英仏の宣戦と各国の動き 外務省情報部


     一

 七月以来、ダンチヒ問題を繞るドイツとポーランドの関
係は日々に悪化し(週報第百四十四号参照)八月から九月に
かけて、欧州戦争の勃発は避くべからずとされてゐた。
 果して独ソ不可侵条約の成立によつて、英仏の企図する
ドイツ包囲陣の一方に血路を開いたドイツは(週報第百五
十号参照)愈々断乎、武力を以てポーランドに臨み、一挙に
してダンチヒ問題の解決を試みんとするの強硬な決意を示
すに至つた。
 この情勢に驚いたチ;人レa英首相冬入せ手二日V
へyダーソソ駄濁大鹿を洩じてヒトニフr紘統に封し、ダy
           lI一い
チヒ間穎の平和的解決を要請すると共に英国のボーラyF
凍助に対する層硬な決意を明らか忙して、欺洲挙動瀕の
危険を替合したが、これ瀧対してヒトラ・卜鹿統は「∴空事
三日、へ・ソダ1yy大使に封して、ドイツは英併た故♯ナ
る垂応のないこと皇声明し、併せてダyチヒ同音はドネ’
                小ん一∫
の死活に翔する同席であ軒、他国の干渉を拒絶する幹の強
硬な岡答を輿へたのであつた†
 かくて、−方〆yチヒに放ては、.二十三日、自由市義除は
ナチス光線導者のフナルスターむダyチヒの首長紅蓮牟し〕
                                 ▲
             タ叩ん一り ヽ,●い.
こゝに愈モポーラツーに封する断絶を表朋するに室つた.
これ灯対して、薔政府心また、産檻最後の決¢む固め、
ささ

                           ′ヽ
璧些≡〒59痙惑
ク¶ウ
ウヽ・PL
”ナわ
ルホク小ス
ト▼タ1つ
タ仙ベ0
     力も▲ウ0
        0
   ツーウ九レlナ
コ吋古
急げ苦

=搬11、げ1
クーつ0
二大
」.
巾ドン1J>ラ
▲付ル◆h
ro叫シー巾0
●スンレ
ト入レフ
dlリか●
1邑三

†つ凡l一
●}凡手久ニィつ
租1け蛙
ン▼ジジ
九千カゆ ▲_ドエィ怖ニ
アソJ々● rリ●γスr
力す

トルポ∫
0刀
シ点オ
」ス才シ
†ンちハl手†ン








                1      ⊥こヽ
盛岬。,1人
写ル¶′入
ソげ淋P▼0

   イ
▼ナTlカ
0タスンレtエれわフ ̄3
†監ふ0仰
                           ●1タわ刊カ ー♀リオ


      ′_ぜ−ボ0ウ9ドカヤレγ    ・−    ▲l
.ぜ−ボ0ウ9ドカヤレγ    −−
猥芯:1l忘点こ慧耶】山k`、,aく毒∠軍蒜
                              1
                         ・′′
▲h,よ」品0ソしlんノ亡
     一ン宅巾ふ▲J
鞘▲ジ
 ( ̄■
  ヽ
 ノ_






1     川。ノ;;品】嘲、●▼’;卦”、…与
                                                                               l
                                                          ′′′

                ヽ



                                               コ
                                          ヱ
                                                                           フ
               ●一■●
      アリトスーl
卜k;忘ミ聯U′「‘‘丁●し忘l;こ・∫へで
             スン}●

                                  ヽ
ッ▼j

ルーツ●   −
                   ●一■●
            アリト叫        。い仰⊃ ヂJレ
ノ            ̄▼・丁
アキ”芯蒜魅
塾テナーガ≠尊王ウモ京わ′.ごニ.ゃ入k.妄
官ラア7ぜ、L.ふ
」タ′ど転登


                  ウJ
10アワ方
           ヽ
ミ繋怒こ
ンt几レウ◎

   ん−オカ
ガ・〜・ツ
  ◎
郡▲サ申
ショリ◎
JンlナチンtO
    んフL′朋巾
.●ムーミ
0 ¢ンさこィす
リ▼l趨
藍謡蒜壷⊆;垂竺重要竿
n●賃率蚕示牢 ̄TTT準
頓桝仰・智・、ノ●′孟   アリサルア
   コ ウロモ

