第一一六号(昭一四・一・四)
  時局下に於ける皇室の御近状     宮 内 省
  事変第三年を迎ふ          内閣情報部
  時局の前途と陸軍の使命       陸軍省情報部
  大陸建設と海軍力         海軍省海軍軍事普及部
  列国と観光国策          国際観光局
  国際政局・回顧と展望(上)     外務省情報部

 

列団の観光国策
     − 世界各固はいかに観光事彙を重親してゐるか 一

                 山園 際 観 光 局

 わが昭が戦時絶動員の一翼として現鹿最も必要として
ゐる封外同情宣倖や国際収支故事の上忙、国際観光事
発がいかなる寄輿をなしつ1あるかといふことについて
は、世上や1もすれば認劫の捲いうらみがある.
 由氷観光宜倖は、いはゆる政治慮侍と異つて、文化の
轟と周じく、自由且つ平和な観念より頚足し、無色透
      ■り ▲け
 明、融洩触…碍なものであるから、この軌光宜侍女泡じて
           し▲たい
−団の国情文化の虞姿態を海外に宜揚することは、その
            ■● 与ん
 固に封する正しい輿論を喚起し、誤れる認識を是正し好
 挿させる上には極めて有数である.さらにまた一方、こ
 れによつて香意の外客を誘致し、いはゆる「見えぎる輸
 出」忙より固際収支の改替に寄輿するところが大きい.
 このことは正に時局下の最緊要事である.
  この意味において大戦後の欺洲諸国が叔光事菜むいか
 に揺り上げ、そしてそれが戦後の拷囲の経済復興にいか
 なる寄輿むなレ得たか、また政治上、経済上のあらゆる
 しっこ′ヽ
 樫楷を況して一路搾進をつゞけるドイツ、イクワ−等の
 諸国が、その宜倖囲先の途行上軌光事菜をいかに活用
 し、そしていかなる教典を収めつ1あるかを投射するこ
 とは、今や固を奉げて大陸経営忙邁進せんとしつゝある
 際必ずしも徒事ではなからう.

             *          よ「

 最近、各岡の観光横臥はいづれも著しく凍大強化さ
 れ、国策遽行樺閲たるの性質を帯びる忙hたつた.今や
 釈光事菜は一同の粍済上は勿論、政治上忙もまた批合致
 節上忙も極めて釆要な符剖を演じてゐるのである.
  尤も、観光事菜がこのやうに同家公北ハ事業の封象とし
▼ て緒岡閏に採り上げられるやうになつたのは、欧洲大戯
 以後のことであつて、それ以前には各国の鋳造、汽船曾
 敢、ホテル発音、旅行斡旋共著等によつて個別的に且つ
分散的に、しかも概していへば一合址、ニ業者の螢利む
囲るといふ私経済的な洗場から行はれてゐたに過ぎなか
 つた.ところが大戦後の経済的困窮む打開するに汲々た
る欺洲諸国は、釈光事業の経済的来賓性に着目し、国策的
見地から釈光事発の振興に積極的に乗り出すこととなつ
    ▲・l小
た.時宛も欧洲緒囲の民衆は長期に亙る戦乱の苦難に
 ▲▼【            小つば−
喘ぎ、戦後の休息と慰安とを渇望してゐた際であつたか
       は▲フはい
ら、旅行熱性汐粥として諸国間に興り、叔光事発はたち
まち経済囲朱の粛一線に浮び上つた.その結果、取光宜
                          ●”■
倦も従米のやうに交通染着その他の私的横閑に委ねず、
国家白からその集中柵合に乗り‖すこととなり、各国に
有力な耗光横山開が相次いで設立された.
 しかもこの傾向は、昭和四年に世界を製つた経済恐悦
 によつて一席拍車がかけられた.即ち、この年を頂鮎
として、世界の経済界は俄かに悪化の徴を示し、産業は
 一■ し●・く
萎縮し、貿易もまた各団の経済的同家主義に基づく粥溌
戦の激化によつて驚くべき不振をきたした.各国はこの
不況打開に坪経となり、その封節として或ひは新た忙国
家公共的色彩を帯びた叔光撥開を創設し「或ひは従来の
覿光横閑を更に強大なもの忙改組し、一方忙おいては国
内旅行の奨勘忙よつて自国貨幣の海外流出を防止すると
共に、他方においては時局の要求に應じてできるだけ多
くの外客を誘致し、いはゆる「見えぎる輸出」によつて
 国際収支の故山菅忙資せんとしたのである.
 このやう忙、大戦後の諸国の観光事業は、はじめは戦
後の国家経済の建て直しといふ専ら経済的な見地からそ
 の意義が高揚されたのであつたが、最近では更に一国の
 同情、文化の宣揚といつたやうな政治的乃至は文化的方
 面からもその意義が認められるやうになつた.むち、叔
 光事業は一団の産菜、教官、薮術、民情、風物、或ひは
その固民精神といつたものまでもその宣侍の旬象として
ゐるのであつて、しかもそれはもと/し挙H無碍で平和
的なことを本領としてゐるため、何人にも受け容れられ
易く、且つまた日のあたり他囲の事情に接した外客が好
 国後口から口への宜侍をするのだから、その宜侍教典は
一舟大きい.これが一団の同情、文化の宜揚佗延いては
                   ▲9つれ●
種々の秩解に基づく開際間の不和、軋轢の平和的な解決

