独ソ開戦と国際情勢

独ソ開戦までの情勢

 独ソの開戦に伴ひ、国際情勢はます/\複雑機微を極め、戦火はまさに
世界的規模に拡大せんとし、米国の動向また逆睹し難いものがある。

  独英の通商破壊戦尖鋭化す

 まづ、欧州戦局を展望すれば、独伊枢軸側の優勢は否定出来ず、最近英
国にとつて最大な問題こそ、英商船隊がドイツの空軍や潜水艦艇により
威嚇されつゝあることで、英海軍省の発表によれば、五月中の被害合計九
十八隻・四十六万一千余噸(その内英国船は隻数において七割五分・噸数に
おいて七割七分をむ占む)とされ、それに関するドイツ側の発表によれば八
十六方一千余噸(その内六割五分までが潜水艦により、三割が空軍により
残余は潜水艦以外の艦艇によつて撃沈)とさへなつてゐるのである。
 そして、今次大戦勃発以来去る六月一日までの船舶喪失量は、ドイツの
発表によれば千日六十六万余噸となつてをり、英当局者すらも、最近にお
ける英船舶の損失状態は一九一七年(第一次大戦の第四年目)の四月を連想
させられると述べて、事態の重大性を指摘してゐるのである。
 今次大戦の勃発当時、英国が保有してゐた商船量は
約二千百万噸とされ、これにその後ノールウェー・オラ
ンダ・ベルギー・フランス・デンマーク・ギリシャ等から取
得したもの、米国より購入の古船、拿捕した独伊船及び
一昨年六月以降の新造船等、合計約一千万噸近くが加へ
られたわけであるが、その内ドイツ側発表に基づく喪失
量を差引けば、大約千九百余万噸が現有量と推定され
る。
 元来、英本土の需要を充たすには、最少限一千万噸位
から或ひは千五六百万噸の船腹が必要であると見られて
をり、今後毎週平均十万噸づゝも撃沈されるとしたなら
ば、英国が全く危機に陥るであらうことは余りに明らか
となつてゐる。
 それに加へて、英閲は前大戦常時と造かに輿り、地中海
析路を利川出発ず、オランダ・デンマーク・ノールウエー
スエーヂン等北絞の近接地方から物資を得る途も絶詑れ、
                                .● ▲′ L● !■′
地中海の代りに璃アフリカ寄炒王峯粧由となり、沈積地の
     ▲・ん一■‘
代りに速瞞の地方へ船舶を廻迭しなければならなくなつ
た.且つ叉、護造船潮を組むため、速力の早いものも同
                     一・ろ
行中の最低速力のものと歩調を揃へなければならず、か
くして物資添迭の船舶能率は非常に減返してゐるのであ
Lる●

             r■●く・か▲● ‡
 故に、ドイツからの逆封鎖強化により英図が危地に迫
ひつめられ1ば温町つめられる程、米固の授英は積極化
し、即ち米図船舶を使用したり、米軍艦を琵迭に使用す
るといふ事態が濠想されるに室つたのである.さうすれ
          ’ヽ●●カ     わけ
ばドイツ倒も手を紡いてゐる澤にはゆかず、すでにヒ
トラー線耗も「米国船舶で武器の捻迭が始まつたならば
    虫r・9し・’
魚雷で應酬する」と黎明してゐる程であり、従つてこの
                   ひ
英歯の船舶喪失といふ問題が泣いて米歯の名資−致の参
戦ともなり、取洲戦の携大ナる導火線ともなり得ること
は、今更いふまでもないところである.

  米の哨戒と援英積極化
             →つ
 次ぎに猫米師係を−管すれは、米国の渡英政宋といふ

ものは、去る三月に米閉講倉を泡過した武謂貸輿法によ
りいよく本腰となり、先頃米常局者達は二千哩の大水
域を米梅粥の哨域範樹とし且つ中立法による交戦水域へ
           だ た・う
も米補艦の立入を安常とするとの言明さへ行ひ、礪米間
の封斑状態はいよノ1辞甘化して水た.
 武補汗桝法の成立欝馳によつて、米図の参戦する可能
統油−ラトヒ
性がいよい

