第五六号(昭一二・一一・一〇)
  愛国行進曲当選歌詞発表      内閣情報部
  時局と国民精神作興        文 部 省
  時局と防諜            内 務 省
  国債の郵便局売り出し       大蔵省理財局
  朝鮮同胞の赤誠          朝鮮総督府
    戦況
   山西の大勢を決す      陸軍省新聞班
   軍艦旗閘北に耀く         海軍省海軍軍事普及部
  最近公布の法令          内閣官房総務課

朝鮮同胞の赤誠   朝鮮総督府

一 統治史上の一劃線

 明治四十三年十月、朝鮮に新政が布かれて恰も第二
十七周年を迎へたが、今いかなる盛大な記念式を挙げ
ることにも勝りて有意義な劃期的現象が朝鮮に起つ
た。それは啻に朝鮮半島内のみに止らず、内地、満洲
国、北支、上海等苟くも半島同胞のあるところ、今次の
支那事変を機として湧き起つた愛国心乃至は愛国運動
であつて、これまで朝鮮問題を静かに観察して来た内
外識者にとつて、或は空谷の跫音(きようおん)とも謂ふべきもので
あるかも知れない。尤も朝鮮同胞の精神界、思想界に
於ける此の動向は昭和六年の満洲事変このかた、東亜
興隆の機運の担ひ手たる我国の世界に於ける地位と
実力とに対して認識が加はるに伴ひ隠微の間に培はれ
来つたものではあるが、今次事変に際しかくも熱烈、
純粋に、内地の国民と殆ど差異がない程度に愛国心が
昂揚して来ようとは何人も思ひ設けなかつた所であら
う。社会の最大多数を構成する比較的低層にある人々
が、時局認識もいかゞかと思はれたに拘らず、老幼男
女、職業の如何を問はずきほひ立つたことを特徴とす
るのであつて、この観点から考へても半島統治史上の
一エポックを意味するものたるは明らかである。大野
政務総監の去る九月八日京域放送局から全国中継を以
て「朝鮮同胞の赤誠」と題する講演の放送中に、之を証
すべき事例の幾つかを紹介した後に

 「その大昔に於ては同源関係と推定すべき深き血
縁的な繋がりがあつたにせよ、久しく島と半島とに
分れ住んで言語、風俗、習慣などを異にして居つた
両民族が、日本国民として全く相同じき思想や感情
をもつといふことに対しては多少の困難が感ぜられ
た時期が相当にあつたことは否定されないのであり
ます。然もこれがいろ/\な不幸な事件となつて表
面に現はれた時期もあります。また次では表面にこ
そ現はれないが腹の底深く不満を蔵して釈然と打解
けることのできない時期もあつたやうである。然る
に昭和六、七年頃からこの方、斯様な暗鬱な気分は薄
らいで行つて、半島の天地は段々と明朗になつて来
た。而して今次事変を機として内鮮間の一部にあつ
たかも知れないと思はるゝ薄い紙一枚の隔りすら取
り除かれた様な感が致すのであります。古い歌に
「袖ひぢてむすびし水の凍れるを春たつけふの風や
解くらむ」といふ歌があります。谷や沢の氷が春風
の吹くにつれて解けて流るゝ春の気持を詠じたもの
であるが、此の内鮮の融合の流れは谷々沢々にとけ
溢れる清水であつたものが、今や汪洋たる大河とな
つて愛国の至誠の波濤を漲らせて居るのでありま
す。朝鮮同胞が内地人と変らない熾烈な愛国心に燃
えつゝあるといふ一事によつて、もはや内鮮人の思
想、感情が一致し、共に日本国民として心の底から
手が握り合へる境地に進み入つたことを断言し得る
のであります。私はこれを朝鮮統治の政策といふや
うな言葉を以て言ひ現はしたくないのである。これ
は人為や術策を超越したる所の、吾等民族の宿命で
あり、更に進んで言ふならば深遠なる天意の現は
れ、天業の恢弘であるといふ風に確信致して居る
のであります。」

