第八四号(昭一三・五・二五)
  事変下に海軍記念日を迎へて    海軍省海軍軍事普及部
  徐州大包囲戦           陸軍省新聞班
  支那の鉄道            鉄 道 省
  日独青少年団の交驩        文 部 省
  南支の良港廈門を語る       外務省情報部
  ガラス屑とガラス壕
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  事変下に海軍記念日を迎へて
                         海軍省海軍軍事普及部

 光輝ある海軍記念日を迎へること正に三十有三回、吾々は年々歳々この日を迎ふる毎に、そぞろに往時を偲び、千古不朽の武勲を回想して無限の感懐を禁じ得ないのであるが、今年はとりわけ皇国未曾有の事変下に、意義深いこの日を迎へて、一入感激新たなものあるを覚える。
 吾々は先づ全国民と共に、明治三十七八年戦役に於て、祖国のために勇戦奮闘、終にその戦に殉じ、以て国家興隆の礎石となつた我が忠烈なる将兵の英霊に対して、謹んで敬弔の意を表し、同時に今次事変に際して、後輩たる我軍人はもとより全日本国民が、国を挙げて一致協力、外戦線に立ち、内銃後を守り、克く国難に会つて勇戦奮闘、犠牲的精神の真髄を発揮しつゝある事実を報告したいと思ふ。
 抑々海軍記念日を定め、以て戦捷を記念するの趣旨は、常に治にゐて乱を忘れず一旦援急ある場合に備へて皇軍の士気を振作し、軍紀の振粛、軍容の整斉を企図し、海軍軍備の完璧を期するにあるのは勿論、更に邦家の前途を祝福し、その隆昌発展を無窮に期待するために外ならないのであるが、今や重大なる事変下、しかも帝国を繞る国際情勢の動向予断を許さざる時、不朽の偉績を残したこの海軍記念日は特に意義深いものがあり、吾々して深く内省せしめ、且つ覚悟を新たならしめるものがある。
 顧みるに明治三十七八年戦役はその全期を通じて記念すべき大小の海戦は必ずしも尠しとしない。
 例へば海戦の発端に於て機先を制した仁川沖の海戦、或ひは前後三回に亘つて決行せられ、壮烈鬼神を泣かしめた旅順港口の閉塞、或ひは旅順港脱出を企図したる敵艦隊を撃破した八月十日の黄海海戦の如き、皆これ我が制海権の獲得、戦局の展開に偉大なる寄与をなしたものであつて、いづれも海戦史上永遠に特筆大書せらるべきものである。しかしながら明治三十八年五月二十七日に於ける日本海海戦こそは、我が艦隊の全部を挙げてこれに参加せしめ皇国の興廃を此の一戦に賭した乾坤一擲の大決戦であつて、我が聯合艦隊は奮戦数日、遂に露国艦隊を撃滅し、曠古未曾有の戦果を収めたのである。
 この海戦の勝利は、遂に露国をして戦意を放棄せしめ、平和克服の契機ともなつたのである。
 これに依って帝固は、露国の極東侵略の一大脅威を除き、東洋平和の基礎を確立することを得たのである。帝国海軍が五月二十七日を以て海軍記念日と定めた所以も茲に存する。
 日本海海戦の大捷は、帝国にとつては勿論のこと、世界にとつても亦極めて重大な意義を有するものであつた。即ち東洋の爾たる一小島帝国日本は一躍して世界の海国日本となり、明治維新以来ひたすら西洋の物質文明吸収に汲々としてゐた日本民族は翻然として開眼の契機に際会し、以て帝国永遠の隆運を決定するに至り、やがて躍進日本今日の素地を作つたのであつた。そして世界各国は東洋に於ける唯一の進行近代国家たる帝国に対して斉しく駕異の眼を瞠り、この時を以て世界史上に明らかに一線を画し、夙に太平洋時代の転回をも示唆したのである。
 抑々この大捷を齎したものは、聖将東郷元帥が、畏くも明治天皇の下し給へる優渥なる勅語を拝して恐懼感激、「此の海戦予期以上の成果を見るに至りたるは 陛下御稜威の普及及び歴代神霊の加護に依るものにして固より人為の能くすべき所に為らず云々」と答へまつつた通りであるが、吾々は更に伝統に輝く帝国海軍の実力と共に、当時の我が国民の異常の努力を想起せざるを得ない。