ょに均して
衆たことは
明らかであ
り、米閲兵・
衆は艶一軍と
欲せぬにも杓はらず結局参戦せざるを得まいとの見透し
をつけてゐ匂やうで、例へば「ギャラップ」の調査によれ
                            一 ▲ワん
ば、陸海察箪を淡適しての封英援助には反封輿論が七制
九分乃至六倒七分の盤倒的多数を占めてゐるものの、「結
局参戦せざるを得ぬことにならう」とする者が資に盲人
中入十二人と侍へられてゐるのである.・それに加へて、
                    わら
前大戦においてはサイルソン大統領が辛うじて再選され
その内政的地位が比較的弱かつたのに反し、ルーズヴェ
ルト大枚絹は殆んど礪裁的の地位を確立し、以て輿論む
巧みに左右できる立場にあり、その大統領が次第に参戦
の方向に足取りを進めてゐるのである.ルーズヴェルー
                    ‥し伊々く
大解剖は咋夏第三次の大枚朗鴨祁を受諾した際「攻撃さ
れる場合のほかは米大陸外に陣海姦革を流通せずしと首
臥してゐたのであるが、去年の幕の煉凌閑談においては
現に「開墳外に遠征軍を流通する意闘なし」とするに止ま
り、更に本年→月の教費においては「英開の必姿とする
は人に非ず」となり、ついで先月四日には「米国は民■亭王
襲擁護のため再び戦ふ用意あり】と叫ぶに室つた.即ち、
これは戦争の推移に基づく米幽政府の封英授助積極化の
一端を表示したものにほかならないのである.

  緊迫化した礪ソ関係

 つぎ忙礪ソの帥係であるが、六月二十二日ドイツの封
ツ宜戦布骨を見るに至り、この猫ソ間の戦争開始は−咋
註¢
年八月に行はれた昭ソ不可軽快約の締結が輿へたよりも
           ・し・▲・7hI一・
京大且つ抹し判な衝撃を喝際帆に及灯した。
 元氷、弼ソの関係はカと力との平衡であり、ドイツは最
初からソ聯佗気を許してをらず、ソ聯もそれに備へて相
柏兵力の水軍を配擬してゐたと桝される.しかもソ聯
の利きは必ずしもドイツに友好的とはいへず、.例へば
ルーマニアの勅掃に磯を逸せずベッサラビアに進駐し、
ブルガリアが枢軸に参加した際はブルガリアに封し「そ
の対偶伽熊度は却つて戦火を煉大するものでソ聯の中和
政節に一致せぬ」といふ窓思奉ボを待つて不満を感じて
ゐることを明らかにし、また、ユーゴースラヴィ7に封
してもドイツの封ユ鵬峰延前に不可侵傭約を敢へて結
び、以てユーゴーに多大の関心を抱いてゐることを表
明し、ドイツにいやがらせ的な態度をとつたのであ
」る●

 このやうなソ研の行削がかなりドイツの惜激を貰つて
発てをり、ドイツとしてはソ聯が中立的な曖昧な態度と
    rr−I● Lr
接つて漁夫の利を占めることを何時までも許さず、封ソ
血関係を清算するに至つたものと想像されるのであつて、
殊に猫ソ開戦直前の雨圃兵力の配備状態や、開戦三過
間前にルーマニアが埠動員令を下したこと、そして
                 ▲皿【′_
フィyランドもこれに倣つたこと、その他モスクワに
t●・フモつ           ●ム▲▼J
駐祈してゐた英周大使が急遽辟英したこと等の事資に
ょり、弼ソ間の衝突が時日の岡垣と女で迫つてゐたとと
は、開戦となつた相常以前から我が外交界においても預
潤されてゐたのである.