ナん▼γ






                          ●
′ニ外
ル′ンで
リ′ウタナ▼′
転詣,打コ
ヱ●
蔓望ヰ ヽ
  ▲ス舟0=
壷空転

 ̄■■■ ̄■ ̄■■■ ̄■1「 ̄ ̄
≦竪碩

ぎ芋歴
クナシ
ト.”
   −一7
    し▼
              一
           】

..T


チェソバレy首相及び人Xファックス外相は、二十四月の
熊曾忙苧親鸞決嘗表明し、憲凝然緊誓示んト
                       l▼ん●●l

明ちかに犠蟄忙向つて進みつ↓あるのが感じられた.
             ‡
 然し鹿ほ、l挿の爺窒を以てヒトラ」線状とチェyバレ
y骨相との聞に、最後的の打開エ作が続けられた.如ち、
二十瓦日、ととフー線流はへyダ」ゾy大使に倒し・て、英
和協調、合理的ぜ締忙應ずる用意ある官女馳骨したので、
とれ忙封し二十入月、チlyバレy首相は礪波の直筆渉
 く▲●んくく
々取合し、また義聞の藤集解決の用意ある官を岡谷し
たが、二十九日、七ヒフ」線耗はポーラyド忙対する十六
       ていM◆
ケ傭の弊求と埠不んむ時ぜ−ヲyr政府の金権とベルサy
         ▲り一ん
に題するやうに斡旋することむ菖政府に平舘したの
であつた.
 このヒトj−組耗の要求したポーラ・yド仝横の流浪に対
しては期限が附され1とり、これに封し三一十日、薔政府
か為その糊隈の撞期漣を蜃んたが、鹿にイィッの各れる
ところとならず、一上十一やザーラyド政府は取りあへす
     ▲ヽ●▲,′−い
べルりy鹿鹿のサブスキ」大便をして.サブベソトロブプ
外相を訪問せしめたので息つたが、・仝稚の資格む輿へられ
芸ないのでドイツ政府は、同大使葛交渉鳥海する
                        ●一一Iウ

と共に、粂如としてポーラソドに封す椅十六ケ條の要求内
容む蟄衣するに室町、こ1に全く平和工作の逸は蔽え、明
く見月首、未明せ期してトイツ軍雀−ラy違♯が
開始されたのである.
      ニ
                     ▲ていい−
 ドイツがポーラyド.匹軋†る嘗求七んて雀層んセ十刀ケ
傭の内容は左の如せものであづね..一
 ヽノ
一ダソチヒ市が純粋にドイツ人的性質を濁し市呆が」
 ′lヽ
改心て熱量してゐる事‡瓜儲み卸時ダy・チ七滝†イツに泥
逢すべきこと.
 ヽノ
 二 組廊地方に封しドイツに為すべきかポー一アソドに丸
 ′\・                    くわいll
すべきかむ自ら決定する碓利々輿ふべし.担鹿地方士は
.ハルナック漫及びマセエγゥェルダー.一寸〆ラサブy少
(グルジアス)クルム(チェルムノ)プayベ・ルグ.ハYド・Pス
、ツ)に至る線によつて直刺せられtれ嘗の各劫苛⊥濱む.−
1ニ右考目的とする人民役罫埜九完年言古∴周
   ヽノ


