第八九号(昭一三・六・二九)
  物資動員と国民生活
  新興蒙彊を語る        陸軍省新聞班
  農村に展開する勤労奉仕運動    農 林 省
  一挙潜山を攻略す        陸軍省新聞班
  長江作戦進展す        海軍省海軍軍事普及部
  広東爆撃の波紋        外務省情報部
  鉄は戦争の原動力
  最近公布の法令        内閣官房総務課
  官庁刊行物だより
  事変特集号予告

 農村に展開する蟄萱拳仕運動
                    ‥農   林   省、

    はしがJ香

 典山漁村の勤労奉仕濁動は、銃後開代瓜戚の表れ
            п|ん げ
で、働筋報粥の東誠、隣保兆助の捕紳を恭調とする全
開的の大雄勅である.
 今度の車攣の勃教、その進展に伴つて、多数の人馬
  ■▲丁一▲7
が鮮召徴頚され、農仙漁村は労力の不足をきセし、農
林漁発紙僚の上に多くの同郷が竣想された.々こで兵
                   つ▲′て♪
林祈では、事攣勃教直後各縄府煤に泡牒を覆して、動
弊和代鎚刺を全開の奥山漁村に起した.それは、鳥山
                            こ・’●l
漁村の岡有の突風たる隣保北助の精紳を一段と昂揚
 し、勤労郷仕忙よつて・應召農山漁家の粧督を安固忙
し」鋏筏亀山漁柑畝生活安鹿をはかるためであづた.・
 もとより、かうしたことは、農林省の提唱むまつま
 でもなく、農山漁村ではすセに部分的に行はれてゐ
 た.その遽きは日舟戦役以来、乾きは滞洲事襲以氷行
 はれてきたが、モれは食周には行きわたつてをらず、
 多くは巣山漁村内のl小地域に限られてとつた.
 しかし、麻召集山漁虜に封する不足労力の補給は、
 かういふ小地域カヤはむづかしい.且つ士た事挙が卑
 期にわたり、きら将多数の應召者があるときは、近隣
 組合、部落等の小池裁か施一・町村全般忙わたり、全期
               ェて}一い
 間を洩じて補ふぺき界カを調為せねばなトない.そこ
 で農林省払、農仙漁村咋おいてすでに勤昇奉仕が部分
 的に行はれてゐaぬかゝはらず、これセ組続化し、成
 る程度の耗潮を加へょうとしたαである.
                     〜 ▲▼く‥レ
 道府願で≠、管下の長山漁村に逐次.「勤労奉仕部J
 およぴ「班」雀縞成廿しめ1潰府解経済更生委員曾を中
 心忙各園健協力のもとに、勤労奉仕湛動を仝願的に起
 し、国民掃紳審月茸践事項の−つとした.

 また仝囲の長山漁村は、兵林省の指示、道府席指導
のもとに、町村に「勤労奉仕部」を、町村内の部落や碑
偲に「勤労奉仕班」を設浸した.そしてその活動によ
り、應召農地漁家の不足労力を補給し、その経営の安
                        ●一,し●り
固、生活の安定を期するだけでなく、軍需品の供出に
              ム いレー●
協力し、應召家庭の慰問扶助等にも遭憾なく働いてゐ
hる●

   全国に勤労革仕止覇長朋さる
 普初は町村内の各種園塘が別々に働雰奉仕をしたた
           ‡つ・た・’
め、一時に勤労奉仕が殺到した.これは隣保共助の美
       也つ ろ
くしい精紳の額薄ではあるが、奉仕を受ける兵家の方
が面喰ひ、かへつて迷惑するやうなことがないでもな
かつた.しかし今では戯ゐ方針も徹底し、各町村はい
つれも区、小字、または十人組(十戸)で「勤昇奉仕班」
を縞成して、直長、組合長指導のもとに、耗制ある勤
労奉仕をしてゐる.そして應召基山漁家の仕事は、−
         dか′−
般よ句もかへつて捗つてゐるといふ現状である・
 心労●世辞 は、各町村殆んど例外なく地域的に崩
成されてゐるが、とのほかに男女青年郎、鹿郷軍人分