  欧米の情勢と支部事攣

 それら欧米の情勢が、支那事攣の虚理に邁進しつ1あ
る日本に封し、如何なる影響を及ぽして氷るかといふこ
とが、日本にとつて重大な関心事であるのは、今竪首を
▲保たぬところである.
 支那事変は、貴年の十一月三十日(日華基本條約の凝結)
を牢として新たな段階に入り、事攣は全く本格的な長期
戦としての形態を整へて釆たのみならず園際駒関聯なく
しては解決されなくなつた.即ち、日本は新開民政府を
芯7

正式に承認すること忙よつて托日緒勢力に封しては決然
これを打倒するの⊥方針む貴首したのに封し、重度政府側
は澱へ米その他た背景として抗日を繊‥繚してゆくといふ態
   こ し一
堆影河勒し、かくて支那串攣は世界的規損によるほかは
僻地糾来難い性格を楷びるに至つたのである.
相昔ンリータス
 では、現
在重度政権
が依存して
ゐる観象群
の封日動向
はどうなつ
てゐるか.
                         小いにふ
費づソ弼から見れば、ゾ聯は枚洲戦争には介入せず、し
かも粗大の利を収めるには抜目なかつたのであるが、逸
にドイツ倒からその熊庇の清算を迫られたのである.か
くしてソ仙脚は、」日己の衣玄帥に火がついて了つたわけ
で、授滞などとレふ他人のことは構つてをれなくなり、
これは日本にとつて有利なことはいふまでもない.しか
しながら、こ1に壇悪を要するのはソ聯が、英米陣営に
全く追ひ込まれたといふ事費である.
 英首相も言明してゐるやうに、今後英ソの提携はまづ
動かぬ事資と見なければならず、一方、米囲もソ聯の在
米凍結資金を解放したり、或ひは軍需品の貸輿訃音をソ
聯に適用することさへ竣想されるに至つた.
 徒つて、さしあたりソ聯の媛薄的行為は減殺されるか
も知れないが、とにかくも英米ゾの聯繋が成り、これは
験洲戦局に迫はれ今でこそ東亜において活動する故裕は
と灯
乏しいものの、我が図に封し一つの潜勢力を成すであら
うことは、十分に留意して履かねばならぬ情勢と思ふ.

   英国の極東政策

 次ぎに英固であるが、英固の封日態度は大墟日本に磨
迫を加へる政策に終始してゐるのであるが、支那事変勃
教昔初に自主的に先立ちになづて日本に封流して発てゐ
たものが、最近の傾向を見ると、この盤追を加へて行くと
いふ政策には攣りはないけれども、英開は米固と密凄に
耳S
準略し、或ひは米時に引ずられて日本に対抗して釆て
ゐる.この鮎は見逃すことの出水ぬ鮎である.
 元氷、英米二団の極東政於は、根本においては】致し
てゐるのであるが、英米水団の地位の相速から、枝英米
節の那まで必ずしも一致してゐたわけではなかつセ.し
                   ていけい
かしながら、英開が米国と碑‥様に捉携して封日喋迫むや
つてゆかうといふ投階に入るに及び、氷ハ米の立場の相達
といふものは殆んど解消されつくし、今後英米が全く−
熊となつて封日政策を進めんとするものと浄想されてゐ
るのである.

   米国の封日態度

 つぎに米開であるが、共闘が欺洲戦争のため東亜から
】時的現場を飴俵なくされるや、それに代り米闘が自国
の利ハ柵保碓といふためのみならザ英国が他で忙しい期間
を洩じ、発射における小火何の利裕の保郷陀者といふ役割む
も引受けて驚場するに吏つた。碓氷、米閑には封日強硬論
と封H那迫漸進論とがあり、いづれも驚愕の認識を快く
山間曹的な見解を基礎として主張されてゐるものではあ
るが、まづ、その強硬論によれば、「日本の封麦作戟は
既に行詰つてをり、経済力も渦渇に瀕してゐる.故に
米囲が断乎全面的禁輸をやり、場合によつては資力む
敬動するの態勢を示せば日本はL参つて了ひ、‥晋際には
一昔力行使までゆかザノして目的を達することが出水る」と
するものであり、壁追漸鎮論によれば、「日本の封支政
策は米鈎のモソロ−主我と同じく日本の京大国策であ
る以上、既迫を加へたところで日本は容易に考へ直さ
                         と
ず、むしろ封米報復手段を採るといふことが預想され、
鹿支米圃樺纂などは根こそぎにされる危険があるから、
●一つ小与
虞向から立法手段による禁輸等の糟忠臣講ずることを避
け、米国軍需晶製法発着の道徳心に訴へ間接的にではあ
るが、徐々に道義約禁輸の庇む強め、−方釆盈政権が悲
鳴を挙げないやうに通常の党務を輿へてゆくことが妥首
である」とするのである.
 そして陳洲戦争の初期においては、漸進論もかなりに
有力であつたのであるが、日本が悌印や蘭印に進出する