   ′lヽ
弁●
L\1\
地方に屠位せる人民全部が参加すべきものとす.これ等
の地方はザ」ル地方同様英俳伊ソ聯人より成る南際委員合
の甘郡の下に故くべし.右囲際委員曾は潮時これを組緻し
同地方よりポ」ラソγの軍隊替察地方嘗何は最短期間内灯
      てつし・’
有地爪Wょり撤収すべし.
 )
 四 ポーラyドの梅弛グヂエア弛稚この地帝内に含まれ
 (
るが席則としてポーラγドの轟の下に澄き礪波聞の協定
         くわくてい
士たは調停に上川判定される境界線を有すべし.
 ヽノ
 五 人民及第は公正且つ公平なる手頼を準備する充分の時
 ′\
冊を輿へ是め命令公布後十ニケ月以内には行ふべからす.
 ヽノ
 六 イイツと東プロジャとの交池、ポーラyドと潅との
 ′\
交租と河畔に確保するやう鉄道及び道路を建設すぺきこ
                    ‘一▼く
と、右地帝に於て交劫及び湛橡持淡に必要なる溌のみ課せ
ヽりるべし.
 )
 七.人民投票は鳥封多放と以て決定すべし.
 ′lヽ
・〃租帝地帯がポーヲyド乳として有税する場合忙はr
 ′lヽ
ィッとダソナヒ及び東プロツア間の交洩の安全はビユーウ
と〆ソナヒまたはヂイルyヤサを給ぶ治外毒打者する自
動車道路及び複線鋳造と以て確保せらるべし.この地帯は棺
一軒としドイツ領として道路及び鋳造はポーラyド例の変
      ・J−}tく          こけさ
洩を妨寄せぎるやう横磯さるべし.道路の交叉鮎は跨橋ま
  つ一だ,
たは隠遁を以てすべし」若し人民投票がドイツ側此有利と
ならば、ポーヲyドはグヂー17との交洩を確保する同棟の
樺利を輿へらるべし.
 ヽノ くわいらl
.九 親廊地帯がドイツに法務される▲場合ドイツ政府は
 ′lヽ
ポーランドと少数民族の交換む行ふ用意あむ
 ヽノ
 十 ダンケkに放てポーアyドの主溝する諸相利は〆ヂ
 ′lヽ
;農に放けるイイ・ツの稚利と均等の立場に放て交渉†べし.
 )          け▲はく小ん
 十一ダソナヒ及びグヂー一丁他者迫感を防止†冬木めに非
  ′\
           し●i−小l
武装地帯とし純然たる商港たるべし.
 ヽノ
三 へラ牛島せ非武装地帯とし人民投票によりドイツ士
I  ′■ヽ
                ● ▼く
たはポーラyドの何れかへ驚を決定すべし.
 )
芸ポ」ラyド革円にあるドイツ少数民族及びドイツ旬
・ ′ヽ
内にあるポーラ打ド少数艮族に押する同額は均鞍重点今に
附鶏し同委員曾はテロyストの活動並びに鮭済的、身銭的
              けんた▲′
瑞昏に押する几ゆる紛争を検討すべし.
弁γ

 ヽノ
盲 ドイツ及びポーラγド少数民族に関する帝権利は一
 ′lヽ
般的強制協定により保乾し以でこれ等民族的性格の生計泣
びに倫亀の自由なる蟄農を確保し、その目的のために設定
せられたる各種の園鰻の舵拝む許容すべしV雨少数民族に
封しては兵役を免除すべし.
 釦 上氾玖諸定案七基礎とする瀾定成立したる場合には
 ′ヽ
下イツ及びポーラソーとも如時動員を解除すべし.
 )                           ,小−
 宗 ドイツ及びポーラソド雨南は右の調停條項の履行と
 ′lヽ
促進するため共同手段を執るべし
       ‖
       1 ●りし−●l
 以上の英濁の折衝が行はれてゐる聞に、ルーズヴェルー
券大統領は二十四日、ととフー線戟及びキジチッスキー波
大統領姓びにイクワー皇帝エマエエル三世忙封して観音む
                     ▲l▲′一い
幾つて平和的解決を勒曾し或ひは調停七要請するところが
あり、またローマ添王ビア十三せもヴ丁ナカy官扱から放
簸と以て平和的解決を勘合し、また二十五日にはルーズヴー
 ルー大敵領が重ねてと・トニフー線溌に親電を幾つて礪波め直
       し一▲フ一▲】・
 要渉怒忽潰した.さら堅−十入日には、ベルギー皇帝レ
オポルエ二世放びにオーアソダのサイルヘルミナ女皇も、英併
伊礪波の五固を加へて平和解決のために固際曾講を開催す
  ▲づ‘ん
べく斡旋する用意あ有卦む各固に弘達する等、各方面に於・
て欺洲戦争同避のための労力が試みちれたのであつた.
 また、ダヲヂィエ併首相もヒトラー線統に封して平和交
  し一う▲▲’        一りし一,
渉を想潰して二十五日以来折衝を重ね、ム,ゾサー⊥−伊
首相は三十一畑忙至つてJ頂慧丁和称解決への努力として、・
ポーラソドを加へた五南合議を提案んて、英併濁の間を斡ノ
放したのであつたが、ヒトラー線状払、一ユ十日、ポーチy
下が全軍に動員を命じたとの報を得るや、三十一日一切の
平欄朋解決む断念し、九月」邑丁前五時四十分を以て苧
ヲyド進軍を命しセのであつた・
 同時忙、ダyチヒに放てはフナルスターによりてドイツ
後節の盤明が行はれ、これに鹿じてrイa南曾は直ちにグ
ソナヒ合併を決熟し、aォルスターをダyチヒ長官≠任命
する昏が敬表づれた.
 こゝに於て事態性急挿し、愁ねて二十五日ポーチyトと
        Mレ・lい

