第七号(昭一一・一一・二五)
 航空国策に就て          逓 信 省
 思想犯保護観察制度の実施     司 法 省
 危機を孕む中欧の情勢       外務省情報部

思想犯保護観察制度の実施   司法省

一 思想犯保護観察制度は何故うまれねばならなかつたか

 共産主義運動の杜塞絶滅は国運進展の要件である。わが国に於ける共産主義運動は、峻厳なる検挙の励行と満洲事変以来の国民精神の昂揚其の他内部的外部的諸原因によつて、二三年来没落沈衰の道を辿つて居るが、現在の諸般の情勢に鑑みるときは、同運動の将来については国家の為必ずしも楽観を許さないものがある。
 昭和三年以降、治安維持法違反として検挙された者の数は、実に六万人を超へ、その中で起訴猶予の処分もしくは執行猶予の言渡を受け、または刑の執行を終り、もしくは仮出獄を許された者の数も、一万人以上に達してゐる。而して、これ等の者の現在の人今日は極めて区々であり、完全に転向した者もあるが、依然として不逞思想を抱懐する者またはその態度極めて曖昧にして転向意志の存否が判明せざる者もある。否転向者が再犯の危険性あることは勿論であるが、爾余の者にしても、この儘これを放置するにおいては、その環境または社会情勢に左右せられて、再犯に陥るの虞なしとしない。殊に、思想犯人は社会情勢に左右されることが甚だしいことを顧みなければならない。これを内外の諸情勢と綜合して考察するときは、今において、思想犯人に対する万全の方策を樹立し、以て再犯防止の挙に出づることは、わが国においてこの種の不逞運動を根絶せしむる上に、喫緊の要務であるといはねばならぬ。換言すれば、非転向者準転向者に対しては思想転向を促進し、転向者に対しては思想転向を確保するの途を講ずることによつて、将来に於ける社会情勢の変化如何に拘らず、彼等をして適法にして秩序ある生活を為すを得しむる為に、適切なる施設を為すの必要が痛感せられるのである。而して茲にこそ、新たに保護観察制度を採用し、保護観察所を設け、保護観察審査会を置き、以て思想犯人の更に罪を犯すの危険を防止する為、その思想及行動を観察して、これを保護するに至つた所以が存するのである。

二 思想犯に対する保護観察は何を目的とするか

 本法による保護観察は、治安維持法の罪を犯したる人々を保護して、その更に罪を犯すの危険を防止する為、其の思想及行動を観察することを目的とする(法第二条)。換言すれば、思想犯人に対する保護観察は、単に消極的に本人の思想及行動を観察するに止まらず、本人が再び治安維持法の罪を犯すことのないように、積極的に指導誘掖して、日本人としての正道に復帰せしめ、また正道を確守せしめることを目的とする。更に換言すれば、保護観察は、謂ゆる転向者に対してはその転向を確保せしめ、非転向者・準転向者に対しては転向を促進せしめることを目的とする。
 而してその為めに、思想犯人に対する保護観察は、その積極的内容として、日本精神を体得せしめ、その生活を確立せしめることを具体的目標とする。実際の運用においては、非転向者・準転向者に対しては転向の促進が、転向者に対しては転向確保の為の生活の確立が、主要目標とせられるであらうが、いづれの場合にも、共産主義を克服するものとしての日本精神の醇化が、力強く成し遂げられるであらう。
 斯くして、思想犯人に対する保護観察は、一面に於て思想犯罪を防遏して治安の確保に資益すると共に、他面に於て日本的思想行動の醇化と明徴とを将来すべき使命を有する。茲に、思想犯保護観察制度は思想国防戦線の一鐶としての姿を現はすのである。

