第六号(昭一一・一一・一八)
 満州移民の現況と其の将来     拓務省拓務局
 法制化された方面委員制度     社 会 局
 ルーズヴェルト大統領の再選    外務省情報部
 最近公布の法令         内閣官房総務課

法制俄され衆方南委員制度
敢曾局
一方面委貝・制度の沿革
敢禽串発の狩埴に倖払、黎保誰者に封して各方南から救済の手が伸べられてゆく0河して是等の救
済の手は各宴伐維潜に封し趨切な形に於て且ばら(でなく組蛾せられねカとして働くようにエ央さ
れなければなら将。是は紀代敢禽串菜の騰切な婆求である0我均の方南黍貝制庶は此の罪求に願ずる
鵡に、地方民糊の節志家にして日常罪保黎に接淘し禅るような人む、名巷職の委只に俵喝し、陳傑
椰扶の梢紳に兆づきよく資怖む知つカ斌隣の費囚発に幣し、各理約且組繊的な救済を行はしめ、敢曾
抑発の効果む完からしむる趣昏に出でねものである。
此の制皮の北駒に於ける初は、大正六年何山螺粥世顧閑の創始に在るが、その由水を革氾をに、同
茄年地方長宮舟故の際、長くも大正天盈には同械知串故党井侶一氏に封し棟下費民の胱況を朝しく
御下間あらせられね食、同知革は蟄慮の偉握なるに戚激し、蹄任後直ちに調査しねるに、費拘者の
忠外に多数であカ、之が常而の救淋む固る黎あるのみ登ノ、澹人で租本的な防婁と樹つる必雰が
ぁる乙とを痛戚し、研辟熱戚の繚兵鎗に此の制度を考秦するに室つ泡ものである。現大正七年大阪府
知串林珊減氏は故小河洩次郎博士に喝して欧米の貧民救鱗奔貝、支邪の審戸、我図の五人組等の制
を朋餐考最せしめ、棟長祁煎滋に方南膏只制度の立轟を得志最するに至つね0蝕るにその後の敢曾
釈勢に促されカ乙と\此の制皮の成椅が良好であつね乙とに因つて各地方に於て之に傲ふもの多
く、昭和三年には眈に内地諮肘械は勿飴轟・籾鮮等外地に迄此の制度が布かる〜に室え殊に昭和
六年救態法施行に倖以救繁務の祁助機鰍ヒる葬貝には万南曹貝を蓼鳴するの方針が耗ゑてかちは、
益J之が普及を鬼るに至つね。
二万南委貝制度の現況
方両賓の絶政は本年初内地のみにても川苗七官に壇し、.之に外地の分む加ふれば、四寧一千を也
ぇてゐる。此の制皮を経沓管理しクゝある主憤は多くは造府糠であつて、外に君干の仰町村及民岡幽
恨符がある。制度の賓施さるゝ朗は潮述のやうに仝閑に瓦つてゐるが(内地に於ては昭和九年未入千
二官三十六市町村が之々有し三千二官九十七町村が求だその設け潮ない。大部介の府碑に於ては管円
一則に方南質を沿いてゐるのである。
而して質の依鴫は府糠知串其の他鮭薔憎の代衷槻紺にょつて名され、其の地富内の名望あさ且
貧閑者の條護救蹄について熱窓と也解を有する士を愚でるに努めてゐるが、無理解な人、一般の非雑