の相互我助條約に調印して決心を観めた英俳雨拘は直ちに
弁S
軍考凄すろ上鶉に、ドイツ政府に封してポーランド進
軍の即時停止放びに平和的解決を要求したのであつたが、さ
                          ▲てつ▲花い
らに炎軋政府は九月二日、重ねてド√ツ軍の即時撒温を要
      つ▲7てふ
求する最接穂牒を逸り、.フayスも三日、同様最後漁牒を
迭つて
 然し

イツの同答影促したのであつた.
ヒトラー線歓の『カを以てカ灯封托せよ』Lいふ進
革命令を受けた国防軍は、直ちに進撃を開姉し、睦杢軍は東
   \
プセ\飲で擬廊及び上部シレジアの三方から国境を爽秋し
てke晶内佗笑レ、婆はグヂ;警易し、
と1に愈モ礪波α教職が開かれたのであつた・
 かくで九月三打、ドイツは英沸の最後洩牒に封して拒絶
の岡答を輿へたので、チェyバレy首相は午前十】時を以
てドイツとの閉に戦争状態に入つた旨を宜官し、フラ、yス
もこれに続いて午後五時を以て同じくドイツと戦争状態に
            ばつばつ
入り、逮に再び欺洲戦争の勃頚を見るに五つたのである・一
      一円
 かくて三方よりポーランドに進撃を開始したドイツ軍は
                      くわい′’・フ
破竹の勢ひを以て進撃を続け、忽ち忙して瀬廊む席巻し入
打には早くも首都ワルシャワに迫つたと報ぜられてゐる.
ドイツ軍の作戦は、西部礪彿国境に於ては寄ら守勢を拝
し、先づ蝮期日にポーデyド征服考遼げんとするものと
見られてゐるが、英俳の宣戦[封して町極めて滑極朗
な態度を示し、三日、宣戦と共に英国海軍はドイツに封す
 ム, l、
る封鎖を教表したの忙封レで、ドイツはバルー海の出入口
であるスウェ⊥ァyjヂyマークとの聞のカテガッ寸隙峡
       とr一り .
】帝に水雷を敷設してこれに鹿じ、また、西部囲境に放て
    ヽ
町有名なる罫鼻ジ」クフy」ト線払挽ウで、英沸軍の侯
   ▲ヽ L▼
入む阻止するの態度を示心てゐるので、徒つて、.東部ポト
                                    ′ †
ヲyド戦戯に放け息戦局の激烈なむ町尽して、西部戦線収
      一い“レ●′ヽ
未だ町極めて静寂であn・
 その他、三日、大西洋に放て英商糖アセ古丁兢の牛沈事
件が起つたのむ初満として英狗例とも町若干α南胎が♯汎軋
  d叩 く・り′ヽ
ひは捕獲雀れた事件があり、また、英茎軍畑r√ツの温
軍根嬢地サイルヘルムスTフェy計爆撃した程度呼止ま
り、ロyドシ、・ハト、ベルトヱ琴は、汎方に放て何れ甘漫
筆を差箆へてゐる状態であ♪、英併封ドイツの戦域は未だ


