第一五七号(昭一四・一〇・一八)
  欧州戦争と宣伝戦        内閣情報部
  中等学校入学者選抜方法の改正   文 部 省
  軍人援護会の二大事業       軍事保護院
  洞庭湖上海軍部隊の奮戦     海軍省海軍軍事普及部
  特別寄稿 大戦から大戦への欧州(下)文学博士 村川堅固
  最近公布の法令         内閣官房総務課
  文部省推薦図書紹介

欧州戦争と宣伝戦 内閣情報部

 欧州戦争は独仏国境の戦況が膠着状態にあつて活溌な
動きを見せぬのに反し、ラヂオ、通信、空中宣伝等によ
る宣伝戦のみ華やかに戦はれるといふ怪奇な様相を呈し
てゐる。この欧州の宣伝戦が我が国にいかに指向されて
ゐるか、東亜新秩序の建設を戦ふ我が国としては充分
の注意を以て、この宣伝戦を見守るひつようがあるのであ
る。

イギリスの宣伝戦

 九月三日は欧州の平和が遂に破れて英国がドイツに対
して宣戦を布告、フランスもまた参戦を声明した歴史的
の日である。英首相チェンバレンは対独宣戦布告の演説
に於て宣伝戦の第一段を放つた。

  平和を羸ち得んための余の長い間の一切の努力は遂
 に水泡に帰し去り、これにより余の受けたる打撃が如
 何に苦悩多きものであつたかは諸君も想像に難くない
 だらう。最後の瞬間まで独波間に平和的解決を工作す
 ることは全く可能であつたのだ。ヒトラーは明らかに
 如何なる事態が惹起しようともポーランドを攻撃す
 べく決心したのであつた。

と述べ最後に

  神よ、正義を護り給へ。何となれば暴力、約束破り
 不信に抗して戦ふことは崇高なことである。而して
 余は正義の勝利を信じて疑はぬものである。

と結んだ。又同日開会された下院で対独宣戦の経緯を説
明して

  今日は我々総てにとり悲しい日であるが、何人も余自
 身程悲痛な感にうたれてゐる人はあるまい。余が望み
 をかけて総てのもの、余が公的生涯に於て信じた凡ゆ
 るものは皆水泡に帰してしまつたのである。さあれ我
 我には唯一つなし得ることが残されてゐる。それは我
 我が犠牲とならんとするところのものの勝利を期して
 全力を捧げることである。余自身が如何なる役割を演
 ずるかは知らない。だが余はヒトラーイズムがいつか
 滅亡し
、自由と平和が恢復された欧州が再び蘇る日
 まで生きることも許されるであらうと確信するもので
 ある。

との悲痛な演説を行つた。チェンバレン首相のこの二つ
の演説は今次の欧州戦争に於ける英国宣伝戦史の第一頁
に記さるべきものであらう。英国の宣伝方針の如何なる
ものかは大体これに表はされてゐる。
 英国政府は開戦直後七日にして情報省を新設した。そ
の機構は新聞検閲部、啓発部(対内、対外、対英帝国及
び対米国)、啓発資料作成部(映画、ラヂオ、文学、美術部)、
行政及び連絡部の四部からなり二十六万ポンド(平時)の
経費を以て十四課に分れ、本省員八百七十二名、地方分
局員百二十七名を擁してゐるとのことである。前大戦で
戦争末期になつて情報省を設け又ノースクリフ卿等が大
いに活躍して多大の効果をあげたのに鑑み、平時から準
備してゐたことが分る。
 今開戦以来英国の宣伝戦振りを観察して見ると次のや
うなことが看取される。

