第一七三号(昭一五・二・七)
  第七十五回帝国議会に於ける国務大臣の演説
  日米通商航海条約失効       外務省情報部
  電力調整令の発動          電 気 庁
  海上警備の艦船           海軍省海軍軍事普及部
  第七十五回帝国議会に於ける国務大臣の演説
   内閣総理大臣
   外務大臣
   大蔵大臣
   陸軍大臣
   海軍大臣
  二千六百年史抄 (一)  神武天皇の御創業   内閣情報部参与 菊池寛
  紀元二千六百年記念公債と貯金
  第二回 思想戦展覧会開催のお知らせ

 

畑陸軍大臣の戦況説明

 蘆溝橋畔に於きます日支間に釁端啓かれて以来二年有
半、今や我が軍の占拠地域は既に帝国全土の二倍半に余
り、支那軍に与へましたる損害は実に無慮三百万に達
したのでありま
す。武漢広東の
失陥後は支那軍
隊の戦力も、開
戦当初に比しま
して、四分の一
以下と推定せら
るゝに至つたのでありますが、爾来彼は陸空両軍の全面
的再建を呼号致しまして、最近に至り其の整編完了を称
へて居りまするが、実際の戦力に於きましては、屡次の
戦績の示すが如く、到底皇軍に敵すべくもないのであり
ます。併しながら抗日政権の執拗なる抗戦意志と、支那
を繞る機微なる国際情勢とは、将来聖戦完遂の為めに更
に幾多の難局を突破しなければならぬと考へられます。
之が為めには内国内の総動員態勢を更に強化致し、外に
向つて国家の総力を統合発揮しなければならぬと考へる
次第であります。
 只今から昨春の南昌攻略戦以来、最近迄の主要作戦の
概要を、月日を逐つて申上げたいと存じます。

    〇南 昌 攻 略

 中支方南に於きまする我が軍は、敵四月攻勢の機先
を制しまして、三月二十日頃から行動を開始し、第九戦
区副司令羅卓英の指揮致しまする約二十個師を撃破致
しまして、三月二十七日南昌を攻略したのであります。

    〇襄 東 作 戦

 次いで第五戦区司令長官李宗仁麾下の二十九個師に対
し、軍は五月初頭より行動を開始致したのでありますが、
本作戦は従来とは其の趣を異に致しまして、所謂要地占
領ではなく、敵軍主力を捕捉殲滅することが目的であり
ましたので、作戦は此の趣旨に基づきまして指導せられ、
行動開始以来僅々二週間足らずにして、本作戦は完全に
其の目的を達成致したのであります。

    〇汕 頭 攻 略

 汕頭は広東攻略後に於きまする敵の対外連絡の要点と
して、潮韶公路、是は潮州、韶州道であります.潮韶公
路を経由して相当多量の軍需品を輸入して居つたのみな
らず、南洋華僑の同地に送金する額も莫大なるものがあ
り、敵の抗戦力培養の主要源泉でありましたが、我が軍
は海軍との緊密なる協同の下に、六月二十一日未明、汕
頭港口附近に上陸を敢行し、大なる抵抗を受くることな
く同地一帯を攻略致しまして、引続き二十七日には潮州
を占領したのであります。

    〇江 南 作 戦

 岳州−南昌間我が前線当面の敵、第九戦区薜岳の指揮
する約四十万に対し、襄東作戦と同じく、是が捕捉殲滅
を企図致しまして、軍は九月中旬より行動を開始し、僅
僅旬日にして浙_鉄道北側一帯の地区を席巻し、狼択彷
くんト・・
和する竣敵を江蛸、湖絹布塊の山爪地帯に包拘掛滅致
しまして、佗大なる和北を収めて、何方何に於きまする
  しゆんど・〜     ′†† l・
敵の水利を完全に封鎖し、崩壊の一途を辿る抗日支那の
武力に封し、痛撃む加へたのであります.

