第一八八号(昭一五・五・二二)
  低物価と利潤統制         陸軍省経理局
  事変下に海軍記念日を迎へて    海軍省海軍軍事普及部
  神武天皇聖蹟の調査        文 部 省
  日本語の大陸進出         文部省図書局
  独軍の蘭白進撃戦         陸軍省情報部
  欧州戦争の進展と蘭印問題     外務省情報部
  特別寄稿 二千六百年史抄(一四)  内閣情報部参与  菊池 寛

事変下に海軍記念日を迎へて  海軍省海軍軍事普及部

     一

 こゝに光輝ある海軍記念日を迎へること既に三十有五
回、吾人は年々歳々本月本日を迎へる毎に、そゞろに往
時を偲び、千古不朽の武勲を回想し無限の感懐を禁じ
得ないのであるが、本年は時恰も紀元二千六百年に際
会し、しかも事変第四年に当つてこの日を迎へ、感激一
入(ひとしほ)新たなるものあるを覚える。
 顧るに、明治三十八年五月二十七、八両日に亙る日本
海々戦におけるわが聯合艦隊の大捷(たいせふ)は、同年三月十日陸
の一大決戦たる奉天大会戦の輝く戦果をいよ/\決定
的なものとなし、急転直下平和克服をもたらす要因と
もなつたのである。かくて帝国は、帝国の存立を危殆な
らしめる露国極東侵略の一大脅威を芟除し、東洋平和の
基礎を確立することを得たのである。
 そも/\日本海々戦は、古今東西未曾有の大決戦であ
り、しかして皇軍の大捷に帰した未曾有の一大撃滅戦で
もあつて、真に皇国の興廃を一挙に決したものであるこ
とは万人の斉しく知るところであるが、更にわれ/\は
万一本海戦の勝敗があべこべになつたとしたら、果して
どうなつたであらうかを考へて見なければならない。恐
らく日露戦争の結果は勿論別のものとなり、更に爾後の
世界史は全然異つたコースを辿るに至つたであらう。
 こゝにおいて、われ/\は旗艦三笠の檣桁(しやうかう)に飜(ひるがへ)つ
た、かの「皇国の興廃此一戦にあり各員一層奮励努力せ
よ」との不朽の信号(Z一旒)が、いよく千古不滅の光
を放ち、万世に亙つて深遠なる意義を蔵する所以を一層
明確にさとり得るのである。しかして此の一戦、撃滅の
效果は、たゞにわが帝国をして当時の危機を脱せしめ、
以て祖国を富岳の安きにおいたばかりでなく、実に永遠
に皇國の隆運を決定し、約束したものであつた。
 明治三十八年五月二十七日は、恰も百年前トラファル
ガー海戦の日に、英国の大帝国たるべき運命が決せら
れたやうに、東洋の爾(さいじ)たる島帝国日本が、一躍世界の
海国大日本となつた日である。かくて帝国海軍は露国海
軍を蹴落して自ら世界の六大海軍国の一に列し、日清戦
役の捷利によつて世界から僅かにその存在を認められた
帝国は、漸く東洋における唯一の近代国家として世界の
檜舞台に登場することになつたのである。しかも帝国
はこの大捷の結果数年ならずして、由来東洋平和の癌で
あつた韓国を併合してその禍根を絶ち、新たに大陸発展に
乗出すこととなり、やがて躍進日本今日の素地を作つた
のである。五月二十七日を以て海軍記念日と定められた
所以もこゝにあるのあつて、たゞに海軍記念日たるの
みならず、又わが国民の一大記念日と称するに足るもの
である。

