第二一三号(昭一五・一一・六)
   教育勅語換発五〇年式典に於て賜はりたる勅語
   紀元二千六百年祝典について    内閣紀元二千六百年祝典事務局
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   米穀の国家管理         農 林 省
    −米穀管理規則の解説−

紀元二千六百年祝典について


       
                       
  祝典の経過
    
    

 開闢以来國體に渝りなく、万世一系の天皇を奉戴し、国是揺ぎなく国運隆盛の一途を辿り来り、国史の成跡は炳として輝き、こゝに神武天皇即位紀元二千六百年を迎へた我が国民の無限の歓喜と感激とを表現する祝典は、本年二月十一日の紀元節祭の祭典に始まつた。畏くも宮中に於かせられては、本年の紀元節祭は特に、重く執り行はせられたと拝承する。全国官国幣社以下の神社に於ける祭典も、本年は大祭として行はれたのである。
 聖上陛下には、この日畏くも詔書を渙發あらせ給うて、

朕惟フニ神武天皇惟神ノ大道ニ遵ヒ一系無窮ノ宝祚ヲ継ギ万世不易ノ丕基ヲ定メ以テ天業ヲ経綸ツタマヘリ歴朝相承ケ上仁愛ノ化ヲ以テ下ニ及ポシ下忠厚ノ俗ヲ以テ上ニ奉ジ君民一体以テ朕ガ世ニ逮ビ茲ニ紀元二千六百年ヲ迎フ
今ヤ非常ノ世局ニ際シ斯ノ紀元ノ佳節ニ当ル爾臣民宜シク思ヲ神武天皇ノ創業ニ騁セ皇国ノ宏遠ニシテ皇謨ノ雄深ナルヲ念ヒ和衷戮力益々國體ノ精華ヲ発揮シ以テ時艱ノ克服ヲ致シ以テ国威ノ昂揚ニ勗メ祖宗ノ神霊ニ対ヘンコトヲ期スベシ

と仰せられた。
 想ひを神武天皇の創業に騁せ、皇国の宏遠にして皇謨の雄深なるを偲べと仰せ給うた大御心を仰ぎ、紀元二千六百年の意義の誠に深遠なるを感ずるのである。

 天皇陛下には、六月九日東京発御、関西行幸あらせられ、六月十日豊受大神宮、皇大神宮に御親拝の後、引続いて神武天皇山陵橿原神宮、仁孝天皇山陵、孝明天皇山陵、英照皇太后山陵及び明治天皇山陵、昭憲皇太后山陵に御親拝あらせ給ひ、六月十三日東京還幸、翌十四日に大正天皇山陵に御親拝あらせられた。
 盟邦満洲国帝陛下には、六月二十六日紀元二千六百年御慶祝のため、遥々御来訪あらせ給ひ、我が皇室に慶祝の賀を表され、大正天皇山陵、明治神宮に御参拝あらせられ、七月二日御西下皇大神宮に御参拝、次いで神武天皇山陵、橿原神宮、明治天皇山陵に御参拝あらせられ、七月七日御帰国あらせ給うたのである。
 政府に於ては、世界史上に燦然たる光輝を放つ紀元二千六百年の意義深き祝典に関し、紀元二千六百年祝典評議委員会の議決に基づき慎重に審議攻究し、この曠古の盛典は一、祭典、二、式典、三、大観兵式・大観艦式、四、奉祝会の一聯した四大事項を決定したのであるが、近時欧洲の戦雲いよく濃く、国際情勢頓に緊迫の折柄にもかゝはらず、十月十一日紀元二千六百年特別観艦式を横浜港沖に於て行はせられ毅然たる我が海軍の威武を中外に宣揚あらせ給うた。東京湾頭を圧する百余隻の艨艟、蒼穹を蔽ふ五百余機の航空機、海の精鋭を網羅したる威容の中に、お召艦比叡の檣頭高く金色に桝く天皇旗を拝した国民は、たゞ言ひ知れぬ感激に心震へたのである。
 次いで十月二十一日、代々木原頭に紀元二千六百年特別観兵式が執行はせられた。五万の貔貅列を正し、剣鉾白光に輝く中を、御愛馬白雪に召された 天皇陛下には皇族殿下を始め奉り、陸軍武官、外国使臣等を陪従し給うて、御閲兵あらせられ、続いて軍楽隊の奏楽裡に歩武堂々と進軍する分列行進を臠はし給うたのであつた。
 折から分列隊形を以て飛来した陸軍機の精錬五百余機の爆音は、大地に轟く戦車隊の轟音と共に、全世界を震撼させる底力を感じさせた。
 かくて祭典及び大観兵式・大観艦式の実施を見た祝典は、中心行事たる式典及び奉祝会を残すのみとなつたのである。

