第二二一号(昭一六・一・一)
  事変第五年を迎ふ        内閣総理大臣公爵 近衛 文麿
  大政翼賛運動の進路       大政翼賛会
  大政翼賛会事務局各部局の解説
  支那事変の現況
  事変第四年海軍作戦の回顧
  国際政局回顧と展望(上)     外 務 省
  日泰友好和親条約批准交換
  邦人の海外発展状況(上)     拓務省拓南局
  前線から銃後へ         現地軍報道部提供
  野戦のお正月料理        陸軍糧秣本廠

 

野戦のお正月料理        陸軍糧秣本廠


  征野の初日に祈る

 一夜明けて、砲煙のうちに、こゝ
戦場にも新らしい年は訪れる。
 兵隊達は身も心も固く緊きしめ
て、ほの暗い中に銃剣を冷たく光ら
せながら整列し、遙か宮城を拝し
て大元帥陛下の聖寿万歳を寿ぎ奉
り、一層の忠誠をお誓ひ申し上げ
るのである。
 東方の空から初日が上る。征野の
初日は又、日本そのまゝの輝かしい
姿に似て、感じ易い兵隊達の心を打
つものだ。
 君が代の国歌は支那全土の空気に
充ち拡がり、万歳のどよめきは新ら
しい支那の息吹きとなるかのやうに
思はれる。しかし、前線の正月に
は、温かい炬燵も、うれしい年賀状
も、カルタ会や、追ひハネのさんざ
めきもない。勿論三ケ日の休みなど
は思ひもよらぬことだ。

  元旦に支那人の葬式

 我が軍の占領地域における或る部
落での話。兵隊達が元旦のお雑炊等
の準備に、心喜しくはしやいでゐる
と、町の方で、部落民が笛や太鼓を
鳴らしながら行列して来るのが見え
る。旧暦の正月しか祝はない支那人
が、さては日本軍に誠意を示して、
新暦の正月を祝つてゐるのかなと思
つて、よく見ると、さに非ず、それ
は支那人の葬式の行列であつた。
 支那人にとつては新暦の正月は全
然問題にならないのである。したが
つて、かうした日に敵の逆襲が好ん
で企図されるだらうことも考へられ
る。兵隊達は武装のまゝ、銃を握つ
てさゝやかな、しかも楽しい正月を
迎へるのである。

  正月に暑中見舞

 戦地の正月には年賀状は来ない。
来ても間に合はない。銃も凍るばか
りの寒い正月に暑中見舞を貰うこと
も決して珍らしいことではない。年
賀状が雪もとけ、春の気はひが大地
のぬくみに感じられる頃になつて、
やうやく届くことが少くない。
 前線では正月のお餅の到着を一日
千秋の思ひで待つてゐる。ところが
後方からの通報では十二月の中旬ま
でには到着の計画になつてゐる。が
暮の二十九日、三十日になつても未
だ来ない。三十一日になつて、血走
つた眼をした運転手に運転された自
動車でやつと餅が到着した。聯隊長
以下思はずドッと歓声を挙げる、
責任者の主計将校あたりは相応して
泣いてゐる。といつたやうな話はし
ばしば耳にするのである。
 移動中の部隊とか、交戦中とかそ
の他の理由で正月の糧食が間に合は
ないことも多い。

