第四五号(昭一二・八・二五)
 爆音南京に轟く          海軍省海軍軍事普及部
 其の後の北支戦線         陸軍省新聞班
 拓け行く樺太           樺 太 庁
 上海の話             外務省情報部
 最近公布の法令          内閣官房総務課

 爆音南京 に轟 く
       中支に於ける海軍戦闘の概妥 (其の〓
                  海軍省海軍軍事普及部
 一今次事襲勃蚤より最近に至る中南支
  今度の革襲が
 起つてから、帝
 岡海畢は北支に
 於<は陸軍の作
      けふと・’
 戦に協∴同し、中
      もつは
 南支に於ては寄
 ら居留民の保
 護、帝毘貪の
 よ・’ご    ▲Yく
 埼殊に任じ、飽
 lで
 迄事件祁那ポの
 方針を守つて、
   Lんちよ’ けVん
最も慎重且鹿
 せい たい と
正な態度で事に
人官つて凍た乙と
は、前壊、前々
競の週報に於て
も述べた通りで
 為ソる〇
 一方支那側に
於ても心参る者
は彼等の生命財
    おげやか
L琵を脅される

                              くh‘ユだい
乙とを欲する第はな(北支の乙とは北支で解決し、耶件が撰大して中南支に波及する乙とは決し
て望んでは居らなかつ陀0串襲の起つた七月七日から一泡岡は上海帝政府成立十周年記念を況して
        にr妊                                  かんが、
冊中は非常な脹ひをすら見せ<居セのは、破等が北文の串鍵に射し如何なる考を持つて居たかの
             けいrいと L     ひんh†も‡んゆ’し甘や, ほうくわい
一両を察知する1とが出水よう0賓に経済都市上縛の市民は、只管金融市場の崩壊を恐れ、南京次
       い▲フLりヽ●
府の態度を悪を以<抹親して居たのである柏敢て上海と首はヂ、各地の心参る支郷人は恐らく同
棲で参つ咋であらう‥: こと      曾     三ん
 然るに南京政府は衷而を糊治しっ1姦に廻つては凡ゆる系統の統計四億を動員して鰍智な民衆を
            一のふ
酢jし、反日、抗日を焔りたのであつ陀.
                          か1フろん たいと’
 耕の如くし<上海に於ては七月十→日頃から漸く一部に硬論が摸濁し、十三日頃から1抗日気勢は速
            ゆ       ちあんゐ 甘
次粍刹化しワゝ参つ陀。鮎し愈上瀾市長は、我方に治姦持協カを約し、表面不自蝕ながら牢辞を膚け
                        となi rんが’ こ,ちく   いたづ■
て居陀のである0と乙ろが二十五日頃から支那保安除は渚朗に土壌を響、暫壌を構優し始め、徒
      Lけき              みむr       入・身ん るふ    ・−1きい ば,ちく. 亡んしんと,
に民心を刺戟して仝市に不安の気を甑らすに禿り、詫言は流布ゼられ、公債は暴落し、人心動
                                                てlフせん
格、上海針後に静批する者漸く多数に上つた0か十る折しも七月二十九已蒋介石のなした彼の挑戦
 一入●’
 て書いe                                        ととてい
的黎明は、民心をいたく刺戦し、表南特に和蹴の那なきも、裏而に於て抗日棉導に依り漸次統制ある
     てん    い とhき甘ん           こ、
全般的抗日に持ぜんとする喬歴然.たるもの参るを示すに室つた。故に於王手九日我が第三艦隊司
   けんこ              ぅむが
令長官は僻乎たる決意を蕎・はほ欄間係常局に細川ほ柑りと乙ろが空ノた。   と苦
 かくて八月に入るや、熱球の詫言乱れ飛び、愈モ物情膝怨たるもの参り、終に日支商取引は牡鹿し、
食糧不安の如き或は電燈、水道の不配給の如き、非
    dばヽ・きヽ▲
人道的巷拳に出づるもの参るに及んで先プ我が在留
同胞婦女子の一部引揚げを見るに至りたので参る。
 前故に於て述べた彼の大山大尉事件発生前後に於
ける上洛の一般情況を要約すれば、次の洩りで参る●
        rほく ††ンワシ ホン†ユウ ▲すたしせんろ
 (一) 開北、江津、虹口、北凹川路方南支郵人は
 大牛掛批を完了した0掛水の薄難と異なそ家
  に一物をも残さデ、仝くの蛮家となれるものが
   多い0
 (二)支那側の各種防輿工事は蹴批駁慰を無親し
           は‡−一▼よ
 て公然と行はれ、江津帝政腑方南は、郭新穀椚
 陣地を構築しっゝ参り、保安隊軌跡の野lし
             ▲L一首
  た多数の豪壮丁が頻に演習を行ひ、社務は事
                  †シジク■
  毅に際して凝難した乙とのなかつた笹岬方南
  の住民さへ績々と避難し、租界外灯邦人も租界
  内に引揚げりつ1あつた¢
 (三) 邦人に附する食料品杢男は愈と深刹他し、