 彼の日清戦役直後の三国干渉以来、全日本国民が老幼男女国を挙げて烈々たる義憤に燃え、克く臥薪嘗胆十年の忍苦に耐へつゝ比類なき挙国一致の精神を発揮して、偉大なる業績を成就したことは、(とこし)へに後代国民の亀鑑として銘記されなければならぬ所であつて、支那事変下の日本国民として特に感激新たなものあるを覚える次第である。
 当時国を挙げて公に奉じた国民的努力の成果は一々枚挙に遑ない所であるが、その海軍に関する一例を示せば、当時の我が国財政状態の下に於て、戦前短日月の間に、克く六大艦隊、即ち六戦艦、六装甲巡洋艦その他を整備充実し得たとは、真に驚嘆に値すべき事であつて、明らかに海戦の捷利を我に導いた要因の一つであつた。吾人は当時の国民の異常の努力に想到する時、粛然として襟を正し、満腔の敬意を捧げざるを得ないのである。この事は建艦競争の気運愈々濃化の一路を辿らんとしつゝある現下の世界情勢に処して、我等日本国民に堅確なる決意を促すものであるといへよう。
 翻つて現下の支那事変を観るに、挙国一致、銃後国民の烈々たる忠君愛国の精神は、(さなが)ら三十三年前の昔に彷彿たるものがあり、忠勇義烈の皇軍亦海に陸に空に赫々たる戦果を収め、以て征戦終局の目的達成に邁進しつゝあり、吾々は茲にこの記念日を迎へて、三十三年前殉国の英霊に対して、聊か面目を施し得たことを喜ぶものである。
 しかしながら今次事変に於ける輝かしき戦果を謳歌するにつけても、吾々は功の成るは成るの
日に成るにあらず。必ず因つて来る所ある所以を静かに反省する所がなければならぬ。
 今次事変は過ぐる日露の役とは大いに趣々異にし、戦争の対手は海軍力劣弱な支那軍であつて、帝国海軍は日露戦役に於けるが如く華々しい戦果を挙げるに由(よし)ない状況にあるとはいへ、その実帝国海軍の儼たる存在と西太平洋の我が制海権とが、戦局の全般に対して如何に至重重要なる役割を勤め、いかに国軍作戦の進捗に役立つてゐるかは、詳(つまびらか)に極東全局の推移を省察する人士の夙に了解するところである。
 他の寡勢なる我が上海特別陸戦隊の孤軍奮闘の実蹟及び我が忠勇なる陸軍の神速な大陸席巻等を初めとし、更に近代戦の花形として登場するに至つた我が海陸の航空部隊の活躍等顕著なる戦果の裏には西太平洋の制海権といふ根本的な地盤が確保されてゐることを充分認識しなけれはならぬ。
 そしてこの西太平洋の制海権掌握は、決して一朝一夕にして成つたものに非す、これが端緒をなしたものが、彼の日本海海戦の大捷であり、更に引続き三十三農霜孜々として累積した国民的努力の賜に外ならなかつた歴史的事実を回顧しなければならぬ。かくてこの海戦の大捷が、世界史上に一線を画し、躍進日本今日の素地を作つたものであることが明らかにされると同時に、今次事変に於ける皇軍の赫々たる武勲は、畢竟三十三年前我等の祖先先輩の築き上げた偉業を継承し、その戦果を永遠に全うしつゝある所以であると謂ふことが出来る。
 日本海海戦の大捷が示唆した太平洋時代は今正に眼前に展開されつゝあるのである。世界列強は今や夫々その海軍力を拡充強化しつゝ犇(ひし)々と我等の海、西太平洋に臨まんとしつゝある現状である。最近英米両国の海軍大拡張計画が喧伝されつゝあることは周知の通りであるが、これ明かに帝国を目標とし、西太平洋をめざす渡洋進攻作戦の陣容を新たにしつゝあるのであつて、吾々はこの事態に対処して愈々挙国一致協力、堅確なる覚悟を以て吾々の生命線擁護に当らねばならぬ。
 支那事変は既に第二段階に入つて愈々戦果を拡大しつゝあり、挙国征戦終局の目的達成に邁進しつゝあるが、同時に現下帝国を繞る国際情勢に対しても充分に待つあるの備へを完成し、相継ぐ非常時局を克服して、皇国無窮の運命を開拓しなければならぬ。帝国今日の危局は正しく三十三年前に皇国の興廃を一戦に賭した日本海海戦にも劣らぬ重大危局に直面してゐるものであることを片時(へんじ)も忘るべきではない。