第二二三号(昭一六・一・一五)
   文官制度の改正
   発足した出版新体制
   特集 国民学校制の解説      文 部 省
     教育改革の由来、国民学校制の根本趣旨、
     教育制度上の改革、教育内容上の改革、
     国民学校教育の本旨、教育内容の統合、
     国民学校の実業科、教科と科目の目的、
     国民教育の方法の刷新、国民学校制度の実施準備
   電力の消費節約          電 気 庁
   戦陣訓

国民学校制の解説   文部省

教育改革の由来
国民学校制の根本趣旨
教育制度上の改革
教育内容上の改革
国民学校教育の本旨
教育内容の統合
国民学校の実業科
教科の科目と目的
国民教育の方法の刷新
国民学校制度の実施準備

 

来る四月の新学期から国民学校制が実施の予定で、全国の「小学校」が一斉に「国
民学校」となる。それでは、現在の小学校がどんなに改善刷新されて国民学校となる
のであらうか。小学校といふ名称がなぜ国民学校と改称されなければならないか、
国民教育の制度と内容がどんなふに改善刷新されるのであらうか、今までの小学
校の教育とどんな所が異ふか、国民学校制とは一体どんなものであらうか。これら
の点について以下順次に解説を加へることにしよう。

教育改革の由来

 明治維新の教育 わが国の学校教育は、明治維新を期
として整備の緒に着いたものであるが、明治維新当初の
教育方針は明らかに皇道主義であつた。
 明治元年九月十六日に皇学所と漢学所が設けられ、そ
の規則中に「國體ヲ弁シ名分ヲ正スヘキ事」及び「漢土西
洋ノ学ハ共ニ皇道ノ羽翼タル事」が明示されてゐる。
これは正しく五箇条の御誓文中の「知識ヲ世界ニ求メ大
ニ皇基ヲ振起スベシ」との国是に基づくものであつて、
皇國の大道によつて東西の文化を統括しようとする雄大
な 教学の方針が窺はれるのである。
 このやうな皇道主義教育方針は、昌平黌を復活して
昌平学校とし、その後改めて大学校と称された時期にお
いても変りはない。大学も亦「皇道ヲ尊ミ國體ヲ弁ス
ル」ことを「皇國ノ目的学者ノ先務」となしてゐたのであ
る。
 学制の精神 しかるに、明治五年に「学制」が頒布さ
れる頃には、欧米の個人主義、功利主義的な実学主義が
前面に立てられるに至つた。これには恐らく当時いろ
いろな理由があつたものであらう。幾百年に亙る国内の
封建的対立を克服して統一日本を建設するためには、幾
多の革新的政策の断行が必要であつた。
 明治四年に廃藩置県を断行し、次いで廃刀令その他四
民平等の政策が実施されたのもこれがために外ならな
い。文化政策の面においても、必ずしも皇道主義、仁義
忠孝の精神を忘れたわけではないのであらうが、封建的
対立を克服するに急なる余り、寧ろ一切の封建的伝統か
ら離れた西洋の実学思想を以て、教学の指導精神とした
とみるべきである。かくて明治五年以降わが国の教育は
その制度、内容において著るしく個人主義的、偏知主義
的傾向を持つに至つたのである。
 教育勅語の渙発 畏れ多くも明治天皇はこの傾向に
対し深く叡慮遊ばされ、明治十一年、東北、北陸、東海
道の諸地方を御巡幸遊ばされて、親しく国民教育の情況
を叡覧あらせられ、還幸遊ばされた後、国民教育に関す
る御感想を明治十二年侍講元田永孚に命じて筆記せしめ
られた。これが「教学大旨」として我々が今日拝するもの
であつて、わが国教学の要旨は祖訓国典によつて立て
られてゐるもので、仁義忠孝を明らかにし、しかる後に
知識才芸を究め以て人道を尽すにあることを御諭し遊ば
されてゐるのである。
 明治天皇は更に明治十四年元田永孚に命じて「幼学綱
要」を編纂せしめられ、「学制」において末に馳せて本を
誤りたるを改めさせ給ふ聖旨を明らかにせられた。明
治二十三年に渙発遊ばされた「教育ニ関スル勅語」は、
かうした深い叡慮に基づくものであつて、宏図悠遠拝
するだに畏き極みである。
 教学の弛緩 教育勅語の渙発によつてわが国教学の
大本は定められたのであるが、明治五年の「学制」の精神
に基づいて整備された国民教育の制度、内容は依然とし
て根本的に刷新されないばかりでなく、寧ろ明治末期よ
り大正時代にかけては、自由教育の名のもとに、わが教
育界に欧米の個人主義、自由主義的教育論が相ついて紹
介され、わが国の教学は著るしく弛緩するに至つた。
この弛緩に乗じて欧米、ソ聯の巧妙な思想戦が教育界に
試みられ、その結果國體を忘却して共産主義に走り、デ
モクラシーに心酔する多くの学
生を輩出するに至つたのであ
る。
 教学刷新の要望 かゝる情
勢に対して国民教育の制度、内
容に対する根本的な刷新の要望
の起るのは当然であつて、文部
省においても昭和六年学生思想
問題調査会を設けて、学生
思想問題の対策を講じたのを始
めとし、或ひは国民精神文化研
究所を設けて、日本国民精神文
化の研究と普及に当り、或ひは
教学刷新評議会を設けて、教学刷新に関する方途を諮問
し、或ひは「國體の本義」を編纂して、わが肇國の精神を
明らかにして、国民の自覚を促し、他面教育調査部を
新設して、内外の教育制度の調査に当り、更に教学局を
設置して、わが国教学の研究と指導の任に当らしめる等、
わが国固有の教学の方向を明ら
かにすることに努めて来たので
あるが、特に、現下、わが国の
直面してゐる重大時局に対処
し、更に将来の飛躍的発展に備
へるため、教育の制度、内容の
上に根本的刷新を加へる必要を
生じ、昭和十二年十二月、優渥
なる上諭を拝して、内閣に教育
新議会が設置され、内閣総理大
臣の諮問に応じて教育の刷新振
興に関する重要事項を調査審議
することとなつたのである。
 爾来、教育審議会においては、教育の刷新振興に関し
て調査審議の結果、昭和十三年十二月に至り、内閣総理大
臣に対して、国民学校に関する要綱、師範学校に関する要
綱、及び幼稚園に関する要綱を答申した。文部省におい
ては、これを慎重考究の結果、まづ国民全般の基礎教育
である初等教育制度を改善することが緊要であることを
認め、右答申の中、国民学校に関する要綱に基づいて、
昭和十五年度において諸般の準備を整へ、昭和十六年度
から国民学校制を実施する予定となつたのである。

