第一三七号(昭一四・五・三一)
  青少年学徒に勅語を賜ふ
  農村労働力の問題         農 林 省
  関門トンネルの話         内 務 省   鉄 道 省
  日本海海戦の戦果と日露戦争    海軍省海軍軍事普及部
  棗陽作戦の概要          陸軍省情報部
  草の利用について         陸軍獣医学校研究部
  独伊同盟成る           外務省情報部
  新東亜読本(九)  支那の民情と民族性(下)      村上知行

日本海海戦の戦果と日露戦争   海軍省海軍軍事普及部

 過ぐる日露戦役は、明治三十七年二月八日宣戦に先だ
ち、我が水雷艇隊が旅順港在泊露国艦隊に対して奇襲を
決行、彼の戦艦二隻、装甲巡洋艦一隻に雷撃を加へてそ
の戦闘力を喪失せしめたのに始まり、爾来皇軍は陸に
海に連戦連勝、翌三十八年五月二十七日日本海海戦の大
捷によつて事実上その幕を閉ぢたのであつた。
 この間特筆すべき大小の海戦は必ずしも少しとしない。
 例へば海戦の発端に於いて機先を制した前記の水雷艇
隊の旅順港在泊敵艦隊の奇襲竝びに仁川沖の海戦、或ひ
は前後三回に互つて決行せられ、壮烈鬼神を哭かしめた
旅順港口の閉塞、或ひは旅順港脱出を企てた敵艦隊を
撃破したなど、わけても八月十日の海戦の如きは著名な
るものである。いづれも制海権の獲得を目的とし、決
戦に至る迄の準備行動であつて海戦史上に特筆大書さ
るべきものである。然しながら明治三十八年五月二十七
日に於ける日本海海戦こそは、我が艦隊の全部を挙げて
之に参加し皇国の興廃をこの一戦に賭けた乾坤一擲の
大決戦であつて、我が聯合艦隊は奮戦数日、遂に露国艦
隊を撃滅し曠古未曾有の戦果を収めたである。
 そも/\日本海海戦の大捷は、その直前たる明治三
十八年三月十日、奉天に於ける陸の一大決戦の輝やく戦
果をいよ/\決定的なるものとなし、敵の戦意を根本的
に挫折喪失せしめ、急転直下、平和克服をもたらす要
因となつたのである。露軍は彼の奉天の大会戦に惨敗し
て再び起つ能はざる程の致命的打撃を蒙つたとはいへ、
尚ほバルチック艦隊の戦勝乃至浦塩到着を期して、頽勢
挽回に一縷の望みを繋いでゐたのである。然るにバル
チック艦隊は万里遠征の辛酸遂に酬いられず、みじめに
も日本海の藻屑と消え失せて了つたのである。かくて露
国の選ぶべき道は、もはや平和克復以外になかつたこと
は当然であつた。
 東郷元帥は後年或る人から「負けた時はどうなさる積
りでありましたか。」と問はれた時、言下に、「敗けた時
の事は考へなかつた。」と答へられたさうであるが、わ
れわれは今万一我が聯合艦隊が破れたとしたら果してど
うなつたであらうか、或ひは破れないまでも互角の勝負
に終り、敵艦隊の残存勢力が浦塩に遁入し得たとしたら
果して戦局はどうなつたであらうかと静かに思ひを巡
らして見る時、バルチックタ艦隊撃滅の效果の絶大無限で
あつた事実を今更に痛感せざるを得ないのである。
 それと同時に彼の「皇国の興廃此の一戦にあり各員一
層奮励努力せよ。」との不朽の信号がいよ/\千古不滅の
光輝を放ち、万世に互つて深遠なる意義を蔵する所以
を明確に了得し得るのである。
 げに此の一戦、撃滅の效果は真に皇国の興廃を一挙に
決したものであつた。而かも永遠に皇国の隆運を決定
し、約束したものであつた。
 実に明治三十八年五月二十七日は、恰も百年前トラ
ファルガー海戦の日に、英国の大帝国たるべき運命が決せ