    〇南 寧 作 戦

      たの              し†だん
 敵が故後の悼みと致します乙西南補給連絡を遽潮し
            てつつさ
て、枕口滞政権に一大繊槌む加ふる目的をもちまして作
戦む開始致しましたる軍は、十一月十五日未明、海軍と
の緊郷なる協力下に、突如暴風を胃して北海滑岸欽州潤
附近に壮烈なる敵前上陸を敢行し、敵の抵抗む排除しっ
            ● つr.汀†
つ防城、欽州粥願城む矢僻卑に我が手に収め、直路北上、
途中随朗忙頭強なる抵抗を繊くる敵を撃滅しっ1、二十
四日午後二時早くも先頭部陳は株南の婆衝でありまする
同率城に衆人し、北海沿岸敵前上陸以来僅々十日、坪く
l
什α
日章h壌は鹿西の奥地に一嘲り、李宗仁、白山崇・碍等の抗日仙滑
領が聾む大にして宜侍是れ一努めましたる鹿西の焦±戦略
           は一●く
も、皇軍の神速破竹の進撃の前には全く睨む覆ふの収な
かちしめたのであります。爾後軍は−部の兵力むもちま
▲可に一大決戦を遽行中であります●

    ○庚東北方地直に於ける嘲滅朝

                       川一・‘、一ん‖■つ
 此の作戦も▲井の目的を普面の敵軍隊の捕捉増滅に‥置き
して、十二月二十−日速く川怖印団塊
の龍州、鋸南閲に派潰し、軍事藷施
設む破壊し、且つ兵器…弾簗ガゾyy
              ろく▲り′ヽ
その他莫大なる軍需品を由獲して、
故に抗日支那最大の輸血路遮断の完
遽を見たのでありまして、本作戦の
敵側に輿へましたる物心雨而の打撃
は、蓋し痛烈なるものがあると存ず
るのであります.之が一環め敵は二十
数個師の兵力む集結致しまして南寧
杏同を来し、執拗なる一讃動転試みた
のでありまするが、軍は絶えず果敢
たる反撃を加ふると共に、澱近に於
き、ましては是が増滅を糾し、此の方
支部事攣主要作戦址に敵の現況磐樹
昭和卜朗吟さ季山

                 し●ん′I▲7

まして、軍は敵が冬季攻勢の蠢動の機を捉へまして、十
二月二十四日粤漢鉄道沿線、従化及び増城三方面から一
斉に行動を開始し、敵の・照糊なる教練岬地を突破しっ\
吸口後には早くも翁瀕Iニ確率女性の線に進出、次い
で戊帖を致しまして、狼糾川和する確敵に封し術在に批
快なる包桝職滅恥を展開し、敵が一年の日子む費しまし
て椛敬致しましたる緊岡なる帖地及び軍事施設放びに莫
    ●−1フちく



             くわいカツ ろ くわく
大なる塊純軍管州を悪く浪滅由捜し、僅々二過日忙し
て赫々たる戦果を収め、1月上旬に本作戦は終了致した
のであります.