国民学校制の根本趣旨

 今回実施しようとする国民学校制の根本精神は、國體
明徴に基づくわが国独自の教育制度の確立にあるのであ
つて、具体的には、国民全般に対する基礎教育を拡充整
備して、国運進展の根基を培養するため、義務教育年限
六年を八年とし、他面、皇國の道に則つて、教育の内容
に根本的刷新を加へ、教材を統合して、皇國の道の修練
に帰一せしめ、教育の徹底を図り、国民精神の昂揚に努
め、知徳、心身を一体として国民を錬成し以て内に国力を
充実し、外に八紘一宇の肇國の精神を顕現すべき次代の
大国民を育成しようといふ点にあるのである。

写真1 「初期の国定教科書

教育制度上の改革

 改正の諸点 第一に、制度の上から小学校が如何に改
正されるであらうか。まづ改正される要綱を挙げると、
 一、小学校を国民学校と改称すること
 一、国民学校の修業年限を八年としこれを義務教育と
   すること
 一、国民学校の過程を初等科及び高等科に分ち、その
   修業年限を初等科六年高等科二年とすること。但し
   土地の事情により初等科又は高等科のみを置くこと
   を得ること
 一、国民学校に特修科を置くことを得ることにしてそ
   の修業年限を一年とすること
などである。
 名称の変更 制度上からは第一に、小学校が「国民
学校」と改称されることになる。明治五年学生が頒布さ
れてから約七十年使ひ慣れてゐる小学或ひは小学校といふ名称が、新制においては国民学校と改称される。なぜ「小学校」が「国民学校」に改められるかと言へば、国民学校で行はれるべき教育が、
 一、国民全体が必ず受くべき教育であること
 一、その内容が国民生活に須要なるものであること
 一、その目的が国民の基礎的錬成に存してゐること
等によるのであるが、また小学校といへば、何となく弱小な気がし、軽視されるばかりでなく専ら上級学校への準備を行ふ学校であるやうな感じを起させ、小学校が完成教育であることを忘却させる傾向があることも国民学校と改称される理由である。
 要するに、小学校が国民学校と改称されて、初等普通教育が、国家の後継者を育成するために、国家の後継者を育成するために、国民全体を基礎的に錬成する教育であることが明確となつたのである。
 義務年限の延長 第二の大きな改革は国民学校の修業年限が八年となり、これが義務教育となることである。尤も義務年限の延長は昭和十九年度から実施の予定であるが、さうなると保護者はその児童を満六歳から満十四歳まで、即ち現在より二ヶ年長く国民学校に就学せしめる義務を負ふことになるのである。
 現行の六ヶ年の義務制は、明治の三十七、八年戦役後の躍進日本の情勢に応ずるために、当時の四ヶ年義務制を明治四十年に至り六ヶ年に改正したもので爾来三十余年施行されて現在に及んだのである。義務教育年限延長のことは、従来しば/\論議され、その実現の要望は朝野の懸念であつたが、今回それが断行されることになつたのである。
 義務年限延長の理由 僅か二ヶ年の延長であるが、国民全般に関係する問題であつて、極めて重大な意味を持つ劃期的大改正といふべきであるから、延長の理由の主なものについて説明することにする。
 理由の一は、国家的に見て、青年前期における教育の重要性から見たものである。
 児童が尋常小学校を卒業する十三、四歳の時代は、児童期から青年期への過渡期、いはゆる青年前期に当るのであつて、この時代における児童の環境や指導教養の如何は、児童の心身の上に、一生涯を左右するほどの重大な影響を及ぼすものであるから、この時期の児童を充実した教育的施設の下に置き、適当な指導、規律ある養護、訓練を施して国民の保健、徳性の涵養、智的水準の向上を図り、以て国家の進展特に国防能力の増進と産業の振興とに寄与することは現下わが国内外の情勢より喫緊の要務である。
 理由の二は、国民教育の内容を根本的に改善するためには、六年の義務教育では不足であつて、是非共これを八年に延長しなければならないのである。
 初等国民教育の内容を根本的に改善し、一面において国運進展に伴つて、教材の充実を図るとともに、他面いはゆる知育偏重、人格教育の不徹底等の諸弊を除去することは目下の急務である。しかし、このやうな現代の教育上の欠陥を根本的に是正することは、現行制度の義務制六年の課程では到底不可能である。そこで、義務教育の年限延長は、教育の内容の刷新改善の必須不可欠の前提であると言はねばならない。
 八年義務制実施の時期 義務教育の八年制は、国民学校制実施と同時に、即ち昭和十六年度から直ちに実施することが望ましいが、新制による教科書の編纂や財政上の都合などによつて、昭和十九年三月に国民学校初等科を修了する児童、即ち現行の尋常小学校第三学年の児童から八年制の教育義務となるのである。従つて青年学校の普通科は、昭和十九年度にその第一学年、昭和二十年度に第二学年が廃止されることになる。
 国民学校の観点からみると、女子は国民学校の義務教育が八年、男子は更に青年学校の義務教育が四年乃至五年加はるので、青少年は満六歳から満十九歳まで、義務的に教育環境に置かれることになるのである。
 初等科と高等科 前述のやうに、国民学校の修業年限は八年となり、これが義務となるが、児童の十二歳頃は心身発達上一時期を劃し、その後はいはゆる青年前期の段階に入るのであるから、この時期を以て国民学校の課程を初等科と高等科に分ち、その修業年限を初等科六年、高等科二年とすることとなつたのである。
 従つて国民学校には、原則として、初等科と高等科を有すべきであるが、土地の情況により初等科または高等科だけを置くことが出来ることになつてゐる。
 名称の問題 国民学校には、初等科と高等科を置くのが本体であつてこれを国民学校と称するとすれば、初等科または高等科だけを置く学校は何と呼ぶか。これは、昭和十六年四月一日から全国の小学校の看板を書き換へる時に早速問題となることであるが、初等科だけ又は高等科だけを置く学校も、両科を置く学校と等しく国民学校と称することとなつてゐる。
 中等学校への連絡 国民学校の修業年限が初等科六年、高等科二年となり、しかもこの八年が義務制となるとすれば、国民学校から中等学校への連絡はどうなるかといふ疑問が起るであらうが、これは、形式上現行と何等変るところはないのである。即ち国民学校初等科第六学年修了者が、中等学校に入学する資格を得ることとなるのである。
 しかしながら、国民学校の初等科と高等科の区分と同じやうに、初等科第六学年修了者から中等学校に連絡するとしても、現行制度との間には性質上異るところがあるのである。この点を注意しなければならない。現行においては、中等学校へは、義務教育の修了者が入学してゐるのであるが、新制国民学校では、義務教育年限中の者が義務履行の中途で中等学校に入学することになるのであるから、そこで義務を履行しなければならない。
 換言すれば、国民学校において原則的に履行すべき就学義務を、これに代るべき中等学校において履行してゐるのである。勿論中等学校では、この国民学校高等科に、年齢上相応する第一、二学年の教育だけを取り出して考へるのは適当ではないが、少くともこの二学年は国民学校義務教育の履行中であることを十分考慮しなければならない。
 従つて、若し家事上の都合その他の理由によつて、中等学校を中途退学するとすれば、年齢満十五歳に達しない中は、必ず国民学校高等科に入学しなければならないのである。この点も現行制度と著るしく異る点である。勿論現在も中途退学者は、青年学校の義務は有してゐるのである。
 特修科 前に述べたやうに、国民学校が八年の義務制となる以上、現在の青年学校普通科は、国民学校八年義務制の実施される昭和十九年度から廃止されることになるのであつて、国民学校卒業者の男子は必ず青年学校の本科に入学して、この義務を履行しなければならない。しかし現在極く僅かではあるが、高等小学校の第三学年が置かれてゐる。これは国民学校八年制が実施された時どうなるかの問題が残る。
 この問題は、国民学校に、高等科卒業者を入学資格とし、修業年限一年の特修科を置くことで解決されることになつてゐる。特修科は勿論義務制ではない。後に述べるやうに、国民学校高等科の課程は実業科の設置によつて、土地の事情に適合するやうに編制されてゐるが、特修科は、なほ一層土地の事情に即応する教育を行はうとするのであつて、普通教育と職業教育の中間の教育を行はうとするものである。
 補習科の廃止 現在小学校には、尋常小学校にも、高等小学校にも補修科が設置されてゐるが、義務教育八ヶ年制実施の暁は、廃止されることになる。