対敵宣伝

 英国のドイツに対する対敵宣伝はナチ政権とドイツ国民
との離間工作に重点をおいてゐる。
 例へば対独強硬態度を再閘明した十一日の英国情報省
のコンミュニケは、

  ヒトラー政権は「名誉ある平和」を約束してドイツ国
 民を誤つて。何故ならドイツ国民はドイツ政府が暴力
 政策をとつて戦争を不可避ならしめた結果平和を与へ
 られず、又全世界がドイツのポーランドに対する残虐と
 虚偽とを認めた結果ドイツ国民は名誉をも奪はれたの
 である。欧州に於ける如何なる国と雖もドイツの政策
 を一般の安全に対する脅威でないと見なすやうな国は
 あるまい。英国は国際関係を政党に引戻す為め戦つて
 ゐるのであり、これが達成されぬ以上如何なる国も安
 全たるを得ないであらう。ドイツは西方には領土的野
 心なしといつているがかゝる保障には些かの信頼をも
 置くことは出来ない。英国は第二のヴェルサイユ条約
 を欲するに非ず、或ひは又ドイツを崩壊せしめんとす
 るに非ず、たゞ名誉を重んずるドイツ政府との間に公
 正且つ永続性ある平和を欲してゐるのである。ドイツ
 国民は既に戦争勃発以前から満足なる生活は許されて
 ゐなかつたが、九日の演説でゲーリング空相が如何に
 ドイツ経済の実力を謳歌した所で、これは決してドイ
 ツ国民に大なる慰めを与へなかつたであらう。

とドイツ国民とヒトラー政権とを切離し、「戦争の原因は
ヒトラーの暴力政策に基づく」とナチ政権を攻撃して国民
との離間に躍起となつてゐる。

中立国に対する反独宣伝

 英国の第三国宣伝
の重点は米国であり、次いでイタリア、バルカン諸国及
び日本である。
 米国の引入れに如何に努力してゐるかは、三日夜英国汽船
アセニア号がスコットランド沖大西洋上で、突如水雷の攻
撃を受けて沈没した旨公表したが、その末尾に船客千四百
名中には米国人数名も含まれてゐるがその運命は極めて憂
慮されてゐると述べた一事でも分る。これなどはまさしく往
年ルシタニア号の遭難が全米の世論を激昂させ米国の参
戦となつた宣伝戦の経験から早速ねらつたものと考へられる。
 イタリアに対しては独伊の離間に躍起となり、

  ドイツは天然資源其他の戦闘遂行要素に於て英仏に
 及ばず、長期戦に堪へられない。結局敗北するものと
 確信される。もし万一ドイツ側が勝利を占めたならば
 ヒトラー総統は多年の計画たるバルカン進出を企つべ
 くそれはイタリアに脅威を齎すものである。

と宣伝してゐる。


ソ聯に対する宣伝

 ソ聯に対しては暫く頬かむり
主義によつて之を敵側に廻はさぬやう凡ゆる努力を払つ
てゐることが窺はれる。十月一日チャーチル海相の放
送演説を見ると

  われ/\はソ聯軍が現在ポーランドの線に止つてゐ
 るのはポーランドの友軍乃至同盟軍としてであつて侵
 略者としてではないといふ風に考へれば考へることが
 出来よう。或ひはまたソ聯軍はナチスの脅威から自国
 の安全を護るためポーランドに止まつてゐるとも考へ
 られるであらう。
如何なる場合にも独ソの境界はそこ
 にあるのであつてナチス・ドイツが、もはや脅威を
 与へることが出来ないやうな東欧の境界が作り出さ
 れたのである。先週リッペントロップ独外相がモスク
 ワに呼ばれたのはナチスのバルチック及びウクライ
 ナに対するこれまでの野心を全然放棄するやう説き
 聞かせられ、またそれを承諾するためであつた。予は
 謎のソ聯の行動を予測することは出来ないがそこには
 必ず一つの鍵があると思ふ。その鍵はソ聯の国家的利
 害なのである。ドイツが黒海沿岸、バルチック諸国又
 は東南欧のスラブ諸国に勢力を扶植し、これを支配
 することはソ聯の利害や安全と矛盾しないはずはな
 い。それは歴史的に見てもソ聯の生命や権益に背反す
 るものである。この東南欧州に於けるソ聯の利害は英
 仏の利害と同じ方向にある。英仏ソ三国はルーマニア、
 ユーゴースラヴィア、ブルガリア、なかんづくトルコ
 がドイツの踵の下に於かれてゐることを同じ立場で眺
 めることが出来るといふことを銘記しなければなら
 ぬ。混沌としてさだかでない情勢の中にもわれ/\は
 英仏ソ三国の協同体を明瞭に識別することが出来る。
 この利益の協同体こそはナチスがトルコやバルカンに
 戦火を起すことを防止する協同体である。