到らない様様である.
               くわつ一ばつ
 これに戊して、外交戦は頗る清澄に行はれて居り、殊
             めぐ
に、イタX−の中立を続つて、英俳胤の引き込み工作は相
常緑烈を榔めて居ると侍へられて居り、この他バルカソ方
南に放ても、英掛倒偲逸早く、ウエーガソ符節む近東方面
に淡泊してアラビアから7フワカ方南にかけての作戦を進
めつ1あり、これに伴つてトルコ、ルーマー17等の動きが
注目されてゐる.
    .五
 英件の封濁宜戦に伴つて最も注日されてゐるのはイク
サーの動きである柏去る五月七日コモに放て結ばれた礪伊
軍事同盟(週報東雪二十七眈参凰)によれば、常然イタy−
はドイツ側に起つて英俳と一戦を交ふべきである.
 然し、ヒトラー総統は一日のポーラyド進拳闘始に際し
てJ外何の扶助を頼らずと隼明して居り、またイクワ−政
      ●ん●ふ
府も同日の緊急固折合熊に於て戦争に参加せず、外交、軍
                   一丁▲ い
事、舵済を戦時健制下に浸き事態の推移を厳重に庶祀する
に決乾した官計数赦してゐるのである.
 徒つて、このイタly−の中立が各方南から重大楓されて居
      抄ぐ           ぴめ}
り、イクy−を繰る英併璃ゾの外交勒は甚だ微妙な勃々モ
示してゐるのである.
                       .‘ん‘くて」▼
 次に、米固は直接戦争には参加しないかハ全幅的に農併
を授助するものと倦へられて居り、.五日、中立を宜音する
と同時に中立法の夜勤を見たのであるが、いづれ.ル」ズヴー
ルト大舵領は、中立法を修正して英俳側への武縛時報の供
        _うづ・フ
給政びに戦費の触池等と可能ならしめるものと竣想されて
ゐる.
        ▲一 ▲■一〃
 大横米国の輿論は英併に封して絶対の同情をもつてゐる
      一 くわも●, −‡
が、直接撃の渦中七捲き込まれることを恐れてゐ.る.
然し、7セミノ境の撃沈事件に・封し‡も、潮常々▼yセJ
                    い一
ツ・yを超してゐるやうであるから、愈々、英併封ドイツ
の戦闘が開始されることになれば、或ひは事態の如何にょづ
ては英俳側忙起たないとも眼eず、純つてその勅書瀕冥珊
                            ●く l■
双方ともに最も東大鋭して居斗英俳側はその引込みに搾短
となつてゐる・また†ィツ側は極力米囲む刺戦するこ上と
注意してこれを英体側に起たしめないやうに替求してゐる
・さ●
壌櫻である.
 不便略倹約と結んでドイツ側にありと見られてゐるゾ聯
邦は、未だ何等積橿的の動きを見せてゐないが、その立場
は極めで複雑であり、今後果して如何なる態度に出るかに
ついては、英併側でも大きな翔心を持つてゐる.
・なほ、イクy−及び、ゾ聯邦が動かないので、バルカy方面
      は●▲
には恥争が波及するに至らないが、濁伊の側に起つべしと
見られてゐるハyガサー、ブルガyア、ユーゴー・スラゲイア
等に対して、.各個に属すると見られてゐるルーマ千丁と
初めトルコ及びギウシ丁等の動きは極めて複雑であ少、−
 一ん●              ビ,ll
鹿戦槻動くに至ればこの方面にも相昔な勤務が起るものと
せ叩想されてゐる.
 鮎ち、今日までに放て判明せる各国の動きは、三日の英
甲の克戦に淡いて、薄洲及びエジプトは三日、ミ」ジーヲ
yr収掴日、甫阿聯邦漑五日、それネ・Jドイツとの宣戦或
    か叩ん一つ
ひは開交断鶴を黎明し、またモロッコは四日、イヲクは六日
にドイツに封して同棲秒態度を表朋してゐるJ
 なほ、中立的態度を表明した再々は、三日に早くも、ア
イレハ7イルラシド自由囲)を初めオラソグ及びベルギーが
厳正中立む婁明し、四日には帝国が不介入の態度を表明し
た外にへスペイyが中立の宣言を食表し、五月にはペルー、
タイが中立を宜官し、六日にはルーマ去アも中立の箸
表明したのであつた.
 その他「⊥アyマーク、スイス、スウェjヂy、′−ルサエ
ー、ポルトガル、ルクセyブルグ及び忠岡米諸囲等瀬何れ
も厳正中立の態度と表明してゐるが未だ正式には宜官して
ゐない」また、ル十†首アを除くバルカyの浦河、及びバ
ルナック諸何等も萱む表明してゐないが、とれ等の籍甲
は、・そ秒立場が非常に複雑なので、とれを表明するこまに
            一丁▲tく
困難を感じてゐるもめと推測される.
 さらに、英留萌のイyド及びカナダが未だ他の鳥萌と周
じくドイツに対する宣戦乃至海交を表明してゐないのは、
何等かの事情のあるものとして注目されてゐるが、上記の・
中立を宜首した緒靖の中でも、英領のアイレは従来の封英
木材の脚係かレであ少、スペイyの中立は、弼ソ捷携の結
                          ていけい

兵として特に目立つものである.