       いたづら    ひんはん            †じや,ムめい
  投石悪戯なども頻繁になつ<水た。又素性不明の支那人が、日本人居住の情況を調査に承るもの
                 青んちやlノ
  があり、一般邦人は漸く不安と緊張の中に、夜間は自ら自重して外出をなさデ、北凶川路方南の
    くhんらく〆い                  とでつ
  欺熊術には、邦人の出入が殆と杜絶するに至つ陀。
 以上が上海に於ける先般水の一般情況で空ノて正に舶称郎らんとし√鮎那に瀞つるの気配で彗ノた0
 上海以外、漠口、庚東、席州其の他中南支に於ける一般情勢も亦、概ね上海に於けると同凍に、逐
次抗日挑戦の一路を滅つ陀〇
   二 支那軍の上海停戦協定踪蹄
                                           あつ甘んち●’
 上海停戦協定は、昭和七年五月五日、上海串鍵の停戦に閑し、英、米、彿、伊糊固公使の斡旋仲
 介に依り日支南開岡に協定ぜられ、前軋四囲公使は同席者として之に署名調印ぜられたもので、日支
 カ.V

    せウLよく       みせん    ・−く書いと L    ゐ 甘
 舶耳の南接接偶を回避し、和蹴の凝生を未然に防止し、以て固際都市上海の平和を維持する重要な
 る役目を有し、其の第一條中には
 「==饗方ノ軍ハ共ノ統制ノ及フ限,一切ノ且凡ユγ形式ノ敵封行為ヲ上海ノ周囲二於チ停止スへ
  y停戦エ開y疑ヲ生スルトキハ右三関スル事態ハ参加友好固ノ代表者エ依ヅ確メタルへy」
     ふrくLよ       ちゆうとん
とgりいい柑裔に於<ほ欄軍畑旛屯すべき地域の限界を示し一言る。    けいくわ
 耐水該協定は我方の厳重なる監観の下に曲りなりにも維持され凍ったので参るが、一時日の経過と共
 に支那側は漸次不誠意を暴露し、昭和八年十一月掛耶際郎妙に恵兵を北停車場に駐屯せしめたのを手初
            †んじ        ばくろ
























           ▼ヽいせんち ′ヽ
 めとし、幾多軍隊の停戦地区不法通過を禿ねつゝあつたので滋に更めて通過問題を中心として日支関係
    せつL▲1    1 よきよくせつ             ヽや,かい
 者町に折衝が行はれ、迂飴曲折の後昭和九年三月之に関する壁方の諒解が漸く成立を見るに室つ陀0
                        か†    ゐはんかうゐ
  併し乍ら支部側は其の後に於ても依然我方の眼を嶽めて協先生反行為を敢てし、逐次保安隊員を
               さうげ                  rんがう
 増加すると共に、規定ほ背い†其の装備を必要以上に強仏し、又は停戦地笛内各所に整壊其の他防炎
   .−うちく    は}げ       ウースンはうだい ひ†か やはうはくけ専任・J  ほんにふ いん甘ん
 施設を構築し、或は寄防備を禁止されて居る典船砲婁内に私に野砲浪弊砲等を搬入し七億戯たる砲
                              けいl▼             けい
 真の事典を企りるのみか、更に一昨年秋の大中鼻骨、五仝大倉を奥横として支那側中央軍は大軍を京
 .ヽ           さむが  モいりよく あつた,       けはい
 滝(南京、上海)の開に集結し宛ら我が勢力を摩倒ゼんとするが如き気配を示すに至つた。而して
 lエーぐんたい     べんいたい    ほ1いll
 長者軍隊を保安除又は便衣除に仕立てゝ 慈に停戦地頓に潜入ゼしめ、各種戦備を行はしめ乍ら、
我方の駁に射し謹言を真にし姦し真の宥ほ昭ない普憲に那覇したb1ほ年
 五月十四日在上海我が海軍曹局及上海線領事館協同して汲め支那側に沌骨して上海−嘉定−太倉1
 .−んrん  モL,                            たふ‡                          ムく‡
 鳥山1蘇州方南に於ける停戦地囁内支那側施設箕況を踏査したと乙ろ、沿道各所に於て蟹壊を復香
                けいせl▼            と●,−h
 ゼる跡、戦車、装甲車を使用せる形跡滋に新しく「トーチカ」を政教した跡等あり、如何に平素協定
  ¢¢んL●             によじり ばくろ
 湛守に不能意なるやを如資に暴落した。
                       ’な】r
 次いで本年六月二十三日支那例の嫌がるのを促し、列国と共に寒同葬具†を刑場し、我方よ汐
具壮砲婁都祁傲に抑する件を中心として停戦地宮内に於ける(⊥)保安隊の装備、人員其の他が警察
                                                                                       けい盲り