 に如何に大きな貢献をなしてゐるかは、海外許図におけ
 る粍多の事例が如貸に符明してゐる.
 粥みに一例を嘗てのイクX−におけるエチオピヤ問題
 忙持つて見ると、常時緒団のイクワ−に封する輿論は頗
 る険悪であり、々の行動を目して非人道的侵略行為であ
         が・’
 るとする非難が貴々として超つた.これを見た同国の観
 光局は、軌光事紫を通じてその闘将、文化を諸国忙宣揚
 し、この間堰の教生がイクリ−にとつて避け得なかつた
     lん▲_●●′ヽ
 所以を醜此且つ自然に侍へたのである.そのため諸国
 のイクワ−に封する認馳は大いに改められ、かへつて親
 伊的な峯著さへ生ぜしめて、同国のエチオビヤエ仙作上
 極めて大きな貫飲むなしたのである.
 かうし潅鞄光事薬による団情、文化の宣揚は、今や興
隆の一蹄をたどるドイツ、イクワ−等の緒周において頗
 る詑大な役割を“果してゐる.そしてこの事賓は、漢口眈.
 に陥落し、今まさに盟邦新支那の碑紋に図を挙げて邁進
                      ‥し lヽ
 せんとしてゐるわが周に大きな示唆を輿へるものといふ
 ことができよう.

             *           *
 以上は初発事共む主として雑済的乃至は政治的方南か
ら翫察したのであるが、観光事紫は更に最近わが国でも
注目されるやうになつた国民の厚生運動といつた方面・に
も、また大きな意義が認められつ1ある.ドイツでは仝
                ′’’ト・rサルヒ・’сm「′
囲の労働者む打つて−丸として「歓喜のカ」囲といふ
ものを組椒し、従来慰安とか休養の薄めの改行忙全然慈
                        ひ′’
まれなかつた労働大衆に集国旗行の簸を拓き(またイク
           】F −‘●’ ゲユ▼−・甘
y−でも全図的忙「労働飴晩学用」運動を起して、これま
で常人の夢に過ぎなか・つた一般民衆の集国旗行を炎励資
施してゐる.
               ’ I ▼一∧ ▲
 かうしたいはゆる同属救光事業の蟄居はドイツ、イタ
y−等の諸国では、国民の精紳的協和と国民健位の向上
とに非常に大きな管領を挙げてゐる.
 かく救光事菜は経済活動をはじめとして、漸次その活
動の分野が損大されつ1あるが」以下主要観光図につい
てその事菜活動の概要を壌べるとととしたい.
   「1.●.一重...■●.J
  如け..Hd」
 ドイツではナチス政府になつて以来、観光事業に封し
極めて熱心な関心を向けるやうになつた.これは観光事
憫g‥那g約約b椚細相関…附……附悶
                              しっ−こく