教育内容上の改革

 以上は国民学校制の制度上の改正について述べたのであるが、次ぎにその基礎をなす教育の内容と方法の改正について述べることにしよう。
 今回の改正では、前に述べたやうに、従来の教育がやゝもすれば、自由主義的、個人主義的思想の根柢に立つてをり、知的抽象的に堕する弊があつたのを、根本的に改正し、わが国本来の姿を基とし、世界の趨勢に鑑みて、真の日本精神に徹した教育の実現が企図されてゐるのである。
 換言すれば今回の改正は、
 第一に、わが國體の淵源せる教育の精神に徹底し、一切の教育を皇國の道、即ち教育勅語に昭示し給へる臣道の修練に統合帰一せしめることによつて、国民教育の方向と帰趨(「教育の方向と帰趨」傍点)とを明らかにし、
 第二に、従来やゝもすれば、全体的統一を欠き全一的な具体的人格の育成から離れ勝ちであつたので、教材を統合し、新たな観念の下に教科を設けて教育の徹底を図り、国民精神の昂揚と国民的自覚の喚起、知識技能の啓培、体位の向上を図り、産業や国防の根基を培養して国力の充実を図り、外に八紘一宇の肇國の大精神を顕現すべき次代の大国民の育成を目指してゐるのである。
 第三に、教育方法に関していへば、教育を具体的実際的ならしめるため、知識の徹底を期するとともに、実践を重んじ、いはゆる知行合一、心身一体としての国民の錬成を意図し、学ぶところの総てを国民としての力とし、学校を挙げて国民錬成の道場にしようと期したのである。
 改正の要点を列挙すれば次の如くである。
 一、国民教育の目的、指導理念の確立
 二、国民教育上の教科の観念の確立
 三、国民教育の方法の刷新
 以上が国民学校制において意図されてゐる教育の目的と内容と方法に関する改正の要点であり眼目である。これから順次これらについて述べることにする。