と述べ、ソ聯軍のポーランド進入占領の事実に対しては
強ひて攻撃宣伝を差控へてゐる。しかしこのために。「英
国は侵略者に対する弱者を援助する」と云ふこれまでの
宣伝の根拠が極めて薄弱とならざるを得ないこととなつ
た。


   ドイツの宣伝

 
対内宣伝 九月一日ヒトラー総統は途に国防軍
に対し指令を発し「武力に対しては武力をもつて対抗せ
よ。」と命令し、同日緊急国会を開会対波戦争について
ヒ総統の所信を披瀝した。

  予はドイツの要求の貫徹を期し、現在のポーランド
 政府がこれを承認するか或ひは新ポーランド政府が出
 現するまで闘ひ抜く決心だ。ポーランドの挑戦に対
 し予は忍耐に忍耐を続けたが、遂に本日午前五時四十
 五分戦闘開始を命じた。我が無敵陸空軍は爆撃に爆撃
 を敢行しつゝある。予も亦一兵卒として前線に赴くで
 あらう。「勝利か然らずんば死か」これが予の金言であ
 る。予が不幸戦場に倒れんか後継者はゲーリング元帥
 である。ゲーリング倒れんか予はその後継者にへス党
 副総理を指名する。ヘス倒れんか党の最高会議に於て最
 も勇敢なる兵士たると同時に最も忠実なるナチス党員
 を推戴すべきである。ドイツはナチズムを輸出しな
 い。ソ聯に於てもボルシェビイズムにつき同様の認識
 に立つてゐることが判明した。従つて独ソ両国間の敵
 対関係は断乎一掃されねばならぬ。
独ソ不可侵条約は
 即ちドイツ有史以来の大転回を意味し且つ決定的のも
 のである。フランスに対しては予は茲に再び両国間に
 領土的紛争の原因なく、友好的に併存すべきを確信す
 る旨を強く言明する。ドイツは西部に向つて何等の目
 的をも有するものではない。予はイタリアの支援を感
 謝して已まない。

 これは一種の対内宣伝方針とも見なし得るものである。
ヒトラー総統の言々句々火を吐いて議場の緊張はその
極点に達したか国会議員中百名は応召のため欠席したと
伝へられてゐる。これは誇張した言葉ではないだらう。
 前世界大戦でにがい経験を嘗めたナチス・ドイツは一九
三三年三月国民啓発宣伝省をつくり政策を国民に知らせ
ナチズムの世界観を国民に徹底せしむることに努力し、
宣伝手段であるラヂオ、新聞、映画、演劇の一切をナチ
ズムのために活動させ、一方戦時思想戦の弱鮎をなすユ
ダヤ人の徹底的排撃を行ひ、宣伝戦の戦備もおさ/\怠
りなかつたのである。宣伝相のゲッベルスは本年四十歳
の働き盛りである。

 
対敵宣伝 ドイツの対外、対敵宣伝戦の主眼は
戦争不拡大主義にあるやうである。
 英国に対してはドイツの国力の強靱性を説き英国の
挑戦行為を攻撃してゐる類のものが多い。例へば九日ゲ
ーリング空相が最高国防会議議長の資格で放送した演説
では、

