第一四六号(昭一四・八・二)
  満蒙国境紛争問題          陸軍省情報部
  事変下の我が連合艦隊        海軍省海軍軍事普及部
  何が「軍用資源秘密」か
  支那事変従軍記章の御制定      賞 勲 局
  ドイツの青年宿泊所
  南支沿岸封鎖の強化         海軍省海軍軍事普及部
  日英東京会談とその反響       外務省情報部
  日米通商航海条約廃棄通告問題
  日独貿易協定仮調印
  最近公布の法令           内閣官房総務課

日英東京会談とその反響  外務省情報部

 天津租界問題に関する日英東京会談は、全世界注視の
うちに、七月十五日、我が有田外務大臣とクレーギー駐日
大使との会談を以つて開かれた。
 会談の第一日は、当日発表されたコンミュニケにあるや
うに、十五日の午前九時から外務大臣官邸に於いて三時間余
に亙つて、現下の事態の背景をなす一般問題について討議
が行はれ、次回の会談を十七日に続行することを申合はせ
て第一次の会談を終つたのであつた。
 第二次会談は第一日の申合せによつて十七日に開かれる
筈であつたが、クレーギー大使側に本国政府からの訓令が
到着しなかつたために延期され、十九日の午前九時から開
かれた。この日の会談に於いてクレーギー英大使から天津
問題の背景をなすところの一般問題に関して、英国側の見
解についての説明があり、これに対して有田外務大臣から
我が方の意見を述べ、会談は午後に亙つて続行され、さら
に考慮を重ねるために第三次の会談を二十一日に開くこと
を申合はせたのであつた。
 かくて二十一日午前十一時から開かれた第三次会談は好
調を見せコンミュニケの如く、成立に向つて進捗を見る
に至つた。よつて、第四次会談は引続き二十二日の深更に
及んで行はれ、遂に意見の一致を見るに至り、右に関する
声明は二十四日、東京及びロンドンに於いて同時に発表さ
れることとなつた。
 二十四日発表されたところの声明は左の如きものである。

  『英国政府は大規模の戦闘行為進行中なる支那に於け
 る現実の事態を完全に承認し、又かゝる状態が存続する限
 り支那に於ける日本軍が自己の安全を確保し且つその勢
 力下に在る地域に於ける治安を維持するため特殊の要求
 を有すること、竝びに日本軍を害し、又はその敵を利するが
 如き一切の行為及び原因を排除するの要あることを認識
 す。英国政府は日本軍に於いて前記目的を達成するに当
 り、之が妨碍となるべき何等の行為又は措置を是認するの
 意思を有せず、この機会に於いてかゝる行為及び措置を
 控制すペき旨在支英国官憲及び英国国民に明示し、以つ
 て右政策を確認すべし。』

 なほ、右の一般原則の決定に引続いて、いよ/\天津問
題の具体的交渉に入ることとなり、ニ十四日の午前九時か
ら外務次官官舎に於いて、我が方は加藤公使以下、英国側
はクレーギー大使以下の夫々現地代表を交へた顔触れを以
つて円卓会議が開かれ、爾後引続いて会議は続行されてゐ
るのである。
 而して、上記の天津問題の背景をなす一般問題に関する
日英間の原則的協定の成立は、各方面に対して大きな反響
を起したのである。

    二
 
 天津問題の相手国である英国は、租界の封鎖が断行され
た当初に於いては、相当に昂奮し対日報復等の強硬論が現
はれたのであつたが、愈々租界の隔絶が日を経るに従つ
て、我が方の決意の強硬なことが判明するや『今や日本政
府もこの問題に対して軍部を支持してゐることが明瞭とな
つた』として事態の拡大を憂慮する色を見せ、『事件を小
さくすることが結局万人の利益である。日本の意思を明ら
かに知りまた欧州にこれと相関的に起るべき事態を静観す
る必要がある』として、問題の局地的解決を要望するの態度
を仄めかしたが、恰も現地竝びに日本に於ける反英運動の
擡頭によつて、問題の解決を焦慮する傾向が濃厚となつて
来た。
 かくて東京会談が開始されるや、一面には安堵の色を現
はすと共に、この際日本と妥協することを以つて恰も日
本から外交政策の変更を強制されるのであるかの如き印象
が、相当輿論を刺戟した模様であつたが、会談の進行する
に従ひ、我が方の要求の内容も明白となるに及んで、英国
の威信を損することなくして妥協に達し得るものとの確信
を得て、稍々楽観的な論調を示すに至つた。
 二十四日の一般問題に関する意見の一致が発表される
や、これを以つて英国政府は対支政策を変更したものでな
いとの解釈を伝へるものがあり、まね、対日強硬派及び反
対派は日本に対する譲歩であるとしてゐる。
 然し一般の輿論は日本との妥協を已むを得ずと認めて居
り、『日本の支那に於ける政治的地位を認めんとして居る
ことは政治的聡明の第一歩である』と直言して居るもの
もあり、言論界の耆宿サイド・ポーサム氏の如きも、『英国
は対支政策に於いて厳正中立を守り、その関心は通商貿易
に局限されなければならぬ』と論じてゐる。

