第三二号(昭一二・五・二六)
 国家総動員準備の概要       資 源 局
 帝国海軍を語る          海軍省海軍軍事普及部
 国際砂糖会議に就て        外務省情報部

  帝団海軍を語る
                    海軍省海軍軍事普及部
   一 三園干渉と日本の資力
         く巾・暮さ∧一甘人
 世外海戦史上に光輝燦然叱る記録を留めた明治三十八年五月二十七、八日の日本海大海勒に於ける
          たいせふ                                           ゐくん
我が聯合艦隊の大雄は、年々乙の記念日を迎へる篠にその不朽の記憶は新たにゼられ、その偉動は、氷
速に件へられるので参る。本年は第三十二周の記念日を迎へたので参るが、顧みて日露戦争の常時を
 おも ひろがへ      かへりみ
憶ひ、珊つて帝岡の現状を省るならば、今昔彼此、誠に戚慨深きものが為る0
                        か∧せ・が
 抑も、日露戦零は、露図の瀬胡侵略が彼の三岡干渉以凍益ぐ積極的となり我閑にとって脅成約とな
                              か∧でん  .と
ったのに対して帝固の保全のため賭又極光の平和維持のためほ、敢然粥雑を賭して起した聖戦で参つ
                       ちがな  、h・呈,は人たう                          がrか
た。日柄戦争の結果、血と蛾とを以て購ひ得た密賓島は、三岡干渉ほ依つて奪ひ去られ、勝利の凱歌
                ぐhしんし血丁)た人
は忽ちにして恋情の茨と襲じ、所謂臥新嘗脇、十年の試練が日本同氏の上に加へられたので参つた0
如何ほゼん常時の日本の明カ、黎備を以てしては、他界列強の三明を相手とする乙とは勿論、我が海
                r ゐ             ゐかく
雫は三岡干渉の承恕を治まつて日本近海ほ示成連動を試みて切りに日本の朝野を戚嘲した露駒の水洋
照除托すら及ばをかつたので、無念の茨を呑みながら不普なる三明干渉ほ屈服ずるの外はなかつた・
        A寺                                        つと  ごし人ね人
 乙れより費、海洋帝開たる日本の海防の乙とについて 明治天皇には夙に御珍念参らせられ、畏くも

        ごない とゝマん
明治二十年には御内砺金三十前例を海防甥の一助として御下賜遊ばされ、更に二十三年以来軍艦の鐘追
                                     付レこん
が総状その他の珊情で行悩んで放るのを御珍念為らゼられ、二十六年には爾今六年間篠年三十常例の御
                            い
内聯金を御下爛和成り、聖た文武甘の俸給の十分の一を納れしめて製舵費の補足に充てしめられる旨の
勅鶉を下し朋うたのであつた。乙の良き御恩召を押して開民も戚激発脅し、朝野を挙げて海靖の充賓に努
                                            たいせ・小
カしたので参つたが、その充☆計塞が完成しないうちに日汚職節が勃凝した。韓にして職堺には大雄を
狩る乙とが出水たが、前に述べた様に三岡干渉を断乎一統するだけの賓カは打たなかつたので参る。乙の
                          ゐくん
無念さが十年の井心努力となり、日本海大海戦に於て偉勅を立てた聯合艦隊を作り上げたので参つた。
   二 日扁戦争と帝閑海軍
 日柄職堺の繋年の叫治二十九年、帝開海畢は十年計畢一億一千三宮常例を以て官三蟹十五革二千噸
                                                ・きんせい
の大横舶計詫を断行し、戦艦及装甲巡洋艦各六隻を以て綱成する近代戦術に兆く常時の理想的均整艦
                                                         ハト
隊とされた所望ハ六艦隊を新らしく紫備した。更に明治三十五年には一億尉、十一年計克を樹てたの
             かんが     しゆんこう
であつたが、口蕗関係の急迫に鉱み、伊太利で竣工した日進、容日二費の新造艦をアルゼンチンか
ら桃入して縦帯カの充兜を岡つた。
 斯くし七日続開戦時に於ける我が海据カは、露網の黒海艦隊を除いて棒水及バルチック南艦隊の合
             かr               与んせい
計三十二粥嘲に封し王手糊溺噸を算へ、盈に於て乙そ弟はあるが、質に於ては均整のとれた新鋭の
                                       h・)せい
陣容を有し、何も訓練に訓練を束ね健奔な技術と、十年腐した二剣を酬ゆべき旺盛な士気とは、断鮨