合、婦人曾、滑断絶、固持婦人曾、青年辟校、巾拳佼、
女教授、小串校せでr勤労奉仕班」を綱成した町村も少
くない.そしてこれちの園健や畢収の勤労率仕珊は、
】村凝、直及と協鵠の上、黎仕を耳施し、或ひはこれら
 の阿倍が地域班に合流して、区虔、組合長の指揮を受
けて潮仕忙セづさ破ってゐる.
.縄兵の共同利用 また労働能率む高めるため、蕗菜組
                       だつこく ● l●
 合、鹿食または部落、農事賓行組合等で、舵穀横や払
 ◆■一−●
 朽糠モの他の農具を買入れて、これを兆何で利用し、
 まセはこれを持ちまはつて解召農家の代事をかセづ
              けん●ん
 け〕或ひはその利用料む減免したり、或ひ瀬兆同で牛
馬排をして牌召農家には料金を減免するなaのこと
 が、相常多数の町村で行はれてゐる.農村には共同利
 用糸井が少く、その設備が充分でないからして、かう
 レたことの必嬰は一屠痛感されてゐるれけであえ「
.動静奉仕Z賓蹟忙ついて二三の願の例か轟げて見よ
 】ケ●
 辞同職.では事攣勃頚以礁昨年末まで、六市有七十
 六ケ町村で「勤労奉仕耶」から準仕した級延人員は十五



 苫五十二人である.これを作紫別にすれば、最も多い
 のは椚収穫の六萌三千七盲人で、級奉仕延人員の約四
 剰三介、次が変蒔町四甫二千七首九十六人で約三割い
 以下除革、中耕、典樹栽増卜桑周中称、掛郷栽槽、義
    一▼J▲†▲’           tllん

 安手侍等の噸位である.その奉仕方法は種々雑多であ
 るが、骨組は、区長が勤労奉仕那長たる組合長から鹿
 召農家の作発状況の報普を受け、作業の性質、分最に
 よつて奉仕人員、奉仕時間等を決定する.卒とへば、
                      t・フねん
 捗日奉仕とか、午前中奉仕とか、また批年の奉仕、青
 年の奉仕、婦人の奉仕とかの性能別の奉仕がある.漁
            .汀ム・たい
 柑の昨洋部落では、その柴態上勤労奉仕が困難なため、
 たとへば、漁椎高配常の際、應召漁家に封しては出漁
                                                 1
 しなくても、出漁者−人配常の七割に常る金顆を分配
 するやうな方法むとつてゐる部落もある.
  岩手僻 では、事欒勃獲以来あらゆる横合むとらへ
 て勤埜琴仕を指導輿勤し、僻下仝町村に「勤労奉仕班」
 を作り、昨秋の各種作紫は大槻立坪なく完了した.昨年
 申の勤労拳仕状況は、調査町村七十九、奉仕娃人員二茶
 七千二首十八人で、一町村平均三苫四十四人である.
                    ひl小’
 奉仕作業は稲刈、楷壌、蛤穀、葬蒔、稗刈、雫刈、大
        小んtl
 耳刈、菓痩蔓快調製「京葉取、革刈、敷転、除草等
             の}はん ●
 であつたが、今春の兵紫期における勤労奉仕も不安が
 ないやうでせる.たゞ、漁村と山村の勤労奉仕打特殊
 の着であるから計‡的奉仕はできず、漁村では申合
 せにより漁菜組合で漁獲高の攣分ととり女とめて港家
 族の慰間を行ひ勤労奉仕忙代へ、漁獲物の加工等の資
 産施設と溝じて、その生活の安定を期してゐる.山村
 では衆鵜搬、應召家族lケ年間の燃料集積運搬専忙対
 して集珂的勤弊奉仕を行つてゐる.
 山口照 では「勤労革仕班」縞成町村首七十四、奉仕
一彗l手首≡十六澱で、昨年八月−日から十二月末日士
 での勤豊丁仕娃人員は十五嵩九千六十八人に建し、モ
 の内辞は稲作−0ニ、九九〇、蛮地捧慈竺ニ○、五九五、
 赤手入∧、∧七九、その健長事l六、六〇四人役であ
 19●