との含蓄深き言葉を以て這間の消息を最も適切に表現
して居るのである。然らばかゝる朝鮮同胞の赤誠はい
かなる形を以て現はれたか。

二、愛国運動の諸相

 或る部落では応召した東拓移民(内地人)の家族のた
めに挙つて営農に手伝ひ、或る部落では貧しい農家の
主婦達が飯米を節約して貯へた金を恐縮しながら献金
し、或る郵便局員は貰つた初月給の中から献金に割
き、或る高等普通学校(中学)の生徒一同は農業実習の
生産品を売歩いた金を全部献金し、或る女子高等普通
学校(女学校)の生徒達は血染めの日章旗を贈つて皇軍
を激励し、或る部落の青年達は金は無いからとあつて
秣を大量に軍隊に献納し---といふ様な愛国美談は事
変以来殆ど連日の新聞紙上に報道され、これを蒐録
すれば尨然たる大冊をなすほどである。就中、一両年
前から軍用機献納運動をやつて居る文明g氏といふ老
愛国者が起つて養勇軍組織を提唱した時など朝鮮人青
年の血を湧かし、立ち所に二百余名の熱心な従軍志願
者を算へたことは青年の思潮の一大変化を示す事例と
見ることができよう。
 斯の如くであるから朝鮮人のみで組織されて居る
各種思想団体、類似宗教団体等の方面でもこの風潮に
伴うて愛国運動が擡頭し来つたことも極めて自然であ
る。大東民友会といふのは共産主義運動から転向した
青年達を主とする団体であるが、世界認識を強く把握
して既に昨年から大亜細亜主義を唱導して勇敢なる教
化運動をやつて居た所に今度の時局となつたので其
の意気益々白熱し、諸団体に魁けて時局認識強化運動
を超し、全鮮思想青年の間に大せな反響を喚ぶに至つ
た。又全半島に約百万の信徒を有する天道教団、曾
て大正八年の万歳騒動の中心勢力をなした団体である
が、満洲事変を機として過去の誤謬を改めて国家主義
の立場をとるに至り、今次事変に於て益々其の態度を
明らかにし、他の侍天教団上帝教団と共に信者の啓
蒙に努め、国防献金に、出征軍人の家族慰問等にも乗
り出しての活動見るべきものがある。朝鮮の儒林(儒
者の団体)の多くは其の学統の関係からも古来支那心酔
に堕し、支那の中華に対し朝鮮を小中華と称した位其の
眠り久しいものがあつたが、時局に際し京城の経学院
(経学講究、風教作興の機関)は、地方文廟(孔子を祀り
儒林之に奉仕)に猛省を促す所あり、儒林の間に於て
も満洲事変以来、真の仁義道徳が儒教を生んだ支那に
維持せられず、却つて我国に其の精髄が具体化され
て居る事実に対して眼を開きつゝあつた際、今次事変
により一層明らかに支那の無道兇残が曝露されたので
愈々旧来の支那観を改め、東方道義顕揚のためにも皇
国の理想と支持しなければならぬとの観念が高まつ
て、時局認識の講演会開催、毎月二回文廟展拝に於け
る戦勝祈願等を行ふこととなつたが、儒教思想の根強
