第一四号(昭一二・一・二〇)
 保健国策に就て           内務省衛生局
 貧鉱処理法と昭和製鋼所       対満事務局
 明朗化した日蒙通商関係       外務省情報部
 最近公布の法令           内閣官房総務課

費鍍虞理法と昭和製鋼所
                   封 浦 事 冴 局
    は し が 普

  昭和十一年十月一日関東寛政三十年紀念日に際し
 て産薫功夢者の表彰が行はれたが、.昭和製鋼斯銑鉾部
 長エ事件士梅根常三郎氏灯共の中唯一・の叔勅者たる集
 女を推つて、勅五等に進赦せられ費発泡日章を竣けら
 れた.此の轡曾忙同樽士の黎明に係る貧領虚理の遭元
 焙痍法を斡介し、併せて昭和製錦斯の現況に就て簡単
 な安弘を銃丸て見たい.
    −牧山製錬節の匂密
 大逆を汽車で川て北行四、五時問、勿然上して革窓
 に長閑する壮大な窮工業都市鞍山も共の構史は勧めて
 斬らしいむのである.・明消E十二年八月浦繊地質調査
 節の鼓師木戸息太郎氏が偶“嘘尚子北方の】小丘繊石
 山の名称に興味を惹かれ、之をせ奄して繊坤の存在を
知つたのが抑†の超瀕である.共の後大正四年に室す
八幡製繊仰の平川技師一行は同年八月から十月にかけ
て鞍山繊故地帝の調禿を行ひ、「南満洲蛾破調薬報骨」
を作成した.此に放て満蛾は誇報奇書の数字を基礎と
して此虚に製錬斯設置の計賽を樹て、政府の認可を待
て諸般の準備に山誉丁したのであるが、世界大戦に基く
横鮨頻故に錐材の暴騰其の他壌期せざる降職が頻頚し
た薦工場の建設は遅延に遅延を重ね、漸く大正入年四
月第一橡緒沈の火入式を奉行し、鞍山製繊研の発抒が
開始せらる1に至つた.
 木製絨朗の建設時期は恰も世界大戦中我固の繊鋼藷
要未が飛躍的増加を示した際であり、本仰の計葺も将
来托鋼一貫作共に依り育苗他の生産を目榛とする雄大
なものであつたが、操発開始早々休戦俵約の締結に依
り鎖銅市便は急持直下暗澹たる情勢に格サ、湾に爾後
の棟張計算は一切無期延期の止むなきに至つた.加之

木製雑析の前途には今一つの難絢が横はつた、犬れは
 牧山銀擬の熊石の大部分が螢錦だと云ふ書である.
    〓 斉錬虔理法の研究と其の成功
 篠山の周囲にある求職山、西牧山、大槻山、王家墟
 子、櫻桃園等十一蛸匪は共の払拭畢ハ憶砲以上と推算
 せらるゝが、共の大部分は三五%円外の貧鍬より成
 り、此の健熔粥墟に使川することは作紫上、柁昇上共
 に不可能な状態に在つた.そこで蒲鉾は璃輿のグレy
 ダール、礪逸のクルップ及ホムボルト専の耳円筒朗
 灯鞍山の錦石を幾つて之が虚理法の研究を依槻し、叉
 大正八年十二月チ筒井上匡四郎博士が製錬部長に就
 略するや濫に柄杓に臨時研究部を設け、多徹の経費む
 支出して部員をして銃悪食鞭虚理法の研究に努めし
 め、更に叉十年六月には米固ミネソタ大卒アップル
 ビー氏む朗長とする館山及地筆者故に技師一行六名
 を招碑して調奈を伐喝し、此の一行の鮮固後も同大単
 に鎌石を遽つて、選鞭エ場計宴の基確的賓飴を伐槻す
 る等内外の智臓を傾けて鞍山城紙の綴済的利川に印し
 銃意研究む進めたのであつた.
  元来製麺原料として使〓し縛る韓錦石は特殊鍬石の