国民学校教育の本旨

 教育目的の閘明 従来でもわが国の教育の目的は、「教育ニ関スル勅語」に明示し給へる聖旨を奉体して、忠良な日本国民を育成するに在つたのであつて、この点小学校と国民学校に何等根本的の変革はないのであるが、従来とかくこの日本国民育成といふ自覚が不充分であつたし、またその精神の表現的規定の点においても不備の点が無いでもなかつたので、国民学校制では、国民学校教育の本旨を、
 国民学校ハ皇國ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス
と明確に規定することにしたのである。
 これは国民学校の教育精神と、内容と、方法を表はすものであり、教育改革の指導理念を示すもので最も重要なものであるから、次にやゝ詳しくせつめいすることとする。
 国民教育の最高原則 第一「皇國ノ道ニ則リテ」教育を行ふことは、国民学校における教育の全般を貫く最高の原則であつて、国民学校は、この原則に従つて、教育を行はなければならない。
 こゝに国民学校の教育が則らるべき「皇國ノ道」とは、「教育ニ関スル勅語」に昭示し給へる「斯ノ道」を指すのである。
 勅語には、先づ最初に、

 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツ
 ルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ孝ニ億兆心ヲ
 一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニ
 シテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

と仰せられてあるが、この一段は我が國體の精華を明らかにし給うて、わが国の教育の基づくべきところを御示しになつたのである。
 続いて勅語には

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭
倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智
能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常
ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉
シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕
カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ威風ヲ顕
彰スルニ足ラン

と仰せられてある。この一段は、臣民の心得を御示しに
なつたもので、親しく爾臣民と御呼びかけになつて、我
等日本臣民の日夕実践躬行すべき道の大綱と御示しに
なつてゐる。
 なほ勅語には、

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶
ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施
シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニ
センコトヲ庶幾フ

と仰せられてゐるのである。
 従つて「斯ノ道」は、以上御示しになつた國體の精華と
国民の守るべき道との全体を指すのであり、我々臣民と
しては「父母ニ孝ニ」以下「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼ス
ヘシ」と示し給へるを臣民の道と解すべきであり、特に
肇國の精神を奉体して皇運を扶翼し奉る精神と、その実
践とが中核をなすのであつて、「皇國ノ道」とは端的にい
へば、皇運扶翼の道と解すべきである。
 この国民学校教育の大原則から、

 教育ノ全般ニ亙リテ皇國ノ道ヲ修練セシメ特ニ國體ニ
対スル信念ヲ深カラシムルコト

といふ国民学校の教育方針の第一が演繹されるのであ
る。
 こゝに「皇國ノ道ノ修練」といふのは、皇國の道を明ら
かにし、理会することは勿論大切であるが、単にそれを
知識的に把握しただけでは不十分であつて、皇國の道を
体得し実践するまでに進ませること、即ち知識と実行、
精神と身体とを一体たらしめることが大切であることを
意味するのである。皇國の道の修練とは一言に、臣道実
践の教育を指すのである。
 しかして、教育の全般に亙つて皇國の道を修練せしめ
るといふのであるから、それは、国民学校教育の、精神
も、内容も、方法も、施設も、一切を包含してゐるので
あるが、そ中でも特に核心をなしてゐることは、万邦
無比の我が國體に対する信念を強固にすることである。
皇運を扶翼し奉る大精神も、滅私奉公の至情も、皆、皇
國の道の修練と、これによつて体得された國體に対する
強固な信念とが基礎となつて、そこから由来するもので
ある。
 国民教育の内容 第二に、「普通教育ヲ施シ」とある
のは、これは、国民学校教育の内容と示すもので、「普通
教育」とは国民全般に共通な、従つて平易な教育の意味
で、この教育の上に他の一切の教育が行はれ、この教育
によつて国民的人格の基礎が築かれ、皇運扶翼の道を行
ふべき基礎的の、知識と技能と情操が育成されるので
ある。なほこの教育あるが故に、国民は相互に理会し合
ひ、また一致団結をもなし得るのであつて、かくて万民
輔翼の基礎が築かれるのである。
 次に、「初等」といふ文字を冠して、国民学校の教育が
普通教育を施すにしても、その初等の部分、基礎的の部
分を施すことを明示した。従つて、初等普通教育は、普
通教育の程度を意味するのである。
 以上、普通教育を形式上説明したが、次に普通教育の
内容を更に具体的に展開すれば、その一は、(一)国民生
活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ体得セシメ、(二)情操ヲ
醇化シ、(三)健全ナル身体ノ育成ニ力ムルコトである。
 こゝにまづ、「必須ナル」といふのは、国民生活上不可
欠のしかして最小限度の意味であつて、その最小限度
の標準は、国力の現情、国民文化の程度によつて、具体
的に自ら定めらるべきものであつて、かつては修養年限
四年を以て授けられる内容が最小限度であつたのである
が、それが国力と文化の発展に伴つて六ケ年を必要とす
るに至り、今回また八ケ年に延長しなければならなかつ
たのである。躍進日本の現状竝びに将来の要求に即応す
る国民教育を施すためには、八ケ年を必要とするのであ
る。こゝにも義務教育年限延長の一つの理由があるの
である。
 普通教育の内容の二は、