榔瀾朋柑柑榊朋朋柑ほ悩朋甜桃渕拙判潤渕
                             一I・▼一ワ●▲
のを、何とかして牽制せねばならないといふ焦慮感から
強硬論が絶封優勢となり、最近は相宮の地位にある米人
すらも封日戦宰といふやうな字句孟公然と使用するに王
り、「ペッ.ハI」といふ議員の如書は、譲曾において「五
十名の米国飛行士皇以てすれば東京麦衣潰に挿せしむる
こと易々たるのみ」といふことを公然轟語してゐる欺態
である.

   我が国の進路

 以上の如き圃際情勢を背景として、我が埼は、→路東
帝新粍序の建設に邁進してゐるのである.
 先頃、泰・俳印間の団塊紛季に封する調停に成功し、
                       ▲ 小ん
偽印との間に迅商協定を締結した.たゞ遽憾なのは蘭印
の間髄であり、我が方の次好的態度が相手方に徹底せず
−願引接げを行ふに至つた.しかしながら、我が方として
はこれによつて蘭印刷の態度を是認し東瑞兆築飽の主張
を後逸させるが如き考へは毛頭なく、おもむろに蘭印刷
                                   ▲一中
の反省を期待するものであり、かくして新壌射程設に捷
まぬ努力を傾托してゐるのである.
 ことに、今村補京政府の托主席の来朝を横として、ま
すます日支間の緊碑度を加へ、日立合同して東胡新秩序
の建設に力強い歩みを進めつ1あり、礪ソ開戦による囲
際間の新情勢に州印しても、帯封政府の態度は既に支却事
繋の急速虚埋と東正新秩序の速投麦第−日撰とナること
                    1、JIん
に確定してまり、この方針に基づ車扱然たる態度を以て
終始してゐるのである.
 而して、これは三駒條約蹄結の際賜つた詔書に仰せら
     くわらん 小心てい
れた如く「粥乱ノ批定中和ノ克復ノ】日モ遽ナラソコト」
を期する窮極の目榛に到達する一段階たらしめるもので
あhる.
猫 ゾ つ かに開、戦す
40
   ドイツ・ソ仙聯に抜打的に立山載

   し−一17とつ
 礪ソ衝爽はかねて時打の問題とされてゐたところ、果

して、大月二十二日午前三時(日本時間午前十時)を期し、
               しんちゆ、’
ヒトラー組織は断乎封ソ進駐命令を敢するに至つた.

 そし七同日午前五時牛、次ぎの要旨た含むヒトラー線
統のソ聯を非難する布骨が、ゲッベルス宜倖相によつて
仙究表されたのである.
                               ▲一▼ .■●
 英同は常に、ドイツの増減を金団し、包囲政策によつてドイ
      ■rひ●
 ツの存在を脅かして来た.これはドイツのみならず、日伊南
 囲もこの姐寄に憎んで来たのである.我々はこれに封して、
 自衛策を辞ぜねばならなかつた.

 この間ソ聯共戴米政府は、モスクワより絶えず魔手を伸ばし
 て、単にドイツのみならず全世界の赤化を企て、バル■エコ淘
 をも侍略したのだ.そのため、五十万にのぽる我が同胞が、
 その土地と家とを粟てて国境を鶴・ち我が国内へ浪はれて末

 た

 しかも英国の宅みは、このソ聯側がドイツを絶えずその背後
から脅かすといふことで、一九三九年秋より一九四〇年‖宥に

かけて、ソ桝はフィソランドならぴにバルト三‥園へ一侵入し、
                      Mレ一点
ニLTニケ師を同地方に集結してドイツへの示威を行つた.更

