第一六九号(昭一五・一・一〇)
  税制改正案             大 蔵 省
  地方税制法改正案について      内 務 省
  暴利取締りの強化
   −暴利行為等取締規制の解説−
  冬季攻勢その後           陸軍省情報部
  昭和十四年の戦果
  戦時統制物資講座(七)ゴム     商 工 省
  連盟のソ連除名と芬蘭援助      外務省情報部
  紀元二千六百年を迎へて       阿部内閣総理大臣

紀元二千六百年を迎へて   昭和十五年一月一日 阿部内閣総理大臣放送

 橿原神宮の神域から鳴りひゞく二千六百の太鼓の音と
共に、茲に一億のわが同胞が歴史的な輝かしい紀元二千
六百年を迎へました。全国民諸君と共に、謹んで聖寿の
万歳と皇室の御繁栄とを寿ぎ奉ることは私の最も光栄
とする所であります。と同時に、この極めて意義の深い
年に際会することが出来ましたことは、この皇國(みくに)に生れ
た者の大きな喜びとして感激を新たにする次第でありま
す。
 申し上ぐるまでもなく、遠い神代の昔、天照大神が
天壌無窮の御神勅と三種の神器とを賜はりまして皇孫
瓊瓊杵尊をこの国に降臨せしめ給ひてより、この肇國の
御精神を承け継いでこれを全うすべく、神武天皇は禍を
払ひ道を布き国内統一の大業を御完成遊ばされ、大和の
国の橿原に即位の礼を挙げさせられ、この年を以て紀元
元年と定められたのであります。爾来、茲に二千六百年、
万世一系の天皇は神勅を奉じて永遠に統治し給ひ、国運
益々隆んに、国威愈々普ねく今日に及んだのであります。
この神武天皇の御創業こそは、実に六年の久しきに亙つ
て数々の艱難辛苦を重ねられ、これを悉く克服遊ばされ
て御完成遊ばされた尊い大業であります。
 私共はこの創業の大きな御仕事を仰ぎまつる時に、愈々
肇國の大精神を発揮することに努めて、聖恩に応へ奉ら
ねばならぬと存ずるのであります。只今の支那事変も
亦、この肇國の大理想を二千六百年後の今日に於て顕は
さんとしてゐる国民的努力の一つに外ならぬのでありま
す。
 支那事変は早くも茲に第四年を迎へました。稜威の下
前線の将兵諸君の御奮闘、又銃後の国民諸君の御努力、
即ち一は純忠報国の誠を尽して輝かしき戦果を挙げら
れ、他はあらゆる艱難を克服して愈々国力の充実を計ら
れつゝあることは洵に感激の至りであります。この前
線と銃後とがしつかりと結合して居りますことは何より
の強味であり、これありてこそ初めてこの大事業が完成
されるのであると思ひます。
 今回の事変は、名は事変と申しましても、日本の歴史
始まつて以来の大戦争であります。帝國が従来経験した
もろ/\の戦役とは比ぶべくもありません。強ひて例を
日本歴史に求むれば、ちやうど神武天皇の御東征にも比
すべきではないでせうか。神武天皇が御親ら軍を率ゐて
日向の国を御進発遊ばされて以来、橿原の宮に即位の礼
を挙げさせ給うた迄に、天皇竝びにこれに従ひ奉つた
諸々の人々の当時の艱難辛苦は実に想像も出来ぬ程であ
つたでありませう。恐らくは今回の事変に幾倍するもの
があつたらうと思はれるのであります。さうした艱難辛
苦の結果が、御創業の完成となつて、今日の日本を築きあ
げる基となつたのであります。しかも、今日の日本は、
奇しくも、肇國の大精神を力強く顕はすべく、四年越し
の支那事変として戦ひつゝあるのであります。二千六百
年の昔を偲びまする時に、わが大和民族が二千六百年の
伝統の勇猛心を今日に於て再び振ひ起さねばならぬので
あります。支那事変は、積年の禍根を断つて、東亜永遠
の安寧と福祉を確保せんとする発展的日本の大事業であ
り、同時に、また、世界平和の確立に寄与せんとする肇
國以来の大精神の顕現であります。かうした大事業は、
神武天皇御創業当時の艱難辛苦なくしては到底出来よう
筈がありません。
 私共は此の四年越しに、その覚悟を以て戦ひ勝つべく
今日まで来たのであります。一人でも悲鳴を挙ぐる者が
あつて、この大事業にひゞを入らせてはならないのであ
ります。生を稜威の下に享くる者挙つてしつかり手を
組んで二千六百年の昔を今に顕はさねば已まぬのであり
ます。
 私は大命を拝して内閣を組織しまして以来、支那事変
の処理を以て政策の中核とし、微力を尽して御奉公し
て参りました。今日のこの変転極りなき国際場裡に在つ
て、この大事業の完成に日夜心を砕いて参つたのであり
ます。
 事変処理の問題は単なる一政府の問題ではありませ
ん。事は国家全体の問題であります。その間、官である
とか民であるとか朝野の区別があらう筈はありません。
それ故に事変発生以来再度内閣の更迭はありましても、
事変処理の根本方針は廟議決定として確乎不動のものが
あります。当時の内閣総理大臣近衛公爵の天下に声明さ
れ、全国民の熱烈な支持を受け来つたものであります。
私共は今日これを踏襲してその完遂を期してゐるもので
あります。一昨年の暮、近衛公爵が支那に於ける同憂具
眼の士と相携へて東亜新秩序の建設に向つて邁進せんと
するものであると云ふことを声明されたことは全国民諸
君既に御承知の通りであります。これに依つて日本が全