    三

 フランスは大体に於いて英国に追随してゐるやうに見ら
れて居り、租界の封鎖に対しては事件は英国租界の関係で
はあるが英国と共同利害関係に立つ以上、英国の政策を全的
に支持しなければならないふ態度を表はし、而かも『新秩
序の下に租界制度の撤廃を目指してゐる』とか『西欧諸国に
対する攻撃のエピソードの一つに過ぎない』とし、或ひは『治
外法権は何れにせよ消滅すべき運命にある』等、稍々悲観的な
見方が多く、従つて一般に中立的静観の態度に傾いた。
 東京会談が開かれて日本の主張が明らかとなるや、共産
党の諸紙を除いて各新聞共に会談の進抄を歓迎し、英国
が日本との妥結によつてその勢力を東亜の方面に割く必要
が無くなるのを喜ぶ色を見せたが、いよ/\二十四日、一
般問題に関する意見の一致が伝へられるや、英国は東亜に
於いて日本に譲歩することによつて欧州に於ける自国の地
位を強化し得たと日本との妥協を歓迎し『結局英国は東亜
で威信を失つただけで、欧州戦線に於ける実力を増加した
のであるからこの方が重要である』と批評し、或ひは『英国
は欧州に於いて平和と安全を確保することによつて始めて
海外に於ける優勢を保ち得るのであるから、多少の譲歩は
しても欧州に於ける行動の自由を失はぬことが肝要であら
う』と忠告してゐるのである。

    四

 米国は、英国から共同戦線を要求されて居る立場にあ
り、甚だ微妙な関係に置かれてあつたので、その論議は頗
る慎重であつた。天津租界の隔絶が実施されるや一般に『日
本は今や極東から欧米勢力の駆逐を決意し、凡ゆる手段を以
つてその目的の達成に努力してゐる』との印象は相当強く、
『西欧諸国が欧州問題で夢中になつて居る際、東洋に於いて
英国に圧迫を試みて居る』と皮肉つて居るものもあつた。
 米国の立場については『事態の成行きに無関心たり得な
い』とはいふものの、然し『米国は戦争を賭してまで英仏の在支
権益を守るべき義務を有して居ないが故に、英仏に引きず
られて戦争に捲き込まれる危険を避くべきである』との議
論が強いが、中には『若し英国が封鎖を決意すれば米国も
日本の太平洋貿易遮断を目的とする補助的封鎖を考慮すべ
きである』といふ強硬論もあり、大体に於いて日本には悪
く英国に同情的であつたことは勿論である。
 かくて東京会談に於いて一般問題に対する日英間の意見
の一致が報ぜらるゝや『英国は再び大退却をなさんとする
もので、英国竝びに支那、さらに太平洋に利害関係を有す
る列国に重大な影響を与へるであらう』となし、また『そ
の他の外国租界にも直ちに適用さるべく、結局日本軍の占
領地域に於ける英米の通商竝びに文化事業終焉の端緒と
なるであらう。若し英国が一時遁れのために交渉をやつて
ゐるのに過ぎないものとすれば、今のところ租界に対する日
本軍の直接行動を避け、東京に於ける反英運動を緩和せん
とする目的を達成したものと称し得るが、然し英国が実際に
譲歩屈服するや否やは欧州の情勢及び米国に於ける孤立論の
趨勢によつて左右されるであらう』と見てゐるのである。

    五

 防共の盟邦である独伊の両国は、終始日本を支持して声
援を送つてゐる。
 即ちドイツは租界の封鎖を東亜の指導者たる日本の決断
を正当なりとし、租界の回収を以つて事件唯一の且つ根本
的な解決法と見做して居り、また日本の強硬態度を以つて
対独伊関係強化の現はれと考へ、一方、英国の実力につい
ては、その極東に於ける兵力を以つてしては戦争を行ふこ
とは困難で、本国よりの援助を必要とするが欧州今日の情
勢ではそれが不可能であると指摘し、さらに経済的方面か
ら見ても日本品のボイコット等の計画は、一九三六年の対
伊経済制裁の失敗に徴しても効果なしと断じた。なほ、東
京会談の経過に対しても多大の関心を示し、二十四日の声
明発表に対しても英国の譲歩を当然なりと見てゐる。
 イタリーはドイツ以上にさらに積極的で、日本の武力の
強大なのに鑑みて英国が武力を以つてこれに対抗せんとす
るのは最も不可であると英国の軍備の不足を指摘し、また、
英国の援蒋政策の誤謬をあますところなく暴露し、『日本の
正義の行動に英国は屈服するであらう。過去に於ける不正
を是正し、正義による平和を建設することは日独伊三国の
天職である』と論じて力強い支持を示した。
 東京会談の成果に対しては、『今日までに得られた唯一の
結果は、英国が支那に於いて日本によつて造られた天津の
事態を認めなければならなかつたといふことだけである。
然しこの結論は極めて重大であつて独伊両国がこの結果に
対して満腔の満足を感ずることは既に明白にされてゐる。
然し、会談の最後的結果に対して積極的な楽観をなすこと
は尚早である。我等は日本が勇気と忍耐とを以つて、最後
の外交的勝利を得ることを常に期待するものである』と、甚
だ友情に満ちた忠告を与へてゐるのである。