 ●よく      は与                                                           るわ
 カの濃度を温かに赴ゆる乙と (2)零用飛行機の飛行訓練が行はれて居る乙と (8)「トーチカし類
 ¢            Lて●
 似の防備滋野が典造されて居る軒を指摘したると乙ろ、支那側葬貝ハ現上海市長)禽鴻鈎は「停戦協定

は忠貸に慧するも、協定の條丈によれば同地域内に蒜を入れぎる限り砲轟劉等郡朝野重
    Bゆんはl′
之に警る薯の野は開発である」と琴弼lとし姦郡の色なく、又翌よ農安隊の級数、
                                      せい′ヽん
装備及防彗事の姦に関し頸を求められ驚に射し音「南京政府に萌しなければ回答し難
いしとして極め1不具両日なる態度を示したので参る。
 斯の如き嘉側首唱者の言動は明らかに協塞反を如質物語るものであつて其の莞は苧保
安隊、響笹−一般民衆の言動纂響ザる朗多く、乙れ等をし基表品日賦郁を朗申ゼし富
               入いL▼や’

 に至っ陀ので参る。
 而し葺歪慧突苧るや、↓響畏する霞をしイ義に管詣を暫しめる毒轟
          とつはり
倖姦は高騰密裡に帝政府窟告驚盛んに笠姦き、蒜北高には堅固驚か酎伽を構
襲ゼしめつゝあつたが、由る音以来思然停戦協定を無親し三川墜肘竪及北停車場に「‡チカ」
 其の他の耳布施設を公然と登夜粂行で築くに至っ・陀。
   三 帝国海軍陸戦陰に射する支那軍の挑戦
 大山事件萱後、上海の情勢愈威惑を加へ、八月十首以水、針郡帥に於け鼻輩の鮮弼仙琴
                     ¢や’せい  けんもく


              ルレhhい い’hl.ヽ●
 数郡数等簸り、悪の事態が愛憎柑らるゝ豊つた。 呈
 †ニ息ら嘉側は、停職協定違反の歩を更に怨め‡全然之を最し孟萱を以て奥船を尚め、
 南萱裔の萱は渡客撃を停止して芳のみ炭ぜられるに雪た0苧三旦朝、嘉便衣
                            ゆモーフ
                  一フキ シ 一「
陳は「グラブチ」路、「スコット」路、秋恩威路等巾朽各
          ほせう モけき      Lん
朗に於て我が陸勒隊の歩哨を犯撃し托。我方は仰悌
 ◆り▲エ●■フ
 死なる態度をとつて之に願職しなかつたので参る
が、同日午前九時十五分我が陸戦隊は、支部便衣隊
及正規兵の小銃概銃射撃を受けるに至り、迭に之に
 おうせん
應職するの已むを朴ざるに発つた。

  四 帝囲海野違に決意す
               こ′ヽさいてLす
 我が海軍は東洋に於ける岡際的大南継であり、大
          へいせん ちlた
都叩で参る上海を、兵戦の巷たらしむる乙とから救
      む ■−
ひ、三宮萌無事の市民の生命財産を安仝ならしむる
       ▲l’ば
熱親を最後の間際迄捨てなかつた。即ち十二日に室
          こくか lIよくめんてんくhん
り英、米、俄三岡絶間串が刻下の局面特換を希望しト
                      て▲フてい
日支南開関係常局ほ対して停職に関する調停一字甲入
             せいい つく   Lん
れて水たのに対して、之に感じ髄意を均して至急審
 ▼                                      ひ
靖したので参つた。従つて十三日午後、支那察軍藤
 山r▲フ
耗のヤルチy単発柴発動横の爆塞が、租界上蛮に

覆し、七〇〇米の低纂行をなしっ1苦言の示威飛行慕ったに封し音、調停に閥し協叢
中であ孟の姦姦射する苦く寄鮎尉批に邦めた0
         おうL?
 然る豊那軍は之を以盲本芸し易しと見たるか、三岡の調停も無視して苧管其の奪は
               くみ や†
大審し王海姦に軍我が陸霞を攻撃し慧財普破壊したのみな吏警べa裂仰酔
 丸いき上【

               ・がんげ■き
の頑郎郭を敢てし、仝世界を憤激ゼしめ陀ヱとは周知の渦…り摺り。 喜んち青か じっ
 是に於三鋼線領節の調停も、芳の最も、驚驚く水泡に蹄し、蒜は姦苧し陀。苦
                   けう土ん    たんちんあ
枚数様態を誓し、竺歩鮎郡ずれば竺歩鮎腎笹其の警加へ、豪儀iとを知
            卜h
らず、期の如くにし姦佃箆んか、数萌の在留邦人と数億の我が財産は、批封十年卦舶蹴郁の帝
                           Lの