  英国航空機が宣伝ビラを撒布してゐる間はドイツは
 傍観もしよう。もし爆弾と投ぜんか、ドイツの大空軍
 はポーランド上空において示した威力を英国領土上空
 に再び顕示するであらう。西部戦線には難攻不落の要
 塞がある。さすがに英仏作戦当局もこれを衆知してゐ
 て、未だ攻撃を開始してゐないではないか。
  しかして英仏両国が攻勢に出でんか、国防軍の火力
 は彼等の想像を遙かに越えて絶大の破壊力を発揮する
 ことを、この際英仏殊に英国に警告する。ドイツは四ケ
 年計画によつて経済独立を図つたが、今日我等は英国
 以上に鉄と石炭を持つてゐる。ポーラソド占領によつ
 てドイツの経済状態はいよ/\強化されるであらう。
 若干欠ける処の原料も使用制限により軍用には絶対に
 差支へを来すものではない。これに反し英国は種々原
 料を有するといふもその多くは海外貿易に頼つてゐる
 現状である。かつ若しこれ等輸送路が敵艦隊により
 遮断された場合は、英国こそは原料不足に悩む国では
 ないか。しかるにドイツは今やソ聯と結び、東南欧そ
 の他中立国と友好貿易関係にあるから敵の企図する経
 済封鎖はドイツにとつて全く無効だといはねばなら
 ぬ。
  戦争を宣言したのは誰であるか。ヒトラー総統が
 ポーランド
に進入したのはたゞ同胞の虐殺を阻止せん
 がためであつて戦争には全く関係がない。しかるに不
 可能なポーランド援助を約し、ドイツに宜戦したのは
 チェンバレン首相である。しかも英国の本心は対波援
 助にはなくナチス政権の崩壊にある。ドイツ民族の圧
 迫である。我々は世界の法廷に戦争の責任者はチェン
 バレン首相であることを出訴(しゆつそ)せねばならない。

と並べてゐる
 
フランスに対しては英仏離間に主眼を置いてゐること
が窺はれる。例へばドイツに墜死した仏空軍の二将校は
懇ろに独軍の手によつて埋葬したとか、英仏船員間に大
乱闘が惹起されたが「その原因は仏船員が英船員に向ひ
「我等は英国の馬鹿野郎のために戦争をしなくてはなら
ないのだ」と云つた事に瑞を発してゐるのだと云ふやう
なニュースを出してゐる。
 
対ソ宣伝  ソ聯に対しては英仏からの離間宣伝
に対し独ソの固き決意なるものを宣伝してゐる。例へば
九月十九日ダンチヒ市に於けるヒトラー総統の演説を見
ると

  ソ聯がポーラソドに進駐したのは自らの権益を保護
 せんがためであつた。然るに英仏両国はソ聯のこの措
 置を不信極まる行為と見なしてゐる。第一次世界大戦
 の教訓は独ソ両国民に対して我々の権益を擁護するた
 めには独ソ両国が諒解を遂げることこそ最善の方法で
 あることを教へたのである。英国は常にドイツはウラ
 ル山脈に達するまで欧州征服の夢を棄てないだらうと
 憂慮して来たが、独ソ両国の提携こそかゝる考へ方が
 杞憂に過ぎないことを保障したものである。

 
対中立国宣伝  宣伝の主眼点は戦争不拡大主義の
徹底でダンチヒに於けるヒ総統の演説にも

  今や英国は我々の目標には限度のあることを覚つた
 であらうが、併し一方我々はこの限度内における目標
 はあらゆる手段に訴へてもこれを擁護する決意を固め
 てゐることを英国は知るべきである。さればこそ将来
 を如何に導くかは西欧民主主義国の意向次第で決定さ
 れよう。独ソ両国は東欧の事態緩和の為め適当の措置
 を講じよう。これに対して英国がかゝる事を承認し難
 いと宣言し三年、五年乃至は八年の長期戦を選ぶとし
 ても予は再びかく解答する積りであるドイツは英仏
 を敵にするやうな気持は何もないのである」。

と述べ、ドイツは決して戦争を欲するものではないこと
を強調してゐる。また十月六日ヒトラー総統の行つた軍
縮、平和会議提唱の大演説も戦争不拡大主義の宣伝と
見ることが出来る。