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のある人、煎派的偏鬼町泥はれ易い人の如きは仝く不油化なのであつてその人選は叔も悌重にする
必妥があ鼻、之が為ほ特別の釣術蕾只禽を設くるものも少くない。又委月は名容磯であつて、々の僅
州は多くこ年乃寅川年であるが、地方に依つては串藩に習斜しね宏練毅を氷くその職に在らしむる為
之を▲定めないものもある。
方所努‖の位命は質朗の漁防救餅の角敢禽祁栄の朽動をよ阜効兆的ならしむるに在えその職務は
敢禽劉準侭池救痢、数化指琴、各種敢禽施設の故櫛促遊、聯絡等機めて廃汎に五つて居え1その取
扱群件赦は年々均加し昭和十年度には約六官前件に上つてゐる。その大部介は朗謂ケース・ワークと
耶すべきものであつて、卒常要保紘潜の倣祥に就て押納倍況を調餐して澄いて必要に應じて遽切な
る保維救餅の庖頂む挑究資施するのである。従つて葬貝の職務の申では貧困な偲聯を調査し之を記蛇
して耶く乙とが政も肝妥となつてゐる。河して此の記帖はカードに依るのでありて、方南奔貝の有す
るカードは椚和九年未に於て凹十九欝飴世符、その賽故人口官九十九萌飴に上ム、内地組人口に封す
る剖合は申耶に於て約五%、郡部に於て約ニ・五%に上つてゐる。伶方南委貝の職務執行上の必妥か
ら方而と粥する笛域があム、方南毎に政人の委貝があつて、保笹救済の虜澄を足むるに骨つては倉合
協訳の上で之を決してゆくやうになつてゐる朗が多い。此の万南の数は昭和九年未の駒では一常官入
十九となつてゐる。
三方面委貝制度法制化の必妥
方丙葬貝榊度の凝捷に件以、・法洩にょつて之を加律する乙との必妥が唱へ・られるやうになつてき
た。その理由とする朗は主として左のやうな箔鮎である。
(イ)方而葬貝制皮の普及凝壌の鮨典現時各掘の敢禽耶発はその桁動に期待すべきものが朗る多い
のであつて閑、公非糊碓等の審行政に苧−も方南質の音煩す乙とにょぇ始めJ材終の共
を期待し村るやうなものが益と埼加しっゝある。救沌臨の如やはその一例であつて、特別な秀貝制
皮を法律に定め賓瀾上は方南委貝を之に充てゝゐる。従つて今方南葬月の制庶が法制他せられ共
の飼法上の・兆礎が輿へらる〜に寅らば、婚凍各種の行政に於て糊掛に之を利用する乙とが椚衆、
審串兼の方南に於て行政上の偶率を高くする乙とが川衆るであらう0
ハロ)カ雨葬貝の使命は防貧救貧であるが、斌時の敢禽郎米の職能に閲しては、堺なる物貿的施輿
から舵んで要促護沓の人格的向上を固るべしとの要求が氾く主張されてゐる。従つて方南秀貝が
その要催礁者との日常の接親を漁じて壌成する乙とを期待されてゐる此の方南にあける任務は
愈t東妥となつてきね。故に方南奔貝の侶條ねる掃導柑紺の確立は制度上最も究観すべきもので
ぁぇ−之を韓親の戚威にょつて明確に宣不する乙とは此の際極めて必宰である。

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ハ〇徒水此の湖庇が地方で任忠的に行はれ水え糾織鎚僚の方法も囁々であぇ徒つてその成銃
も地方にょみ著しい優劣があつねので秋北珠長祁飼以て金般的に取耗せしむるを沌常とする。
而して以上の如さ理由に遊づく松制化の要求は閲係各方胡二致の希繋であえ殊に方南蕾只の間に
於て舵も強く主粥されねのである0常局に於ては敢禽郎発盈般の効典む左おすべき巾梶的槻恍む布す
る此の榊皮に封しては、速に之が法湖を整備し瑞梅的畝綿導盈督む魚す乙との必妥なる羞貰、本年
七月敢禽印米耶充禽に封し内務大掟よ鼻諮岡を教し允次節であるが、爾衆その答申を兆礎として考究
しね緋兆今同斯界多年の希親に願ずるに寅つ允ものである。
四万而委貝令の内容
ガ河賓只令は滋る十凶臼のせ報に賽載公布の上明舶二月十五日む期し<施行せらるゝ乙とになり
允。その内容は徒水の各地の制をとタ、その長所む綜合して制皮の大綱む定めたものであるが、特に
洗意すべきものを苧れば左の如くである。
(イ)方南委貝の指滋梢紳を宣不しね乙とハ節一條)
ハ一巴賓の職藤を明碓に規定した乙とハ節六條)
ハハ)充京械演南帝の外は鑑府聯の耗沓すベjものと定め允乙とハ節二條)
(ニ)方而奔貝釣術葬貝禽を設け賓の人響恨重にしね乙と(第五俵)
ハホ)方而邸発委貝倉を設け方而串来の拍導的役剖む持ねしめね乙とハ第十條)
ハヘ)方南賓倉に帝吋村長を山畑せしめ賓と竹町材官局との越絡に留意しね乙と(筋九條)
何本令胴定と同時に救態法施行令が改正せられ、救髄法欝川條の委月は方而賓只よさ遽任するとい
ふ徒衆の方針が同令中に明稀に親尤せられた乙とも併せて汰意を促しねい。
惟ふに方南葬月令の制足は、従水自然的韓埴に任されてゐね此の制度に封して、その敢倉行政の上
に有する詑要性に銘み、之が珂法上の地位を輿ふると同時に、卿凍政府に於ても棉葺督の免積極的
努カむ惜し怠dるの態皮を明ちかにしねものである。現准の制皮む之にょつて劉一他し、之が角に地
方的祁憫に適應しね削沌性ある制皮淀用の妙を欠はしむるが如きは、固よタその趣旨に反する甚だし
き朗である。此の粘は特に臥係常各位の留意む切崇する朗以である0(完)