                                 いんにんじちよ・)
畏彗兆に、警江の濁流に溺彗らるトの止むなきに至るで参考0隠者重も眈に皮を赴え
          だくヽ, できほつ
托・霊に到つ蓬如何ともする能はで苦帝覧革も菅挙るところあり、八月十習左の馨
       しっぶうじんちい
 明を凝して−疾風迅雷の行動を開始し陀0                 けんし与
 「大山事件に於ける嘉例の不法極萱劉戯、椚かは、皇帝豊貝及工部局豊曾の篭瞼澄に
 依り愈粛白に碓翌られ鷺に拘らヂ、裏側は共の非を亨顧みヂ、讃歪に義万に響
        かくにん
 る積極的進攻の態警示し上海方南の毒噺に黙し富も、我方とし違多驚翌の居住する
                                              て▲フてい
 南際幣たるの故を以盲重に豊を重ね、殊に士二見翼使より呈雨槻に射し調停の申出参
 り0我方は之に射し芸中苛し為、昨是の裏側不法攻単に射し違単に聴戦に止め、支業
            lしんrちゆlノ
 行横の租萬低纂行に封し音特に攻箸加へぎ已が、李四日纂十時頃支業行苧教職





  は我が艦船陸戦除本部及絶領事館等に勤し爆撃を加ふるの不法を敢てし暴戻言語に擬す。帝南海軍
  は今日迄憶弘に憶弘を重ね凍りしが、今や必要にして且有数なる凡ゆる手段を執らざる可からざる
  に至れるは、従凍の念願に盤み、甚だ遺憾とする朗なるも、亦止むを得ざる次第なり。し
    五 支那空軍の空‥襲経過と其の成果
                                                 くhlノ
 (〓 十四日午前九時週敵の爆撃機一横我が陸戦隊本部上蛮に現はれ、我黎一番に砲火を集中、敵は責
  ほかl′がん          とんモ・}
  浦江岸に爆弾教筒を投下して遁走した。敵は我が絶領事館及旗艦00を狙っねものゝ如くで参つね
  が爆押は江上に爆教し、一凝も命中ゼヂ。
                                  巾・}ほ・’
 ハ〓) 十四日午前十時頃、楊樹浦に参る邦人経沓の公大紡、裕柴紡は、敵爆畢横により数坪を見舞は
  れ、相骨損尊を受けね。
                   Lふちい         けきじや’
 (≡) 十四日午後零時牛、開北方南に敵機襲凍、我耳砲火を以て之を畢壊。
 ハ甘) 十四日午後零時五十分、敵爆撃機一機が帯び我が陸戦隊本部を峯製、爆弾叔箇を役じねが一哉
  も命中ゼデ、高射砲を以て撃撰しね。
 釜) 十四日午後個時二十三分、構銃を狩る支那蛮軍†ルチソ重爆機九横、戦闘準魂は、黄浦江上蛮
    1ヽふ,_い           へんたいはくlけiI
 から製氷、我が旗艦00に射し、編隊爆撃を敢行しね。我軍一審に防察砲火故に軍艦00の艦載機
一……g…謂…貼悶粥eえず耶野上海の墓浸れ、我が筐本部と旗

 舵00とは、終始杢爆の日磯となつねが、一磯も命中しなかつた。然し乙れ等の爆撃に依り北四川路
                     hた       くlフ▲Lふ
 方南には火災を生じた勺乙の自午前午後に五つて数次の敵の轟袈に於て、我が防蛮砲火は克く共の戚
  はつさ       血}lう
 カをせ拝し、我が舵戦機の勇猛は群がる敵を畢摸し、敵察軍に損書を輿へね。即ち
 ハイ) 我が訊艦00の舵載水上機は市街上蛮で単機よく多数の敵機と勒ひ敵の「ノースXツプ」大型
         げきつゐ
  爆鞋横一品を弊墜しカ。
                Lんyゝ▲
 (口) 軍艦00艦載水上横は兵茹上蛮の職階に於て、単機敵の教職中に突入し其の「カーチスホー
  クし戦闘機一基を射落しセ。
 (ハ) 我が艦艇の高角砲弾は「カーチスホーク」戦闘機一室に命中之を撃墜した。
  六 血迷ふたか支那空軍
                                                 ちん“レ
 牧方に射する支那の蛮蟄は大場右の球で参つたが、支那蛮畢の爆鞋は他の方南に逸方もない椿事
  伊きおこ             1と,ふと〜                             タン
 を惹起した0即ち共闘人経沓の礪繋埠溺の乙と)、倉庫を破壊したり、米固スタンダード石油合敢油
  ’
 槽に大爆数を起さゼ光りしたのは未だしも、午後凹時牛頃に「バンド」(黄浦江河岸温)に参る正金銀行
                                 ′ヽhんらくがい
 前黄浦江に爆押を投下したのに引瑞き、午後四時凹十五分頃、上海歎集荷の中心大世界で、政子の凄
                む こ   壱つしや, あ げけうくhん Lゆらけう
 邦民の藻只中に爆弾を投下して教官名の無事の人民を殺傷して阿鼻叫喚の修凝境を現出し、次いで
            lち   ナシ斗ン ロ
 午後六時牛頃上准日披の術で参る南京路の入口泣くに参る「カセイホテル」の玄関前にこ凝の爆弾を投
              書つハう                   せんけつ                 ぅは
 下した0折柄避難民殺到中で参つた魚、路上は死傷者の鮮血で具赤になり、或は片手を奪はれ或は頚
          ひんL                 亡
をやられ′た瀕死の重傷者が其の上を旬ひ廻り、上海
  こくさいLやか・,じや,
一の国際敢交場で参る「カセイ」、「.ハレス」南「ホ
               わちや   ふんきい
チル」に冶泊中の外闘将女子等が滅茶々々に粉砕ゼ
           き?フき     hめ
られたガラスで傷ついて狂気の横に泣き喚き、道路
一杯身動きのなら瓜成な混乱の中から逃れようとし
 ふ ころ             壱んじ?}
て踏み殺された小鬼等、思はず眼を榔はす大惨状を
呈した。更に黄浦江に碇泊中の米聞耳艦「オーガスク
ス」、椅子江口附近に碇泊中の英国軍艦「カムノ土フ
ソド」を爆撃するに至っては何を血迷ふたか、許す
るに言菜がない次第で参る。
 何十五日「ジユルナル・ド・yヤソハイ」紙は乙の支
那察軍の爆畢に依り、備租界に於ける死者四官四・T
五名、負傷者入官二十一名、典同租界の死者凶首九
十五名、負傷者約大官名に達したと報じて居る。
  七 海軍大臣帝囲海軍の
    決意を語る