  欧州宣伝戦に対する考察

 
宣伝技術 西洋に於ける英国人、東洋に於ける
支那人は共にいはゆる宣伝戦に巧みな国民であると云へ
る。英国の宣伝に対してはヒトラーもその著「わが闘争」
に於て「英国の宣伝は非常なる真の天才を以て之を実現
してゐる。英国に於ては疑問を起さしむるやうな半端な
ステートメントはない。」といつて感心してゐるくらゐで
ある。
 英国国民は宣伝戦の戦士としての優れた素質を有レて
ゐる。極めて常識的で「巧みに人道化し、具体的で人の
感情に食ひ入る叙述に巧みである等宣伝技術に於て洗練
されてゐる。「嘘から出たまこと。」と云ふやうなデマ宣
伝の製造も堂に入つたものである。前大戦に於ける宣伝
王ノースクリフ卿等の行つたデマ宣伝術は戦後各国の研
究によつて如何に英国はいはゆる宣伝戦に巧みであつた
かを認識せしめた。
 次にドイツ側を見ると、先づ第一ドイツ人は英国人と
性格が著るしく異ることが認められる。ドイツ人は科学
的、理論的で映画、写真等の宣伝技術に於ては或ひは英、
仏に優るものがあるが、宣伝戦の要素である普遍性に於
ては英国のそれに比べて欠くることなしとせず、一方的
独断的の傾きも見られ、人の感情を捉へる点では英国よ
り拙ではないかと観察される。
 
宣伝通信網 英国は宣伝技術に巧みであるのみな
らずその宣伝通信網が優れてゐる。全世界に通信網を有
するロイテル通信社は世界宣伝戦に於て重要な役割を果
しつゝあるのである。フランスのアヴァス通信社も同様
である。
 ドイツの英国に比べて不利なる点は世界宣伝通信
網が貧弱なことである。ドイツの国策通信社であるD・
N・Bはヒトラー総統が政権獲得後成立を見たもので
到底英のロイテル、仏のアヴァス両大通信社と此ぶべく
もない。
 
写真宣伝 ドイツはポーランドに兵を起す一週
間程前から主としてナチスの御用写真通信社ホフマソ
にポーランド廻廊地帯、殊にブロンベルグ地方に在留
するドイツ少数民族の圧迫、ポーランド参加の惨虐行
為等の写真を撮させ全世界にばら撒いた。既にこの時
数日後に起る対ポーランド策戦を理由付ける挙に出てゐ
る。
 この間英国はハイドパークの防空壕工事、防寒マスク
の用意等を外国の新聞雑誌に供給し、フランスは
米国の映画俳優がパリを訪問した折のニュース写真など
を交へた至極落ち付き払つた写真を頒布してゐる。あは
れを止めたのはポーランドの半官通信社PATが八月廿
八日に発行したニュース写真はワルシャワのフットボール
の試合であつた。
 東部戦線がいよ/\爆発するに及んで全世界の新聞
は生々しい戦場のニュースと共に一刻も早く硝煙の臭
ひのする写真を入手することに狂奔した。それ等の手に
最初に握られたものはドイツ側の写真のみであつた。
 