 場合は別として、普通繊分五〇%以上である事が経済
 的に必頒の要件と見られてゐて犬れ以下の繊鋳石は何
 等かの操作を施して共の品位を五〇%以上に引上げる
 のでなければ利川便値が少い.而も此の品位む引上げ
 る一馬には普池
  (】) 館石む通常の大きさに粉砕し
  (ニ) 粉砕した鋳市中から磁力に依つて繊分を収
     集す
  (三) 収集した粉状の轡分を熔錦鯉に浪人するに
    愕ならしめる名蟻結又は郎押して地肌とする
 といふ三工程を必妥とするのである.然るに鞍山の鍛
 舛石は次の様な三つの特異性を有する名直に右の三エ
 捏む施すには経済的に極めて不利な状態に置かれて
 居る.
  (一) 蛾粒が非常に微小な為に粉砕と湛別とZ多
     くの手数を斐する
   ハ二) 原鎌石が鱗る硬質である
   (三) 涼錦石の大部分が赤錬鞭であ・つて、磁力に
    感じない湾磁力澤錦を直に行ひ得ない
  此の様な特異他の為に批米の畢者も概ね牧山の幼石
 は使川不可能なものとして未だ有望な結徐に到達した
 ものはなかつた.然るに此の間牧山に敢ける研究は梅
 板持士等の惨憺たる苦心に依つて大いに進み、逮に大
 正十年八月に至り劾繊鍬を破鏡錦に襲質せしむる試験
 に成功し、同時に硬質の原鰊石を著しく破砕し易から
 しめる工業的操作に確信を得るに室つた.之が所謂牧
 山弼特の「逮元揺鳩法」である.
    1ニ憂理法の概手
 跡ち此の方法に繰れば銀山から幾られた姦石を先
つ空叩樺によつて】00粍以下の粗現に破砕し、之を
琴花措境址に途り込む.此の炊は境断面長方形の直立
姓であつて、内側は耐火煉瓦を以て真横せられ、両側
に加熱群があり、沈内の鞭石は骸衆瓦斯に依る勲の食
加熱せられ徐々に下降すると共に底部から上昇する瓦
斯によつて琴冗作川を受巧故に轟は磁蛾鎌に費
斉する.此の錬石は更に耕坤袋壇に俵つて水槽何に落
下急冷せられて共の質頗る施射となり破砕し易くなる
のである.此の硬貨は○こ粍以下の粉状に破砕せ
られ、磁力選球に依つて蛾粒を牧兆した上、壌結横に
依り石盤紛及生石次と共に鳩結され、繊分六〇単に泣
い嘉となる.此のせ明は鞍山にとつて正に起花柄生

 の教明であつたのである.
 かくて大正十一年十一月大規模のエ柔的試験に成功
し、愈−本格的にエ場姦紋すること1なり、大正十五
年七月を以て特典の選錬作先の開始を見るに至つた.
故に背附十年忙して始めて満洲焚坪菜の根本的映陥は
除生せらる1に至り本邦蛾銅界に射する牧山の塞要性
 は一緒埼大するに室つたのである.

    匂 昭和製網節の鷲生
 以上の如く忙して銑蛾生産に牌する梓瀕む打破した
牧山製坪研は、進んで創美音初の理想たる鉄鋼一耳作
発の賓硯を企汲キるに室つた.共の食初の尭が樹てら
れたのは昭和三年十月である.此の案は冊並の様な挽
作に依り珠算上有利化された牧山の錦石を使和して鯵
坤埠二基を挽美し、銃坪年産四十萬堪、銅片、棒斜、
蒋叔、鏑力等年産二十三苫七千施の諸設備を昭和舟年
度中に完成せんとするものであつた.
 韓策は昭和四年一旦、政府の認可を受け伍堂浦鎖巌
同銀水昭和製鋼仰敢卓の一行収直に渡臥し猫逸クル,
プ及ヂ†−〆同社に製鋼及分娩エ場数備の証文を脅し
た巧其の後製鋼エ場設定箇所に押し同席む♪〕時エ