く残れる社会に及ぼした其の影響は相当に大なるもの
あるは謂ふまでもない。また古い伝導の歴史と勢力と
を有する外国系の新旧基督教団は従来動もすれば統治
に対する非協同的態度に出づる事例もあつたが、今次
の時局に差しかゝつては暴悪に対しては時に力を以て
之を懲らすことが神の教条に適ふ所以を強調して起
ち、各派は交々皇軍の武運長久と在支同胞の幸福を祈る
為の祈祷会を催し、または講演会を開いて信徒の至誠
を表した拠金を以て国防献金とした。かく意外と思は
るゝ方面の朝鮮人団体が競うて愛国の誠意を表明した
のであるから、時中会大東同志会東維会等々、か
ねて朝鮮人の覚醒向上と、内鮮両民族の物心両面より
の結合、国民精神の作興、国防思想の普及、大亜細亜
建設の理想喚起などを指導精神として活動中であつた
朝鮮人各団体が互に呼応して愛国運動に起ち上つたこ
とは勿論であつて、他の内鮮人共同の愛国的団体たる
帝国軍人後援会日本赤十字社海軍協会国防義会
各道聯合青年団社会事業協会教化団体聯合会等に
於ける朝鮮人の奉仕的活動と共に澎湃たる愛国の思潮
が全半島に亙つて横流しはじめたことが如実に想像し
得らるゝのである。
 この顕著なる傾向を裏書するものは朝鮮人の発行
係る諺文新聞である。従来数種の諺文新聞は依然とし
て民族主義的立場を捨てず、或る社の如き前回オリム
ピック大会に於けるマラソン選手孫基禎君の偉績を報
道するに当り其のユニフォーム姿から故意に胸間の日
章記号を抹殺した写真を掲出して問題を提供したなど
のことは其の一班を窺はしむるものであつたが、今次
事変により半島民衆の間に滔々たる国民意識が漲るに
及びこれらの諺文紙も進んで其の論調と報道を改め、
暴支膺懲、皇軍支援から挙国一致の強調を提言してこ
の風潮の先頭に廻るに至つたことは内鮮一体を深化す
る上に大なる寄与をなすものと見ねばならね。
 更に附け加へるならは朝鮮婦人方面の著しい目ざめ
がある。愛国婦人会と竝び立つ国防婦人会の中に尠か
らぬ白衣婦人を見るに至つた外に、これまで旧き伝統
を守つて内房生活に閉ぢ籠つた上流家庭婦人の間にも
国民的自覚の衝動が現はれ、京城では愛国金釵会とい
ふ団体が尹徳栄子爵婦人を会長として結成された。如
ち半島婦人として愛国の赤誠を現はすべく銃後の後援
運動に乗り出さうといふのであつて、発会の当日は会
長以下多数会員が国防恤兵のために献納した金簪は、
彼女達が嫁げる日の記念物として身にも代へ難き貴重
なものであることを知るならば聞く者何人も深き感動
を覚えざるを得ないのである。現在朝鮮に於ける国防
関係の献金額は夙に二百万円を突破して居り、従つて
献納軍用飛行機、高射砲等となつて続々空軍及防空施
設強化に貢献せんとしつゝある。