叫 る上に、経済上にも政治上にも極めて重要な意義を持つ

¶ と蒋に、封内的には観光事紫が政府の主唱する組団愛と
 囲民協和の促進に、また図力の根幹をなす図民健位の.向
 上に資するところ極めて大きいことが明瞭となつたから
 である.その結典、観光事共に封する国家的奨励節が着
 着として詳ぜられるやうになり、従来民間に委ねられて
ゐた分散的組織が完全な同家的新制組織に改革されるこ
 ととなつた.
 郎ち、昭和入年「国民教化宜侍省」が新設されると共に
叔光事業はこの省の所管事項となり、同省内にその最高
横閲として「ドイツ叡光委員合」が設けられた.この委員
曾は閑係諸官臆、交泡兼「歓恍地その他諸種の関係国餞
 の代表者忙よつて構成されてむり、宜俸に帥する同家の
大綱方針を決定指示し、観光事業に押する添律策の作成
その他の政府方紫の審講等がこの委月曾によつて行はれ
 るのである.
 更に昭和十−年にはドイツ全図のすべての敬光事業紺
係糠開を統合して「ドイツ観光聯盟」が創設され、さきの
蔽光重点曾の指導と国民教化宜偉大臣の鹿骨の下忙活動
 を開始した.同聯盟は全図二十四の地方叔光聯合曾から
成り、更に各地方聯合曾の下にはその地方の救光地市町
村が全部網羅されてゐる.従つて聯盟はその共通の利益
                       ▲ 小
 のために東川する事英資金を各地方聯合曾忙賦課して醸
出せしめ、地方聯合倉は更にこれを各観光地市町村に劇
‥常て1醗出せしめるのである.
 さて外国に封する一切の宜侍はドイツ固有鋳造中央部
光局忙よつて行はれてゐる.同局は国有聾の性か、女
に述べたドイツ叔光聯盟と国家からも王頻の醸出を尊
け、非常に大規模な宣侍活動を行つてをり、その外囲出
張節も現垂二十三・ケ斬に達しヽわが国にも東京に出張炊
 が設けられてゐる.
 先年のベルyy忙おけるオザyビ’ク忙際して、河鹿
の行つた封外宜停がいか把有数で大規模であつたかは周
知の通りであるが、オyyピ,ク大倉の過ぎた今打でも、
同局は樽党曾やその他種々の国際的催物等む中心として
依然盛んに宜侍を行つてゐる.
 なほドイツが、か1る観光宜侍忙年頃どの位の費用を
使つてゐるかといふことにつ小ては正確な数字がない