紀元二千六百年式典と奉祝式

 畏くも 天皇皇后両陛下の行事行啓を仰ぎ十一月十日宮城外苑に於て政府主催の下に挙行せられる紀元二千六百年式典は、 肇國創業以来発展し来つた皇運の隆昌を奉賀し、生と昭代に享け、この盛時に際会した国民が、その歓喜と感激とを以て、陛下に寿詞を上り一億一心聖寿の無窮を祈念し奉り、万歳を嵩呼して国民の赤誠の存する所を傾け尽す所に、その意義がある。
 同心の凝結するところ金鉄も尚ほ堅きを譲り、精誠の発する所鬼神も避くといふ古諺があるが、一億万民心を一にして慶祝の誠を 陛下に献げ、和束戮力以て国艱を排し国威を宣揚して聖慮を安んじ奉ると共に、皇祖列聖の神慮をも慰め奉り、先きに紀元節に当り国民に昭示し給うた詔書の聖旨に副ひ奉らんとするに外ならない。
 式典は午前十一時より開始され、式の次第は次の通りである。

 


     紀元二千六百年式典次第

時刻儀仗兵式場所定ノ位置ニ整列ス

次ニ 一般参列者式場所定ノ位置ニ就ク
次ニ 大勲位以下親任官以上、貴族院議長、
    衆議院議長竝以上夫人式殿所定ノ位置ニ就ク
次ニ 外国使臣竝夫人式殿所定ノ位置ニ就ク
次ニ 内閣総理大臣及其ノ他ノ国務大臣式場御車寄所定ノ位置ニ就ク
次ニ 各宮同妃殿下式場御車寄所定ノ位置ニ就ク
次ニ 天皇皇后両陛下式場御車寄ニ著御 此ノ時諸員起立
    尋(ツイ)テ便殿ニ入御 内閣総理大臣御先導 諸員復席
次ニ 各宮同妃殿下内閣総理大臣以下所定ノ諸員ニ賜謁
次ニ 国務大臣式場所定ノ位置ニ就ク
次ニ 天皇陛下式殿ニ出御 御椅子ニ著御 内閣総理大臣先導
    各宮殿下供奉尋(ツイ)テ各宮殿下玉座南側所定ノ位置ニ就カセラル
    諸員起立 内閣総理大臣式殿所定ノ位置ニ就ク
次ニ 皇后陛下式殿ニ出御 御椅子ニ著御 主席国務大臣御先導
    各宮妃殿下供奉尋(ツイ)テ各宮妃殿下御座北側所定ノ位置ニ就カセラル
    御先導ノ大臣式殿所定ノ位置ニ就ク
    天皇皇后両陛下出御ノ節君か代奏楽
次ニ 内閣総理大臣式殿正面南側階段ヲ降リ所定ノ位置ニ参進式典開始ノ旨ヲ奏上ス
次ニ 天皇皇后両陛下立御
次ニ 諸員最敬礼
次ニ 君か代奉唱
次ニ 内閣総理大臣正面階段ヲ昇り所定ノ位置ニ参進寿詞ヲ奏上ス
次ニ 天皇兵后両陛下御椅子ニ著御
次ニ 内閣総理大臣本位ニ復ス
次ニ 紀元二千六百年頌歌斉唱
次ニ 内閣総理大臣式殿正面南側階段ヲ降リ所定ノ位置ニ参進
次ニ 天皇皇后両陛下立御
次ニ 内閣総理大臣万歳ヲ称フ 三声 議員之ニ和ス
次ニ 諸員最敬礼
次ニ 内閣総理大臣式典終了ノ旨ヲ奏上ス
次ニ 天皇皇后両陛下御椅子ニ箸御
次ニ 内閣総理大臣正面南側階段ヲ昇り御先導ノ位置エ就ク
次ニ 天皇皇后両陛下便殿ニ入御
    御先導供奉出御ノ時ノ如シ
    此ノ間君か代奏楽
次ニ 天皇皇后両陛下式場御車寄発御
    奉送著御ノ時ノ如シ
次ニ 各退下