    六

 租界問題及び東京会談に対して最も関心を持つてゐるの
は英国を除いては支那である。特に重慶政府は租界問題に
対する日本の強硬政策を以つて、軍部の独断であり、従つて
独伊両国と密接なる関係があると宣伝し、これによつて民
主主義諸国、特に英国の援助を切りに求めたのであつた。
 従つて東京会談に対しても、英国の対日妥協政策は英国
の戚信を失墜するものであるとして、英国が日本に屈せざ
る強硬な態度に出づべきことを要望し、英国のこの強硬
態度は結局会談の決裂を招き、従つて日英関係は益々悪化
すぺく、その結果として英国の対支同情と援助とは益々促
進されることとなるであらうと、頗る自分勝手な期待を持
つて居たのであつた。
 然るに会談の進捗に従つて英国側譲歩の報道が伝へらる
るや、英国が嘗てチェッコに対して執つた政策を支那に於
いて繰りかへし、一面対支借款を許容すると共に他面支
那の領土、主権の保全を犠牲にするのではないかとの懸念
を抱いて、非常な狼狽を現はしたが二十四日、一般原則問
題について諒解が成立したと伝へられるに至つて深刻なる
失望に陥つたことは覆ふべくもない。
 即ち、英国の百八十度的転換としてその現実的妥協外交
を非難し、『英国の援助は交戦の初期に於いてこそ必要が大
であつたが、既に粤漢線の断絶した今日は別に軍事輸送路
線が出来、民族の重心が西に遷つた結果一般国民の生活は
自給自足の立場に立つ以上、英国よりの援助に俟つ点は益々
少くなつたと共に、こゝ一年以来英国が対支援助に吝であ
つたのに鑑みる時は、何でその影響するところがあらうか』
と会談の初まる前とは打つて変つて英国に毒づいて居る。
 また『有田・クレーギー協定見同条約及び本年一月二十
日聯盟理事会が採択した日支事変に関する決議に背反する
ものである』と攻撃し、『英国は結局日本の増長を昂め、同
時に支那の反感を買つて極東から締め出しを喰ふであら
う』とか『英国は米仏等からも見放されて益々極東に於いて孤
立無援の地位に陥るであらう』とか切りに嫌味を並べてゐる。
 それと共に一方では、英国下院に於いてチェンバレン首
相が英国の対支政策は不変であると並べた点を誇大に宣伝
し、或ひはソ支通商協定の成立、米支新借款成立の可能
性を強調して米ソ依存強化を宣伝し、『支那は英国のみに依
存してゐないから大局に影響なし』とか、『唯自己の力量を
以つて飽くまでも抗戦を続くるのみ』とか強がりを示す等
内心の衝撃と混乱とを如実に現はしてゐる。

    七

 以上の他、中立的な立場にある諸国に於いては、べルギー
の新聞は『今回の妥協により、日本は支那の新秩序を認めし
むる主義に於いて成功したものと言ふべく、正に日本外交の
成功で、これにより日本が黄色人種間に於ける権威を増大し
たことは争はれない。』と批評して居り、またスイスの新聞
は『日英交渉の成立は支那の抵抗力を弱めるのに大きな效
果を与へるであらう』と結論して『今回の交渉に於いて日
本が斯くも有利な地歩を占めるに至つた理由としては日本
の海軍力が英国のそれに対して決して劣勢でないといふ事
実も勿論ではあるが、それ以外に最近一ケ月半に亙る満ソ
国境方面に於ける戦闘の結果、ソ聯の無力さが完全に暴露
され、英国がソ聯を頼み難しと考へるに至つたことも与つて
カがある』と指摘し、『英国側は多大の譲歩をした訳である
が、その代りソ聯に対する正しき認識を得、且つ支那に於
ける地位及び租界について日本側をして相当な考慮を払は
しめることとなつたのは大きな収穫と言ふべきであらう』
と論じてゐる。
 要するに、各国に於ける反響は大体に於いて東京会談の
結果を英国の譲歩、日本の成功と見て居るのであるが、ま
実に於いて東京会談は未だ天津問題の背景をなす一般問題
の原則について、支那に於ける現実の事態を英国が承認し
たのに止まり、果して英国が実際に誠意を披瀝するかどう
かは、一に今後の会談の成行と実行振りの如何にかゝつて
ゐるわけである。天津問題の具体的解決は目下円卓会議に
於いて討議中であり、治安維持の問題を初め、聯銀券の問題、
現銀引渡し問題等頗る困難な問題が存在して居り、これ等
の諸問題について完全なる妥結に到達するまでには、なほ
幾多の曲折があるものと予想されるのであつて、われ/\
国民も之に対処する充分の用意が必要である。