 場設忠節竹は新義州に決定され昭和四年七月資本金一
 億凰の株式禽批昭和製鋼仰の設立を見、工場也設の準
 備を進めんとしたが、偶モ製鋼計憲の主唱者たる故山
 本条太郎氏の満鱗線汲の酎佗を見た冬工場紐許計壬
 は蒋び行悩みとなつた.此の糊、工場の世故に就て牧
 山、新轟州、大迎の三候祁地ありせ給を賑はしたが、他
 方世界的不況の影背を受けて鋳鋼市便は暴落し、鞍山
 戯縛仰の舵常も多盈のストックを施して悲況に沈冷し、
 新工場の簸は暫く形勢の推移を観望する外なく、礪
 逸から購入した製鋼及鮎娃設備川横械の†部は姦しく
 大迎埠頭に放せさる1の止むなき状勢に在つた.
 偶モ昭和六年九月、浦洲事奨の爽教に依り我図及清
 洲を池ずろ耗銅帝警状況は大挙化む来し、浦洲に放け
 る製鋼事先の必宴も頓忙痛感されるに至つたので昭和
 七中丸月浦織批議を以て新に建設せらるペき製鋼工場
 の地位を鞍山に攣果し、入年四月政府の認可を得、従
 来の鞍山製錬仰の紋健一切は同年五月末日を以て昭和
 製鋼研に引繊を了した.
    五 昭敷革網析の現況
  昭和製鋼析は鞍山蓉の製鉄設備左・塵能力四十
 五萬轡を引繊ぐと弗に直に鉄鋼一斉作業に依る製鋼
 工場(年産能力鋼均四十萬施、鋼材十三帯地)の建設に
 音字し、概ね昭和十年七月中に之が完成を見るに室つ
 た.
  然るに此の問満洲忙放ける鋼材の需斐は琢年飛躍的
 の増加を示し、事欒前年錦約十瀬施前後に過ぎなかつ
 たものが、昭和九年には四十常施にも達するに至つた
 ので、製鋼何は昭和九年十二月政府の認可を待て更に
 銑鱗二十常山確、鋼塊十入港嘩鋼材十苫他の増産計‡
 を樹て、目下之が工事池行中でかり、昭和十二年友忙
 は大鴇竣工の見込である.
  今各期に於ける生産能力の奨化を此校表示すれば左・
 の如くである.
                    (単位 確)



  鉄 線 望○、000    0ニ00、00〇 六一芸、000
  銅 挽    〇 四〇〇、00〇一入○、00〇 五入〇、000
  鋼 材    ○ ;一一−占0〇 九セ、00〇一重0、000
  右増産計壬充成後に掛ける製品の欣求は左の如く壌
一定されて居る.
          (単位 犠)
   甘輸出叫地夏旦 軒
  銑   鞭  ;宗、00〇  五〇、000  】人六、000
  銅   片
    y−ト.ハー ー四〇、つ00     〇 一四〇、000
   ビレ,ト  六・0、oQ〇  五〇、000  〓0、000
  銀   材     ○ 二三〇、000 ニ呈qO00

  銑銀及ビレットの地発として畢げたものは主として
 牧山に新改せられた関係各工場に供給して製品化され
 るもので、共の主なるものは鞍山鋼材曾批、沸洲位友
 銅管曾批、日満銅管曾批、満洲ロール製作碓、瀦洲縛
 血椚斯等である.
    六 鎌銅国東と昭和製粥節の璧叩
 我固に於け晶鋼紫の現状を見るに、嵐洲事費a爽
 横として各種エ共の勃興に件ひ、鋼材の帝妥は年々飛
 穎的の増加を示し、昭和十年の如き三富六十帯地に達
 し、昭和六年に此し‡に二倍を超えて居る.他面共の
 生産高もよく之に仙埠降して増加し、右の如き帝要の増
 加に拘らず完全なる自給自足状態を具現して居る.然
 し村つて之が原料紳係を見れば銑鱒の団円生産高は僅
 にこ首十帯地に過ぎず、九十飯高趨の銑鱗(満洲より
 の輸入を含む)と首七十常施の府繊とを旅人に仰いで
 居る状態である.如ち本邦鉄鋼柴は袈面白給の域に達
 したりとは晋へ、共の基礎は極めて薄朗なるを免れね
 状態に在る.
  最紀銑銀白給の隼高く熔錦沈の増設相良いで行はれ
 んとしつ1あるも常然で計るが、次に問題となるの七
 度錦石の供給であn・現在支準馬牢濠洲等から愉
 入されて居る純銀石は糠錦沈の増設に件つて更に共の
 故丑を柑加するであらうが、之等の供給力には自ら限
 度がある、此秋に骨つて隣接清洲固に貧錦なりとは首
 へ、費官なる埋耗丑を有し且共の利相方染も既に経験
 済となつて居る鞍山の存在する事は本邦鉄鋼共にとつ
 て心強き限りと官はねばならぬ.今後餅網団栗の具現
 瀧際しては昭和製鋼朗も必ずや共の重要なる一部を推
 山官するに至るものと考へられる.