第七四号(昭一三・三・一六)
  簡易保険金額制限の引上      保 険 院
  海軍陸戦隊の話  (付)戦況       海軍省海軍軍事普及部 
  国民とステープル・ファイバー
     一般使用者のために       商 工 省
     国民精神総動員の立場から   文 部 省
  北支五省を悉く掌握す      陸軍省新聞班
  討匪すすむ満州国        陸軍省新聞班
  広東の近況          外務省情報部

 廣 東 の 近 況
                     外野 省情報部

   E帝の‡金香港に逃避
 人口有高の香仙港が支那事襲後丁確首五十萬に増加し
 た.いふまでもなくこの五・T常人は支那各地から避難
 した者で、その大穂の一円碍は中東から二十萬、南立か
 ら三十苫で、この急激な人口増加のために香鞄は壊館
はもとより個人の住宅や商店などに至福まで埠満員で
       ヽ ヽ ヽ
 人間のすし話が出来たやうな状態になつてゐる.これ
 等の迦難者はその大部分が資産階級の者で耳額の預金
 が同地の英固銀行に持込まれ、香籍は人波が打つてゐ
 るばかりでなく、金汝が藻うて蟻る景気が好い.彼等
 避難者は・今危▲除の恐がないのに安心し、温いh懐と頓に
 任せてホールや料理靂などを砺はしてゐる.この状態
 を南長井の元老呉稚呼が重度でr音楽の不均分Jと構し

 大いに‥頂慨したさうだ.
  南東から渡つた三十萬の大部分は窒Hの人民で、
 これを仝省の人口三千教育萬から見れば首分の−にも
 普らないが、大金を持つた連中が避難してしまひ、元木
             ◆一
 ならば郷里に撒かるべき金が香鞄に飛び、事共に直凄
 間‥篠役立つべき資金が香鞄佗逃擬したので廣東省はこ
 の方面でも相首の打率を受けてゐると云はれる.

    戦粥に曹山岡ナる末文人
  あの廣い支那がわが海軍の威力で封鎖され、海から
 の▲交亀は香穐の対岸九瀧のみが完全に横能を保つに過
 ぎなくなつた.勿給上埠青島、天津などは糖舶が出
 入してゐるが、わが軍の勢力下に鹿るので武井や手薄
 晶が故コ民政府偶に窪ばれる浄穐は結局九寵lケ断とな

 つたのである.血蜃果穐は半時にあつては上海、天津、青
 息など1眉を也べる捜の貿易上重要な地位を占めてゐ
                 と−一つ
 るが、今は殆ど海路の交池杜略し、輸出入貨物はれ寵、
 安東聞の鋳潰橡遽に依らなければならないので困りき
 つてゐる・かやうなわけで簾東の不景気は甚だしい.
 成東や香港で敏行する支那新聞が戦時下の商工共につ
 いて書き立ててゐたが、そこに商人の悲鳴が反映して
 ゐることは見逃せない.そればかりでなく廣東は婁蟄
           ▲■●′_
 の危瞼に臍されて、金銀生命南方面の不安に省民は生
 きた心地のしないやうな苦境に泣いてゐる.あれやこ
                        17′●
 れやで人民は杭教諭者を怨んでゐるが反戦運動を起す
 までには五つてゐない.
  以上のやうな事情から圃民政府の敢行した救閥公債
 は庚東省に二千苫元振常てられ的牛年の長い日数をか
 けて勧誘した結臭が、−月下旬の締切で漸く一千五官
 三十五萬七千五官四十元三角八分五度の辛土を見たに
 挽ぎない.これによつて見ても抗戦に反封の気分が察
 せられる.しかも簾東省昔局者は囲防公債と構する一
                      /

 千萌元の地方債募集案を立ててゐるから驚く.戦時下
 にあつて臨時の諸経費が樹抄、その上不景菊のため税
                   ゾ け・,●、く
 金牧人は半時よりも轟かに減じ潮縫‥策として曹ハりつけ
 られるだけ育つけようと考へての起案としか受取れ・
 ない.


   席末方面の反共と反落

 現在の廣東は政治的方面、杜曾的方面では共宛濃度
割に大破一致し、上海方面から流れ込んだ「文化界」と
糾する左傾開場め如きも、首初は相常に歓迎されその
講演や文章が新聞紙上に掲載されたが、近来それ等の
                               一ん′−1
人Åの滑息は新開に見えなくなつた.多分統裁の煽動
左傾思想の宜侍が脈はれて雑た結果であらう.この鮎
 では各方面の足並が摘つてゐるが、省政府主席輿拭城
 と補▲綬毒すなはち軍事長官の金浜諌とが薄浜反落況
 の紳係で萬事に許桙放き、】般市民はその虹南街粂
 による動乱と恐れてゐる.〓月初句の兵費は席末と虎
円のニケ朗で時を同うして起つたが、それには陸軍、

