬成について簡単に述べませう。
 心身鍛練は、勿論一年を通じて行はれるべきでありますが、建民運動は、毎年春夏秋冬の各季節に一回づゝ強調期間を設けてゐます。そしてこの秋は、「建民運動秋季国民錬成」と名づけて、十月二十九日から十一月三日の明治節までの六日間、神宮大会と並行して実施することになりました。
 今度の秋季錬成は、大東亜戦下に国民一年の錬成の成果を発揮するやうな行事を開き、銃後国民の士気と体力を内外に発揚することを眼目としてゐます。
 この期間中の行事は、次ぎの二つに分けることが出来ます。 
 まづ第一は、神宮大会の地方大会で、これは十一月三日の明治節に、中央大会に対応して全国各市町村で行はれます。
 地方大会は、いふまでもなく、明治天皇の御聖徳を景仰(けいぎやう)しつゝ、全市町村民が一日体練、練武を通じて、和やかに楽しみながら士気と体力を発揚することを趣旨とし、従つて青壮年は、武道や体育に力一ぱいの元気を出すべきで、特に郷土と関連した村内の神社参拝リレーや、部落巡りの行軍競争などは意義深いものであります。
 また老人や婦人子供は平易な楽しい競技や遊技がふさはしく、親子三代リレーや夫婦の二人三脚、兄妹のリレー等は、どこの会場でも人気の中心になり、また時局色を盛つたバケツリレー競争、伝令競争等も面白いでせう。
 そして、これ等は成るべく部落対抗にして、部落民が総出で行ひますと、熱が入つて結構です。同時に、これ等の競技の間には、必ずラジオ体操や厚生体操、或ひは綱引等を加へて全員が参加するやうに企画せねばなりません。なほ同日は、前述のやうに、午前十一時から東京の中央会場からラジオ中継で体操と銃剣道の演練が放送されますから、各会場ではこれに和して実施して下さい。
 尤も地方大会は、かやうな運動会式のものゝ他に、全員で登山、遠足、勤労作業、或ひは前記のラジオによる一斉演練だけを行つても結構で、とにかく体育を中心として市町村民が厚生和楽することにもくてきがあるのです。
 第二は職場や青少年団の各種錬成大会で、官庁、会社、工場、学校、或ひは在郷軍人会、青少年団、婦人会等では、この期間中に何か建民運動の趣旨に適した行事を実施していたゞきたいのであります。
 青少年団では、十一月一日の日曜を中心に行軍演習等の鍛錬的行事を行ひ、十一月三日には、それ/"\の市町村の神宮地方大会に労力奉仕することになつてゐますが、各職場等でも、庭球等の社会大会、紅白試合等を開いて、鍛錬と厚生とを兼ねて大いに銃後国民の士気を昂揚したいものです。