にその事態は英ソ協力にまで襲屁し、ソ聯ほルーマニアに使
       l・ト●フ小つ
入して、これを恐喝したのである.
やがてモローフ外瀬人民委員がベルリソを訊問したが、その
際ルーマニア、フィソランド、ブルガリア及び〆−ダネルス
海峡に仙関する四ケ條の要求を提出して、この万両におけるソ
聯の支配樺確立ならぴにドイツの後退を要求したのである。
ソ聯はこれによりいよく露骨に封殉職の準備を進め、掬軍
は全く防衛してゐないのに、掲ソ同境万両に戦車師国その他
         一月 かく
の大軍を集結して成嚇して来た.
更に、ドイツがユーゴースラブィアを三園同盟に加盟させ
て、これと友好賄係を結ばんとするや、ソ聯はこれを妨害し
                       てんぷく
クーデターを助けてツゲェトコゲイツチ政府を転覆させると
共に、不侵略條約まで結んでユーゴーを後援し、且つセルビ
ア軍の動員さへ夢求したのである.
また、サワエカを通じて飛行機武韓等を供給し、ドイツの軍
事行動を妨零せんとしたのであつた.バルカソ馳がドイツの
41

 坪利に許すろや、ソ抑は首七十ケ師昭を濁ソ閉場に巽輯する
                           一汀:
 に湘つた.かくて、我がドイツは、竣に矛を触らざるをgな

 ノ\なつたので一める.

 我が耶は、北はフィソラソドから南はルーマニア黒海々岸に

 売るまで、武批をとつてたつてゐる.我々ほ、粁洲の保全よ

 り允牝界の‖粍所のために、武照をとつたのである.

 なほ、それと前後してワッペントロップ欄外柏は、ヂカノ

ゾフ山駅弼ソ仙脚大使を招致し、弼ソ粥閑は二十二日を以て交

恥状態に入つた旨を倖へ、概要つぎの如き抱合を行つた.

 「ドイツ政府は、粁来、掃ソ南開民がその政鴇を律重し柏
            小ん‘人
 手閉の削内的▲邸毅に干渉せず、・氷久的隣人関係を保持するも
                     ゐ 小ん
 のと港然想像し得ると考へた.しかし逝憾ながらドイツ政

 府は、この想像を根太的に裏切られたtとが急速に解つたの

 である.

 ニ、コミソテルソは眈に規ソ人諸條杓の締埼を見るや、一胤ちに
 封印破壊工作を再び開始し、大観摸にサボタージチ暴力行賃
 及び馳轡が池・僻され、スパイ行虐岬は政治・革帯・経済方南に行

 はれ、ドイツに隣辞すろ帝国及びドイツ軍の占領下にある地
域、さらにヨーロッパに“雫一同な秩序を姐設せんと†るドイツ
の工作を妨零したのであろ.ソ聯外交政策の根太思想は、現今
に至るまで未だふ弥化せぬ諸岡を鵜礪化するにあつた.

≡、外交ならぴに軍事方面において明軌吋になつたことほ、ソ
帝は諦條杓の締結に際しその利害圏に在る諸岡を赤化せず
、いい・一
併合せんとするものでないと保記したにも拘らず、そのカの
及ぷ限り所へ向つて移動し、且つ共売主義を遠くヨーロッパ
に及ぽさんとする目標を有したのである.
四、ソ聯のルーマニア進攻の際、一九四〇年八月三十日のウ
                             ナY
イーソ調停禽耗において、ソ聯は異誘を申し立て、且つ凡て
の万両において積極的軍事準備工作を施すに至つた.拘外相
とスターリソ氏との…問の交換茎習中、及びモ・Pトフ氏をベル

ワソに招いた時にも解るやうに、ドイツは再び理解を結ばん
                          山1フくわ
と努力したが、これらは却つてソ聯の封濁諸要求を硬化さ
せ、この要求はドイツとしては・琴諷し得なかつたのである.

例へば、ソ研がブルガリアを保詑すること、海峡地方にソ聯
                         ▲r一い
の陸海両軍の基地を置くこと、フイソテソドを完全に椀牲に

LTること、それらである.