   じたい      ょない
 乙の事態に薔して我が米内海五大巨は八月十五日「ヤイク」を洩じて、次の如く帝国海軍の決意を
                                  ●−いLん
放逸し、鼻固民に射して拳固一致、立丁民協力、帝国の使命達成に邁進せん乙とを要望した。
−ハ前略)昨十四日に重り支那は軍用飛行機を出動ゼしめて帝固軍艦、陸戦陣本部、我が総領事飽
                             いくた む・−   号つし†う
 等に射し爆箸加へ、慈には外閑居留民及自図人の居住地迄爆畢し幾多無事の人々を殺傷するに
 覚り空し池事は、天人共に許すべからぎる尉頑掛都の外郭で御座い会す0帝開海軍は事箸蔵以
 水、富の方針に則牡露平和の角懐弘自重し<参つ陀ので参り会すが、事滋に至り空しては最
                 ヽ▲きちヽ▲’
 ′是竪丁とし乍、支那畢を膚微する為、資力を加ふるの已むなき次第で参り会す。
 即ち櫛開港軍と致し空し<は、浄<今日あるを鮮併し、彗に封する池億を完成して居り空した
        かんすん    てりていて甘         くつぞ           モち        かた
 ので1故に敢飴立って1徹底的に督南の支郷軍を屈伏せしむるため、必要の措置をとるの決心を拭
        はり首             おl                      き与−く
 め、眈に凝勤した次第で参り空す0念ふに時局は重大となり空した0私は拳協二致同家の金力を拳
           †ゐ1               ちか
 げて何虜温も暴庚支那を膚解し\出師の目的を達成ゼんが池め、仝努カを固民諸君と共に響ひたい
  と存デるのであります。」
    入 長髄南京を衝く
 八月十腎午照せ柑ほ瑠。艦隊司令長官は、次の如き重毒明を登表した.と
 真郷耳陳の挑戦的攻撃を受け叱る我が第○艦隊は如融の陀め必要とする措置を執るの止むなき
                   せん†よ   ちゐき                                てきた,
 に象れ牡Y依<支那軍隊の占壊する地域及其の軍用施設附紀にある一般住民は、直に宕以外の涛昔

     てつき▲     くhんこ′ヽ
 なる地に撤去ゼん乙とを勘骨す。」
               ハトい▲■
 右畢明と前後して、某地に待械中の我が潅軍航盛
部隊に命令は飛び、滋に帝国海軍舵室部隊の挿盆
は活動を開始し、或虹賦郎の中心を突破し、或は長
                              とつは       ち?’