      ちつた・)
鰐岡艦隊を爬倒するものが参つた。なぼ第一線の牌士ばかりでなく、銃後に参る朗民も、世界の強団
            こうはい か                   手うれつ
落西溺を相手として亀岡の輿磨を賭けての死戦であるといふ悲批な決意を以て壮烈な愛図の至情を発
揮して、異に岡民が一同となつて蕗朗にぷつかつたので参つた。
                                    uてふ 」ワ
 斯くて陸に海に連戦雄勝の勢を以て職柏は進み、遽に日本海の大捷利を以て大局を決したので参つ
   一‡・−と
た。絢に日本海の大海戦は、盈桝の興巌を此の一戦に賭したもので参つたが、その捷利は全く壌前で
為りト天体、紳朗或は奇戯といふ言発が乙の捷利の上に冠ゼられ仝他界を梵嘆さゼたもので彗ノた0
        てんい・)



                                             ひさう
 然しながら、乙の大雄利が全く単なる天体で為り神助で参るとのみ見るならば、それは皮相の観察
である。即ち乙の大雄利の凶つて凍ると乙ろを考ふるに、乙れを大局から云へば三岡干渉以水十年に
五つての金岡民的な苦心経常と如何しても勝たねばなら瓜といふ開民の一.致糊結が参り、乙れを直接
                     ちな・’ し一ほ
に見れば我が末郷司令長官以下の郷土が智喪を絞った作戦と、血の出るやうな猛訓練の成果とが為つ
たので参る。】方蕗闘の情況は如何で為つたかといふと戦零に封する同氏的の決意と、必勝の信念と
                ′・・’ちん
がなく、閑内ほ灯虚無釆の革命的擾乱さへ勃発ゼんとする情勢に参つた一方バルチック艦隊の郷土は
      ひた†ち                        せうbよ
戦意を映き、只管日本聴隊との決戦を避けて沌騒港に無事到着する乙とをのみ焦慮してゐた。之等の
安情を彼此此較して見れば、白から彼我勝敗の数は明らかで参つた。\
 即ち日本海大海戦は水郷司令長官以下の耕土も、その銃後に在る一般瞬民も、凡ゆる仝智仝能を傾
                                   ●■
け、人事の最善を轟して和して後天佑と紳助とを侯っ底の日本岡民としイあ最高度の努力が報いられて捷
っべくして也ったものであつて乙の黙特に今日に於て息を致さねばなら瓜と乙ろと考へるもので参る。