三 在外朝鮮人亦同じ

 春咲く花はどこの峪にあつても時を同じくして開く
やうに、これら朝鮮同胞の胸に萌した国民意識は半島
の内と外とに区別なく、其の在るところ殆ど例外なく
同様の現象となつて現はれて来た。まづ北支に於ては
事変発生後間もなく天津での特別義勇隊組織となり二
百名近くの朝鮮人青壮年隊員は一死国恩に報ずるの決
意を以て軍将校の指揮下に奮ひ立ち、土嚢構築、橋梁
架設、連絡作業、傷病兵運搬、看護、軍営の炊事、掃除か
ら兵士の散発までに奉仕したが、中には守備隊の防戦
に助力中敵弾のために死傷したる者数名あり、我軍の
兵站線が遮断され之を突破するために決死隊を募つた
際などは立ち所に多数の志願者が出て皇軍将兵を感激
せしめた等の事例があつた。この外北支皇軍中に自動
車隊員として従軍せる者も尠からず、其の人々が家郷
に寄せたる手紙などは感激に漲つて立派に日本国民と
しての精神を現はして居る。又上海にある朝鮮人も
支のそれに劣らず、最初敵弾の為に数名の負傷者を出
したが怯まず、一糸紊れぬ統制の下に皇軍の背後に於
ける活動
に従事した。彼等の中技能ある者は通訳また
は運転手として従軍し、其の他の青壮年者は領事館、朝
鮮人会などの指導に従つて軍事重要地の手入れ、埠頭
荷役、土嚢造り等の奉仕的労働に従事し、一般内地人
が引揚げた後も百八十余名が残留して看護、洗濯、炊
事、雑役等に亙り奉仕を続け、尚ほ彼等一同乏しき財
嚢中より四百余円を皇軍慰問費として拠出したこと
など、軍当局を感激せしめたのである。特に上海は国
際陰謀都市であるだけに民族主義や共産主義運動に狂
奔して支那の国民党、共産党にも密接な関係をもつ朝
鮮人も
相当あつたのであるが、事変発生後支那官憲は
之等に対して態度を一変し、内鮮人の区別なく甚だし
い迫害を加へる様になつたのに反し、日本側官憲は保
護を求め来る者に対しては従来の黒表中の不逞分子す
ら何等の差別なく保護を加へたので、彼等は此の寛大
な処置に感謝すると共に改めて帝国国威の偉大さ、皇
国精神の美しさを認識し心から前非を悔いて、転向を
誓ふといふ有様
であつた。「私達朝鮮人は日の丸の旗
の有難さを今度ほど痛切に知つたことはありません」
とは支那にあつた朝鮮人の多くが告白して居る所で、
恐らく在支朝鮮人三万九千人一様に抱いた感想であつ
たらう」
 満洲には約九十万の朝鮮人があり、建国後民族協
和、王道楽土建設の理想に従ひ分に応じて国の発達に
寄与しつゝあつたが、此処でも亦支那事変勃発と共に
愛国運動が期せずして起り、朝鮮人民会、協和会の朝
鮮人分会が主体となつて各所に時局大会を催し、暴支
膺懲、皇威発揚の宣言、皇軍大勝の祈願を行ひ、国防
献金、慰問袋を輸出し、義勇兵の募集を請願する等団
体行動に出た外に於て、個人としての「貧者の一燈」的
美談佳話も数々伝へられて居る。
 又内地にある朝鮮人は約八十万人に近く東京、大阪
を始め全国各府県に居住して居り従来内鮮人相互間の
意思疎通を欠いた場合、時に僻見に基く各種の面白く
ない問題を起したこともあるが、事変発生と共に朝鮮
人は挙つて時局の認識に努力し内地人に後れじと銃後
の愛国運動に参加し、国民としての完全なる精神的資
格を把握するは此の時として、国防献金に、皇軍の武
運長久祈願に、千人針、労働奉仕、国防婦人会参加等
に男女を問はず其の国民的感激を現はして居ることは
内地で一般人の親しく目睹する所であらう。

四 朝鮮観を改めよ

 以上の敍述は朝鮮同胞の愛国行動の全部を現はし尽
したものでは勿論なく、その概観を一渡り述べたに過
ぎない。が読者は此の概観を通して現象の奥を窺ひ、
問題の特異性を認取されるであらう。二つの民族が其
の観念中の隔りを撤し去つて全く一つの国民意識中に
溶け入るといふことの困難は欧米でも東洋でも古来数
多く経験されて来た所であるが、内鮮の間に於てはそ
れが今次事変を機として奇蹟のごとくに実現されつゝ
あることに対して、吾々は仰いで皇道に出づる政治原
の尊さを懐ひ、飜つてまた朝鮮民族の聡明さに想到
せざるを得ない。前の満洲事変、今度の支那事変は此
の機運に対する有力な誘因ではあつても固より直接の
原因ではなく、併合以来累積し来つた原因の主なるも
のとしては
一 一視同仁の 聖旨に基く政治の精神が、民福向上
 政策の具体化と共にだん/\理解せられて来たこと
 (戸別的更生指導を特徴とする農産漁村新興運動の
 如きその著例である)
二 教育の拡充、国語の普及と共に内鮮人間の誤解の
 因が除かれ、生活の距離が短縮され、理解の増進を
 見たこと
三 内鮮両民族の血緑的同源関係と古来の文化交渉に
 関する懐古的情操が史学の開拓に伴うて識者間に湧
 起して来たこと
四 満洲事変から今度の支那事変の道程に於て、帝国
 の東亜に於ける指導的地位とその実力とが認識され
 て来たこと
等を数へ得るのであつて、二十七年といふ時間と、国
民的結合を促してやまぬ四囲の国際情勢とが之が経緯
となつてゐることは謂ふまでもない。敍上諸現象の歴
史的なる意味に就ては、此の際特に内地国民一般の
理解を求めたい所であつて、茲に去る十月十九日、国
民精神総動員強調週間の最終の日に当り、南朝鮮総督
が内地国民諸君に送つたメッセーヂを引いて朝鮮の希
望を表明する。