 く      くhうてんが’I 与か
騒海を法り、或は荒天豪雨を冒し、室となく夜とな
く、上海及其の附紀は勿論、支那内地奥溌」進入し
て航蛮戦史未だ曾て見ざる室戦を醐新したので参
      がい入’
つた。今其の概要を述べて見ると次の漁りで参る.
 八月十内自
  我が00海軍舵峯陳00横は00を出費t、途中海
 頂を配し、共の毒草後六時牛熟畔鮮及郡
 司発行堵キ他の】部は午後七時牛乳軒郁飛行場を♯
 繋したが、此の峯典で覚椿に放ては格柄庫−及庫外滞
                        げく
 行積数増、簾徳格納庫二及庫外飛行横十教横を捧銃
 し、峯中戦圃に成り敵の戦闘横四を撃墜した.
  此の杭州爆宰の際被亨を寿つた一概(横長大串三等
 舵峯兵苦は敵の地上砲弊及戦闘横十教横に依り紗那
 ‡に大小七十食に及び、止黎動横〓薫及電信横を射貫か
                _}小ん
 れ使用不可能となつたにも拘らず鼻敢にも敵撥二菅I

                    ーーいふ, もT小
 平盤し、確りの敬動機のみにて操縦しっ1斬風を冒し
     し●lは                      l■
 」伸上を翔破して、無事夜に入つて堺横00品地に朗
  亨                          †つ−ん もtP
 捜した.此ハの爽貝の弟猛沈芽に絶祈に値すると共
 に、和が叔室根の威力を中外に示したものである.
八月十五日
 (イ) 戦が00梅軍兢峯陳00概は、正午頃析柄の廉
       けふし小い     れ●●                   ●んし†卓
  見開鉄線界の申に愉槻五に見失ひつ1も、敢然南島
 飛行堵を爆撃し、格納流外飛行槻九槻を爆破丼の他
  緒抑朗、飛行場に大粗密を輿へた.
 (ヱ 戦が00梅革舵轟隙00横は午前九時年頃南東
  藍余熱し、南京城門外舵峯基地を桐申低高庇にて爆
  解し、格納沌三械井の他拍坪朗等を爆破し更に沌外
  飛行横∧横以上を爆破した.
  何辞州附汲及南東上蛮に放て、敵鶴岡横十数横と批烈・
  な為轟巾勒を展開、砕驚け簸験しだ】音の九横を政ふ.
 (〇 戦が00海軍舵峯抹の梢銃00編隊横は折柄の
               伊クし †’こ与
  怒天俄と閑ひつ1中綿九時頃喬司及位輿(杭州濁南
  岸)飛行場を爆撃し、地上にあつた敵の飛行機六概
  を破壊、更に格熱仰に鴇啓を輿へた.
   叉00航隊横は午前入時年頃寛補飛行場を爆撃、
  飛行場及格約鮎仰に揖帝を輿へた.

  者雨何の爆半の際政戦開横多数と峯中我周か兵へ
  敵の飛行槻九横を黎度した.
 ハーー) 我が00梅軍炊事隊00横は午後四時牛頃耗州
  飛行場宰を行ひ地上にあつた戦闘横「格約挿四
  を爆破した.
 前記両甘の爆撃に放ける我軍の根寄飛行横は入違であ
って、右の申大部分は暴風雨中の低高度掛率を決行せる
ため犠牲となつたものである.′
八月十大日
                   ■レIナ ウ
 ハイ) 我が00海軍舵峯陳の00横は藤岡を衝いて牛
        小 こ▲フ
 畢ハ時頃鳥輿飛行場を尉ひ、折柄出動準備中の東郷
          ▲ばくは
  軍飛行横入椴を爆破し、更に昼中戦闘に放て他のこ
  槻を解堕した.
  又00隙斯属00横は牛紺六時年頃折榔飛行場を
  爆撃し、中型航峯攣一健を爆破し、大格納庫「兵
             ふん書い
  合「輿の他の建物を粉砕した.
             てい‡つ
   本攻撃中我軍には偵察良一名の微傷があつた外租
  鎗Hなし.
 (ヱ 午蹄募兵及虹璃方面支邪余慶根接地を蟻撃し之
       一々ん小い
  に多大の鴇啓を輿へた和が00海軍舵基部隊は、引
  締き井の00横を以て我が陸戟陳に協力し、同日牛
         ■▲▼
前午後整同忙亙り江
血郡、朝那、ポ朝舶
方面の敢砲兵陣地忙
 ‡}れつ  ぱく伊●
猛烈なる爆牛と加

軒附……糾………
音多,ス彗、コ
ルセア横「.計三枚
を平鹿した.本改革
中我軍に普なし.
 (〇.」早朝00と
出教せる我が00海
       く ▲【’
軍舵峯験句轟♯験
        †lLr
⊥UO壊及格州嬢半験
00竣は、夫々牛椅
十−時及午後零時年
頃句容及那を爆平
し、句容に放ては折
柄格納庫外にありし
散の戦押椴十≡橡と

                    小l】▼ん
 那砂し、更に約二十横の敵勒鋼横と交戦し井の」ニ
 …甥を撃墜した.
  掛州に放ては浄外にあつた大型横六、小型概三と
 爆破し、更に婁中取囲に放て敵横こを撃墜した.
  雨婁塀隊を洩じ我軍は行方不明−概、伶句容卒製
              れ,▼
  に放ては天候不良のため僚機を見失ひたる我が一横
 は、敵の多数散剤横と交戦し井の三横を宰箆し、
 横健に無数の敵弾を受け舵抑タソクを音速され乗員
    」■たい        て●だん