 式典参列者五万五千人は、全国民の各階層の代表者である。即ち地方参列者の殆んどが、各府県民総代であつて、一例を云へば、市町村長は市町村民の代表者として参列してゐるのである。
 それ故、それぞれ式典へ代表者を送つた国民は、式典参列者と同様の精神を以て、当日を迎へなければならない。先きに十月四日次官会議に於て決定した地方に於ける紀元二千六百年奉祝式の実施は、この理由に外ならないのである。
 当日は、市区町村、官衙、学校、各種団体、銀行会社、船舶等に於ては適宜の時間に奉祝式を挙行し、式典場の模様は、ラヂオによつて中継放送されるのでるから、ラヂオを利用し得る向きは、式場に於ける内閣総理大臣の 天皇陛下万歳の発声によつて、万歳(三唱)を奉唱することになつた。一億人の熱誠迸る万歳の声は、天地に轟き渡るであらう。
 ラヂオを利用し得ざる向きは、内閣総理大臣の万歳発生予定時刻を予め通達する筈であるから、その時刻に万歳奉唱を行はれたい。


紀元二千六百年奉祝会

 式典終了後翌十一日を以て、再び 天皇皇后両陛下の行幸行啓と仰いで、前日と同一の式場に於て紀元二千六百年奉祝会が行はれる。
 この奉祝会は、秩父宮殿下を総裁に仰ぐ紀元二千六百年奉祝会が、これを主催するのである。
 会は、年後二時より、。次の次第を以て開かれる。

    紀元二千六百年奉祝会次第
時刻一般参列者会場所定ノ位置ニ就ク

次ニ 大勲位以下親任官以上、貴族院議長、
    衆議院議長竝以上夫人会場所定ノ位置ニ就ク
次ニ 外国使臣竝夫人会場所定ノ位置ニ就ク
次ニ 紀元二千六百年奉祝会副総裁、会長、
    副会長其ノ他所定ノ諸員会場御車寄所定ノ位置ニ就ク
次ニ 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下会場御車寄所定ノ位置ニ就カセラル
次ニ 各宮同妃殿下会場御車寄所定ノ位置ニ就カセラル
次ニ 天皇皇后両陛下会場御車寄ニ著御 此ノ時諸員起立
    尋(ツイ)テ便殿ニ入御 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下御先導 
    諸員復席
次ニ 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下、各宮同妃殿下、
    紀元二千六百年奉祝会副総裁以下所定ノ諸員ニ賜謁
次ニ 紀元二千六百年奉祝会副総裁以下会場所定ノ位置ニ就ク
次ニ 天皇皇后両陛下出御 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下御先導
    各宮同妃殿下供奉 此ノ時諸員起立 此ノ間君か代奏楽
次ニ 天皇皇后両陛下御椅子ニ著御 諸員復席
次ニ 紀元二千六百年奉祝会長式殿階下所定ノ位置ニ参進奉祝会開始ノ旨ヲ奏上ス
次ニ 天皇皇后両陛下立御 此ノ時諸員起立
次ニ 諸員最敬礼
次ニ 君か代奉唱
次ニ 紀元二千六百年奉祝会長本位ニ復ス
次ニ 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下所定ノ位置ニ御参進
    奉祝ノ詞ヲ奏上シ本位ニ復セラル
次ニ 外国使臣首席所定ノ位置ニ参進奉祝ノ詞ヲ奏上シ本位ニ復ス
次ニ 天皇皇后両陛下御椅子ニ著御 諸員復席
次ニ 天皇皇后両陛下ニ御膳竝御酒ヲ供ス
次ニ 開 宴
次ニ 紀元二千六百年奉祝舞楽演奏
次ニ 奉祝音楽演奏
次ニ 奉祝国民歌「紀元二千六百年」斉唱
次ニ 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下式殿
    階下所定ノ位置ニ御参進此ノ時諸員起立
次ニ 天皇皇后両陛下立御
次ニ 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下万歳ヲ称ヘラル 三声 諸員之ニ和ス
次ニ 諸員最敬礼
次ニ 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下本位ニ復セラル
次ニ 紀元二千六百年奉祝会長式殿階下所定ノ位置ニ参進
    奉祝会終了ノ旨ヲ奏上シ本位ニ復ス
次ニ 紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下御先導ノ位置ニ就カセラル
次ニ 天皇皇后両陛下便殿ニ入御
    御先導供奉出御ノ時ノ如シ
    此ノ間君か代奏楽
次ニ 天皇皇后両陛下会場御車寄発御
    奉送著御ノ時ノ如シ
次ニ 各退下


