第一九二号(昭一五・六・一九)
  欧州戦争の展望
  ドイツ軍に対する観察       陸軍省情報部
  欧州戦争に於ける海上作戦     海軍省海軍軍事普及部
  伊参戦とパリ開場         外務省情報部
  襄西作戦の経過          陸軍省情報部
  現地に軍律施行
  神武天皇聖蹟の調査        文 部 省
  実例に見る貯蓄報国        国民貯蓄奨勅局
  東京下関間新幹線の増設      鉄道省幹線調査課
  友好和親条約と日泰関係      外務省情報部
  ノモンハン国境確定の申合せ成立 

  紳武天皇聖蹟の調重
               文 部 省

                               ▲ し1一′ヽ
   文部省に於ては、紀元二千六官年拳銃曾の委嘱に依少
  血施行中の帥武天皇生類の調査に閑して、眈に登る二月七日、
  四月】日及び五凡三色の三岡に五つて、その締典を奉祀合
 に岡付したが綜憎七茫盛椚宗綜〜如畑」頭山批柁謝舶Y今般更
  に次の五件の聖既について調査む未了し、決定したので、
 六月六日に調査の結果を奉祝曾に同付したが、その概嬰は
  左の通りである.なは以上で空鎖の決定を見たものは十七
  件に達する.
          ★−く士−の▲U・b
 紳武天皇聖鎌名草邑.推考地
              かい■モ・’
   筋金地 和歌山願海軍那、和歌山市
                       ● み ■†l’  f土
   地鮎地域 海草郡安原柑及び和歌山市紀三井寺町に跨が
         ● く▲一
    る名革山附近
          ●くtのhV,●
   神事拙 名革邑は、日本書紀に操れば、紳武天皇が御
         灯 r                 小一一●▲‡
    東征の際戊牛年ハ御即位前三年)六月鼻軍を率ゐて篭山





               ●くl▼l■ヽ → ち●1丁
 ‥より此虚に到町給ひ、名草戸呼を誅⊥給ケ売掛であ・
    る●
          lヽ 々
 紳武天皇聖攻準野
               †VrVぐ▲一−
 新鹿地 和歌山将新甘市
         ▲‘ の
  地鮎地域 佐野の魂
         l■ ▲
 御事繊 狭野は、日本雪町に撮れば、神武天皇水神東
       け− r
  柾の際戊牛年ハ御即位前三年)皇軍を率満了態墟管た
 節せ、此虚より肺酢耶郎に向催せ給うた署音甘
        く◆●々の小ふみむ,_
 紳鹿天皇聖壌解野紳邑
               しんぐ・’
  所産地 和歌山願新宮市
         しんぐ・ウ
  地鮎地域 新宮の速
        くユ▼凸のか▲のんV一_
  神事繊 熊野紳邑は、日本書紀忙操れば、紳武天皇が・
        ば r・             ‡ ▲.
   抑東征の際戊牛年(御即位前三年)鼻草鞋率ゐ秋野を‥沓
   えて到り給うた朗である.
               く▲丁凸の▲X▲■
   盲事記には、天皇が熊野柑に到り給うたとある.
              の山V・り
 帥武天皇聖稗♯免出奔邑
            1 ガ 与 が.L
  新鹿地 奈良蠍宇陀郡宇賀志村
            1 〃 L
  地鮎地域 大字宇賀志の遽



        I だの−小もの」Vら
  神事額 菟田穿.邑は、日本書紀に操れば、紳武天皇
     灯 r         ひの」▼みのふ■■▲■ みもの●身のふこと
   が戊半年ハ御即位前三年)日臣命(逆臣命)む皇革
           ● た〃らナ ▲モ●Iだ▲′
   の浄として、頭八噸鳥の塘導に依り、熊野より山む
    ∫ ▲ひ一■
   山桁み番いて遽に達し給うた朗である.
           1し 凸   ▲ ▲ノが     l′ だ
   盲事記には、青野より踏み穿ち魅えて宇陀に到り給う
        − だ ▲′小・●
   たので、宇陀の穿といふとある.
        いはれ の▲V■■
 神武天皇聖疎磐金員推考地
           し ● tく▲■▲  ・l 一  小 r・●●●
  併亜地 奈良願機械郡操井町、安倍村、香久山柑

 地新地域 捜井町大字谷の背金山及び井の南の丘陵附近
                 か ぐ ●▲∫
  より安倍村大字池之内及び香久山材大字池尻附紀に亙
  る地域
       いはれ のむ♭                 ■
 神事錬 磐余邑は、日本書紀に壊れば、.紳軋天皇が戌
   r l し ●    ・托,.打つ
  牛年ハ御邸位前三年)十一月見破城の軍を御討伐忙なつ
                      ‥レ†,●●ん
  た時、皇軍が賊軍を破つて共の地に充満した朗であ
       いは
  つて、「満む」から其の名を得たのである.