が、絶叔二千六有高凰(二千常マルク)に上るものと考へ
 られる.
                                            I
                      ●
    …イタ‖ソI∴
             −                  1
     √.:.●..1.....●.一●●J
・イタX−がその嬰富な観光資瀕を動員して観光事巣忙
積額的に乗り伯したのは、大正八ノ年戦後鮭済嬢直しのため
 エ l● ’ lr
「仝固観光協曾」を創設して以来のことである.しかも大戦
直後のイクサーには政宰相次ぎ、思想的混乱またその樋に
                   ▲ん・たん
浅し、全開の観光事兼の将来は頗る晴海たるものがあつた.
 ところが、一たぴh熱血宰相ムッソワー占が政権を掌塩
するや、彼は歓光事共の振興に非常な労力を沸ひ、失職 山
                                                           一
ぎばや忙命令む頚布して軌光概構の薮傭、ホテルの瑞昭 仙
叔光雄紋の充賓につとめ、これによつて同国の観光事業は一
全く両目を一新するにいたつた.更忙昭和六年忙は同拘
における観光事共に関するすべての事項を容且持新制し、
事紫の窄艮忙附随して起る種々の閑壌を丁拳に解決する
ねめ、緊急勅令むもつて河南最初の南衆的軌光椴閑たる
「軌光度督局」が創設された.I
 同局の生絶こそは、イクワ−が組合固家完成の途上忙
おいて観光事紫の分野にあらはしたファシスト・イクツ−
の斬らしい指導捕紳であつた.国局が設立されて以雑、工
 員ツトもその指導の下に極めて捕彩ある活動を開始し、
かくてイクワーの槻光事典は畢なを鮭済的領域む跳び趨
え、杜食粥乃至は政治的に同図の固策遽行上極めて重喪
な地位む占めることと瀬った.
 躍進の意気に熱えるイクワ−はその後も観光機構の上
 に粍多の改革を断行し、昭和十年「情報宜倖省」(同十二
年固民文化省となる)の開設と鶉に観光署局はその牟
下忙入つて「観光周」となり、観光事菜の一元的指導柵制
槻閲として、エニット及びチa1(旅行斡旋機関)と緊密
 に塊地域し、イクリー観光図解の遽行に目ぎましい活動む
硬けてわる.その最も華々しい活動は、常に並べたやう
に‡チオビヤ閏転を惹き起した際における観光局を中心
とした封外宜侍活動に見られるが、更に救紀で漑政府の
エチオビヤに封する種々の文化エ作に順
 度して、同地の文化的乃至粧済的開発をめ
 ざして清澄な観光克侍を行つてゐる.
 伶ほ昭和十二年度における同固の観光
宜侍資金を奉げると、観光局事発費の線
瀬は五官入十南風ハニ千丸首苗yヲ)に上
り、工員ツーの宜倖資金は鎌瀬首六十拭
萬固ハ入首二十萬ワヲ)となつてゐる.
           ●●●■■■■■−●●●●●●●●●l■一
      −       ●
   …フランス∴
             】               −
     ■●●l■●●一●■一一一●一一●●●●L
 フヲyスはその曹官な観光資瀕と誉
れた地理的位壇とによつて早くから欧洲
粛−の叔光囲として知られてゐるが、図
                  モ
家が蔽光事業に手を染めたのは大正八年
                                  HトJんLヽ.勺′
 大戦後の癖鰍接復の手段として「観光春寒」の名のある
 法律を制定してから後のことである.この法律によつて
 従来機めて貧窮であつた釈光局の樺棒が碗大強化される
 と共に、新たに指定敬光地に滞森税制が定められ、これ
 によつて地方自治健はその軌光施設の改薯に要する財鹿
 を碓保されることとなつた。
 勉えて大正十二年には特殊銀行たるホテル貸付銀行
ハ最近「ホテル及び商工菜中央金庫」と改稀)の設立を見、ホ

