第二三〇号(昭一六・三・五)
  主要食糧農産物の増産計画      農 林 省
  バルカンの近情
  青年学校の躍進          文 部 省
  日露戦争当時の国民の気魄     陸 軍 省
  蘇北作戦経過の概要        大本営陸軍部
  成立した昭和十六年度予算      大 蔵 省
  医療保護法について         厚 生 省
  逞しき無表情 前線より銃後へ    村上部隊 高原 博
  海軍作戦の戦果(下)        大本営海軍部

 

前線より銃後へ 逞しき無表情---一つの文化批判として---  村上部隊 高原博

 (一)

 初めて支那大陸に接した時---蒸し暑い輸送船の船艙の窓から頭をもたげては嘆声を洩らしたのは、揚子江の何といふ太々しい無表情さ、といふ感じであつた。爾来、幾ヶ月か、支那の土地に慣れ、支那の風物に親しんでゆくうちに、いつの間にか最初の強烈な印象がうすらぎ、或ひは変貌しゆくのを意識しつゝも、しかも凡ゆる変貌の様相を被りながら、その底を一貫して執拗にも流れ来る一つの変らざるもの、それは言はば逞しき無表情とでも呼びたいもの、かゝるものを常に生々と印象づけられずにはゐない。この一つのものが或る時は、太々しく、また或る時は、弱々しく、凡ゆる生活感情の底流をなして迫つて来る----これが今の自分の印象の最も著るしいものである。
 この無表情さを如何に掴むべきであるか、掴まうと焦るところにけへつて気短かを誇りとさへする日本人の認識不足が胚胎するのかも知れない。
 しかし何とかして掴まずに居れない、といふ気持をいつも誘ひ起させる程、それ程この無表情さは表情的である。そのくせ、仲々に掴み得ない無表情さ。これが揚子江や黄河の流れと共に、脈々と絶えることなく流れ来つた支那民族の、何時の世にも覆ひかくされ、しかも何時の世にも消ゆることのなかつた民族的意志とでもいふべきものの姿であらうか。意志といふよりも民族的傾向と呼ぶ方がより適切であるかも知れない。それ程、原始的、自然的のやうである。表情的といふことが、文化的といふことに一つの関連を持つとすれば、これは、そのまゝでは凡そ非文化的である。しかし文化的といふことが、人間生命の化育(くわいく)進展の様相であるといふなら、こゝにこそ、稚鈍(ちどん)であり且つ模糊としてをりながら、しかも、強烈、切々たる文化の母体的様相を自分は生々と発見する。それは従つて、豊饒な文化可能態ではないのか。しかし反面、それは文化可能態としての性格を多分に持ち過ぎるが故にこそ、かへつて遂に開花する時を知らざる永遠の可能態であるのかも知れない。
 先頃の敵正規軍とのかなり激烈な戦闘の最中に、幾たびか

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