             ●■んも†くて●†り
  に負傷者を生じたるも、沈著滴切なる舵路を選び触
  手辟潰した.
 (さ) 00を出敬せる我が00海軍舵墨険00横は、
 掛凱に乗じ敵の朗を附いて那凱野行場を封批し、故
  に大打撃を加へ仝横無事凱旋した.
八月十七日
 才) 00海軍舵婁部隊は00槻をもつて肘掛乳糖批
  方南支部峯事故棟地を爆宰し、監Tに放ては敵飛行
                      lIれつ
 槻三根、大型格納藤一棟を爆破し同格納庫は猛烈な
 火災を超した.推陰札於ては敵飛行機一及倉庫一様
  を粉砕し各概共無事辟還した.
                              ハ一「一▲r
 ハロ) 00浄事前基部陳00横は慈天候を官して港牢


  報叩行埠を爆宰し、敵大型犠宰横四及大型格柄犀二梯
  を爆破したり.我に揖客なし.
 (〇 上海方南に放ては我が00海軍舵峯部隊の〇
                     一丁す▲・ン
  ○磯は▲陸戦陰に協力し江垂研及補充方南の敵の砲兵
  陣地を爆破Tt之に大根零を輿へ、又他の00横は北
               †ふ小l小イ叫くけ●
  停革場附汲列車砲に封して急降下爆宰を行ひ、附延
  線路及格納坪を粉砕し列革砲に多大の根曹を輿へ、
 又朝紛糾割鵬の敢忙対しても徹底的爆宰を加へ同
                 一Tつていて●

  館中央部を完全に爆破した.
   何本攻撃中婁中故に放て敢戟固横二横を筆墨し
  た.本婁鶉中我軍の−機は渦息不明となつた.
 入月十人貝
  我が海軍舵峯部陳は完全に上溝附史上審判起し、
                   こん●▲▲†  し●l
 共の00及00部隊は敵陣地及敵峯軍根境地に封し払
 Mレつくわ小ん
 日果敢なる爆撃を加へ何れも故に多大の埋管を輿へた
 が、共の主要なる爆撃首席偲左の洩りである.
 断熱朝、b粁蹴窮蹴、配郵政虜琴揚樹浦東部、
                         †ンdyツ 一

  北停車場附近、商済印曹館附紀及市政府附紀の各故
  陣地
 南通及甫翔飛行琴長山蛾嘩鮒郁離脱酢萱

 本場黎中我が舵峯機の中には槻饅に十政教の政和を受
 け蹄潰したるものもむるが、共の他の被宰なし・
・八月十九日
    れんじつ       かんこ,
 (イ) 連日頻距離杢中攻襲を敢行しっ1ある戦が00
                 ち†与く   カ々
  海軍舵峯部隊の00横は、本十九日亦長騒南京藍袈
 ひ、午後一時年頃共の郎新郎盈頒繋した・爆押は
  正しく同搬に命中、一大爆教とともに大火災を起し


  た.
         Juく”I
 ハロ) 南京火襲廠爆破に引綬き00海軍航婁部隊の○
                 ケんくわん
 ○横は、同午後∧時境南京参謀本部及軍官牢牧童
 楕撃し、夫々約十教宛の爆弾を命中せしめ、構内各
 所に大火災を起させた.
                  かんか,
  我方に根啓なく、夜聞飛行を敢行しっ1仝横無事
 ●くわん
 睦押遣
    九 陸 戦除 の 男戦
 トノ
ー支部側の守砲開始
            ワシパン P ほlフrんろ
 八月十三日午前十時頃、横領賂、費山路交叉粘附紀に於て我が斥候に勤し、支那正規軍は突如霧
印啓館より掛弼郎を桝ゼかけ、之と同時に附紀の家屋から便衣隊も凝鵡したので、我が陸戦除は已む
                                                       べんいたい


    かん†ん
を禅デ、政蝕として之に應戦するに至つ陀。爾後今日に至る迄我が赦千の陸勒除は教宮の支那軍を相手
に凄夜男勒奮闘、剛耶なき敵の攻撃を世道し妄も趣かデ、派と汗に汚れ乍ら耶舶を堅守して居る0
                               け・貫い              とろ あ† tみ

〓 睦戦隊菱流
入月十三丹                 山砲、迫や砲弾粟し、我が陵戦隙は直ち忙之に鹿
 (イ∵北部地囁じ卜          戦砲戦を開始した.午後五時二十分頃、敵性射半を
  午後四時頃入字橋方南に爆燈立ちの灯ると見るや、 ・中止した.