                                  “U・■一−
テルの新改築に封して長期低利資金の道が拓かれた.
 かうした政府の努力は観光情勢の好持と相供つて大
いに報いられ、数年に五つて頼いた同図の貿易上の三朝
                        ‡うlIい
の支沸超過ははゞ来遊外客の滑費額だけで相殺し得る
状態であつた.ところが昭和四年を救後として折からせ
                  ・托い‘lノ
界を製つた経済恐悦と、斬らしく接頭したドイツ、イク
y−等の激烈な外客誘致活動とはフヲyスの叔光事兼を
非常な苦境に陥れた.
                              一‡カーん
 しかしながら、次第に深刻化する財界の不況と累年の
赤字財政に悩みつゞけたフラソスは、この苦境を眈する
忙は戟光事業の振興に侯つの外はないといふ結論に到慈
し、昭和十年、時のヲヴ7ル内閣は外客誘致事発の強化
を決意し、先づ大正入年制定の「散光・憲章」を改正して凱
光横梓の大改革を断行した..即ち、従来の軌光局を磨止
して、観光事菜の最高の行政官鹿としてエ部省H一円忙「観
光院」を設け、同国観光事菜の指導、統制、監督に常らし
めると紫に、その監督の下に事菜の執行に常る公益法人
組絨の「観光事業中央振興曾」を創設した.
 これによつて同周の観光事黄は著しく積極性を帯びる
やう忙なり、執成施設接遇忙関する各種の法規が相次い
で制定される→方、宜倖糠能の薮備充賓が岡られ、早く
も昭和十二年佗は、アメyカにおける景気の快復とバX
帯囲博の開催といふ好條件紅慈まれて来遊外客の数は驚
異的∬増加し、この傾向はその後も引頼き持続し、同国
の経済再建計書に非常瀬好影響を輿へてゐる.
 右は官設叔光横帥の概要であるが、別に戊簡飼債とし
                ‡ん小
て「全国観光聯盟」があり、その牟下の観光協曾は同国祝
光事業の紬胞として重要な役割を演じてゐる.なほ改行
愛好者の囲健であるフヲyス政行倶楽部も外客誘致上少
からず貢赦してゐる勺
 なほ藷横網の資金関係を見ると、昭和十三年では線朝
 四育苗潮(四千萬添)を超えるものと思はれる.



 スイスは小図ではあるが稀に見る璧富な観光資瀕を有
し、フヲyス、イクy−等と汲んで世界屈指の観光図と
 して聞えてゐる.従つて叔光事菜もまた非常に大規模
 で、同車共に対する投資額はスイス国内におけるあらゆ
 る事業投嘉額の十一分の一、約六十億固(七十五億瑞
汝)忙上るといはれてゐる.こめ→事を以てみても観光
事兼の占める粧済的重要性を推察するに足るであらう.
事資スイスでは敬光事糞の振、不振はその固家経済に支
配的な影響を及ぽしてゐるのである.
 さてそれでは(河南の散光事業はいかなる横閲によつ
て行はれてゐるかといふと、その中央検閲ともいふべき
ものに二つあり、その−は「スイス叔光事業促準協曾Jで
ある.同協曾は大正六年に組織された牛官牛民の観光事
 発振輿樺閑で、叔光局をその執行挿朗と
 して同国の叔光事業の発展忙有力な活動
 を行つてゐる.この叔光局は外国諸都市
 に十四の事務所を有し、主として封外叡
 先立停に常つてゐるが、その資金は政府
 をはじめ聯邦饉埠「地方自治囲健、ホテ
 ル協曾尊からの醸出になるもので年病的
 六十四萬潮ハ約入十萬瑞法)に上る.
 他の】つはスイス聯邦鋳潰である.由
 来同国は鋳造が非常に蟄壊してをり、徒
 つて聯葬寧虜の観光事共に対する利事緒
 係は極めて洗い.そのため観光局忙封し
 て財政的援助を輿へてゐるのみでなく、
鋳造内部忙封外宜倖部を乾け、年々約八十帯河(有高瑞
法)の宜倖費む投じて外客の誘致宜停に努めてゐる.
 上速lのこ中央横網の外、スイス・ホテル協合、スイス
姦横網協合その他個々の蓬橡稜粥もそれAい・1・1裸光事業
の振興に努力してゐる.なほ地方の観光事業の黎展を蹄
るため別に地方掃額協曾があり、その教は現在四十を超
えてゐる●

