第一三〇号(昭一四・四・一二)
  電力国家管理の前進        電 気 庁
  戦時下の少年保護事業       司 法 省
  テレビジョンの話           逓 信 省
  転業対策の新施設        商工省転業対策部
  イラン国事情           外務省情報部
  昭和十四年度国民貯蓄奨励方策   国民貯蓄奨励局
  官庁編纂図書だより
  新東亜読本(二)  事変と中国共産党      満鉄東亜経済調査局 雪竹栄

戦時下の少年保護事業
                  司   法   省


    一 長期建設と少年保護の重要性

 興亜の春を迎へて、大陸には、東亜新秩序建設といふ有史以来の大事業が、力強い実現の歩みを進めてゐる。この大業を遂行するために大切なことは、我等の後継者の問題である。第二の国民の問題である。具体的にいへば、我等の子弟、少年少女の問題である。
 国家の興隆を思ひ、民族の発展を念ずる国民は、如何なる場合でも、その第二の国民、即ち青少年の問題を最も重視する。世界大戦に敗れて破局に瀕したドイツが、先づワンダー・フォーゲル運動によつて健全な青少年を鍛錬することを考へ、更に、ヒトラーに至つては、例のヒトラー・ユーゲントを以つて、青少年の鍛錬に乗り出したばかりでなく、実に彼の新興大ドイツ建設の礎石としたのである。世界列強の唖然たる中に、中欧に覇を称へんとする大活躍の基礎は、実に此処に築かれたといつてもよい。大戦後、国内には栄養不良の虚弱児と、戦前の四万から約十万人に増加した不良少年とが、うようよしてゐた憐れなドイツが、強健な肉体と溌剌たる精神とを具へたヒトラー・ユーゲントに変つた時、既に、今日の大発展は約束されてゐたといへよう。
 洵に、青少年を愛護する国は興り之を放任する国は亡びる。


   二 少年犯罪の増加


 近代の文明諸国に於いては種々の生活関係が複雑錯綜し、個人主義的な生存競争が否応なしに人々の生活を引ずり廻してゐたために、その裏面に於いては、教育的に遺棄の状態に置かれる子供たちが社会の片隅に堆積されていつた。かくして子女不良化の現象は、悲しむべきことには、文化の程度の高い国ほど増加しつゝあるといふ、まことに奇異な事実を生んでゐたのである。我が国も従来遺憾ながらこの例に洩れなかつた。

全 国 少 年 犯 罪 数
昭和6年 41,743
昭和7年 42,586
昭和8年 47,691
昭和9年 54,023
昭和10年 51,253

 文化。教育その他諸般の進展にもかゝはらず、右表の如く犯罪少年は憂慮すべき増加を示してゐる。更にその外に、犯罪に至らぬ不良少年少女が沢山ゐることを考へれば、これらの少年に対して保護の手をさし伸べることが最も大切な国家的任務であることはいふまでもない。