 開宴と同時に演奏される紀元二千六百年奉祝舞楽「悠久」は、特にこの奉祝会のため制定したもので、古来より有名な読人知らずの歌「すゑのよの末の末までわが国はよろづの國にすぐれたる國」を歌詞とした舞楽で舞人は、奈良朝時代の服装とした四人の武官であり、楽人の服装は、同時代の文官の服装を模し、文武両道の意を偶し、悠久なる我が皇運の発展を寿ぐ主題である。
 奏楽の最後の吹奏楽「奉祝讃歌」も、今回の奉祝会の為めに制定されたもので、内容は、日向の高千穂峯へ天孫瓊々杵尊降臨あらせ給うてより、厳として揺ぎなき我が國體の精華を主題としてゐる壮麗なる吹奏楽である。
 奉祝国民歌、「紀元二千六百年」は、全国大学、高等専門学校、中、女学校及び小学生児童の代表三千名によつて合唱される。
 饗宴は質素な献立を以て行はれるが、光栄あるこの一時は、参列者の永く感銘する所であらう。
 当日は、紀元二千六百年奉祝会総裁宮殿下の奉祝詞の奏上が行はれ、また在本邦外国使臣首席より奉祝の詞が献げられる。

     奉祝行事


 十一月十日の式典当日、全国の官国幣社以下神社に於て執行される臨時祭典には、なるべく紀元二千六百年奉祝会制定「浦安の舞」を奉納するやう次官会議で決定した。
 「浦安の舞」は、紀元二千六百年奉祝会が、宮内省の許可を得て
 今上陛下御製
 「あめつちのかみにそいのるあさなきのうみのことくになみたゝぬよを」
 に謹作曲作舞した、荘重典雅なる舞である。
 式典及び奉祝会の前後に、国家的または国民的な数々の奉祝行事が催されるが、その主なるものを、二三挙げて見よう。
 文部省竝びに紀元二千六百年奉祝会共同主催、東京府協賛の紀元二千六百年奉祝美術展覧会は、十月一日から東京市上野公園東京府美術館に開催された。既に前期(第二部油給水彩画、パステル画、版画等、第三部彫勲)を終り、十一月三日から後期(第一部日本画、第四部工芸)へ移つてゐる。横山大観、竹内柄鳳、川合玉堂等を始め、日本美術界の重鎮の巨作会場を圧し、帝国藝術院会員以外のの作品は全部鑑別といふ劃期的な企ては、会場内に、従来の展覧会と異なる 清新の気を漲らしてゐる。
 友邦ドイツ、イタリア、フランス、ハンガリーから国民的祝辞として紀元二千六百年奉祝会へ寄贈された奉祝交響楽曲は、紀元二千六百年奉祝会の主催の下に、新らしく誕生した紀元二千六百年奉祝交響楽団によつて、十二月七日、八日、第一回の発表演奏会が挙行される。
 楽曲、作曲者及びこれが指揮者は次の通りである。

 1 (ドイツ) リヒアルト・シュトラウス作曲
 天皇陛下に献上し奉る
  紀元二千六百年奉祝 祝典音楽
   指揮者 東京音楽学校教師
                 へルムート・ヘルマー

 2 (イタリア) イルデブラント・ビツェッチー作曲
 紀元二千六百年奉祝 交響曲イ長調
   指揮者 宮内省楽部    ガエタノ・コメリ

 3 (フランス) ジャック・イべール作曲
  紀元二千六百年奉祝 祝典序曲
   指揮者          山 田 耕 作

 4 (ハンガリー) ヴェレッシュ・シャンドール作曲
 紀元二千六百年に寄せるハソガリー国民の奉祝  交 響 曲
   指揮者 東京音楽学校教授 橋 本 国 彦

 日本文化中央聯盟では紀元二千六百年奉祝の芸能祭を計画し、音楽、映画、演劇等について各種の催を行つてゐる。
 又母国の盛典を祝ふために帰朝した海外同胞によりて、海外同胞東京大会が十一月三日から挙行される等各種団体に於て各様の大会が挙行される計画もあるやうである。

    ―内閣紀元二千六百年祝典事務局