          一「Il■ll●●I一丁l●●●l一一●I■一
        −            一
    山その他の諸一国州
                l                         ■
      −●■●l●†llllllll一l一ll●li■
 以上の諸岡は現耗世界における最も代衣的な約光岡で
 あるが、このほかイギyス、ベルギー、カナダ、ハyガ
 サー、漆洲、南阿聯邦等も散光事柴に深い関心を示し、
 それノ川\有力な立体桁動をしてゐる.中にもベルギーは
 ▲てへ ■●
 天輿の風光と豊富な取壊に加へ、英国から大陸への交迅
 の輩何に常つてゐるため叔光事紫も大いに振ひ、英圃及
 び近接蹴洲緒固から年々多数の外客を誘致してゐる.同
 固の耽光事業は法人たる観光局が中心となつて主として
.対外未伴忙常つてゐるが、政府もこれに多椒の補助を輿
 へ、その締は昭和九年度忙おいて五十三南風(官五十高
 自沈)に上つてゐる.
 またイギリスも昭和凶年の皿嘗界的経済恐慌佗刺敷され
 て同年桝月食批法による法人たる英愛壊行協曾(昭和七
 年に英変態行産米食伴協曾と改稗)を設壇し、外客の誘
 致に乗りmした.その宜倖資金も年々均椒されて昭和十
一年庇忙は六十人常固(約四苗碕)に達し、その中政府の
 補助金は八萌五千園(五千礎)となつてゐる.
  更忙特記したいのは世界第一のツーyスト輪〓囲とし
 て知られてゐるアメリカ合衆圃の動向であつて、同閑は
 昨外旅行に毎年数十倍凰(昭和十二年には二十一億七千
 飴萬凰−−六億一千常鞄)の金を費してゐるが、最近同団
「≠においても観光事発の鮫済的糞要性に目ぎめ「先づアメ
¶ ヮヵを見よ」といふ団内政行奨勘の聾が高まりつ1ある.
「 かうした輿論を反映して譲合に「合衆国内−→於ケル観光
 事菜法案」が提出され、咋十三年六月上映を洩過したと報
 ぜられてゐる.
 また昭和十二年には内務省固立公園部内に「アメXカ
 合衆国旗行協曾」が新設され、運輸蜃雄行斡施共者等
 に支援を輿へる−方Vこれと提携して内外旗行の誘致奨
 勘、敢行利便の増進をめぎして活動することとなつた.
 その規模はともかくとしてこのやうな官設の改行協曾が
 設けられたことは同国音速の親光事糞忙封する理解が相
首深ま.つてゐることを物祈るものやあつて、政府の手に
 ょり同家的観光事発振輿概閑の設立されるのも、もはや
 時日の閃穎ではないかと考へられる.
 最掛忙支却の観光事業について一首すると、同国は周
知の如く自然の叔光賓瀕が費官なばかりでなく、四千年
 の歴史むほこる特昇な文化、習俗を持つてをり、敢光囲
 として額尽する飴地は十分あるのであるが、多年政治的
安定を快き、さながら戦乱状態むつゞけてきたため、軌
光施設、接沸方面にも何等見るべきものなく、祝光撥働
 としてはたゞわづか忙釈光客の斡旋及び乗革般券の販曹ハ
 に常る私的横綱たる「中国旗行祀」がある忙過ぎなかつた
 のである.徒つて同国の祝光事柴は従来仝く不振を鼻し
 てゐた●
               付い ●
  ところが今次の事礎を契横として、釈光寄集を通じて
          ●, わ
 日東南国の親蓉融和を飾ると共に、延いては封外共同宜
 侍忙より南固の軽済的発展忙資するため、わが鯛係繊細
 の克也の下忙支那勅光事業の振興に積極的な活動が開始
 されることとなつた.
 まづその筋一歩として北京個別市政府内に祝光料が新
                 一ん‥レ●レ■●
 乾され、わが国際散光局北京桝事虚と根株し、耗光都市
 北京の関攣忙乗り出し潅が、かうした軌光横網は北中真
 の治安の回復と相供つて漸次各都市に創設されるものと
 考へられる.
  なほ泣い将来妊は新政府内虹泉郷観光‡集の緒芽制
 を掌る中央梯閑組びにその庶督下に封外観光茸停に首る一
 全図耗光協曾の創設が竣想され、その暁には雨囲叡光事
 紫の提携勢展忙一大繰越を見ることであらう.