第二三〇号(昭一六・三・五)
  主要食糧農産物の増産計画      農 林 省
  バルカンの近情
  青年学校の躍進          文 部 省
  日露戦争当時の国民の気魄     陸 軍 省
  蘇北作戦経過の概要        大本営陸軍部
  成立した昭和十六年度予算      大 蔵 省
  医療保護法について         厚 生 省
  逞しき無表情 前線より銃後へ    村上部隊 高原 博
  海軍作戦の戦果(下)        大本営海軍部

 

日露戦争当時の国民の気魄
      
第三十六回陸軍記念日にあたつて   陸軍省

 

  第三十六回陸軍記念日に当る三月
十日を迎へ、日露戦役当時を追懐
して見ると、現下の緊迫せる情勢に
彷彿たるものがある。
 当時、露国は欧亜両大陸に跨り、
世界第一の陸軍国を以て自任してゐ
た、これに対してわが国力は、領土、
人口、兵力、財力、物資等すべてが
貧弱であつて、殆んど比較にならな
い程の差があつた。故に開戦当初、
世界の列強は日本の全敗を予断し
て、むしろ気の毒の感を以て眺めてゐ
た程であつた。しかるに帝国は臥薪
嘗胆すること十年、不撓不屈の精
神を以て戦役に終始し、能くこの強
敵を撃ち破つて世界に名声を輝かす
ことが出来た。この輝かしい戦勝を
獲(か)ち得たのは、実に明治天皇の英明
と、補翼の重臣の画策その宜しき
を得たのによることは勿論、また国
民の壮烈な意気、旺盛な忠君愛国の
伝統的精神によるのである。
 当時の国民が如何に愛国精神に燃
え為政者が如何に国政に尽瘁した
かは、いろ/\先輩から語り伝へら
れ、吾人の教訓となつて来てゐる
が、歳月とともに
記憶も薄らぎ、次
第に忘れ勝ちにな
つて行く。今こゝ
に枢密顧問金子
竪太郎伯爵が、先年東京麻布本郷両
聯隊区将校団総会席上で講演された
一節を記述し、当時の国民がいかに
緊張してゐたか、その気魄を知るよ
すがとしよう。
    ×      ×
 御承知の通り、明治三十七年二月
四日午後三時、宮中において御前会
議が開かれまして、元老を始め関係
の大臣列席の上、日露開戦の決定を
なされました。而してその夜六時
半、伊藤枢密院議長より私に電話が
掛りまして「即刻会ひたいから霊南
坂官舎に来るやうに」といふことで
ありlました。
 私は当時内閣には列せずして一の
貴族院議員でありましたが、直ぐに
参りまして伊藤議長の書斎に入りま
したところ、伊藤議長は安楽椅子に
腰を掛けてたゞ−人きり、他に誰も
居らぬ。さうして下唇を噛んで下
を向いて考へて居られた。私は常に
伊藤公が国事について不安のあると
きの態度を知つて居りますから、こ
の様子を見て、何か今日は大事件が
あつたのだらうと推察しました。
 そこで私は「何の御用か伺ひた
い」と聞きましたところ、一言も発
せられない。五分間も互に無言で向
ひ合ひたる時、伊藤公はなほ憂鬱に
沈んでグーとも言はれない。
 かくすること梢々久しく、その中
に漸く一言、「その椅子にかけ給へ」
と言はれたきり、何も言はれない。
暫くすると女中が食膳を運んで来た
時、伊藤公は「君、食事をしたか」と
一言いはれた。「はい私は済みまし
た」と答へたところ「それでは僕は
ちよつと食事をするから」と言つて
箸を取られたが、一口筆を附けられ
たのみで膳を下げられてしまひまし
た。さうしてなほ無言で居られる。
 それ故私は一体、何の御用です
か」と再び尋ねました。さうすると
漸く口を開いて、
 「君を招いたのは国家の重大事件
 について相談したいからだ。今日
 は御前会議で日露開戦の御裁可が
 あつた。さうして只今僕は御裁可
 を承つて帰つて来たところである
 が、実に日本帝国の前途は憂慮に
 堪へぬ。陛下も非常に叡慮を悩
 まして居らせられる。就いては、君
 に至急アメリカへ行つて、大いに
 彼の国民の同情を惹くやう、戦争
 の終局まで彼の国に逗留して十分
 国家のために働いてもらひたい