五、永年四月五日のソ聯・ユーゴースラヴイア山間の友好條的

卜鵬脳


丁=‖川川川川川川…‖川
甜柑汀托
 締結と共に、ソ聯はドイツに封抗する英国・ユーゴースラグイ
 ア・ギワシ†の共同戦線の背後に立ち、同時にルーマニアをし
 てドイツへ封抗させんがためこれに接近したのである.ソ聯
 はかくの如き政策により、北は.ハルト海より南は黒海に至る
 竹〕域に絶えず有力な兵力を集中し、本年初め以来ドイツ領土
       けふ一々
 はます〈脅威されるに至つた.
  するにドイツ政府は、第−にソ研がその♯埋に注反してド
 イツならぴにヨーロッパに封する破頓工作を旦に枚練する許
 りでなく強化したこと、第〓にソ桝の外交政‡はます′t・反
 環的になつたこと、第三にその仝兵力がドイツ国境に掛逢し
 たことを軍明するノものてある.
 また、同日午前六時、シユーレソブル〆駐ソ猫大使
はクレムyソ官を訪ね、封y宣戦布告に関するドイツ政
府の泡牒む手交したのであつた.
   ソ聯また起つ
 これに封しソ聯側は直ちに赤軍に封し、「侵略者む阻
止攻撃しソ研国境より牌逐すべし」との命令を蟄し、モ
ローフ外秒人民委員は、次ぎの要旨のラジオ放迭を行
         一ん●い
ひ、ソ聯の態度を開明した.
 余はソ聯政府ならぴに政府首脳スターyゾ最高昏誘々長の命
 によつて、次ぎの彰明を行ふ.
 太甘(六月二十二日)午前四時、濁軍部隊はソ聯に封して何等
     てい川レ
 の要求も提示せずまた宣戦布告も行ほずして、我が国に封し
 攻撃して来た.
 濁軍は多数の地粘から我が国境を攻撃し、また、飛行機を以
 てジトミール(キエフ西方入管粁)、キエフ、セグ丁ストポー
 ル、コグノその他の諸都市を爆撃し、l青名鉄の死傷者を出
 した.敵側はまたルーマニア領、フイソラソド預からも、蛮
 #及び砲撃を開始してきた.
 我が国に封するこの攻撃ほ、文明図の歴史上全く頼を見ない
 はhrレん
 背信行蔑である.我が国に射する今日のこの攻撃は、掲ソ間
 にほ不侵略條約が締結されてをり、ソ聯政府は最も忠饗に東
         宮んし中
 條的の親愛を固く連守してゐた毒を、無現して行はれ灯
 ものである.この攻撃は、不可侵條約緒精以来今日に至るま
          ■y小’
 で、ドイツは條紛履行に崩しソ聯がたゞ一件でも轟反したと
 いふ理由を見出し得ないにも拘はらず、無謀にも行はれたの
              ,●くだつ
 である.ソ聯に封するか1る掠奪的攻撃の全賛任は、鋏もな
44
く完全にドイツのファシスト指導者の負ふべきものである.
而して五時牛に至り、即ち不法攻撃の既に開始した後に至つ
て、シユーレソブルグ大使は掬政府を代表しlし、外務人民委
員たる余に封し「ドイツ政府はドイツ東部閥境附近に赤軍が
集結してゐる革耳に鑑み、ソ聯に封し戦申開始を決意するに
至つた」h腎を通告して来た.
これに封し余はソ聯政府を代表して、「極く最近に至るまで、
ドイツ政府はソ聯に射し何等要求を提示したことはなく、ド
イツはソ聯の平和的澄を無税して攻撃を開始したものであ
り、この理由によりファシスト・ドイツこそ正しく侵略者で
ある.」旨を回答した.
なほ、余は政府の訓令に恭づき、ソ将軍及び宰軍は如何なる
地鮎においても、未だ掛増を侍犯した事資はないと明確に肘
官しておいた♪杜つて、水口朝ルーマニアのラジオがソ聯盛
                                            ▲rI●一■、一ソ
軍はルーマりア飛行場を博学したと紋逢したのは全く虚構で
ある●
                わl ●一
軍に本日ヒトラー根続は遅蒔きに、ソ聯が濁ソ不可侍條約を
患賓に頓行しなかつ七と非難した布告を璽したが、その全文
も亦全く虚構であり、純噂的言辞にほかならない.しかしな
がら、とにかくソ聯に封†る不法な攻撃が既に開始された以
                         ク●′ヽ山方つ
上、ソ聯政府もソ聯軍隊に対して速かに州動し掠奪的攻撃
を撃退し拘軍部隙をソ照領土から駆逐するよう命令を襲した
とはいへ、今回の我々に射する攻撃ほ、ドイツ閉民即ちドイ
ツ労働者・農民及び知識附故によつてなされたものではない.
ドイツ開民が如何に爬迫に苦しんでゐるかは、我々はよく知
つてゐる.今回の攻撃は、フランス人・チェック人・ポーラソ
                    k小い
ド人・セルビア人をすべて奴敢と化し、ノールウエー●ベル
                           け1’・,h′ん
ギー・ヂソマトク・オラシ〆・ギリシャその他諸国を征服顔抽
したドイツのファシスト支配者一波の仕業である.
ソ帝政府は、我が果敢なる陸海軍及び勇捷荒驚の如き峯軍が、
訊闘及びソ概閥民に封する頃箸ある義務を見事に果し、任略者
に封し滑減的打撃を輿へること軒確信してゐる.我が同民が
小1′ld・▲‡ヽ
侶悼不遜の酌の攻撃に立ち向はねばならなかつたのは今回が
初めてではなく、ナポレオンのロシア侵略に頂しても我が国
民は綿閉のために應職し、ナポレオンは津に敗北し沌落の蓮
  た′−   ●▲∫ヽ
命を辿つた。傲慢の飴り我が閥に封して新たな十字軍シ宜し
たヒトラー総統の、落ちゆく蓬命もまたこれと同じであら