    壌たり勤昇キ仕村
                            ▲▼い
 銃後の長山漁村におけるこれらの活動事例峯に救

 ●上−
拳忙収がない.をこでこ1忙はその一例として硝岡瑞
築嘉磯村のせ際姦介し、貪の農山漁村におい
て勤労準仕がいかに虞倒に行はれ、銃後の貿務連行に
簿撼なく活動してゐるかをうかゞふこととしよう.
‥瀬野事故都 これは農林省の指示に基づき、村の経
済更化委員曾内忙設櫨した.
 村の勤労奉仕部長は、村度たる村経桝更生委員身の
合皮で、邦月は柑の経済更生重点、これが各部落、農
事甥行組合等における「勤労奉仕班」の締成を指導し、
各勤労奉仕粍の連絡報制をはかり、労力の調串、勤労」
奉仕の計窓をたてろ.そしてこの村勤労奉仕部は、隣
接叩柑の勤労奉仕部または銃後々戊禽等の「勤労奉仕
                  ●▲}−しゆり
委月食」とも連絡協調t、軍需品の供出に欄しては、
                            ●Iく■.’
顆、典曾、座薬組合その他の圃他の計賽に郎厳して、
迅速適切に供出できるやうな方求むたてる.以上のほ
か村勤労奉仕部は(臨機鹿襲、勤労奉仕班の活動促進
上條宴な一切の事項をつかさどる.
 取替‡仕班 は、村勤労奉仕部指導のもとに、部落一円
各種鋼線の協力一致によづて、部落内の勤労奉仕に遽
 する者を以て溝宜これを綱成する.但し必要忙應じ現
 物奉仕をさせることがある.
 勤労奉仕班は、・農事賓行組合その他の貴行組合の▲茸
 行班として、壮年部、青年部、妬人部等む設け、各モそ
  一いの・’
 の性能に感じて事柴む分措して活動する.そして奉仕
                     むね
 所員は、規律を重んじ質賓剛健を旨とし、摘紳的囲結
.によつて鹿召農家に勤労奉仕して、革帯品の供出に協
 力し、共同作発その他臨機麻牽Y廃砥を講じて勤労報
 同の目的達成上必委な事業を行ふ.
 ♯仕肘l 村に「勤労率鹿部」、部落に「勤労奉仕班」
 が設けられても、その計慈がたてられなければ、勤労奉
 仕にあたつて、或ひは奉仕労力が投到した.り、或ひはこ
 れが足らず、昔蹟が充分にあがらないことがむる.だ
 から事前に計壬をたてる必要がある.そこでこの債武
 村では、勤労奉仕難は、柑努奉仕部長がこれを戟制.
 して、村内に普遍的に網成すを.また各奉仕軌毎こ奉
 仕計壬をたて、應召農家の驚愕を調査し、奉仕順位や
 所要人員「奉仕竣定時期尊むもあはせて調査した.
 奉仕作菜は、収穫にあつては稲刈、相扱落「嘗、格付
は桐株切、藁片句鋤埠穿蒔句祁椚仙軍鋤穐田噂
                  U†−rく lさナ’
 手入は田の草取、変手入、その他は董上策、粗相、調
 製、俵饗等である.さうしてその計妾表は、應召家族の
耕作反別と家族人月、所要奉仕人員等を調べて、稲刈
り扱落しに何人、奔の蒔付忙何人、それに高力利用何
 日で、合計奉仕人員何人、富力利用何日と、各奉仕班
毎に、計葺を樹て、これむ村奉仕部で集計して村の計
賓を樹てた.その勤労奉仕賓施状況を一瞥すれば、稲
刈、変蒔甘作糞忙あつては、机内の場合は耶及が研芽
力調禿表によつて、批年、青年、婦人部長に奉仕人員む
劫達し、午前七時に集合させ、應召農家にそれ′ll・・・人
員を配檻して作業忙つかせた.また他班の場合は、た
とへば、、第一粥で作紫人名が不足で変の蒔付がおくれ
さうなときは、村長は直ちに他の救班に劫如して村役
場に節季人員を集め、村吏員、書枚術点とともに東
 】班の奉仕班長と協難の上作業につかせた・
 さらに士た、小串枚兄主に封しては、前々日節要人
貞を小皐校長に洩知し、兇童は用兵む持つて登校し辛
律動豊丁仕をする.また兵事枚から勤豊丁仕の申出が