ラジオ宣伝 更に今度の欧州戦争に於ける宣伝
戦の著るしい特徴は「声の砲弾」ラヂオの活躍である、前
大戦にはその末期に僅かに一部面に利用されたラヂオが、
その後の普及と発達とによつて今次の欧州戦争には最
も有力な宣伝戦の武器として登場したのである。欧州は
日本と違つて各家庭にまで短波型の受信器が入つてゐる
から、聴かうと思へば外国からの放送をきける。そこを
ねらつて各国はラヂオを通じて敵国竝びに第三国民の人
心を獲得しようと懸命の工夫と努力を払つてゐる。
 ダソチヒ問題を繞る独波戦争の幕はドイツ政府の云ふ
八月三十一日波兵のグライヴイッツ放送局占領に切つて
落された。即ち同日夜十時ポーランド側の不正規兵が上
部シレジアのグライヴイッツ放送局を襲撃し之を一時占
領、この不正規兵の背後にはかなり有力なポーランド軍
があるといはれ、放送局を占領した不正規兵は相次いで
ポーランド側に呼掛け、同時に一部はドイツ側にも放送
を行つたが、これを合図にして他のポーランド不正規兵
は上部シレジアの独波国境をニケ所にわたり越境し来つ
たと戦端開始の第一報を発表してゐる。この報道の真疑
の程は別として放送局の争奪が戦端の導火線となつたこ
とは今次欧州戦争の発瑞として興味深い事実である。
 ラヂオによる宣伝戦はかねてから各国の行つてゐた所
であるが、愈々戦端が開かれるとなるや俄然猛烈を極め、
欧州の空には、数十の電波が四六時中乱れ飛んで、各国
は自国の主張や、敵国への反駁や、或ひはまた謀略的な
宣伝をこの電波に乗せて撒き散す事となつた。
 「勝利か然らずんば死か」の九月一日のヒトラー総統
の議会演説も、勿論マイクを通じて世界に飛び、ドイツ
国内の士気を振ひ起すと同時に英仏に対する威嚇の役割
りを果したが、之に対してロンドン放送局は、三日午後
英仏独伊西の六ケ国語でジョージ六世陛下及びチェン
バレン首相の宣戦布告演説をレコードによりニュースと
一緒に繰返し/\放送して之に報いた。チェンバレン首
相は更に四日午後も、ドイツ語で対独放送を行ひ「英国
の相手はドイツ国民ではなく、ヒトラーとナチス政権で
ある」と叫んでゐるが、之がドイツ国内の人心攪乱を目
的としたものである事は明らかである。
 その後も英独放送合戦はしのぎをけづつて続けられ、
例へば、九月下旬にも英国側が、「ドイツは食糧問題が不
安で、日常生活にも困つてゐる」と放送、ドイツ国民に対
する反ナチ運動を煽動すれば、ドイツ側は、「経済困難に陥
つて食糧問題に不安のあるのは英国のことだ。ドイツはこ
んなに健全、英国の宣伝はデマだ」と一々実例を挙げて
一々反駁し、更に中立国、英植民地等に対し反英的感情
を起させるやうな放送をやつたりしてゐる有様である。
 新聞通信網に於て英仏に一籌を輸するドイツはラヂオ
の利用でその短を補つてゐる感がある。ベルリン・オリ
ムピックの際に拡充した放送設備を百パーセントに動員
し、長波短波十数種の波長を使ひ英仏独語で終日放送を
続け、欧州の受信器はダイアルの何処を廻してもドイツの
放送が入つて来る有様だといふ。又ドイツは放送合戦に
色々な新戦術を紹介してゐる。ポーランド軍がまだワル
シャワを死守してゐる時、ワルシャワと同じ波長と呼出
符号を使つてポーランド語でワルシャワ陥落を放送した
のも、ドイツ軍のラヂオ宣伝隊が行つた謀略宣伝だと言
はれてゐる」
 英国が自国に有利な戦況を発表すれば、ドイツ側は直
ぐに之に反駁を加へる。九月廿七日の空爆でドイツ側が
英国航空母艦に大損害を与へたと発表した時、英国側は
之を否定した。するとドイツ側では直ちに英国民に向け
て「諸君は英海軍当局に対して航空母艦ローヤルアーク
号は何処に在りやと質問して見給へ」と訴へるのである。
十月一日にはドイツ新聞局長フリッチェ氏がチャーチル英
首相に向つてラヂオで公開質問をし

  英汽船アセニア号はドイツ潜水艦によつて撃沈され
 たと公表してゐるが、同船を撃沈したのは英潜水艦で
 ある事、又は同船は故意に自爆したものなる事を素直
 に告白する意思なきや