三 思想犯保護観察制度の梗概

 (一) 誰を保護観察に付するか
     ----- 保護観察の対象 ----

 本法による保護観察は何人に対して如何なる場合に適用せられるかといふと、先づ(イ)本法の適用は治安維持法の罪を犯した者のみに限られる。治安維持法に触れない犯罪に対しては本法は適用を見ない。(ロ)本法による保護観察は、治安維持法の罪を犯した者が、検事より起訴猶予の処分を受け、若くは裁判所より刑の執行猶予の言渡を受けた場合、又は刑務所に収容せられた後に仮出獄を許され、若くは満期出獄した場合に限つて、適用せられるのである。その他の場合、例へば、起訴留保の処分を受け、刑の執行停止を受け、又は刑の執行免除を受けた場合等は、本法による保護観察を加ふるも実效なしとの理由から、その適用を見ないことになつて居る。(ハ)それでは、治安維持法の罪を犯して、起訴猶予の処分、若くは執行猶予の言渡を受け、又は仮出獄を許され、若くは満期出獄した者は、その全部が保護観察に付せられるかといふと、さうではない。保護観察に付すべきか否かは、司法大臣の監督に属する保護観察審査会の決議により定められるものであつて、同審査会に於て保護観察に付すべきに非ずとの決議を為した場合には、前二項の該当者と雖も保護観察に付せられないのである。

 (二) どんな順序で保護観察を行ふか
     ----- 保護観察の機関と手続 -----

一 保護観察を行ふ機関

 保護観察を行ふ機関としては、保護観察所と保護観察審査会とがある。 
 保護観察所は、保護観察を行ふ独立の官庁であつて、全国二十二ヶ所----東京、横浜、水戸、前橋、静岡、長野、新潟、大阪、京都、神戸、高松、名古屋、金沢、広島、岡山、福岡、熊本、仙台、秋田、青森、札幌、函館----に設けられる。各保護観察所には、補導官、保護司及書記が置かれ、所長(補導官を以て之に充てる)がこれを統督する。
 補導官は保護観察事務の指導統制に当り、謂はゞ保護観察所の中心機関である。
 保護司は所長の命を承け調査及観察の事務を掌る。保護司は先任者は全国を通じて三十三人であるが、思想犯の保護観察に経験を有する者その他適当なる者に対し、司法大臣は保護司の職務を嘱託するを得ることになつて居る。
 書記は庶務に従事する者である。

二 保護観察を行ふ手続

 思想犯人に対して起訴猶予の処分を為し、刑の執行猶予の言渡を為した場合、又は満期出獄若くは仮出獄を許した場合には、関係官庁はこれを保護観察所に通知する。
 通知を受けた保護観察所は、直ちに本人の経歴、境遇、性行、心身の状況、思想の推移、其の他必要なる事項につき調査を行ふ。調査に際しては、特に本人の心境変化の有無、若し心境変化ある時は其の動機、程度及社会運動に従ふの意志の存否につき留意すると共に、保護者の性格、資産、家庭の良否、家庭と本人との感情関係及本人の将来に於ける生計の見込等の事項をも明らかにすることになつて居る。而して、調査の結果、本人を保護観察に付すべきものと思料する場合には、保護観察所は保護観察審査会に対し審議を請求せねばならぬ。
 請求を受けた保護観察審査会は、本人を保護観察に付すべきや否やにつき審議を行ひ、これに関する決議を為し、その決議は書面を以て之を保護観察所に通知する。
 保護観察所は、右の保護観察審査会から、本人を保護観察に付すべき旨の決議の通知を受けた場合に、本人を保護観察に付するのである。