lくノ●
4古

 ソ聯政府は、ソ聯南民粥君が我々の光埠ある共重光の周田

 に、歌々のソ聯政府の周囲に、我々の悸大な指昭老同志スター

 yソの周mに、史に一層如照に拙策せんことを襲汚する.我

 我のh暇は流魂の放である、敢を打ち倒せ.肪利は我々のもの
 であろ.

   掲ソ衝突の塗凶

 弼ソ粥固繊爽の根本的理由は相常根深いものがあるが、
底凍の勅槻として奉げられるのは、今次大戦以碑、ゾ聯
が抹つて雑た行動にあると、ドイツ側は指摘してゐる.
.即ち、ポーラyド戦開始直後、ゾ山聯軍の東ポーラソr
進出は、弼ソ不可侵條約の背後にあつた秘密協定によつ
て完全な諒解が出水てゐたが、それ以後のゾ聯の行動、
すなはち.ハルト三岡の併合、フィンランド進出、ベッサラ
            ′かん山つ
ビア及びプコゲイナの分割等、それら領土頼張の行動に
ついては、稀ソ間に何ら緑塀がなかつたといふのである.
 ドイツ側としてはノールウエー及び西部攻撃に大童の
期間を池じて行はれたそれらゾ聯の行動を極めて不快硯
してゐたが、いづれにせよ封英攻窄の大目梯の下にソ聯と
 一r 亨−つ
の摩格を出け、むしろ政治的考確から緊研な掟携を園ら
うとした.そして昨年十一月のモロトフ外彷人民委員の
ベルリン訪問に常り、ヒトニフー総統は日礪伊ソ四ケ開に
ょる峡鵡大随分割劣を提示したとも侍へられたが、ソ聯
の應ずるところとならなかつたのであつた.
                     一●■サ
 かくて、軍事・政治・経済の凡ゆる角度から見て六、七
月が封ゾ作戦に絶好の時機と断定されるに至り、六月に
入るやヒトラー総統は遂に赤色政権打倒の決意皇紀め、
六月二日のプレソネル合談でムッソy−ニ首相に封して
その也輿意を明らか忙し、共同作戦の打合せを行ふと同時
に、開戦に必妥なあらゆる準備を宴詣したといはれる.

  ドイツ、進撃前に周到な用意

 そして六月初旬から近来にない大動員が行はれ、ドイ
ツ園一円の一般交逸を禁止状態忙して軍隊の東部圃境向
                              lん∫lI
け大輪注が開始されフィンランドから黒梅に室有税曳こ
千五官粁の前線に教官万の礪軍精鋭が配管れるに室つた.