我ガ国文化ノ特質ヲ明ナラシムルト共ニ東亜及世界ノ
大労(?)ニツキテ知ラシメ皇國ノ地位ト使命トノ自覚ニ導
クコト

である。
 国民教育の任務として重要なことは、わが国文化の特
質、特に、わが国の文化が肇國の大精神に基づき、明
き、清き、直き、誠の心の国民性を根幹として形成さ
れたもので、他に類例のない独特の文化であつて、包容
性、綜合性、発展性等の特質を持つてゐることをよく理
会させることである。
 これと同時に、国民教育は、東亜及び世界の大勢につ
いて知らしめ、特に各教科を通じて、産業、国防、海洋
等に関する認識を探め、かくして皇國の世界的地位と使
命とを自覚させ、八紘一宇の肇國の大精神を体得し、発
展的な大国民の気宇と資質との涵養に力むべきである。
 国民教育の方法 第三に、「錬成」とは、国民学校教
育の方法を指すもので、これは、錬磨育成の意である。
 錬成とは、児童の陶冶性を出発点として、皇國の道に
則り児童の内面よりの力の限り、即ち全能力を、正しい
目標に集中せしめて、国民的性格を育成錬磨することで
ある。
 児童の全能力の錬磨であるから、詰込み主義や機械的
強制でもなく、また半解の知識の習得ではなく、国民的
に育成するのであるから、児童本位の教育や、自由主義
的個人主義的の教育ではないのである。
 また「基礎的」とは、錬成の程度を指すものであつて、
国民学校の教育は、それ自身完成教育でありながら同時
に、将来の教育の基礎であり、生涯持続さるべき自己
修養の根幹である。
 しかして、国民学校における、普通教育も基礎的錬成
も、皇國の道に則つて行はるべきである。
 要するに、国民学校教育の本旨は、教育勅語に昭示し
給へる臣民の守るべき道に則つて、国民生活に必要なる
普通の知識技能を体得せしめ国民的情操を醇化し、健全
なる身体を育成して、國體に対する信念を深化せしめ、
皇運を扶翼し奉る国民の基礎的錬成をなすにあるのであ
る。

 数育内容の統合 (教材の再編成)

 国民学校の本旨とする、皇國の道に則る国民の基礎的
錬成は、教科を通しての教育によつてこれを行はなけれ
ばならない。
 国民学校制においては、国民学校教育の本旨、皇運を
扶翼し奉るべき国民の基礎的錬成の立場から、小学校の
教材が徹底的に再編成されることになつたのである。こ
れが国民学校制の教育内容上の改正の具体的根幹をなす
ものである。
 説明の便宜上、再編成によつて新たに設けられた国民
学校の教科と、それに包括される科目を先づ表記して、
次に、如何なる観点から、如何なる原理に基づいて教科
が立てられたかを説明することにしよう。

国民学校初等科

教科       科目
国民科   修身・国語・国史・地埋
理数科   算術・理科
体錬科   武道・体操
芸能科   音楽・習字・図書・工作・裁縫(女)

国民学校高等科

教科       料目
国民科   修身・国語・国史・地理
実業科   農業・工業・商業・水産ノ中一科目
理数科   算術・理科
体錬科   武道・体操
芸能科   音楽・図画・工作・家事(女)・裁縫(女)

 教科設定の原理 右の教科設定の結果からみると国
民学校の教料は、従来の教科目をいくつかづゝ纏めたも
の、或ひは類似した教料目を集めめてそれに教科の名を冠
したものであるかの如く思はれるかも知れないが、国民
学校の教科は決してかゝるものではない。
 換言すれば、国民学校の各教科は、下から、既存の科
目を綜合して造られたもの、即ち科目がまづあつて、し
かる後にそれが集合されて、教科が出来たものではな
くて、従来の教科目が一度解体され、新たに、皇國民の錬
成といふ国民学校の最高目標から、即ち、上から選択さ
れ、再編成されて、四乃至五の教料が設定され、次に、
各教科内に更にその性質と部分目的に従つて、科目が有
機的に分節されたものである。
 従つて、国民学校の教科の区分は、教育の目的から見
た教育内容の区分であつて、いはゆる学問上の分類では
ない。
 教科の理由 国民学校の本旨は、「皇國ノ道ニ則リ
テ国民ノ基礎的錬成」をなすに在るのであるから、その内
容を如何に区分、錬成すペきかを考察するには、皇國民
たるに必須不可欠の資質が何であるかを吟味することに
出発しなければならない。それらの資質としては大体次
の五つを挙げることが出来る。
 一、国民精神を体認し、國體に対する確乎たる信念を
有し、皇國の使命に対する自覚を有してゐること
 二、日進の科学につきて一通りの認識を有し、生活を
数理的科学的に処理し、創造し、以て国運の進展に
貢献し得ること
 三、闊達剛健なる心身と献身奉公の実践力とを有し
てゐること
 四、高雅な情操と藝術的技能的な表現力を有し、国民
生活を充実する力を有すること
 五、産業の国家的意義を明らかにし、勤労を愛好し、
職業報国の実践力を有してゐること
 ほゞこれら五つの資質が相互に聯関しながら有機的
統一を保つことによつて、国民的人格が形成され、また
発展して行くのであつて、かくてこそ人は始めて皇運を
扶翼し得る忠良なる日本国民たり得るのである。
 国民学校では、この五つの実質を錬成せんとするので
あるから、この見地からその目的に副ふやうに、教育
内容を五種に大別して整理しなければならないのであ
る。この教育目的からみた教育内容の大分節が教料であ
る。従つて、国民学校の教科は、皇國の道を修練させて
皇國民としての資質を錬成するための、教育内容の大分
節である。
 しかして資質の錬成について、主として第一に関する
ものを国民科と称し、主として第二に関するものを理数
科、第三に関するものを体錬科、第四に関するものを藝
能科、第五に関するものを実業科と称することになるの
である。
 かくて、国民学校における、国民科、理数科、体錬
科、芸能科、実業科といふ教料が設定されたのである。
 しかして、国民学校教育においては、これらの教科
は、その特質を発揮して、各教科の直接の任務を達成す
ると同時に、相互に緊密な関連を保ち、一切を挙げて、
国民錬成の一途に帰せしめるやうにつとめられなければ
ならない。
 換言すれば、各数科は、すべて皇國の道に則る国民の
基礎的錬成といふ一目標のための手段方法に過ぎない。
従つて各教料の関連すべきも当然であるし、教科のため
に教科を教へるのではなくして国民の基礎的錬成のため
の教育手段なのである。
 科目の設定 各数科は、多種多様の内容を合んでゐ
るものであるから、その教科の内容をなす教材を、そ
の性質と目的に応じて系統的に組織して取り扱ふ方が一
層教育の徹底を期し得るのである。国民学校において
は、この方法をとることにしたのである。このやうに、
各教料の含む内容をその性質と目的とに応じて系統的に
組織し、教科の部分目的を達成させようとするものが科
目である。かくて国民学校には教科と科目との別が立て
られた。
 例へば、国民科についてみれば、教材の内容をなすも
のは、わが国の道徳、言語、歴史、国土国勢等につい
て習得させることであるが、その中には、わが国の道徳
を主とするもの、わが国の言語を主とするもの、わが国
の歴史を主とするもの、わが国の国土国勢を主とする
ものとなつて、教材の性質と目的とが自ら異るのである
から、それに応じて国民科修身、国民科国語、国民科国
史、国民科地理の四科目が立てられてゐるのである。
 従つて、一教科に属する各科目は、当該教料の有機的
な分節であつて、それ/"\固有の系統と価値とを持つの
であるが、同時に、目的上その所属教科に統合せられ、
相互に関連して教科の目的と達成すべきものである。
 例へば、国民科には、修身、国語、国史、地理の科目
が立てられ、それらの科目は、それ/"\の部分的直接的
目的を有しながら結局は、國體の精華を明らかにして国
民精神を涵養し皇國の使命を自覚せしめること、といふ
共通の目的に帰一させられることになつてゐる。
 それ故に、国民学校の教育では、