わづたので、素性時期を耶長と打合せ、作紫溌定日と
施報し、官確の場合は前日電師で朗変人艮甘要求す
る・滞日は持常数漁が乾徒を引率して、村瀬貝の指示
吼よつて各溌庭に奉仕†るといふやり方である.
一共同作弗 は粗相を兵事小組合単位でやり、隣保弗
助、軌軽琴仕摘紳の助長につとめ、南年都は各窓庭忙
              々い ひ
依筆仕をした.その他堆肥の切反し、姦上演の手
♯尋常瑞について、各桝長は周到な注意と沸つて奉仕
させ、国防掃人骨は、奉仕僅莱檻梁、擾飯専む以て
帝仕常の弊をねぎらひ、農繁期托兄斯は開かれて兇女
が手足荘ひとならず、息ふ存分に仕事がはかどつた.
 ●仕†眈.′各位長は應召農家の所要労力に.注意し
て、搾牧嘩調製∬も、まづ廠召農家からといふ泉
持で各糀員忙勤労革仕むさせ、磨召農家の排作反別二
十三叶五反歩は、それ√・・・・・変の蒔付む完了した.玖に
耗替轟が麻召した農家に封tては、村項奉仕班革技
術艮が協鶉の上、種苗肥料の選捧配合尊鼻紫経営上の
 ことは勿鎗、家政経済にいたるまで充分忙世話むして
 いさゝかの不安を虐ぜしめないやうにしてゐる.
 かやう忙して相の牧硬から渉蒔に責る女での村の拳
 偉人艮は、労力奉仕と斉丁る應召兵家ハ全勝召兵家放
 ではない)ニ十五戸に封し、奉仕線人員五官二十五人
 で、寄力奉仕幹線許すれば五十二河忙達した.士た増
 収種、奔繹以外の奉仕人員は、粗相九十−人、俵袈五十
 九人、奔の千人首五人、桑園手人二十七人、合計〓官
.入十二人で、相収穫葬時のそれを合算すれば、・二十五
 戸忙対して賓に入管七人の勤労革仕とし、モの−声音
 平均は三十二人強である.
 廿夢♯世の枚弗 隣保弗助の掃紳と徹底し「鹿召鳥
 山漁衆の労力む補給し、この軽食の高、生活の安定
 に箕しねことは勿鎗である.が、それ以外忙小串校兇
                 ▲勺い吋ん
 童や鼻畢校轟は、勤労奉仕の壌験軟骨と受け、鹿召
 家庭の賓情も知り、時局に封する常局の施紋方澱も認
 識した.殊に小串校ヨ→年生以上の兇書部が、田南忙
一列横隊忙輿列して、一靖忙稲株切りを断行し、士た
     ′ヽ一ヽ・一
 族虫騒除にも非常な好成擁と収めて村民と−幣させ
 た.
                     山一▼lT
  なほ鹿召兵家の篭設としては、臥、縄専の某エ′
 晶の−日作業利益金が七十二餞で、一声平均年昔日働
 き、その延日数二千七昔日で千九首十七脚の計室をた
 て、僻の助成を受けて吼純攣l十轟、小縄用興縄攣一
 十六嘉を買入れて利用させてゐる.