      二

。そも/\海軍記念日を定め、戦捷を記念するといふ趣
旨は、これによつて海軍の士気を振作し、軍紀の緊粛、
軍容の整斉を企図し、海軍軍備の完璧を期するにあるの
は勿論、更に邦家の前途を祝福し、その隆昌発展を無
窮に期待するために外ならないのであるが、今や皇国未
曾有の大事変下、しかも更に新たなる国難来さへ覚悟
しなければならない現下の世界的危局に際し、国民記
念日たるこの海軍記念日は特に意義深いものがあり、わ
れわれに更に一段の反省と奮起を促すのである。
 この一大撃滅戦は戦史に明記されてゐる通り、五月一
十七日払暁、わが哨艦信濃丸が二〇三地点に敵艦隊の北
航するを発見したのに始り、対馬海峡の南方より松島、
竹島附近に亙る約三百浬の大海面において、翌二十八日
日没後まで二日間に跨(またが)り、昼夜連続各方面に戦はれた
ものであつて、その間彼我艦艇の砲火む交へた合戦は、大
小十ケ所に及んだのであるが、決戦の正味時間は、僅か
に会敵当初の三十分に過ぎず、後の戦闘は大体追撃戦と
なつたのであつた。即ちこの千古未曾有の大海戦の火蓋
が切つて落されてから僅かに三十分で勝敗の数が定ま
り、この一戦の輝く戦果が、皇軍の大捷を以て日露戦役
の幕を閉ぢると同時に、皇國永遠の運命を決定したので
あつた。これこそ真に一大驚異といふべきである。
 しかしながら、当年東郷司令長官の幕僚だつた故秋山将
軍が、後日「されば海戦の決勝は僅かに三十分にて獲得
さるゝも、此に至らしむるには十年の戦備を有するもの
にて、即ち取りも直さず連綿十年の戦争といふべきなり。
此の十年の経営の大戦争において、皇軍が海に陸に連戦
連勝し得たること皆是れ明治天皇陛下御威徳徳の致す
所なり」と述べてゐることは、特にわれ/\の銘記しな
ければならない所である。即ち「功の成るは成るの日に
成るにあらず、必ず因つて来る所あり」とは常に至言た
るを失はないのである。

      三

 彼の日本海々戦における曠古未曾有の大捷が、単なる
天佑神助や僥倖によつて獲得される筈はないのである。
至誠神の如き東郷長官は、畏くも 明治天皇の下し給へ
る優渥(いうあく)なる勅語を拝して恐懼感激「此海戦予期以上の成果
を見るに至りたるは、 陛下御稜威の普及及び歴代神霊
の加護に倚(よ)るものにして、固より人為の能くすべき所に
あらず云々」と答へまつつたが、また御稜威の下、忠勇義烈烈
なわが艦隊将兵が、東郷司令長官を全軍の中心として、善
謀勇戦、奪戦力闘これ努めたお蔭であり、更に又当時の
全日本国民が、国を挙げて烈々たる義憤に燃えつゝ、悲
壮な決意の下に能く臥薪嘗胆十年の忍苦に耐へて、比
類なき挙国一致の実績を顕揚し、老幼男女の別なく、鉄
火の一丸となつて強露にぶつかつていつたお蔭に外なら
なかつた。
 また戦備の点においても、当時の如きわが国の財政状
態を以てして、よく戦前短年月の間に、六六艦隊即ち六戦
艦、六装甲巡洋艦その他を整備充実して、日本海々戦に
おいて、敵の戦艦八隻、装甲巡洋艦一隻、装甲海防艦三
隻に対し、我もまた戦艦四隻(前年五月初潮、八島二艦を喪
失)装甲巡洋艦八隻、計十二隻を主力として彼に対抗し
得たことは、明らかにわが戦捷の要因であつたと云ひ得
るのである。この間当時の国民が挙つて滅私奉公、進ん
で之が負担に応じた国民的努力の尋常でなかつたのは今
更いふまでもなく、また当時わが軍政当局の苦衷の程
も察するに余りありといふべく、日露開戦に当りイタリ
アから日進(亜艦モレノ)、春日(亜艦リヴァタヴィア)の二
艦を急遽購入し、両艦は宣戦後六日にして早くも横須
賀軍港に到着、逸早く戦列部隊に入つて旅順口の攻撃に
馳せ参じた如きは、正に惨憺たる経営の一端を如実に物
語るものといへよう。
 かくの如く当時のわが国内は、実に文武一致、官民一
体、朝野を挙げて鉄火の一丸となつて猛然として強露に
ぶつかり、しかして遂にこれを粉砕したのであつた。
 これとは正反対に、当時露国の国内は夙に多数の党派
に分裂して収拾すべからざるものがあり、官民といはず、
文武といはず、軍民といはず悉く不一致であつて、そ
の混乱は実に名状すべからざるものがあつたのである。
 かくて日本海々戦の敗報一度露都に伝はるや、言論界
は一斉に政府糾弾の砲列を敷き喧々囂々たるものあり、
ノウォエ・ウレミヤ紙などは「何が故に敗戦したるかを
問ふものあらば、吾人は官民の不一致こそその最大の原
因なりと云はん。かくの如き大敗は蓋し天下にその類を
見ず」とまで痛罵したのであつた。果して然らば、彼我
勝敗の数は戦はずして既に明らかであつたといふべきで
ある。われ/\は海軍記念日を迎へるごとに、日露戦役
の当時、われ等の祖先先輩によつて示された偉大な挙国
一致の姿を追想し、軍官民一致、文武協力がいかに大切
であるか、銃後の力がいかに偉大大なものであるかを三思
することを断じて忘れてはならない。況んや近代の戦争
は周知の通り国家の総力戦であつて、独り武力だけでな
く、政治に、外交に、経済に、思想に、あらゆる方面に
国家の総力、全知全能を傾注しなければならないのが現
実である今日において、銃後の結束、挙国一致体制の強
化を切要とすることは到底往時の比ではない。