   三 無條約時代と帝国海軍
 ¢ろがへ
 稲って今日の帝岡海軍の情勢を見るに、郵船、倫敦桐偶約は眈に効力を失ひ、昨年のワンドン軍縮
                                          だた・)
姦に於て−帝同政府が提出したと乙ろの不脅威、不侵略の原則の上に立っ公正妥常なる帯締尭が開
    い
係岡の容るゝと乙ろとならず超に帝明は曾諌より脱退した結果、滋ほ所謂触條約時代が出現した。
                        りつ
 衝帯締傾約は、比率主義を以て聯岡海耳鼻勢に律したもので参つて、最並の情勢に於<は米並の
              ′ヽhんべき
安定勢力たる聴牌の梅坪例防の完璧を期する上に於て、甚だ増憾を戚ぜざるを禅ない有械に立至つた
                             こュフモ′ヽ
のであつた0然しながら今や帝閑擬革は斯やうな狗沸から股して、帝図の現状に印し萱た岡際情勢に
封雌したと乙ろの1自主的常備を班施する乙とが出水るやうになつ托ので参るが、反南に於て乙の無
様約の新らしき時ほ廃する帝桐海苦しけ柑‥容易なら芸心の布ずると乙ろで萱。育て
 即ち列岬滞備の埴勢を見るに閥際情勢の緊張に作つて、何れも競うて陣海罪非に共の充光に汲々た
る有柁で参る0然し海箪に於ては各開非に箪締條約時代に主力艦の禁咄を中止してゐたので、骨分の
閃はその代舵放出に浪はれるので、今日のと乙ろでは乙れを以て直ちに鐘艦統率が開始されて居ると
は云へないのであるが、眈に大横張計尭を樹て、或は大量の鐘艦に寄手した閑も参るので、乙の鴻勢を
以てすれば、今日の各閑の代拘を主とする幾脱が肺雑兵の趣照競節に凝展して行く可能性がないとは
断言する乙とが出水ないのである。従つて帝固とし<は常一雄艦競零が起つた場合に虚すべき封策を
                                     かん〆 いたづ
汲め考慮して置かなければならないのであるが、我が海軍に於ては現下の同情に鋸み、徒らに建艦淡







   くhちゆう                       くトんぎ?っ                        はか
 節の渦中に役ずる乙とを避け、而も帝固の地理的場境に適感したと乙ろの海軍力の充せ皐備を周る
        l              †ゐかi
 ベき充分な用意を有つて居るので参る。然し乙の計蛮を遂行ずる為には単に海軍ばかりでなく国民仝
 偶の大在る努力を要するもので参つて、常一乙の最小限度の要求で参る計塞が貸現出凍瓜となれば、
 月本は波並に於て手も足も出瓜状態に哨るに至るべきもので為るから、何としても乙れ丈けはやり薙
げな竹ればならないので参つて、国民としても確飼たる決意を要求ゼらるゝ所以で参る〇
   四 列囲海軍の現勢
 無條約時代に入つたばかりの今日のと乙ろでは、各開港軍共に主として嘗充資計室の貸行中である
                             けいかlノ
 が、過去七ケ年間の英米海軍費の政事を見ると左の洩り増大の傾向を有して居る。
    首位首和葦l六 年丁 年一入 年丁 年丁 年丁完了二年
 米 旦(凱馴)二元三丁二旦 三二九一旦旦 別封−†旦 宍三
 英. 旦害毒)一五真一五三ハ一五〇・旦 五三ム 軍八丁ハ息 入竺一一〇亨○
  ハ証) → 米開の十二年度分は耗業復興費前年度繰軸を加ふ
    コ米国の海軍には海軍航峯費を含む
 何右の戦英岡は峯軍が独立しで慮り、章費に暫しも左の如く急激な増加を示して居る0

¢ろがへ                                             lいしん
・抑っ<快州の現状を見るに神婦備を食施しラインランドの靖武装を断行して一路復興に邁進する
           けいrい・でフ書                           かんかう
濁駒、例際聯盟の経済封傲にも属する乙となく超にエチオピア合併を敢行した伊閑等の躍進的強行政
                          れぐ
簡は、ヴェルサイユ平和硝制を破壊し去り、西那牙革命を繰る左宕両派諸岡の対立は、眈に事貸上の
欺洲職坤を旭悶しっ1あると倖へられつゝ参る。更に光鵡に於ける情勢も慧た頗る重大なるものが参
り、文邦に於ける抗日工作は益モ溌刻を加へ、ソゲイエト朔邦は切りに極光の畢備を怖大して満袋胡
                               か         ばつ与一
塊等を稗かしっゝある0斯うした閑際情勢の赴←と乙ろは、愈如閑を願って軍備の構張充賓に没幻
                                         かうがい
ゼしむるに東る乙とは、避け雑き自然の勢であらう。以下主要閲の海軍箪備充貸の現状の柁概を述べ
て見ると大憎次の漁りで参る。
米国1米穴C筑は、一九三二年(昭和六年)に起工し一九川二年(昭和十七年)慧でに完成ずべき昭艇
 の故は、一九一六1二九年の計養の残りと一九三三年の筏輿計室及一九三川年のゲインソン計盈
 を合し又一九三六年以後の新計蒐を除く)官五十川費、約川十五萌噸(絶経費十一億五千八官粥州)
 に墟し、航嬢棚艦例、甲練熟沖艦一五、乙紐巡洋舵九、鵬逐艦八五、潜水艦三川、砲艦二費が含会
 れて肘るので為るが、更に本年蛙に於三二萌五千噸の主力舵二蟹が起工される乙とになつて居ると
 報ぜら札て居る。
 駈に沌黎硯すべきものに航嬢兵力の撰眠が参り、海軍機は一九三九年(昭和十川年)までには現在
 の千三可兆から千九官基に増加ぜられ、陸罪横は一九糊○年ハ昭和十五年)萱でに二千三宮基に輝眠
                        くトくじゆうエすI9うくわ ・1与とつく
 される靖であると云はれて放る0なほハワイ輿珠港施設の班充強化及大浮船染の建造、その他