     む ナ ぴ

  かうした事例はこ1に拳げた一、二に止まらす、金団
 の長山漁村における勤労奉仕の賓況は、大健これと大
 同小異である.そして小事校の鬼東が放課後みんなで
一緒に薪を取つて、慮召兵家に山と頼んで‡んだり、
                                  ▲lI
 青臭が自家用に取つて忠きの変を割いて供出したり、
     lて〃一
 愛馬の基む撫でながら
                みぺ 忙
 「愛馬よ従け、経つて大いに島国のお役にたて」と、
 無数の郎桝態度太助をも生んでゐる・
 今や島村は、事華下最初の最大鼻薬期に直面した.
 過去一年に泣い勤労奉仕の訓練と鴇放とせ虔とは、首
サーセyよ確信をもつて、村勤労革仕部指靂制の
 もとに、各部落、各種囲他の勤労奉仕机は、最大限の
 能力姦拝して昇働審月、活濠な活動を開始した.

                           いレ●▲′
そして一年中最も多忙な時期、変の取入から耳の上
 ′、く ‘い▲ヽ
演、亜地、田植と、未明から深夜まで働き観けて、こ
の農紫期を爽破しっ1ある.・
             ▲ばひつ
 かうして、應召または濁世徴故による應召農家の労
力不足は、勤労奉仕によつて補給され、協同労働、鼻
薬の機械化などによつて、その経営に生活に少しの不
安も感ぜしめない.しかし、こ1に至るには、全村艮
の熱意、隣保共助の精紳、産柴報隣の赤瀬が、山田の
明々にまで敬称うれたからである.そしてこれは、た
だに應召兵家の手樽ひだけでなく、銃後農村の生活安
定、生産力の確保増進への国許協力にまで額良した.
 さらにこの農村勤労準仕在勤む、他の軌鮎からすれ
ば極めて大きな意義がある.元来この湛臥は、事
                              ’ヽ▲′●▲】・一て●
襲下の應急封策として出蟄したが、今や恒久的施設
 に特化しょうとしてゐる.それは、應召長山漁家に
手樽ひ1その経営の安固、生活の安定をはかつてV戟
               ●し▲丁−▲こ
 場の勇士をして後聯の憂ひなく戦はしめることから、
 銃後巣山漁村の生活安定、生産力の確保増進に襲廃
 し、・勤労奉仕在勤における訓練と健験と教典とは、兵
発券働の協同化、概械化に教歩む進め鼻糞生産の教展
に資するところは賓に多大である.
 女たこの運動は、向ふ三軒両隣、部落または農事組
合等の小地域から全村的灯発展し、さら伊二殿下から
全国的に棟大弘化され十隣保共助、産糞報国の精紳運
                    とlフ山ム【
動が賓践されて総沖更生運動に合流投合し、精神と経
済の融合一億化となり、その物心南方面における発展
はすこぶる押著なものがあり、この非常時局下におい.
て非常な力強さを感ぜしめる.
 農村勤労奉仕速勅は、他のことばを以てすれば鼻薬
界働級動員である.今や巣山漁村には図艮精神線動員
鶏動の賓践的一翼として、鼻糞労働総動員が全開的に
行ゼれ、戦時倦制に如厳して、戦線の郷兵は勿喝全
国民に食棉その他が充分に供給され、軍需民需をみた
しっゝある.そしてこの運勤は、ひとり巣山漁村のみ
 に限られず、都市の拳托その他の囲憤にまで漸次横大
襲良し、全開民協力、日本の大世帯数背負つて紺越し
 つ1あるのである.