国民融和週間に就いて  厚生省

 三月十四日は明治元年畏くも 明治天皇が五箇条の御誓文を御宣布あらせられたその日である。
 いふ迄もなく、五箇条の御誓文は肇國の大義を基調とする改新の国是を昭示し給うたもので、就中「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」と仰せられた御言葉の中に維新の大精神が端的に言ひ現はされてゐるのである。明治四年八月太政官布告を以て差別制度が撤廃せられ、国民の一部に対する不合理な差別が除かれて、一視同仁の叡旨の下に万民斉しく皇恩に浴するに至つたのは実に此の大精神の具現である。
 されば、財団法人中央融和事業協会が、昭和五年以来此の日を国民融和日と定め、爾来、全国の融和事業団体と相呼応し、此の記念すべき日を期して、記憶を新にしつゝ融和促進の運動を行つて来たのであるが、昨夏、支那事変勃発して以来、国を挙げて、国民精神総動員運動に参じ、協力一致以て銃後の護りを堅くせんとする此の秋、一層国民融和の徹底を図るの必要を痛感して、茲に三月十一日より御宣布の日を中心とする一週間を国民融和週間となし、其の間各種の行事に依り国民一般の理解を深め目的の達成を図らむとすることは、寔に意義深きことである。
 抑々我が日本民族は皇室を中心とする一大家族であつて、 列聖慈育恵養の御恩徳は国内に普遍し、国民全体は此の洪大なる御仁慈の下に渾然融合して、悉く日本民族たるの自覚と信念とを堅持し、皇運を扶翼し奉ることを以て無上の光栄として居るのである。かくの如き美はしき君民の関係は実に我が國體の精華であつて、之を発揚するには国を挙げて奉仕の観念を以て一切の事業の遂行に努むる所がなければならぬ。乃ち奉仕は忠誠君国に報ずるの一念に出づるものにして、取りも直さす国民総親和の発露である。此の意味に於て融和問題は国民共同の責務として速かに解決すべきものである。
 政府に於ては、之が対策として、曩に内務大臣より再度訓令を発して、国民相互の自覚を喚起すると共に、社会事業調査会に諮問して融和事業に関する施設要網を定め地方庁に移諜して之が実施を促し、又京都外二十七府県に対する専務職員の設置を始め、関係地方庁の融和事業費に対する国庫補助金の交付、育英奨励、融和団体の奨励竝に地区整理事業の実施等適宜の施設を講じ来つたのである。幸にして漸次好成績を齎らし、融和促進上相当見るべきものがあり、殊に経済界不況の深刻化に伴ふ疲弊困憊を救済せんが為、時局匡救事業として、昭和七年度以降実施せる地方改善応急施設は、啻に、経済生活難を緩和せるのみならず、特に精神的方面に於て多大の刺戟を与へ、自奮自励以て之が更生に努力するに至れる等全面的に部落刷新の機運を醸成すると共に、延いては本事業全般に積極的進展の好況を生じ其の前途に一縷の光明を認むるに至つたのである。然し乍ら、本問題の解決は其の性質上頗る至難にして前途なほ憂慮すべきものあり、茲に積極的綜合的進展方策を確立し、昭和十一年度より特に予算の増額を図り適応する各種の施設を講ずることとし、既に其の第三年度に入らむとして居るのである。
 今や帝国は肇國の理想に基づき、天地大愛の精神を顕揚する為め聖戦を展開し、皇軍連戦連勝嚮ふ所敵なく、我が将兵は外に赫々たる武勲を樹て、銃後の国民内に在つて其の責務を尽しつゝあるは、中外の斉しく認むる所である。然し乍ら聖戦は前途尚幾多困難の重畳すべきを覚悟せねばならぬ。克く此の困難を克服し所期の目的を達成するには愈々日本精神を昂揚し、挙国一致、盡忠報國の誠を致すべきであることはいふ迄もない。而して現に全国民、尽忠の精神は灼熱し、国民一体の信念は最高潮に達してゐる。此の非常時局に際し、更に進んで此の精神を日常生活に拡充強化して、一円融合の社会を実現することを期せねばならねと信ずる。これ即ち国民融和週間の挙行せらるゝ所以である。

第七三号(昭一三・三・九)  「国民融和週間に就いて」 厚 生 省