 警察の二方面の者が参加し、参加者合計三千人に上つ
 た由だが舵重な新聞統制が行はれてゐるためヂマが乱
 れ飛んで艮相は判明しない.併し反落運動の一つの挽
                                       く ▲_′ヽ
 はれだと云はれてゐる..反薄運動で蒋介石から駆逐さ
 れた前の東東軍事長官隠済寒は、東郷事轡勃竣後聞も
              ね‥しろ
 なく挿図し、今は香鞄を根城として反落運動、「保境安
 民」と稀する衷東の濁立を企て1ゐるらしい.彼は廃
 園直後一千五官萬元を投出して話壌を披供した.その
 経緯が頼るふるつたもので使途を指定したところに陳
 の束分がょく出てゐる.
  彼は挽落前某固に代金前彿で一千五有高元の武器を
 注文したが、下野外遊のため受渡が刑発ず武器は製造
 元の倉庫に寝かされてゐた.彼は師岡後直ちにこれを
 南民政府に引渡すべしと一申入れ、同時にその内七首萬
 充分七無條件で寄附し、七盲萬充分を救固公使引受繋
 に充て、残額首耳元分はその一字を上海在留唐草人数
 群発に、他の一牛を簾東に於ける肇事萎とするこ
 とと云ふ條件むつけた.

 これは彼の郷里に於ける人気取りむ目指すもので今
日の行動は常時已に計葺されてゐたことが判明する.
陳桝菜のこの運動には合流の可能性があり蒋渡のブ
ラック・yストに載つてゐる人が少くない.その主なる
者には李済淡、昧銘梶、嘗十九路革紺係者等の武人、
胡渡民系統の文治派、その他の廣東人文武官などがあ、
る.硯森廣東省内の軍機を埋る余藻謀は蒋介石に買収
されて、陳済業態逐に助太刀をした鮎では、陳余の合
作が望まれないとする向もあるが、併し金浜謀が薄介
     ■−▲rI▲一
石から外様扱ひを受け不快不安が反薄に挿向して発た
ところを見れば、他の戊特淡の通常な取なしで陳の蓬
動に分流出水る素地はあるのである.人民が戦争を脈
             トつげ与
ひ舵敬停止の時期到水車渇望してゐる現状から云へ
ば、濁立湛動には民間の協力も得られるわけで、案外
早くものになるかも知れない.


   鹿‡の自解熊と密室喝

 旋東省昔局は現金の軍隊だけでは防耗に不充分だと
 なし、自衛園を組織して各自の郷土防衛に首らしむる
 ことになつた.この自衛輿は「未発民衆紋日自衛頭統
 率委員曾」の指押下に僅かれ、同委員曾は主任委員余
 漠謀、副主任委員呉餓域、同香翰屏が首脳部で陳銘楯、
 薄光帝、蕪廷槽の反耕液として知られる三人も委員に
 なつてゐる.
  自衛輿の綿或は仝省を十濱に介ち、各地の有力者に
            ナと一ん
 して委員曾から推賎した数名の者を首脳部とし、自治
 的に自衛国々組織せしめ、軍事訓練の指導その他に委
 員曾が相談の役割を引受けることとし、干渉や命令が
 ましいことをしない方針だと常局者は孝養した.武器
 を持つ地方民が多くなれば秩序忙炊くる支那のことだ
    ′つミラ    ひん打つ
 から、物騒な事件の頻礁も想像され、反落勢力の錬大
 強化にもなるが、わが飛行機の爆音に恐れむなし叉徐
 州方面が片付けば次は髭未だと想像して憂慮するの捻
 り、その他の種々の心配などは犠牲に供してもこれだ
 けの防衛準備は是非必要だと云ふ結鎗となつたものら
 しい.