■■l
 また、ドイツ箪局は竣防的措壇として六月一日以降ド
イツ船舶のソ聯寄粒禁止の密令を蟄すると共に、一方、
鮭済界の屯所に封しソ聯占領後の経済管理の準備開始と
命じ、勅許及び案内として必要な在猫のウクライナ人の
動員、ドイツに亡命中の元バルーエニ岡外交官の起用など
の閑職畔備が念速に進められたのであつた.
 かくて、ヒトラー線統と共にベルヒテスガーヂソの山
荘で熱識をつゞけてゐたyッペントロップ外相は、作戦
準備の完了とともに十入日念遽ベルリンに辟遺し、直ち
にヂカノゾフ駐礪ツ聯大使を招致し、以上の情勢監督景
   一つし一・,
として折衝が開始された.ソ聯側の敢表にもある通少、
この時まではドイツ倒から何等の要求も提示されず、交渉
も行はれなかつたので、この倉見が危横解決の第一の鍵
となつたのである.しかしながらドイツの封ソ要求は、
ソ聯側として見ればソ聯建固の根本に憐れる重大間顧で
         だ nU・か
あ♪、到底封濁音協は不可能とされたのであつた.
 かくて、ドイツ側は〓万において六月十入日トルコと
の友好協定締結に成功しソ聯に封する南側面の措置を完
成し、またフィソテソド及びルーマ言アの動員符より攻
勢の手順が全く峯つたので、天候回復の好横を捉へ、二
十二日沸暁俄然歴史的な進撃命令を蟄するに室つた.
 なほ、イタリアにおいても同日早朝、ゴレルキy駐
伊ゾ聯大使に封し、チアノ外相から「伊政府は二十二日
午前五時三十分よ少ソ聯と戦争状態に膚るものと思惟
す」と通合した.

  礪ソ開我と英米の態度

 礪ソ閑臥に封し、二十三日クェルズ米図浄水官は次ぎ
の要旨を含む黎明を行ひ公式に米国の態度を開明した.
 規在ドイツの指導者注が企園しっ▲ある世界征服の虞の目的
 及び計室を、よりよく詑接だてるものがあるとすれば、それ
 ほ今回ヒとフー総統の行つた背信的なソ聯攻撃であらう.
 米靖民の俺念にとつては、共産濁裁政治の−エ幸や教義は、ナ
 チス沌裁政治の主義と同捷に、到底堵へ難く且つ線のないも
 ので竜る.これら何れの支配鼻下米国民の生活様式、或ひ
 は政府組械の支持を受けることはできないし、粁来も支持を
47

 受けることは出来ないであらう。.
 しかし、現在米国民の前に提示されてゐる問題は、目下ヒトラー総統が必死になつて
 行つてゐる世界征服、全人民の残忍酷薄なる奴隷化及び終局的な残余の自由民主主義
 破壊工作を有効に阻止し敗北せしめ得るかどうかの問題である。
同時にこの問題は、
 現下米国の国防及び我々の住む新世界の安全に、最も直接に関係ある問題である。
 上述の理由からして、米政府はヒトラー主義に対する一切の防衛、ヒトラー主義に対
 抗する一切の武力の再結合には、それが如何なるところから出た武力であらうとも、
 結局ドイツの現指導者打倒を促進するものであり、それは結局米国自身の国土防衛保
 全に利するものであるとの見解を持する。
 また、ニューヨーク・タイムスによれば、「英米の立場からすれば、無条件に
独ソ開戦を祝福するのは危険であるが、独ソ聯合が実現した場合に比較すれ
ば、民主主義諸国にとつては確かに幸である」とされたのである。
 なは、英国側では、二十二日のイーデソ外相とマイスキー駐英ソ聯大使との
会見により対ソ援助を確約したと伝へられ、また、翌日チャーチル首相は「ヒト
ラー総統を向ふにまはして戦ふ国は如何なる国家と雖も歓迎する」旨の言明を
行つた。しかしながら、英ソ間の共同戦線案もさしあたり同盟を結ぶまでには
ならず、結局、英米側の対ソ援助方式として、米政府が浦塩から軍需資材を提供
し、英国軍が西部戦線を爆撃する範囲以外には出られぬものと見られてゐる。