第二七号(昭一二・四・二一)
 今次総選挙の意義          林内閣総理大臣
 総選挙と国民の覚悟         河原田内務大臣
 選挙と国民の務           文 部 省
 今回の選挙粛正           内 務 省
 選挙違反に就て           司法省刑事局
 選挙運動に就て           内務省警保局

総選挙と国民の覚悟   河原田内務大臣

 愈々来る四月三十日を期して衆議院議員の総選挙が行はれることゝなりました。我々は此の際、篤と厳粛なる気持を似て今回の解散及総選挙の意義を究明し、帝国臣民としての立派な心構へを以て、来る可き総選挙に処せねばならぬと思ふのであります。
 抑々我国の立憲政治は、申すまでもなく明治天皇が維新の大業を創始あらせられるに際し、国民翼賛の道を広め、天壌無窮の宏謨に循ひ、一君万民の我が國體に恪循せる政治を行はせられんとする、有り難き 大御心を以て欽定し給へる大憲に基くものでありまして、衆議院議員の選挙こそは、実に此の尊くも有り難き 大御心に依り賜はりたる臣民の大政翼賛を実する行為なのであります。従つて、我々は選挙に依り立派な議員を議会に送り、立派な公明な意見をして国政に反映せしめ、以て聖旨に応へ奉らねばならぬと云ふ重大なる責任を持つて居ると云はねばならぬのであります。
 我国に憲法政治が布かれて既に五十年にならんとして居りますが、現下政界
の情勢は果して如何でありませうか。
 明治天皇は慶応四年親王、公卿、諸侯、百官を率ゐて天神地祇を祭り、五箇条の御誓文を御親告遊ばされ、「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スヘシ」との御旨を御昭示に相成りましたが、申すまでも無く、公論とは私論に非ざるもの、公平無私、公の論の意でありまして、私利私慾党利党略を以て国事を議することなく、国家国民全体の立場に立った、俯仰天地に恥ぢざる公明なる心事より出でたる意見に依り国事を議す可しとの御趣旨と拝察するのであります。我々は此の際一人でも多く、此の公論を代表し、公論に終始する立派な議員点を選出しなければ、議会の革正は望むことが出来ぬのであります。
 又我国現下内外の情勢は実に容易ならざる時代であります。広く国際政局の動きに察し東洋平和の安定勢力たる使命に鑑みみ、又生成発展止まることを許されない肇國創業の大精神に照し考へまするに、今日の時局は、内外共に一日も偸を許さないのであります。即ち内治に、外交に、軍備に、経済に、思想に、将又生活に一大刷新或は一大努力を加へねばならぬ時機に当面してゐると確信するのであります。此の際、此の時局を充分認識し、我が肇國の大精神を確(しつか)りと把握し、真に時局の打開に対し透徹せる識見抱負と熱意とを有する方々が一人でも多く議員として選出せられますことは、目下最大の緊要事と信じて疑はぬのであります。
 かく考へまする時、総選挙の意義、特に今回のそれは寔に重大なるものがあると考へられるのであります。人或は政治の腐敗を説き、或は生活の不安を喞(かこ)ち、或は道義の衰へたるを歎ずるものが有りますが、決してこれは誰れ彼れをむ責める可きでは無く、総べての者が互ひに其の責任を感じ、其の責任を尽してこそ始めて良き社会が得られるものでありませう。此の選拳こそは、よき社会、よき政治の生れる為に我々一般国民が御奉公の出来る唯一無二の機会であります。即ち此の際我々は、選挙の重大なる意義を充分理解し、時局に対する認識を深め、金銭や利害や或は因縁情実に因はれること無く、自己の良心に聴いて恥ぢざる選挙をしようではありませんか。
 先年来官民朝野の間に選挙粛正が呼ばれ、中央地方相呼応して憲政維持の一大国民運動が、播き起されましたことは実に近来の快事とせねばなりません。此の選挙粛正こそは政界浄化の先決要件でゞもありませうか。此の澎湃たる運動の波の中に行はれましたる、一昨年及昨年の府県議員及衆議院議員の選挙に於きましては、従前に比し、著しく選挙界の面目を改めましたことは世間周知の事実でありまして、洵に喜ばしきことでありますが、併し未だ々々充分とは申せません。即ち投票の買収や、利益誘導等の悪質犯罪を犯した者が少からず有りましたことは、遺憾の極みと申さねばなりません。郷党村落相戒め、一名の不心得者をも出すまじと誓つた其の中から、従前の悪弊を清算し得ず、為に「村八分」をせられたり、親戚つき合ひを拒まれたと云ふ様な事例さへも聞いて居ります。選挙に対する旧来の病弊が、如何に深く且抜き難きかを示すものと存じます。選挙粛正を叫ばねばならぬと云ふことは、立憲政治下に於ける最大の恥辱であり、此の上もない不祥事であると存じますが、選挙界が根本的に革正せられる迄は、絶対に緩めることの出来ぬものであります。而して選挙界の革正は、単に選挙犯罪に触れる者の根絶を以て成れりとするものではありません。若し夫れ情実因縁に依り投票を行ひ、自己の利害に基いて選挙をするが如きことが、ありとしますれば、そは正に心の犯罪を犯せる者でありまして、到底忠良の臣民たるに値しない者と云はねばならぬと思ふのであります。然らば選挙に際しては、罪名に触れるが如きことは勿論、道徳的にも特に非難せらるゝ如きこと無きを以て足れりと致せませうか。否、更に一歩を進めて、先にも申述べました様な、立派な条件を具へた議員を選挙するの熱意と努力とが有つて、始めて全しと云ひ得るのでありませう。
 よく云はれることでありますが、我が日本人は、一旦緩急ある場合には、身命を捧げて義勇公に奉ずるの美風を有して居ります。今日の重大なる時局こそは正に此の美風を発揮すべき秋であります。我々は篤と此の選挙の重大意義を了解し、赤誠を以て選挙に当らなければならぬと思ひます。恐れ多くも 明治天皇が、憲法発布の勅語の中に、

朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

と仰せられて居るのであります。即ち此の立憲政治を行ふにつき、国民が充分此の重大なる任務に堪へることを信じて疑はないのであるとさへ仰せられて居るのであります。国民たるもの、正に戒心一番し以て聖旨に応へ奉る可きであらうと存じます。