世界人類の等しき福祉を念とする皇道の精神に則つて
何を支那に求めてゐるのであるか、日本と更生支那との
関係を調整すべき根本方針の大綱は如何なるものである
かと云ふことを中外に明らかにされたのであります。近
く樹立せられんとする汪牙ハ氏を中心とする新中央政府
こそは逸早く此の日本の真意を理解して防共親日を基本
方針として重慶政府に対抗し、「和平救国」の実現に邁進
しつゝあるものでありまして、やがて帝國の希望に応へ
得るものであると思ふのであります。
 従つてわが国と致しましてはこれに対し物心両面に亙
り積極的にこれを援助し、その成立に協力し、その健全なる
発達を援助すべきものであると考へるのであります。同
氏の真意が支那国民に滲み込んでゆけばゆくだけ、支那
民心を把握すればするだけ、それだけ更生新支那の実体
が完成に近づき、事変処理が終局の目的に向つて進む
のであります。この意味に於て新中央政府の成立は事変
処理の上に一段階を劃するものであります。併しそれ
はあくまで一段階であつて事変の集結ではありません。
この一段階が更に其の效果を拡げてこそ、初めて事変の
終局に進展するのであります。事変処理は申す迄もなく
わが方だけの態度で決するものではありません。対象と
しては支那四億の民衆があり、長年支那との間に深い利
害関係を持つてゐる所の列国の権益と勢力とがあるので
あります。それ故に事変処理は容易の業ではなく、前途
に幾多の克服すべき困難が横はつてゐるのであります。
併し私は此の困難も全国民挙つての共同的責任感、全国
民の一体となつての努力に依つて必ず克服し得るものと
信じてゐるのであります。それはちやうど二千六百年前
のあの磐根錯節を越えての神武天皇御創業と同様であり
ます。蒋介石政府も列国も一様に、日本は武力では強い
が経済力は弱いと見てゐました。その弱いと見られた経
済力が今日迄これだけの底力を示し来つたのでありま
す。我々は天恵に恵まれた日本の有難さをつく/"\と感
ずるのでありますが、更に今後の困難を打開するために
は未だ嘗て経験しなかつた事態に遭遇し種々の新たな
る施設を必要とせねばならぬことは当然であると思ひ
ます。
 従つて政府と致しまして独り従来の経験に依るばか
りでなく変化進展窮まりなき現時の必要に応ずる諸施策
に努めて遺漏無きを期し、殊に、国民生活の維持確保に
は最善の努力を払ふつもりでありますが、国民諸君に於
かれましても、二千六百年の昔のあの大勇猛心を振ひ起
し、御互に不自由を忍び相助け相持ち寄り分け合つて、
この困難を皆で忍んで戴きたいのであります。
 今日皇國のために尊い血を流してゐる同胞がありま
す。物資の関係から商売不振に陥り生活困難の同胞が
あります。いづれも武力戦の犠牲者であり経済戦の犠牲
者であります。かうした犠牲を見るにつけても各人己が
利益を図り、己が逸楽に耽るといふやうなことがあつて
はならぬと存じます。遠征のわが将兵諸君は陣中に早
くも三回の元旦を迎へて、恐らく今朝は遠く遙かに東の
空を望んで、聖寿の無窮を寿ぎ奉ると共に、郷里の親兄
弟同胞の上を偲んで居られることと存じます。今日は元
旦であると共に、第五回目の興亜奉公日であります。興
亜奉公日は申すまでもなく、特に戦場の労苦を偲び、前
線の将兵諸君に感謝を捧げる日であります。同時に自粛
自戒して銃後の護りを堅くし、強力日本の建設に向つて
邁進するの日であります。前線と銃後とをつないで、銃
をとる者も、またこれをとらざる者も、同じ戦時意識の
下に、戦時的な行を積むの日であります。それが恒久実
践の源泉となつてこそ、今後の大建設の完成に役立つも
のと云はねばなりません。この意味に於きまして興亜奉
公日の意義を貫徹させて戴きたいのであります。輝か
しい紀元二千六百年は、力強い実践に依つてあらゆる苦
難に堪へる試練の年であります。この試練を越えてこそ
神武天皇御創業に比すべき東亜新秩序建設を見ることが
出来るのであります。私は元旦に当り皆様と共にこの大
事業完遂への決意を新たにし、皆様と共に心を協せ力
を戮し御奉公に励みたいと思ふのであります。
 これを以て私のお話を終ります。茲に皆様と共に 
天皇陛下の万歳を三唱いたしたいと思ひます。皆様と共に
高らかに唱へる万歳の聲こそ、この紀元二千六百年に御奉
公する帝國臣民の心の結晶であります。御唱和を願ひ
ます。

         ×                 ×

 

陸軍への国防献金
  既に五千万円に達す

 銃後の赤誠、陸軍への国防献金は陸続として尽きる
ことなく、昭和十四年の総額は、一千九百四十万円に
達し、昨十三年より約三百七十五万円多く、事変以来
の累計は約五千万円に及んでゐる。
 陸軍ではこの国防献金を以て特に緊急最も必要な兵
器、資材を整備するに重点を置き、有效迅速に国防威
力の増強を期すると共に、国民の赤誠に応へるやう鋭
意努力してゐる。現在までに完成した兵器の主なもの
は次の通りである。
  飛行機約二五〇機、戦車約一〇〇台、高射砲約二〇
  〇門
 なほ国防献品もまた莫大な数量に達し、毛布、拳
銃、日本刀や自動車の献納は特に顕著である。