      四

 今や支那事変は第四年に入つて皇軍の武威いよ/\振
ひ、赫々たる戦果を保全して一面戦闘、一面建設の途
上にあり、且つ新支那中央政権既に樹立されて我に協
カ、東亜新秩序建設の責務を分担するに至つたとはい
へ、事変処理の前途はなほ遼遠で、帝国を繞る国際情勢は
楽観を許さないのみか、太平洋の波立騒がんとする気配
をさへ感知される現状である。加ふるに、欧州の戦乱は
ます/\拡大の兆(てう)を示し、やがて戦禍の東亜に波及する
ことなきを必ずしも保し難い情勢にあるのである。かく
の如く、わが国は支那事変といふ未曾有の大事変、大戦
争に従事しつゝ、しかも世界的危局に直面して、更に新
たな国難来をも覚悟しなければならない立場にあるので
あつて、挙国一致、堅忍持久を切に必要とすること実に
今日に過ぐるものはないのである。
 わが国は明治維新以来日清、日露の二大自衛戦に従事
したとはいへ、前者は僅かに九ケ月、後者もまた僅かに
一年七ケ月を以て終結し、その戦費においても前者の二
億円余、後者の十五億円余を算するに過ぎないのであつ
て、到底今次の支那事変はもとより、将来生起すること
あるべき戦争の場合とは比較にならない。即ちわが国民
は、これを以て長期戦に経験を有するものといへないこ
とは勿論、また国家の総力戦たる近代戦の惨憺たる体験
をもつものであるともいへない。これがため、やゝもす
ればわが国民中の一部には、現下未曾有の大事変下、若
干の物資の不足、国民生活の不自由に対して十分な理解
を有しないものもあるやうである。
 しかしながら、皇師百万聖戦に従事すること既に二年
有半を閲(けみ)する今日、若干の国内物資の不足、国民生活に
対する多少の不自由は、寧ろ当然過ぎるほど当然のこと
であつて、このことは独りわが国のみならず、世界を通
じて近代国民の常識でなければならない。
 こゝに意義ある海軍記念日を迎へてわれ/\国民は、
更に一段の反省と奮起を切要し、三十五年前われ等の
祖先先輩に恥づることなき挙国一致の戦時体制を、いよ
いよ強固にしなければならない。