第一七一号(昭一五・一・二四)
  全国民の協力を求む         米内内閣総理大臣
  宮中歌会始について         宮 内 省
  鉄道貨物運賃の改正         鉄 道 省
  大陸の衛生(下)          陸軍省医務局
  所年初頭に於ける海軍航空郡隊の活躍 海軍省海軍軍事普及部
  西南三都の近況           外準省情報部
  内閣の更迭
  新内閣一覧表


内閣の更迭

阿部内閣総辞職

 阿部内閣は左の総理大臣談に述べるが如き理由により
総辞職を決意、阿部内閣総理大臣は一月十四日午前宮中
に参内、闕下に骸骨を乞ひ奉つた。総辞職に際しての阿
部内閣総理大臣談は左の通りである。

           阿部内閣総理大臣談  (昭・一五・一・一四)

  不肖昨年八月図らずも大命を拝して輔弼の重責に任じ、爾
 来閣員一致協力、事変処理を中心として内外の政務に励精し
 来りたる処、向後既定の方策を具現するに方り、或は国務遂
 行の方法に就き意見の渾一を期し得ざるものあるやを虞る。
 乃ち時局重大の場合、政務の運航を遅滞せしめ、目下進行過
 程の第一段階に入れる事変処理に不測の影響を与へざること
 念とし本日闕下に伏して辞表を捧呈し奉りたる次第なり。


    米内内閣成立す

 阿部内閣総辞職に伴ふ後継内閣組織の大命は、一月十
四日夜米内光政海軍大将に降下した。米内大将は直ちに
組閣に着手、各閣僚の銓衡を終へて同十六日午前九時過
ぎ宮中に参内、 天皇陛下に拝謁仰付けられ、謹んで大
命拝受の旨を奏上、恭々しく閣員名簿を捧呈、同日午前
十時半、米内内閣総理大臣の親任式、同十一時半米内内
閣総理大臣侍立の下に各大臣の親任式が挙行された。


    大命を拝して
              米内内閣総理大臣談

 不肖今回図らずも大命を拝し恐懼に堪へません。私は全力
を挙げて輔弼の重責を竭したいと思ひます。
 今や時局は極めて重大であります。挙国一致不抜の信念を
以て東亜新秩序の建設に邁進せねばならぬと痛感いたすのであ
ります。
 支那事変の処理に就ては、既に決定された不動の方針があ
ります。之を踏襲することは固より、近く将に樹立を見んと
する支那新中央政府の成立発展を支援すること言を俟ちませ
ん。国際関係に於てはあくまで自主的立場を堅持しつゝ国交
の調整を図りたいと思つて居ります。
 此の如き事態に対処して国内に於ては戦時国民生活の確保
に努め、進んで戦時態勢を強化し、以て国力の充実、国運の
進展を期したいと思ひます。今後執るげき諸方策に就ては、
来るべき帝国議会に於て開陳する心算でありますが、とりあ
へず一言所懐を述べ全国民の協力を願ふ次第であります。

新内閣一覧表
位階勲等爵位 氏      名 年齢 略     歴
内閣総理大臣 海軍大将
正三勲一功四
ヨナイミツマサ
米内光政
六一 明治卅四年海軍兵学校卒、昭和十二年二月海軍大臣(林内閣、近衛内閣、平沼内閣)同年四月海軍大将、同十四年八月軍事参議官、岩手県出身
外務大臣 従三勲一 アリタハチロウ
有田八郎
五七 明治四十二年東京帝大法科卒、昭和十一年四月外務大臣(広田内閣)同十三年二月貴族院議員に勅選、同年十月外務大臣(近衛内閣、平沼内閣)新潟県出身
内務大臣 従二勲一伯爵 コダマヒデオ
児玉秀雄
六五
大蔵大臣 従三勲一 サクラウチユキオ
桜内幸雄
六一
陸軍大臣 陸軍大将
正三勲一功五
ハタシユンロク
畑俊六
六二
海軍大臣 海軍中将
従三勲一
ヨシダゼンゴ
吉田善吾
五六
司法大臣 従三勲二 キムラシヤウタツ
木村尚達
六二
文部大臣 従二勲一 マツウラチンジラウ
松浦鎭次郎
六九
農林大臣 従三勲二 シマダトシヲ
島田俊雄
六四
商工大臣 勲三 フヂハラギンジラウ
藤原銀次郎
七二
逓信大臣 正四勲二 カツマサノリ
勝正憲
六二
鉄道大臣 正五勲三 マツノツルヘイ
松野鶴平
五八
拓務大臣 陸軍大将
正三勲一功二
コイソクニアキ
小磯國昭
六一
厚生大臣 従四勲三 ヨシダシゲル
吉田茂
五六
内閣書記官長 正三勲二 イシワタサウタラウ
石渡荘太郎
五〇
法制局長官 正三勲二 ヒロセヒサタダ
廣瀬久忠
五二
企画院総裁 正四勲三 タケウチカキチ
竹内可吉
五二