と詰問して、英海相が同じくラヂオで回答する事を要求
したと言ふ。かうした直接大衆の耳に訴へる宣伝がどの
程度に効果を挙げてゐるかは想像に難くない。
 ワルシャワ放送局も今度の放送合戦の立役者の一人で
ある。ドイツ軍の進撃と共に通信網を絶たれたポーラン
ドにとつて、ワルシャワ放送局は唯一の通信機関であつ
た。同放送局は潮のやうに攻め寄せるドイツ軍の包囲の
中に在つて最後まで其の任務を果し、戦況を伝へ、国内
に号令し、外国の同情に訴へた。婦人アナウンサーが、
大砲や小銃の音の乱れ聞へる間から、ポーランド人の決
意を叫んだ劇的放送は、ラヂオ宣伝史の一頁を飾るに相
応しいものであらう。
 電波の武器は、利用すれば、強力な利器であるが、そ
れだけに敵国からのものによつて、銃後の攪乱に導かれ
る恐れがあるので、欧州各国でも、外国からの電波の
防圧に大童で、これを打ち消すための妨害電波を出した
り、ドイツの如きは外国からの放送をきくことを厳禁し
てゐる程である。
 
空中宣伝 英国政府はコンミュニケを以て三日
夜英国空軍部隊はドイツの北部と西部にかけ大規模の
偵察飛行を敢行し、また四日夜から五日払暁にかけドイ
ツ工業地帯ルール流域上空に大規模な偵察飛行を試み平
和勧告のドイツ語宣伝文三百万枚を投下したと発表した。
それには

  ドイツ政府は名誉を伴へる平和、竝びにルーズヴェ
 ルト大統領が諸君に差出した福祉の種を拒絶し意識的
 且つ冷血的に戦争を開始した。英国は平和を希望し且
 つドイツに衷心より平和的なる政府が樹立さるれば
 之と平和を締結する用意がある。

と書かれてあり、之を戦闘開始に先立つて撒布したとこ
ろに英国当局が如何に宣伝戦を支援し之に期待して居る
かが窺はれる。又情報省の発表によれば九月下旬迄にド
イツ国内に撒布した宣伝小冊子数は一千八百万部に達し
撒布の為めの飛行機の夜間航空行程は数千哩を越えたと
云ふ。

  わが国に対する宣伝戦の実相

 前世界大我に於ては帝国は聯合軍側に与したため一方
的の宣伝だけを受けた。即ち英国側からのドイツ側誹謗
の悪宣伝だけであつた。当時の英国の宣伝方策は英国の
参戦を宗教人道的聖戦の如く感知させドイツ殊にホー
へンツォルレルン家を誹謗し、侵略主義帝国主義者の烙印
を押し、ドイツ軍惨行のデマ宣伝によつて世界の人心、特
に米国人の感情を捉へ戦場宣伝を盛んに行ひドイツ軍の
戦意を喪失せしめるのにあつた。この方向に向つて凡ゆ
る手段方法を講じ、遂に宣伝戦の勝利を獲得したのであ
つた。
 今回の欧州戦争に際会して帝国は不介入方針を決定し
たため、わが国は第三国として英、独双方からの最も重
要な獲得目標となり果然わが国民は欧洲列国の激烈な宣
伝の目標となつてゐる。中立的立場にある国に対する謀
略宣伝は敵国に対して悪感情を起さしめ、自国軍の優勢
を示し白国に対して好感を抱かしめ、また成し得れば中
立国を味方として戦争の渦中に引き入れ、それが出来な
くても我に有利な好意的中立国たらしめを目的の下に凡
ゆる手段方法を以て実施されるのを原則とする。
 之をわが国現下の情勢に照して見ると日々の新聞通信
を始め言論機関の一切が多少に拘らずその影響を受けて
をり、又無関係であることは出来ないのである。
 国民一般の体験させられたことは数多くの報道も余り
信用出来ない、これは自分に都合のよい宣伝だと云ふ感を
与へつゝあることである。一面宣伝戦の一方法である
謀略宣伝、スパイ的暗躍も当然行はれる。特に知識層、
財界方面の獲得のために行はれるこの種謀略宣伝戦は政
治外交にまで影響を与へる。目下交戦各国の外国公館が
このために莫大な経費と努力を払ひつゝあることは想像
に難くない。
 之を要するに宣伝は直接目に見えぬ効果を齎すもので
あるため従来わが国では兎角等閑視され勝であつたが、
今後世界的難局に処し国際宣伝戦に勝利を期するために
は組織的宣伝網の強化拡充と相当の費用を投ずる必要が
あるわけである。