   三 我が国の少年保護事業の現状

 我が国の少年保護事業は、大正十一年四月十七日を以つて歴史的展開を遂げた。「愛の法律」少年法が、この日公布され、国家自らがこの重大な事業に、積極的に、組織的に乗り出す決意を示したのである。(四月十七日を少年保護記念日と定めたのはこの故である。)
 この少年法に基づいて、国家の少年保護事業の中心機関として、少年審判所があり、犯罪少年少女及び犯罪を犯す虞れのあるいはゆる不良少年少女に保護を加へ、これを矯正善導して、健全有為の日本人となし、一面国家の人的資源を増強し、他面、社会を犯罪の危険から防衛する事業を実施してゐる。
 現在、我が国には、東京・大阪・名古屋・福岡の四少年審判所があり、三府十一県が少年法の恩恵に浴してゐるが、他の一道三十二県の少年達がこの恵沢から除外されてゐる事は遭憾である。
 満十八歳未満の少年少女で、罪を犯し、又は犯す虞れある者は、保護を加へられ、もし必要があれば、その保護は満二十三歳まで継続出来る。少年審判所では、先づ、少年の心身の状況家庭その他環境について、正確綿密な調査を行つてから、最も適切な保護指導の方法を決めて実施に移す。これを保護処分といひ、(一)訓誡 (ニ)校長の訓誠 (三)書面による改心の誓約 (四)條件付で保護者に引渡す (五)寺院・教会・保護団体又は適当な者に委託す (六)少年保護司の観察に付す (七)感化院(少年教護院) (八)矯正院 (九)病院に送る等の方法の中、最も適切なものを選ぶ。
 少年保護司は、少年を家庭に、就職先に、平常通りの生活をさせながら、たえず観察保護指導し、悩み多き少年の日のよき相談相手となる。矯正院・保護団体等では少年を収容し、勤労作業及び実科教育竝びに日常生活む通じ、厳格な規律の下に訓練して過去の悪習を打破し健全な国民に更生せしむべく努めてゐる。
 この少年審判所を中心とする少年保護事業は、少年法施行以来目ざましい躍進を遂げ、毎年万余の取扱少年の大部分を忠良有為の国民として更生せしめてゐる。
 「第二の誕生期」にある青少年の心身は伸びゆく若木であつて、曲り易くもある代り矯め易くもある。司法少年保護事業の可能性はそこに根拠を置いてをり、このやうな少年保護事業の效果と意義とが一段と強く認められるに至つたのは今度の長期建設戦である。

   四 不良少年は更生する

 今次聖戦に会して、大和民族は輝かしい真価を現はしたが、不良少年と雖もまた日本人であつた。人的資源増強の国策に順応すべく全力を保護指導にそゝいだ我が少年保護事業は、遂に不良少年の内に眠る日本民族の魂を呼び覚すことに成功した。
 小遣銭を節し食を節しての国防献金、傷病兵慰問、或ひは出征家族への労力奉仕、神社清掃、公共土木工事参加、関西某所の少年たちの橿原神宮神域拡張工事奉仕隊参加、収容少年たちの軍需品制作勤労。  然し少年達の純情は遂にこゝに止まらず、自らの罪多き身にもかゝはらず、陛下から大御宝として慈み賜はる日本国民の光栄に感激し、我も大日本の若人であるからには、銃を執つて大睦に 陛下の御盾とならんとの熱望は続出した。保護少年中昨年に於いて現役志願の熱望をもつたものは判明してゐるだけで二百七十二名に上り、受験合格して帝国軍人として奮闘してゐる者百六十四名である。本年に至り志願希望者は急激に増加しつゝある。最古の少年保護団体の一たる某所では一ケ所だけで既に百名以上の現役志願を出してゐる。
 (輝かしき武勲の例) 右団体の保護少年の一人、剛健な精神と溌剌たる身体を同所独自の猛訓練で鍛へ上げた彼は止み難き愛国の熱情から海軍に現役志願し、忽ち頭角を現はして最もすぐれた。パイロットとなつた一人は、今次事変当初の支那機の悪虐なる上海盲爆に憤激した記憶を持つであらう。この翌日、あの我が海軍機の第一囘敵首都渡洋爆撃の大壮行の中に、実に彼の颯爽たる操縦姿が見出されたのである。爾来敵機を撃墜すること幾多、その精神手腕は認められて今や母国の○○飛行基地に教官の重大任務を果してゐる。

フランスに於ける世界大戦前後の犯罪情勢
年次 一般犯罪 女性犯罪 少年犯罪 備考
件数 増加率 件数 増加率 件数 増加率
西暦  









1913 591,612 100 33,645 100 13,194 100
1914 402,161 68 26,637 79 9,991 77
1915 316,523 54 30,280 90 14,204 109
1916 347,348 59 37,633 111 18,076 137
1917 390,014 66 38,019 113 22,034 167
1918 460,502 77 45,084 134 22,826 173
1919 526,394 95 52,823 157 21,374 162
1920 604,468 102 48,695 177 24,606 189