  故郷の料埋

 前線には娯しみらしい娯しみは何
もない。強ひて娯楽といふならば、
食べること位なものであらう。色彩
といつてはカーキ色の軍服と武器、
土、雪の単調さ、それに兵隊の衣食
住はといへば、汗と泥と敵の返り血
でドロ/\になつた服、爆撃されて
雨雪の吹き込む家や露営---今日は
山に寝て明日は野に伏す佗びしい
住ひである。
 結局、衣、住の楽しみに対する慾
望は、そのまゝ食べものに集中され
る。上は白髯の老将軍から若い紅顔
の兵隊まで、食べる時の元気さ楽し
さ、食べることに対する感激は到底
銃後の人達にはわからないであらう。
 だから、正月には、何はおいても
正月らしい食べものを戦線一帯に送
つて、ふるさとの味と匂ひを十分に
たのしんで貰ひたいと思ふ。
 陸軍糧秣廠では、毎年前線に正
月のお餅やいろ/\の御馳走を送る
やうにしてゐるが、今年は丁度四回
目。戦線も前に比べては幾分の余裕
が出て来たので、こちらでつくつた
お餅よりも、搗(つ)いて食べる楽しみを
と、糯米を全戦線に送つた。器用な
兵隊は見る間に杵(きね)をつくり、臼らし
いものを拵らへるし、かけ声も勇ま
しくかはる/"\餅をつき、競争でち
ぎつたり丸めたりする楽しみは又格
別であらうとほゝゑましい。昨年、
一昨年は内地で拵へたものを送つた
が、黴させないためには大変な苦労
がいつた。
 お餅が出来れば、今度は正月料埋
で一杯といふところであるが、正月
料理といつても戦場では何も出来な
い。それで、やはり糧秣廠でつくり
た小判形の大きい缶詰につめられ
て、小さいけれどもびんと尾頭を張
つた鯛の焼ものや艶やかな黒豆や、
うこん色の金とん、それに数の子、
昆布巻、田作が一通り揃つてゐる。
 これが一箇づゝ渡つた時の兵隊達
の喜びやうは、大へんなものである。
 平たい缶の衣面には、毎年銃後の
気分を表象したレッテルを貼ること
にしてゐるが、今年もレッテルが貼
られて行つた。
 右の口取缶詰の外、比較的後方で
余裕のある所には数の子、昆布巻、
黒豆、田作、するめ等が材料のまゝ
送られてゐる。これらは器用な兵隊
さん等によつて立派な正月料理に出
来上るのである。なほ乾柿、蜜柑、
林檎等も送つてゐるが、これらの追
送がまた一苦労である。乾柿が出来
るのが内地でさへ正月に間に合ふの
にぎり/\一杯である。これを前記
のやうな不便な前線まで送らうとい
ふ。だから大変であり。蜜柑にし
ろ、林檎にしろ、送る先は北は黒龍
江のほとりから南は仏領印度支那ま
でである。
 北の方は零下五十度の厳塞であ
り、南の方は夏服のシャツ一枚で過
ごす正月である。とんな所まで来ら
ないやうに、腐らないやうに送らう
といふのだから、その困難さは想像
に余りがある。
 かうした御馳走のほかに、勿論、
その場所によつては戦地の材料を生
かして御馳走を拵へもする。迷ひ子
の豚や鶏、抜き忘れた大根などは、
すぐ煮染や、おいしい汁やお雑煮の
材料になるわけだ。
 お屠蘇はやはり、正月にはなくて
ならぬもの。内地から---それもそ
の部隊になじみ深い土地の酒が、瓶
詰になつて送られて行く。

  物いはぬ戦士にも

 もういくつ寝れば正月だ、と忙し
い進軍の合間にも兵隊達は無量の
感慨を以て新らしい年を迎へようと
する。
 そして、銃後の我々が家の内外を
清め、衣服を整へ、心身を清めて新
年を迎へるやうに、兵隊も又、忙し
い中にも特に自分の半身であるとこ
ろの銃器には十分の手入れをし、衣
服も出来るだけ整へて髭も揃へる。
 タンク、飛行機、砲、機関銃は戦
場では兵隊と同じく生きてゐる英雄
である。
 したがつて、自分と共に正月を迎
へる何物にもかへがたい武器に、筵
や縄をほぐした藁で〆縄をかざり、
松を配して、「今年も又働いてくれ
よお前」となでながら乾杯するのだ。
砲弾の莢(から)や破片は、そのまゝ柳や常
緑樹の花活けとなり、有合せの器に
餅も供へられる。
 屯営の入口には、附近から取つて
来た松や竹で門松が思ひ/\に立つ
てゐる。いつのまにか太い〆縄や、
代用品揃ひの〆飾も出来る。南支あ
たりに行くと、〆飾りの橙はよくザ
ボンや、椰子の実で代用してゐる微
笑(ほゝゑま)しい風景が見受けられる。かうし
て何もかも一通りは揃つた。
 軍馬、軍犬、軍用鳩などの、物い
はぬ戦士達も、正月はやはり楽しみ
であることは、兵隊と変りはないで
あらう。弾丸の雨と散る中を、一身
を惜しまず前進するこれらの動物達
のいぢらしさ。兵隊が愛し慈しむこ
と想像以上のものがあるのも、また
当然である。
 これ等物言はぬ戦士にも、正月は
特に御馳走が配られる。馬などは格
別おいしい麦や、香り高い乾草も十
分食べられるし、一番好きな「塩」も
なめさせて貰へるのだ。
 兵隊の御馳走と共に糧秣廠が送る
「軍馬栄養食」までおまけがついて、
馬などはひん/\と元気よく鼻をな
らしてむさぼり食ふ。

  限りなき前進

 しかしながら、こゝは前線であ
る。次の瞬間、命令一下前進は開
始され、激烈な戦闘がくり拡げられ
ることも勿論戦ひの常といはねばな
らない。次々と限りなき進軍に移る
部隊もある、或ひは雪をからくれな
ゐに染める兵もあらう。
 やがて、水はぬるみ、梢の若芽は
ふくらむとも、東亜の新年はまだま
だ遠い。来るべき春を阻む結氷は我
我の血と熱を以て、融かすより他に
手段はないのである。

    ---- 陸軍糧秣廠 ----