 君が渡航の件は既に閣議で定(き)まつ
 たから、是非承知してもらひた
 い。(以下略)」
 それから翌朝電話が掛つて「直ぐ
来てくれ」と申されました。しかし、
私はどう考へても使命を果し得る見
込がないから、前言を繰返して断り
ましたところ、
 「いや君の成功の見込あるないは
 今日は問ふ所でない。今度の戦争
 については実は陸海軍でも成功の
 見込はつかない。しかし日露の形
 勢止むを得ず、日本は国を賭して
 戦を始めたわけで、勝敗は眼中に
 ない。あの強大なロシアの大軍が
 朝鮮へ侵入すれば、朝鮮の土地は
 奪はれるかも分らぬ、それ故、陸軍
 では朝鮮にてこれを防ぎ止むる戦
 略なれども、これが十分の成功さ
 へ見込が定まらぬのである。わが
 海軍は旅順・浦塩の艦隊と戦つて、
 或ひは皆沈没するかも知れない。
 これ等に対して勝算は誰もない
 が、博文は独りこゝに決心して一
 身を捧げて聖恩に報ゆる覚悟であ
 る。若し我が軍が朝鮮にて破れ
 て、ロシア軍が侵入して来たとき
 が、博文は、昔北條時宗の故事に
 倣つて自ら武器を取つて身を卒伍
 に投じ、また時宗の妻女の如く飯
 を焚いて兵卒と労ふやう我が妻
 に命令し、夫婦とも/"\九州或ひ
 は長州の海岸に出掛けて国のため
 に戦ふ決心である。若し軍人が皆
 死んだならば、博文は国民と共に
 海岸を守つて、露軍には一歩も日
 本の土地と踏ませない決心であ
 る。成敗利鈍は我が眼中にはな
 い。博文の爵位も、財産も、生命
 も、皆 陛下の賜物である。君の
 爵位も財産も、生命も、博文と
 同様なれば、同様の決心を以て国
 事に尽してくれ」
と熱誠を以て説かれましたから、そ
こで私も伊藤公の至誠に励まされ
て、成敗を問はず、一命を捧げて君
国のために尽しませうと決心して承
諾いたしました。そこで伊藤公は、
直ちに桂総理を卓上電話で呼ばれ
「安心せよ、金子は行くことを承知し
た」と言はれました。
 それから米国へ渡ります前に、陸
軍、海軍の考へも知つて置く必要か
ら、私は参謀本部に行つて児玉大将
に会ひました。大将は傍らの人々を
退けて曰く、
 「君はアメリカへ行くことを承諾
 したか、それは有難い、どうか、
 しつかりやつてくれ」
と、よつて私は答へて曰く、
 「まあ僕がアメリカへ行つて公衆
 の面前でカ限り根限り声を涸らし
 て同情を求めたところで、日本の
 軍隊は大砲を取られた、兵士は生
 捕られたといふ電報の来る中で、
 如何に僕が雄弁をふるつて演説を
 しても、とても日本に対する人気
 は引立たないであらう。どうして
 も戦は勝つよりほかに目的はない
 と思ふが君はどう思ふか」
と尋ねますと、大将は
 「まづ勝敗は五分々々と思ふ」
と言はれました。しかし大将はその
時言葉を続けて曰く
 「ところが吾輩はこゝに三十日間
 も赤毛布を被ぶつて寝泊りし、日
 夜研究を続けてゐる。これは五分
 五分をどうかして四分六分にしよう
 と思つてゐるからだ。戦は最初の
 勝利が必要であるから、向ふが一
 万ならばこちらは二万、向ふが二
 万ならばこちらは四万にして、機
 先を制することが必要である。ま
 あ四分六に行つたら能くやつたと
 思ひ給へ。君が米国で演説すると
 きでも、六度は勝利の電報を握り、
 四度は負けた電報を受けると覚悟
 してくれ」
と申されました。そこで私は
 「宜しい。四分六ならば終局は着
 かう」
そこで別れ、それから海軍省で山本
海軍大臣と会ひ、
 「今、吾輩は児玉に会つて来たがこ
 れこれ言つた、君の方はどうだ」
と尋ねますと
 「俺の方も今研究してゐる。併し
 我が海軍は最終においては勝を制
 するが、日本の軍艦の半分位は沈
 めるといふ決心である」
 「さうか、最終には勝つ気か。宜し
 い。それではアメリカで演説中十
 度に四度は負け戦を開くのだ」
と言つて別れました。
     ×       ×
 日露戦争後はや三十六星霜は過ぎ
た。当時同情を求めた米国は、今や
その威力を以て東亜を制せんとの野
望を明らかにしてゐる。当時わが好
敵手であつた帝政ロシアはソ聯邦と
変り、虎視眈々として国際情勢の虚
を窺ひつゝある。
 わが先輩は日露戦争に打ち勝つた
めに大和魂を以てした。倒れて後や
むの覚悟を以てやつた。
 今や帝国を繞る四囲の情勢は刻一
刻緊張を加へつゝある。一億国民
がやがて活躍する時が来たならば先
輩父祖に劣らず大いに御奉公を致さ
うではないか。

     ― 陸 軍 省 ―