 

国民精神総動員強調週間に際して内地の諸君に告ぐ

 今次の支那事変に際し、期せずして国内に於ける一切の
対立摩擦現象を解消し、挙国一致の体制下に我々の誇とす
る伝統の精神力を以て起ち上り、皇軍の威武八紘に振ひて
支那の党閥、軍閥の禍心を圧伏しつゝあることは、帝国国
民として至上の感激を禁ぜず、史上未曾有の偉績が此の戦
果によつて将来さるべき不動の信念を倶にすることを欣懐
と致す者であります。
 この時、内地に在らるゝ民衆諸君の大多数に、此の劃期的
なる挙国大結束の成員中に、我が朝鮮半島二千三百万同胞が
躍如たる皇國臣民の意気を同うして之に参加せる事実を明
確に認識せられて居るであらうかどうか、日本国民として
東亜大陸に大経綸を行ふ場合、内鮮一体の精神的結合が如
何に必須の基礎的要素をなすかに就て留意せらるゝ諸君
は、今次事変に際し半島同胞によつて示されつゝある熱烈
にして強き愛国心に対し、是非とも新なる関心を払つて其
の認識内容を深められねばなちらと信ずるのであります。
 或は国威宣揚、武運長久の祈願祭或は従軍志願、或は国
防恤兵費の献金、或は時局認識の徹底運動、各種軍事後援
の奉仕其の他に亙り半島同胞の愛国の赤誠は都鄙、職業、
男女、老幼の別なく諸多の形に於て極めて自然に且つ自発的
に顕はれました。惟ふに這は去る満洲事変以来顕著に生じ
つゝあつた人心の動向が帝国の東亜に於ける大理想昂揚の
流れ臨んで「水到つて渠成る」の趣を以て国民意識の大なる
流れに傾注されたものであることを疑琴ふことはできませ
ぬ。斯くして今や半島全民衆は帝国臣民たる誇と自負に於
て内地民衆諸君と相同じき意思、感情を有し、国民的使命
を自覚するに至つたことを十分に窺ひ得るのであります。
 恰も此の十月は併合始政以来第二十七周年となるのであ
りますが、先人努力の成果此に凝結し、天意を代行する国
民的使命を堂々東亜に樹立するの時機に於て、此の欣ばし
き内鮮一体の精神的美果を挙げ得ましたことは如何なる記
念の方法を講ずるにも勝つた歴史的記録であることを信じ、
只管皇天皇土を俯仰して感謝致して居る次第であります。
 朝鮮は今年幸に豊作を恵まれましたが、人心の上に於け
る愛国的情操の稔りは更に豊であります。茲に内外地を通
じて緊強の裡に行はれたる国民精神総動員強調週間の最終
日に当り、朝鮮に於ける此の事実、此の意義の深大なるに
対し内地民衆諸君が刮目して洞見され、国民大結束の構成
中に占むる朝鮮同胞の大なる地位と貢献とを認識されんこ
と愬求する所以であります。