「各教科竝科目ハ其ノ特色ヲ発揮セシムルト共ニ相互
ノ関連ヲ緊密ナラシメ之ヲ国民錬成ノ一途ニ帰セシム
ヘシ」

 といふ教育の根本方針を掲げて、統一的国民的人格の
錬成を意図してゐるのである。
 科目の名称の変化その他 前に述べたやうに、国民
学校制の教科の科目は、各教科の含む内容を、その性質
と目的とに応じて系統的に組織したものであるから、当
然従来のそれとは名称が同一でもその内容を異にするも
のであることは言ふまでもない。次に、名称や内容の著
るしく異るものについて述べてみよう。
一、国民科修身において礼法の実践を指導せしむるこ
ととなつた。従来の作法が、やゝもすればその形式
的方面を想起せしめる名目であるから、形式と共に
形式を通じて精神の修養を積ましめる方面を重視す
る趣旨で、特に礼法の名称が用ひられた。なほ、国民
科修身、芸能科及び特に家事、裁縫等において躾
が重んぜられてゐる。
二、郷土の地理的事象を実地に観察せしめ、国民科地
理、国民科国史の学習の基礎となすために、初等科
第四学年に「郷土の観察」が設けられた。
三、理数科の教材中、数・量・形を中心として教材を組
織づけた科目が理数科算数と称せられることになつ
た。
四、児童をして、自然に親しませ、自然界の事物現象
に対する考察処理の初歩を指導し且つ動植物の飼育
栽培をなさしめる等、児童に適する理科的作業を課
して、自然界に対する興味と、科学的精神の萌芽を
培養するため、初等科第一学年から理数科理科とし
て「自然ノ観察」が課せられることになつた。
五、体錬科に体錬科武道を置き、体錬科体操と相俟つ
て心身を鍛錬し我が国伝来の武道の精神を涵養せし
めることとなり、なほ体錬科体操の教材に衛生が加
へられた。
六、従来の唱歌の外に音楽の鑑賞、聴音及び発音の練
習と器楽の初歩の指導とを加へて芸能科音楽とし、
一層国民的情操の醇化に力めることとなつた。
七、従来、国語の教材として課せられてゐた書き方の
中、毛筆による書写の修練を習字として芸能科に入
れ、国民的情操の涵養に資することとなつた。
八、従来随意科目であつた「手工」の内容を一層拡充し
芸能科工作とし、機械の取扱に関する常識を得し
め、物品の製作に関する普通の知識技能を養ひ工夫
考案の力を培ふこととし必修科目とされた。
九、園芸の教育的意義を重視して高等科において農業
と課せざる時は農耕的戸外作業または園芸を課する
こととなつた。
十、初等科第一学年第一学期は児童が自由な家庭生活
から、規律ある学校生活に移行する時期であるから
生活の急激なる変化を緩和するために、毎週の教授
時数を学校長において十八時まで減少することが出
来る。
十一、児童の負担の適正と心身の健全な発達を期する
ために、一時限が四十分となつた。

 国民学校の実業科

 国民学校高等科には初等科の四教科に加へて実業科が
加へられることになつたが、これも国民学校制の一つの
大きな特質をなすものである。
 従来も高等小学校には実業が置かれ、農業、工業、商
業の一科目又は数科目が課せられてゐたが、これは文部
大臣の定める所により随意科目となすことが出来る規定
になつてゐる。
 国民学校高等科では、実業科は必修教科であつて、そ
の科目として農業、工業、商業の外に、新たに水産が加
へられ、これらの中一科目又は教科目を選んで、課する
ことになつた。更に、高等科には、増課時間五時間が設
けられて、これを全部実業科に当てることも出来ること
になつてゐるから、国民学校においては、教育を国民の
生活に即して具体的実際的ならしめることが出来、且
つ将来の職業生活に対し適当な指導をして、職業を通
して国運の発展に貢献する素地を培養することが出来
る。
 これは、男子についてであるが、高等科女子について
は、この増課時数を全部芸能科家事及び裁縫に当てるこ
とが出来るから、わが国家庭生活における女子の任務を
知らしめ実務を習得させて婦徳の涵養に資することが出
来るのである。