 太平洋各軍港要港施設の鳩北埼張は、即ち太平洋作戦に備へるものと見られて居る。
              へ・きと,)
英国1共闘は無條約時代の塀溺に於て本年から五年計憲を以て十五億破の同防計塞を樹て海軍
                                          し上I’ど●フ
 に於ては主力艦の代換航嬢健舵補助艦の蝶張に薯手して各閑に大在る衝動を輿へた。眈に英明は一
 九三一年(昭和六年)以来昨年蟄でに航察母艦一、乙級弘洋艦一九、腕逐艦五凹、潜水艦二〇、合計
 九†凹撃TT大南噸を昔々と起工し衆つたが、一九三六1七年の計塞によつて本年起工されるもの
 は主力舵五、巡洋艦一凹、航銭健舷側、駆逐艦三川、潜水艦一五その他砲聴特務舵等を合ゼて総計
 官費以上に及ぶ漁定で参る。なほ尖塔の按弛は更に大規模なもので参り、黙し留り明一九三八年の
 三月芝でに凹千基を常備する乙とを日機として居ると倖へられて居る。
  東洋方南に於ける艦隊の配笹及各地の防備施設の強化等に特に非常な努力が梯はれて居る乙とは、
 東洋に重大関心を持つ英閑として曹然の乙とで参らうが、現舟東洋ほ流浪されて懸る勢力は航峯確
                                      か人せん
 鹿竺、甲級巡洋艦八、乙級巡洋艦八、凝逐腱竺九、潜水艦二皿で参つてLれ等の艦船は何れも新ら
 しく建普≠た精鋭のもので各卜豪放隊、末印度艦隊、濠洲及新珂蘭敗隊に配備ゼられで慮る0
              せい入い                                に,じいらんど

 その他ジブラルタル、ヤルタ虐、スエズ運河方南、セイワン島、ペナン、シンガポール及香港等の防
 備々強化し、特にyソガポールには莫大な経費を投じて堅周なる要塞、飛行場、五常噸の浮船梁、
 乾船薬及燃料補給施設等を完備して全く世界無比の大前進境棲地を完成しっゝ参る。のみならヂ束
                                                一のひ●●
 洋方南に於ける兢轟路の発展に完成に非常な努力が沸はれて居る乙とはその海軍力の充賓と相倹つ
 て蹴る駐日アべき事賓で参る。