    〇敵攻勢駆確
 立で敵の所謂「反攻作戦」と之に封する我が反撃の状況
 を取溝めて申上げます.
                    ■− ′か
 敵は内忙は軍民の士菊を鼓舞し、外には援薄諸岡忙焦
の範囲む晩しません・所在に我が軍の猛反撃む受けまし
て、何れも浪滅し去つたのであります.併し所謂冬季攻勢
に放きましては、その規模址びに企周は相常積柚的なも
のがあるやうでありまして、昨年六月以降賓確致し、乏し
たる支那軍の第二期薮航略J沌了し、之が成瀬に封する過
信もあり、且つ新中央政碓攣止運動の進展、六中仝曾前後
より表面化致しましたる釆駐政府部内に放ける和中範鎚
                 l■− ぐ ”ソ ●・ん
の牌破、抗戦前途に封する危惧の繍攣列図の授滞冷却
等、その客観的情勢の逐次退化の傾向に向ひつ1あるに
            はんくわい
直面致しまして、是が挽同の婆切資なるものがありま
すので、重駐政府は右諸情勢の挽岡の食め、この冬季攻勢
に大なる期待を持ちつ1あつたもののやうであります.
              、 ●んみづ り・
射ち敵は昨年の十月中旬傾から隠密裡に坤備を進めつゝ
あつた模様でありまして、中立方南、特に満水の下流及び
青陽附近を重鮎と致しまして、十二月上旬から中旬に亙
り北支、中支、南支各方面概ね一斉に町撃を開始致した
         こん‥し
のであり恵す.今次の攻勢に常りまして、蒋介石は、日
本軍の進攻能力眈に滑磨し、之に反し耗軍の再撃冗域せ
AV
QW
りと螢し女して、山岬謂守を轄じて攻と馬す血相好の横合な
りと激軌訓示して揺ります.併し敵軍の兵力配韓資材の
咋備等から推断激しまするのに、今次攻勢を以て敵の朗
謂割期的紙反攻作戦とは認め得られないのであります.
それはそれと致しまして、兎に角最初出撃しては見たも
のの、敵軍目下の資力を以てしては、重度政府の期待に
反し、各方面とも我が鱗槌的猛反撃を受けて多大の揖宰
穀蒙り、篤めに攻撃力は逐次頓挫しっ1ありまして、今後
局部的には何ほ執拗なる攻撃を反復する僻もありませう
が、音質的には前周数次に亙る敵攻勢経度の範囲を出で
ずして終るものと竣想せらる1のであります.

   〇満ソ蒙図境の状況

 攻に満ゾ蒙国境の状況に付て∵曹口附加へたいと存じま
す.
 彼のノモソハソ事件は、五月十−日国境の不明確な
るノモソハソ附近に於きまして、ソ蒙軍が滴軍に封し、
                          、▲・・lん
不法攻撃む行ひましたるに埼を蟄し、南筏僻遽不毛の
地方ではありまするが、一閃東軍は一周境防衛の絡封的一妥
求から、数次のソ蒙軍の攻撃を撃温し、遽に七入雨月
に亙り、ハル小河畔に於きまして大部隊を以て激戦を
交ふるに至つたのであります.併し九月に入り停戦の気
運を見、同じく十六日遽に停戦協定の締結を見るに至つ
                          しんち−▲く
た次第でありまして、爾後現地交渉は凰滴に進捗し、固
                             くわく
領面は平穏に経過しっ1あるのであります.併し国境剥
†・い
定に付きましては、相首の困難を濠想せらる1のみな
らず、国境の他の部分に於きまするソ聯例の不法行馬
は、依然として共の跡を絶ちません.ノモソハソ停戦協
定成立以後に於きましても、既に数十件を算へて居る状
況でありますから、我が方の封ゾ蒙監硯は、依然とし
     ▲_くわん                   汀.し.イん
て少しも弛緩を許さないのであります。山関東軍は俄然た
                       ●↓いしん
る態度を以て、引続き国境瞥備の重任に消進して居るの
であります.
・伺ほ最後に此の際二言申上げたいと存じまするが、我
が皇軍が事攣常初より連戦連勝、赫々たる武勤を樹てつ1
山7
爪さ

                           ん い っ
ありますることは申す迄もなく上 大元帥陛下の御竣成
の然らしむる朗ではありまするが、下銃後図民の熱烈な
る後援に保つ研誠に大なるものあるを確信する次第であ
ります.卸ち特に此の度の報奨に放きましては、放つて
           ふ“▼
居りまする者は督に前線の欝隊に止らずして、一億同胞
●ヽ一r
壌つて此の聖戦に参加致して居るのでありまして、第一
線の将兵は、銃後に執紬を柁げつゝある研の全図民と共
に、銃を執り創を坪つて日夜仰郭公致して居るのであり
ま†・鼓に出征の仝将兵に代り、陸軍を代表致しまして、
ま嬰勃黎以来陸軍に寄せられましたる銃後全国民の執誠
          ●lんくl
に射しまして、満陸の謝意む表する次第であります.