「教科と科目の目的」

 国民学校制では、教材を、皇國の道の修練といふ国民
学校教育の目的に照らして、五教科に組織し、更に、各
教科の下に、教材の性質と目的に応じて科目を設定して
ゐる。五教科の目的については前にも述べて置いたが、
次に各教科竝びに教科に含まれてゐる科目の目的につい
て述べることにする。
 一、国民科の目的 国民科は、皇國の道の修練を旨
とし、特に国民精神を涵養し、國體に対する信念を深から
しめる教育内容を直接の事項として取扱ふ教科である。
 従つて国民科の目的の第一段は、わが国の道徳、言
語、歴史、国土国勢等について習得させることである。
かゝる目的を分担して達成しようとするのが、国民科に含
まれてゐる修身、国語、国史、地理の四科目である。即
修身では国民道徳の実践の指導と児童の徳性の涵養と
が、国語では国語の理会力と発表力との錬成が、国史
は皇國の歴史的展開の理会が、また地理ではわが国土国
勢及び緒外国の情勢についての理会が、それ/"\直接の
目的とされてゐるのである。
 次に国民科の第二段の目的は、第一段の目的の達成に
よつて、特に國體の精華をと明らかにして国民精神を涵
養し、皇國の使命を自覚せしめるといふことである。
 この第二段の目的もまた国民科に含まれる四科目によ
つて分担させられる。
 即ち、修身は皇國の道義的使命を自覚させ、国語は国
民的思想感動を通じて国民精神を涵養することに努め、
国史は皇國の歴史的使命を自覚させ、地理は国土愛護の
精神を養ひ東亜及び世界における皇国の使命を自覚させ
ることを主目的として、一国民科の目的達成につとめるの
である。
 二、理数科の目的 理数科は、国民生活の理知的分野
を中心とし、国民の理知的活動の基礎を錬成せんとす
る教科である。
 従つて、理数科の目的は、
 (一) 通常の事物現象を正確に考察し処理するの能を
    得しめること
 (二) 正確に考察し処理するの能を生治上の実践に導
    くこと
 (三) 合理創造の精神を涵養し、数理及び自然の理法
    を推究する態度を養成すること
 (四) かくて国運の発展に貢献するの素地に培ふこと
    であつて、教授上では、国防が科学の進歩に負ふところ
    大なる所以を知らせ、国防に関する常識を養ふことが特
    に注意されてゐる。
 かゝる理数科の目的は、それに含まれる科目である算
数と理科によつて達成されるのである。従つて算数の目
的は、
 (一) 数・量・形に関し国民生活に須要なる普通の知識
    を得しめること
 (二) 国民生活に須要なる数理的処理に習熟せしめる
    こと
 (三) かくて数理思想を涵養すること
である。
 次に理科の目的は、
 (一) 自然界の事物現象竝びに自然の理法とその応用
    に関し、国民生活に須要なる普通の知識を得しめる
    こと
 (二) 国民生活に須要なる科学的処理の方法を会得せ
    しめること
 (三) かくて科学的精神を涵養すること
に在るのである。
 三、体錬料の目的 体連科の科目は、体操と武道とで
ある。この科目の目的を述べて、次に体錬科の目的を述
べることにする。
 体錬科体操の目的は、
 (一) 体操、教練、遊戯、競技及び衛生を課し心身の
    健全なる発達を図ること
 (二) 団体訓練を行ひ規律を守り協同をたふとぶの習
    慣を養ふこと
であり、体錬科武道の目的は、
 (一) 武道の簡易なる基礎動作を習得せしめること
 (二) かくて心身を錬磨して、武道の精神を涵養する
    に資せしむること
である。
 かゝる体錬科体操と武道とは、科目独自の目的を達成
しながら常に、体錬科の目的の実現を意図しなければな
らない。しかして、体錬科の目的は、
 身体を鍛錬し、精神を錬磨して闊達剛健なる心身を育
 成し献身奉公の実践力に培ふこと
である。
 四、芸能科の目的 芸能科の目的は、国民に須要な藝
術・技能を修練させ、情操を醇化し、国民生活の充実に
資せしめるにある。
 そして、芸能科の教授においては、技巧に流れず、精
神を訓練することを重んじ、真摯な態度を養ふこと及び
我が国芸能技能の特質を知らしめ工夫創造の力を養ふ
やうに力めることが注意されてゐる。
 芸能科の目的を達するために、音楽、習字、図画、工
作が設定され、女子のためには、更に家事、裁縫の科目
が設定されてゐる。
(一) 芸能科音楽の目的は、歌曲を正しく歌ふことを修
   練せしめ、音楽の鑑賞について指導し、国民的情操を
   醇化するに在るのであるが、なほ国民学校制において
   は、特に鋭敏な聴覚の育成に力められることになつて
   ゐる。
(二) 芸能科習字の目的は、文字を端麗に書写する技能
   を修練せしめ文字鑑賞の力を養ひ、国民的情操を醇化
   するに在る。
(三) 芸能科図画は、形体及び映像を看取し、正しくこれ
   を画く能を得させ、且つ鑑賞について指導し、美的情操
   を醇化し、更に創造力を啓培することを目的とする。
(四) 芸能科工作は、物品の製作に関する普通の知識技
   能を得させ、機械の取扱に関する常識を養ひ、工夫考
   案の力を養ふことを目的とする。
(五) 芸能科家事の目的は、わが国家庭生活における女
   子の任務を知らしめ、実務を習得婦徳の涵養に資する
   ことである。
(六) 芸能科裁縫の目的は、普通の衣類の裁縫に習熟せ
   しめ、衣類に関する常識を養ひ、婦徳の涵養に資する
   ことである。
 なほ、家事、裁縫においては、家を斉へて国に報
ずるの精神を涵養すること、礼法を重んじ我が国家庭
生活における醇風美俗の維持発揚に力めしめること、
家事を科学的に処理する態度を養ひ、家庭生活の充実
改善につき指導するとか、節約利用の習慣、工夫考案
の力を養ふこと等が意図されてゐるのである。
 五、実業科の目的 実業科は、農業、工業、商業及び
水産の中、地方の実情に応じて、一科目又は数課目を選
ばしめてこれを課することになつてゐる。この点他の教
科の科目と異つてゐる。
(一) 実業科農業の目的は、農業に関する普通の知識技
能を得しめ、その実践を指導し、わが国における農業
の歴史的意義を明らかにし、農を尊ぶ精神を養成せん
とするにある。
(二) 実業科工業の目的は、工業の大要を理解せしめ、
その一部に関する普通の知識技能を得しめ、その実践
を指導し、工夫考案の力を養ふことに在る。
(三) 実業科商業の目的は、商業に関する普通の知識技
能を得しめ、配給の意義を明らかにし、信義を重んず
る精神を養成するに在る。
(四) 実業科水産は、水産に関する普通の知識技能を得
しめ敢為進取の気性を養ひ海事思想の涵養に力めるを
目的とする。
 以上、実業料農業、工業、商業及び水産の直接の目的
を述べたのであるが、それらは何れも、
 産業の一般を理解せしめ、その一部に関する普通の知
 識技能を得しむると共に、勤労の習慣を養ひ、産業の
 国家的使命を自覚せしめ、国運の進展に貢献するの素
 地に培ふ
といふ実業科の目的を達成しなければならないのであ
る。
 かやうに、各科目は、それ/"\独自の目的を達成する
と共に、教科の目的を達成し、各教料は、またそれ独自
の目的を有しながら、相互に関聯を保つて、皇運を扶翼
し奉るべき皇國民の基礎的錬成の一途に帰一せしめられ
ることになつてゐるのである。