られたるが如く、東洋の爾(さいじ)たる島帝国日本が、一躍世
界の海国大日本と成り、こゝに日本民族開眼の契機は到
来し、やがて躍進日本今日の素地を作つたのである。五
月二十七日を以つて海軍記念日と定められた所以も茲に
存するのであつて、啻(ただ)に海軍記念日たるのみならず、ま
た我が国民の一大記念日と称するに足るものである。
 かやうに皇国の興廃を決したこの一戦は、、また世界史
上に新たなる一線を劃し、夙に太平洋時代の転回困をも
示唆(じさ)したのである。そして明治天皇の叡慮によつて着手
せられた帝国海軍建設の大業は茲に完成せられ、我が
海軍は、露国の海上勢力を東亜の海から一掃して一躍世
界の六大海軍国に列するに至つた。
 即ち、この時以来我が日本は東亜に於ける唯一の海軍
国と成り、新興近代国家として世界の視野に大きく映る
やうになつたのである。
 爾来二十四星霜、世界は絶えず治乱興亡の歴史をくり
返しつゝその形勢は幾変転を見た。
 この間、我が国はあらゆる世界の重大問題に関与し
て、発言権はます/\拡大強化され、国際的地位は躍
進の一路を辿り、今日世界の三大海軍国としてきた世界
一流の強国として不抜の地歩を占めるに而つたのである。
 現に我が日本は東亜の安定勢力たるの責任に於いて、
支那事変の処理、東亜新秩序の建設に邁進中であり、且
つ日・独・伊・満・匈・西の列国を連ねる防共枢軸の重鎮と
して、世界の平和と人類の福祉に貢献しつゝあるのである。
 惟ふに我が国の今日あるは、その因つて来たるところ極
めて遠く、固より我が尊厳なる國體の然らしむるところ
であるが、我が国の近代日本への発足が明治維新に始ま
り而して躍進日本のスタートが正に日露戦役に曠古未
曾有の大捷を博したその時にあるといふことは間違なく
いへる。
 而かもこの一戦撃滅の戦果がかくまでに皇国の隆運
を決定するに至つたことは、真に驚異に値すべきこと
である。
 戦史に明記されてゐる通り、この一大撃滅戦は、五月
二十七日払暁、我が哨艦信濃丸が二〇三地点に敵艦隊の北
航するを発見したるに始まり、対馬海峡の南方より松島、
竹島附近に亙れる約三百浬の大海面に於いて、翌二十八
日日没後迄二日間に跨り、昼夜連続各方面に戦はれた
ものであつて、その間彼我艦艇の砲火を交へたる合戦は
大小十ケ所に及んだのであるが、その決戦の決戦たる純
正の部分は僅かに会敵当初の三十分に過ぎず爾後の戦
闘は凡て追撃戦となつたのであつた。
 即ち千古未曾有の大海戦の火蓋が切つて落されてから、
僅かに三十分にして勝敗の数が定まり、而してこの撃滅
戦の輝やく戦果が、皇軍の大捷を以つて日露戦役の幕を
閉ぢると同時に、皇国千年の運命を決定したのであつた。
 これが一大驚異でなくて何であらうか。
 然しながら当年東郷司令長官の幕僚たりし故秋山将軍
は、後年に至り当時の戦況を説明した際、「されば海戦
の決勝は僅かに三十分間にて獲得さるゝも、こゝに至ら
しむるには十年の戦備を要するものにて、即ち取りも直
さず連綿十年の戦争と謂ふべきなり。この十年の経営の
大戦争に於いて、皇軍が海に陸に連戦連勝し得たること
皆是れ明治天皇陛下御稜威の致す所なり。」と結言してゐ
るのである。
 彼の三国干渉以来、全日本国民が老幼男女国を挙げて
烈々たる義憤に燃え、克く臥薪嘗胆十年の忍苦に耐へ、
比類なき挙国一致の精神を発揮し、偉大なる業績を成
就したことこそは、戦勝の困を齎したものであつて、永