 リゲイエト聯邦l革命後久しく捨てゝ顧みられなかつたソゲイエト海革も最近の茶棚大媚張計蛮に
                                             ひ
  よつて昔々として復興されつゝ参り、昨年の英蘇海耳協定によりて俄然各閥の牲日を惹くに責つた
  のである。今日では捕酌沌を中心として極光に於けるソゲイエト海翠の勢力は、約六十蟹の潜水
  艦、十徐隼の勝連舵及七〇生成注する水雷艇が新らしく建造されて配備ぜられて居る。一方往年印
  度沖を経由して越絡されてゐ陀軟蕗と極光とは、北氷洋を経由ずる連絡航路を閑教し以て昔の牛程
  に地ぎない距離に籍縮ゼんとし、眈にその就航に成功して最近には一帯噸級の砕氷船が紐比和された
  といふので参るから、冬期でない限り随時南艦隊が合同する乙との可能性が生じっゝ参るが如き串
  賓は、最も江日を要ずるのみならヂ、補数港を中心として沖海州海岸は極めて堅固な袈裟を以て防
                            ●−
  備され、飛行場その他の施設と相撲って攻防共に優勢な軍備が昔々と進められつゝあると観ぜられ
  て居る〇

    五 結   言
             かんが
  上越の如き閑際情勢に錐みて、萱た撫條約時代に入れる列閑海軍の現勢に封して、帝閑海軍とし七
              つうかん                     ▲−つた
 は頗る東大な立場にある乙とを痛戚するので参るが、乙の難局に廃して帝開港革の東天を完うするた
 めに、萌仝の発を樹てゝ現情勢に封聴しなければならないので参つて、帝開海畢が本年度に於て新補
 充計発に寄手したのは、賓に乙の理由に基くものに他ならないので参る。
                                                                  ●り
  勿論乙の補充計麓たるや、各く軒開狗自の立場に於て、簡閲の開備に如し現状に鑑み、岡民性と地








 、て★くhんさ勺i                         ふたん     くhんわ
 理的項竣等を充分に考慮して而も出水る丈け閑民の負玲の増大を稼和すると北ハに最も効果的な軍
                          じ急いて・き
 備を充纂備せんとずるもので為つて、純然たる自衛的の粁糾にその基礎を鞋くもので参るが故に、
     け・小ゐ       いうはつ      も
 勿論他の閑を脅威し我より姓艦競節を誘発ずるが如き内容を有つものではない0乙1に触條約時代に
 廃する軒閥梅畢の根本方針が為るので参る0
                     †ゐ                              せい入いいうしう
 而して今日の耳僻は現代科挙の粋を集め、優雰なる工米粒術の極致を活用して最も桝鋭健雰なる
 兵器艦艇を盤備しなければならないのである0乙れと非に人的要素に於てもその向上を似り串按ゼる
    たんhん        けんしゆく                        〃んけっ
 敢育と鍛錬故に報粥の亦絨と腿綿なる術紀とを以て、瀬兵上下結合必勝の信念を以て糊結し人と物
 とが一照とをつて最抑銑の兵器をして最高蛙の能率を凝揮ゼしめ克く珂太平洋に雑攻ずる仇敵参りと
 すれば、その何閑たるを間はず乙れを撃滅する串を以て戟が海革の使命として居る0
 然し前述の物的人的に卓越ゼる健秀海革の整備には、岡民一致の物質的、精神的交接を必要とする
 乙とは、我々梅罪隼人の現兜に憎付しっゝ為る賛成で参る0又現代の閑防は物的人的の凡ゆる閑寂横
                                                                                                                       き


   ▼し●)
                      て・が〈         け・ルーてきくhん
 構賓腑を総動員して乙れを完うし徹るもので参る乙とは故に喋々する迄もない0即ち前者の狭義的観
 てん
粘からするも、後者の頻弟的軌郵からずるも無條約時代に廃しで藤岡海洋的防の安固を期ずるには、軍
竺致して、各†その分に於ての最大の報閑奉仕を致すに依つてのみその完璧を望み得るものと思ふ0
                                                                         くhんペ・き

      ●−_
                      つちか
 皮に日本海淳戦記念日を迎へるに常り、往時培はれし必勝の教訓を更に同氏の胸に新たにして
         とき                 かた                ないせい ふんき
乙の亀岡重大の秋に際し、文武官民益或民的協力を囲うし、一官牢同化る決意を以て内省且奮起し、
     モ ちたいぞ
克くその措津封兼に遽械なからん乙とを希つて已まざる次第で為る0