 午後七時四十五分頃、北停車場北方地慣の敢
    ▲ワ,だんは・,
 が、楕輝砲を以て陸取除本部を目がけて射弊
  を開始し、兵舎の附沈に草が落下した.我
      はん抄Y●  もん・_く
  軍は直に反黎之を沈歎せしめた.
 ハP) ‡部埠革
           ●●’小,
 午後七時二十五分、札江接穂方面より射撃
 を受けたので我が艦隊の掛火と髄ポ直ちに
  喝之を沈赦せしめた..
 午後入噂00よb陸戦隊を尉轡淋伽附と
                   て●し▲
  して00に待横せしめ警戒む厳にして敢♯に
  備へた.
八月十拐日
 (イ)牛単一時頃より肝脚蛸b路方面より敢
            はん抄●
  進撃し氷り、我は之を反拳多大の組亨を輿へ
  て♯温した.
 ハエ 牛蹄四時年頃相常な部隊が新公園附近の
                    ▲▼’れつ
  我が部隊を砲宰して非たが、我は猛烈に反弊
     ヽん●Jヽ
  之を沈赦せしめた.
 (〇 午後九時牛の戦況
      Mレけ▲▼
  l、∧宇檎方面に放ては彼我目下激戦中.



                    y ▲ワ
   「敵は上海最鉄路線路を鶴え三義里方面迄進出
        −hい ‖写
    し我方と封暗中.
        ▲▼たしせんろ
  「我方は北凶川路の一線を堅守して居る.
  「午後の砲畢に於ける戦が陸戦験本部の損傷は意
  外に肘掛である・
  「夕刻00取除00駆逐隊は呉瀬砲轟及市政府附
   近を猛射し故に多大の拘沓を輿へた.
八月十五日
 ハイ) 午前七時頃の戦況
 −、東部、河北部隊とも大した敵輿なく封時中.
                      て●
  「牛蹄二時以後新公南方両に於ては敵の相首都験
         伊●†んヽ、
   の来鞘を受け激♯後之を♯温した.
      Mレけ,
 「入手稀方面に放ては柑日夜木敵の鞋を受け鞍
  烈なる戦何が行はれたが、我が陸戦除打数耶之灯
      だ抄i▼
   大なる打率を加へた.
    だいじ†−●ん
 (ヱ 大穎銀方南の敵埠央は、しきり忙我が陸救陳本
 部む砲辛したが、鳥の轟には−食も常らヂ、命
  ナ◆’ 一  ◆†′
 決蜃乍河港故舶ポ寧円忙睾の狩丸が落下
  したが大なる普はなかつた.
 (ハ) 十四日劇木我が睦我除の塞引受けた故は、考

 入十七、入十八の雨師及保安隊で、共の攻撃は猛烈
           り’せんくモ’
 を極めたが、我軍は力戦苦闘克く陣地を固守し、且
 故に多大の揖審を輿へた.支那は我が陸戦線を科す
    ぐわんて●
 るに頑敵の名を以てして居るのを見ても、其の郁
    †ル∬
  恥振りが察知出水よう.
∧月十大8
                   ◆▼ン’ン
 (イ) 牛埠一時頃より開北1江増方面の敵せ砲哉む
 交ふ、同牛紺五時十五分日本人女拳枚方面に相常猛
 烈なる敵鶉あり、陸戟隊本部附紀にも集坪があつた
  が我方に被零なし.
          ふん†ん
 (ヱ 我が陸戦隊の海戦と我が海軍舵峯部傑の清確に
 依り、敵は相常の輯帝を受けたものか、本日敵鮎舶
   ・ヽんtく
 ね沈款を守つて居る.我軍は士気甚だ旺盛にして、
 陸戟隊戦線には酸化なし.
八月†七B
 (イ) 引頼き極めて優勢なる故に封し我軍は守備線を
 確保し、別新郷鮎する敵影皮革し多大の輯客室輿へ
  てゐる.
ハエ浦東方面の故に封し我が振放は舵婁部隊と畔射
  して之を攻撃した.





           ′ン ′
 ハ〇 午後六時頃公大東→エ場附近繋の敵は相音頭
  叛であつて、我方奮戦大いに努め艦船は艦砲火を以
  て故に應酬し、苦戦十数時間の後十入日に至り遜に
  之を黎逢した・          「1
.八月十入日
 (イ)我が港軍舵基部陳及陸勒隊の新鮮剋批の攻撃の
                 Pがい …レんだい
  ため上海附紀に於ける支部軍の被沓は甚大なるもの
  の棟で、従来の粛八十七師及第八十八師に封し新た
  に第五十七、粛五十人、粛六十九の三筒師を以て入
  換へを行つてゐる職域である.
                 †い丸い
 ハ【こ 本日其方面から我が海軍の構銃なる部隊が到著
          ●・クtや,
  し、我が陸勒陳を増強したので、我軍の士気は大
     も〃
   いに昂つた.
 ハ〇 本日は上海方面には敢の舵峯概は殆ど窮を見
   せなくなつた.
 八月一丁九日
 ハイ) 十七日夜以来苦戦して居た東部戦線の我軍は、
  檜凌部隊の釆著に依り、其の陣地を進出せしめた.
 ハウ) 井の外全線異状なし.