 其保護少年は、その更生の努力により優秀な軍人となり善行賞を受け除隊後某篤行家の養子に望まれ、国策飛行機会社に職工として入るや忽ち認められ、現在職工組長として抜擢されてゐる。
 これ等の愛国の熱情は、一方止むに止まれぬ大陸への発展の熱望となつて現はれた。即ち大陸進出、満蒙開拓の戦士として、大和民族発展のさきがけとならんとするものが相ついで現はれ、昨年中の調査で判明したもののみでも、百七十六名に上り、五十三名は既に大陸の曠野に鍬をとつてゐる。本年は更に増加の傾向にある。
 時局に目ざめた少年達の第三の進路は、銃後産業戦線への参加であつた。訓練を終つて立派な青年となつた彼等の多数が、生産力拡充の大国策の下に、日夜倦まずに勤労し、いくらかの不安をもつてゐたエ場主を感嘆せしめてゐるものが多い。殊に保護少年中には、特殊の才能をもつものがあり、技術の方面でもすぐれた成績を上げてゐる。

ドイツに於ける世界大戦前後の犯罪情勢
年次 一般犯罪人員 増加率 少年犯罪人員 増加率 備考
西暦
1913 555,527 100 54,155 100
1914 454,064 82 46,940 86



1915 287,535 52 63,126 116
1916 287,500 52 80,399 148
1917 294,584 53 95,651 175
1918 341,526 61 99,498 183
1919 348,247 62 64,619 119
1920 608,563 110 91,171 168

 特異な例として、半島少年保護の某団体がある。彼等の愛国の誠は、決して内地少年に劣らず、小遣を節約し廃物を集め、食を節しての可憐な愛国献金、病院慰問。近所の某出征家族が秋の収穫に困つてゐるのと見ての自発的の労力奉仕。また、パラシュートを製作してゐるものもある。それはやがて大陸の空に慰問の品々を孕ませて前線に戦ふ勇士を喜ばせることであらう。


   五 長期建設と子女の保護

 以上の事実をみて、我等は不良少年に対する従来の考へ方の誤りを発見する。不良少年も実に日本人であつたのだ。保護・指導・訓練にして適切ならば、彼等と健全な日本国民に更生させることの出来る事実を、前述の実例は物語つてゐる。

満洲事変前後の犯罪情勢
年   次 有罪総人員 増加率 備  考
昭和 三年 995,381 100
四年 1,080,170 109
五年 1,173,860 118
六年 1,202,801 121 満洲事変
七年 1,206,847 121 上海事変
八年 1,467,961 149
九年 1,689,567 170
十年 1,700,176 171


 併しこゝに、特に注意を要するのは、戦争末期及び戦後に於ける不良少年の増加現象である。世界大戦当時のフランス・ドイツ等の実例から、われわれは今こそ予じめ覚悟を決めねばならぬ。満洲事変前後の犯罪情勢はこれを示唆する。
 これを見るといづれも戦争末期から戦後にかけて、特に不良少年の激増することがわかる。我が国に於いては、此類なき國體の下に、幸ひに未だその現象を見ないが油断は禁物である。父兄の出征、婦人の社会的進出、殷賑産業への少年労働者の著るしき就業、転失業その他の社会不安等、少年少女を不良化させる原因はますます増加しつゝある。
 我が国は今、長期建設戦下大和民族の総力を挙げて聖業貫徹に奪励してゐるのであつて一人の子女をもこの国民精神総動員の大行進から落伍させてはならぬのである。
 今や、我が国は、青少年の健全性を最も要求する時代に際会してゐるのである。この秋(とき)こそ、われわれは、われわれの子女と犯罪から保護し、不良化と防止すると共に、更に進んで、剛健なる精神と溌剌たる肉体を持ち、三千年の光栄ある大和民族の魂と、その熱血にたぎらせた「日本人」に護り育てねばならぬ。

週報130号