く後代国民の亀鑑たるべきものである。当時国を挙げて
公に奉じたる国民的努力の結晶は枚挙に遑がないが、
その一例を示せば、当時の我が国の財政状態に於いて、
戦前短年月の間に克く六六艦隊、即ち六戦艦・六装甲巡
洋艦その他を整備充実し得たことは、明らかに海戦の勝
利を我に導いた要因であつた。
 即ち、日本海海戦に於いて、敵の戦艦八隻・装甲巡洋
艦一隻・装甲海防艦三隻に対して我も亦戦艦四隻・装甲巡
洋艦八隻(内日進、春日は開戦後イタリーより購入)計十
二隻を主力として対抗し得たことそのことが、「先帝陛下
の御稜威に基づける皇軍天佑の最大なるもの」(故秋山将
軍の言)であつた。
 尚ほわれ/\は「富士」、「八島」の我が海軍最初の二戦
艦が、畏くも明治天皇の御恩召によつて明治二十六年以
降六年間毎年三十万円宛(づゝ)内廷の費を省いて、これを御下
賜あらせられ、文武百僚亦同期間その俸給十分ノ一を入
れて、製艦費の補足をなさしめ給うた惨憺たる経営によ
る所産であることを想起して今更に恐懼感激に堪へな
い次第である。
 われ/\は、三十四年前日本海海戦に放ける曠古未曾
有の大捷を記念し、現前の支那事変に於ける輝かしき戦
果を謳歌するにつけても、功の成るは成るの日に成るに
あらず、必ず因つて来たる所ある所以を静かに反省悟了
する所がなければならぬ。僅かに三十分間に成し遂げら
れたるが如き偉大なる業績も仔細に之を検討すれば、正
しく十年の戦争、十年惨憺たる経営の結実に外ならぬも
のであつた。
 この事は既往に於いてのみならず、永遠の将来に亙
つて真理であるといへる。
 今や支那事変は進展又進展、いよ/\新たなる段階に
突き進み東亜新秩序の建設漸くその緒に就き、ほの/"\
と新東亜の黎明を望むに至つたやうな心地がせらるゝと
はいへ、前途は尚ほ遼遠、而かも我が日本を繞る国際情
勢は楽観を許さざるのみか、太平洋の波たち騒がんとす
る気配さへ感知せらるゝのである。加ふるに欧洲の情勢
は日に険悪を加へ、正に世界大戦の前夜を思はしむるも
のがあり、勢ひ東亜も亦新たなる渦乱に投ずること無き
を保し難い形勢にあるといへる。
 かくて三十四年前、日本海海戦の大捷が示唆した太平
洋時代は、今正に眼前に展開されつゝあるのである。而し
て今や世界の形勢は、三十四年前とは全く一変した
。一
度東亜の海から姿を消した露国海軍は、赤色海軍と名乗
りを挙げて新生し再び日本海の対岸に現はれた。
 往年日本に好意を示した英・米は今では我が日本を目
標に、その海軍力を拡張強化しつゝひし/\と我等の
海、西太平洋に臨まんとしつゝある現状である。
 今日我が西太平洋に渡洋進攻作戦を企図しつゝあるも
のは、バルチック艦隊ならぬ英・米両国の強大なる艦隊
である。
 かくの如く現下東亜の形勢を観望する時、三十四年前
と、敵味方の分野をこそ異にすれ、護国の方式は不変であ
つて、さながら当年の形勢に彷彿たるものがあるといへる。
 これ海洋国日本の本質上極めて当然のことであると謂
はねばならぬ。即ち我が日本が如何にアジア大陸の奥地
深く発展するも、日本国家の独立、生存、発展を主張
し、防衛せんが為めには、陸に強大なる陸軍力、海に優
勢なる海軍力を不可欠とし、而かも常に西太平洋の制海
権確保を絶対的、基礎的、先行的条件とするのである。
 茲に海軍記念日を迎へて、われ/\は今三十四年前、皇
国の興廃を一戦に賭した日本海海戦当時にもまして重大
危局に直面してゐるものであることを痛感するのである。