 有の自衛粥は瑳確的な防術方法であるが、さら忙渦
                          小心一ヽ・■
横的方而から起筆した「碑査ぎなるものむ組織し間扶
根絶策を取つてわる・この碑杏執は庚州(庚東)市民坑
敵性接合が市政府の命で組轍したもので、同曾は「市
代懲叶偵探網大綱」と云ふものを作り綱成及び工作忙
帥†る規則を設けた・同輿は大隊小隊介抹の三純分か
ら成り、自治圃自甘卿のやうな性質のr保甲J系統を基
礎として締成し「保叩」の最上級各南域に大隊長一人、
その次の純利に小隊鹿一人、革二級の低利に分隊長一
人を槻き、三隊長は「保甲」の律貝に兼任せしめ隊長が
隙拘む湛任することになつてゐる.
 この約純がM氷たため不良の徒が日本晶を所持する
倹lを探し楓つて不正を働かないとも眠らず、良民忙
は戴の審だと云ふ感じが起きる.こんなことからも反
      の▲・」r▲7
 馳菊介が濃厚になるであらう.
   戦時下の兢蕎義茨
 翼で敏行する撼拳報は一月九日の紙上忙、抗戦期
r中の商発概況と電して次の如く報道した.
  額暦年末までに各贅の商家は皆決済の準備をするが、今
 年は非常時聯係から、全市首数十の種別の商店が多くは
 帖批で無事に利益を得た店ほ少ない・それでも教程頬の商
 店は教学のために利益があつた.例へば軍服、航業、軍用
                         一んltlフ
 電気津具、棉花、蓬逸などは成績が好かつた.銭荘(小泉
 珠で背式の銀行業)も前金の不安を見適し手堅い替讐針
 を塀つたから、普業拝止者も非常に少敷で先づ平穏の部
 に廃し、質量は入質品の誓に上り無難であつた.その他
 米、叢、変粉、砂糖、沖、綿布などの取扱業者は長l騰
 舟した好槻一骨に一意まれ、一部の店は大に儲けそれ以外の店
 でも平穏にやつて来た.輸出では生線ほ平年と挙り無く、
 ▲∫7】▼
 桐油は上学年に非常に儲け、金具破石もその通¢であつた
 が、併し牧丘軍関係から輸出を蕪止された銅、ネ、雷、生
 血T、音綿などほ殆ど商繋がなかつた.又戦争の影響で原料
                           †ツ ナ ∫ ▲
 輸入の困難になつたがために現をしたものほ弊寸、護訣、・硝
 子、粗布、石浜等の仙雫者であつた.蔓貨、反物等ほ繁行
 蠣る慮く全部の常葉者が鉄也で多且の日本品を手持した者
 は大打学を受け発として政義者が出小h・茶飴、料理鼻、
 蕗婦披見、妻鵠、量丁星などは不景朱によりひどい日
 にあつた●
 入月批横の来】耳が管つた責の叢が多くなり、牧
 食店は一落千丈の第地に略り、且物償が購費したから入九
 分どうりは鉄線であつた.現在までに大茶館、大料理最の
 閉店したものが多故に上つてゐる.墜丁肉、魚類、果物、
  男魚なども損をした店が多く、正月の銃賀を見合はせること
                       一汀く・も′ヽ
  になつた結果曹正を書入時とする商繁、例へば爆竹、印刷、
  禁物、聾、油、砂糖、果物の砂糖涜、支那紙、埠埼な
 どを取壊ふ店ほ蕗りきつてゐる.この外津築業、木材商な
  どの■倒れる者も少くない.

    米の鉄乏と軋の不借用

 廣州市(廣東市)米発公曾(同糞組合)は−月二十日大
 要次の如き昧情事を財政部宛に重した.
   「席末省の米穀薦頼は常に常用に足らず、−年の収穫は撞
  かに救ケ月の供給をなし得るのみで、従来その不足分を外
  米で補充してゐたが、外米輸入税を引上げた後は内南米の
  移入に上らなければならなくなつた.江東轟来襲して戴
 蓬を爆撃し内均米の蓬輸困難になり、その上昨年は不作の
 ため島村からの和廻りが少ない、これが原祖で米債が非常
           一手び
  に要し==・・・=・焦眉の怠に姐つてゐる.何卒外米の籍
 入穐を免除して食料丼を救済せられんことを帯ふ云▲こ.
 市商曾は−月−日より穎簡と全般的に使用せしむる

こととしたとの中央政府の命が侍逢されたが、それで
は金融上不便で困るからとの理由で廣末省で鋳造した
小銀貨を固幣−00に封して】四四の比率で並用と
              こん一い
許されたいと、財政部に懇請した結果、その返電が釆
て並用秦が容れられた.併し「溌金は全部珂幣を以て
椚入すべししとあつた.次で一月l一十一日著の財政部の
電報は小銀貸と圃幣の並用はlケ年限とし来年一月元
旦から小銀貨の使用を禁ずる昏を複合した.小銀貸の
北川懇請は札の団特に不安を感じたものとして注目に
 催するところである.
  一▼一‡▲
 因に先年の幣制改革後間もなく他の各省では大小銀
                       ′、lド▼つ
甥の使川む黙止したが、庚末省では種々の口青む設け
て小銀貨の使用を硬け、本年一月からの禁止には大盤
輿存がないやうに見えたが、時局が団民政府に不利な
情勢となつたので、庚東人の意向が逆挿したと想像さ
 れる.



     正 川桝
 前幼(賄七十三眈)中、左の如く誤つてゐる舟もあると点ひ
 ますが御訂正おき下さい.
             山訳      正
                 ●        ●
  第一貫本文二行目 五月二十五日 五月二十七8
 ′ ク 五グ 明治三十村年 明治三十ル年


   京浜週報 弟五管長−
                      >
   「舵杢日本            三
              月
 「見よ∫奉墓爆の威力 鮒
 「……悶…b著 岬
  「海の破方