国民学校の教育の方法の刷新

 国民学校の教育の方法が「錬成」であることは既に述べ
て置いたところであるが、国民学校においては教育方法
上、更にどんな点が強調されてゐるかについて述べる
ことにする。
 第一は、従来やゝもすれば、教育が、知識の教授にの
み流れる傾があつたので、これを避けるために、心身と
一体として教育し、教授、訓練、養護の分離を避けるに
力め、皇國民としての統一的人格の育成を期することに
注意されてゐることである。
 第二は、儀式、学校行事等の教育的意義を重んじ、こ
れを教科と併せ、一体とし全校を挙げて、国民錬成の道
場たらしめんとしたことである。
 第三は、学校と家庭及び社会との聯路と緊密にし児童
の教育を全からしめるに力めたことである。

国民学校制度の実施準備

 以上のやうな国民教育の劃期的大改革は決して一朝に
これを行ふことは出来ない。これには周到なる準備を必
要とするのである。これがため文部省としては、直接に
は昭和十六年度からの一般的実施を控へて周到な準備を
行つてゐる。
 教科書の改訂 国民学校制実施の第一は、国定教科
書の改訂である。文部省としては従来時代の要求に適合
するため不断に国定教科書の改訂を行つて来たのである
が、劃期的改革、国民教育の理念の確立による国民学校制
の実施に当り、国定教科書の全面的大改訂に着手した。
 すなはち、昭和十六年度において初等科第一、二学
年、昭和十七年度において初等科第三、四学年、昭和十
八年度において初等科第五、六学年、昭和十九年度即ち
国民学校八年義務制の実施第一年に、高等科第一学年、
昭和二十年度において高等科第二学年の教科書を使用せ
しめ得るやうに目下準備中である。
 国民学校八年義務制は昭和十九年度に始められ、昭和
二十年度に完成するのであるが、国民学校制による教育
は、昭和十六年度から実施されることになるのであるか
ら、新制による教科書が発行されない学年は、現行教科
書を使用して新教育精神による教育を行はなければなら
ないのであるが、これ等については文部省より各学校に
適当なる指示を行ひ、各学校において適宜実施案を作成
して国民学校制実施に即して遺漏なきを期してゐる。
 教員の再教育 教育は、教料書によつてのみ行はれ
得るものではない。教科書に盛られてゐる教育の新精神
と教材を生かすのは、教育者その人でなければならな
い。それ故、国民学校制の実施に当つては、その新精神
を国民学校の教師たるべき者が十分理解体得することが
必須条件である、と言はなければならない。
 そこで文部省としては、直接には新制度の精神を徹底
させるため、間接には教育者としての一般的教養を高め
る目的を以て、全国の師範学校を講習会場とし、師範学
校教員を講師として、国民学校教員講習会を開催し、昭
和十五年度において、各会場、講習員五十人、講習期間
三週間、講習回数七回、全国で約三万五千人の国民学校
教員たるべき小学校教員に、国民学校に関する講習を施
すこととなし、近く本年度の実施は完了することになつ
てゐる。そして、今後数年継続して、現在の小学校教員
総数の約二分の一に対し講習を行ふ予定である。
 国民学校教員講習会において講習を受けた教員が、各
国民学校の中心的指導者となつて、新体制の教育を実施
すべく着々とその準備が進められてゐるのである。

結論

 以上昭和十六年度から実施さるべき国民学校制につい
て、制度の上からと、教育の内容の上からの両者から見
た特質、改正の要点等に就いて述べた。
 かゝる教育の新体制は、独り直接教育の衝(しよう)に当るべ
き教育者のみの力によつて、その目的を十分に達成し得
るものではない。国家の真に有能な後継者、皇運を扶翼
し奉るべき忠良な国民の育成は、全国民の義務であり責
任である。全国民は、その子弟を一定期間、国民学校に
就学せしむべき義務を有するのみでなく、更に、その子
弟は勿論、若き世代を、真の国民として教育すべき義務
と責任を有するのである。国防国家建設のため国民皆兵
であると全く同じ意味で、忠良有能なる後継者養成のた
め国民皆教育者でなければならない。常に有為忠良な後
継者の養成を意図し、且つそれをなし得る国家にして始
めて永遠に存続発達し得るのである。
 国民普通教育の劃期的大改正ともいふべき国民学校制
が近く実施せられんとするに当り、全国民が国民学校当
事者と協力されて、その目的を最高度に達成されんこと
を切望するものである。最後に、全国民は、全国民の力
で、次代を担ふべき若き国民後継者を教育しなければな
らない。そして全国民の無言の率先垂範こそが、最も有
效適確の教育的方法であることを一言したい。