 (三) 保護観察は実際如何に行はれるか
     ----- 保護観察の方法 -----

 保護観察は如何なる方法によつて行ふかと言へば、(イ)保護司の観察に付するか、又は、(ロ)本人の保護者に引渡すか、若くは、(ハ)保護団体寺院・教会・病院・其の他適当なる者に委託して、これを行ふのである。何れの場合にも、保護観察所は、本人に対しては、保護観察処分の意義を説示し、且将来を戒むる為め適当なる訓諭を行ふ。
 而して、右の三種の方法は、本人の性格、思想状況、其の他の事情を斟酌して、単一又は併合して之を行ふことを得るのであるが、なほ必要と認むる場合には、更に居住、交友、又は通信に関する制限を為し、其の他適当と認むる条件の遵守を命ずることが出来る。
 右の保護観察の方法や、本人に遵守せしむべき条件は、保護観察所がこれを決定するのである。
 保護観察の期間は、一応二年と定められて居るが、本人の思想推移の状況、境遇の変化、其の他の事情に応じて、これを短縮することも出来るし、延長することも出来る。(延長の場合にはさらに保護観察審査会の決議に依ることを要する)斯く期間に弾力性を有せしめたのは、必要にして充分なる保護観察を遂行せしめる為である。
 保護観察に於ては、本人の思想転向を促進し又はこれを確保することが、主眼となつて居り、其の為に、本人の思想の指導[傍点]と、生活の確立[傍点]につき、適当なる処置を為すのである。
 而して、思想の指導に当つては、思想犯罪者の特殊性に鑑み、特に本人の社会的良心と正義的観念を尊重しつゝ、真個の日本精神を体得せしめるに努め、又生活の確立に就ては、生活の安定が転向の確保と密接の関係を有することを考慮し、常に本人の性能に適応する職業と地位を与ふることに努める。若し本人が家庭生活を営むに適するものと認められるならば、援護して家庭を形成せしめ、世帯を訓練して家族制度の美風を体得せしめることに努め、又必要に応じては就学、復校等の配慮も為し、機に応じて適当なる諭示、策励を為す等、被保護者の日本人としての更生の為に、あらゆる指導と援助を与へるのである。斯くして保護観察中は、常に本人の言動及思想の推移に留意し、非転向者及準転向者に対しては特に其の交友関係、通信の状況及条件遵守の状況を観察し、若し住居、交友、保護者との関係、其の他の事情が本人の為不適当であると考へられるならば、保護者其の他必要なる機関と協議して適当なる措置を為す等、転向の促進確保の為に必要なる措置を講ずるのであるが、これらの措置は総て穏健妥当を旨とし、本人の名誉を毀損せず、且其の就職又は業務に支障を及ぼすことのないやう、特に留意すべきことになつて居る。

四 思想犯保護観察制度の刑政史的意義

 以上、思想犯保護観察制度の概略を述べたのであるが、要するに本制度の目的は、治安維持法の罪を犯したる者に対して保護観察を加へ、本人をして適法にして秩序ある生活を為さしむることにある。この事よりして当然に、思想犯保護観察制度は一面に於て思想犯罪を防遏して治安の確保に資益すると共に、他面に於て日本的思想行動の醇化に貢献し国運の進展に寄与するところ尠少ならざるべきを確信するものである。
 思想犯保護観察制度の担ふ直接当面の使命は、正に右に掲げた点に存するのであるが、尚茲に簡単に本制度の持つ刑政史的意義について一言する必要がある。
 犯罪防遏の目的を達成する上に於て、検察、裁判、行刑と竝んで保護----謂ゆる釈放者保護事業の機能が、充分に発揮せられる必要の存することは、刑事政策の理論上既に確認されて居る所であつて、釈放者保護事業----司法保護事業は国家と社会との共同責任に於て遂行せらるべきものであるとの主張は、久しく高唱されて居るところである。然るに我国に於ては、従来、釈放者保護事業は民間篤志家の手に一任され、僅かに少年に対する保護観察だけが少年法によつて国家事業として認められて居る状態であつた。然るに今や思想犯保護観察法の実施により、成人釈放者に対する保護事業も国家事業として行はれるべきものであることが、事実によつて確認されたのであつて、この意味に於て思想犯保護観察制度は司法保護事業の歴史上劃期的の意義を有するのである。本制度を先駆としてやがて一般釈放者保護事業がその国家性を認められ法制化せらるべきことは、当然の帰結であると謂ふべきであらう。
 又、近時に於ける釈放者保護の理論に於ては、保護対象の拡大と、保護経営の合理化との必要が叫ばれて居る。謂ゆる保護対象の拡大とは、従来の如く単に仮出獄者及満期出獄者だけに止まらず、更に起訴猶予者及刑の執行猶予者をも保護の対象たらしめねばならぬとの主張である。次に謂ゆる保護経営の合理化とは、保護対象の拡大に伴ひ、保護適格性の選択に留意し、特殊保護事業の発達に力を注ぎ、又事業運営上事務の分化を計り、且裁判所・検事局・刑務所のほか警察・職業紹介機関・市町村に於ける福利機関等と密接なる連繋を採らねばならぬといふ主張を要点とするものである。然るに、思想犯保護観察制度に於ては、右に述べたやうな保護事業に於ける進化形態が法制上確立されたのであつて、これ亦司法保護事業史上特筆すべきことゝ謂はねばならなぬ。
 斯くして本制度は司法保護事業今般の進歩を促し、これによつて司法保護事業全般をして犯罪防遏の機能をよりよく遂行せしむるに至るべき使命をも有するのであつて、社会一般の理解ある協力を得て其の使命の遂行に遺漏なきを期したいのである。

                                               (完)