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國體に関する異説 上杉慎吉

 近頃法学博士美濃部達吉君『憲法講話』の著述あり。予
は従来美濃部博士が帝国憲法の解説特に國體論に於て予が
平常説述する所と全然異れる主義見解を抱持せらるること
を耳にせること尠からず。然れども帝国の國體たる炳とし
て日星の如し。万世一系の天皇国を統治すること掲げて憲
法の首条に在り。遠く帝国肇造の時に定まり、天壌と与に
窮なく、深く国民の確信に浸染せり。普天の下卒土の浜匹
夫も亦敢て之を疑はず。故に予は美濃部博士の異説あるこ
とを聞くこと屡々なりと雖も、苟も軽々しく信ぜず。以為(おもへ)
らく曹参豈人を殺さんやと。学生の君の所説なるものを提
げ来りて質問する者あるに会すれば却て君の所説を誤解す
るものなりと為せり。常に曰く帝国國體の解何ぞ二義ある
ことを得んやと。君従来帝国憲法に関する著述なし。曩に
『日本国法学』の出でたるありと雖も(明治四十年出版)、
僅かに一部に過ぎずして一般国法学の基礎観念を説かれた
るのみ。之に依りて君が帝国憲法に関する見解を推測せん
は聊か早計に失せり。今『憲法講話』の恵贈を得たり。取
りて見るに其の序文に「専門の学者にして憲法の事を論ず
る者の間に於てすらも、尚言を國體に藉りてひたすらに専
制的の思想を鼓吹し、国民の権利を抑えて其の絶対の服従
を要求し、立憲政治の仮想の下に其の実は専制政治を行は
んとするの主張を聞くこと稀ならず」と云ひ、又「一部の
人の間に流布する変装的専制政治の主張を排することは予
の最も努めたる所なりき」云々の語あり。初めて漸く君が
帝国國體を解するに特殊の説あることを想像するに及べり。
然れども尚ほ未だ深く覚ること能はず、君が極力排斥した
る所は別に存するものあらんと思惟せり。何となれば帝国
の國體を解して天皇主権者たりと為す所の予が平生の講義
の所説の如きは、予一家の私見を述ぶるものに非ず。平明
の真実にして一奇あるに非ざる一般の確信なり。此の國體
論を排撃するが為め、博士が一書を著はされんは予が夢想
だも及ばざりし所なればなり。人の或は博士の指す所は主
として予の所説の如き國體論に在ることを告ぐる者ありし
と雖も、尚信ぜず。試に之を博士に質し、博士の自ら其の
然るを明言せらるゝを聞くに及んで愕然として自失せり。
市三虎を出だし曹参人を殺す。『国家学会雑誌』五月号を閲
するに、君の予が小著『国民教育帝国憲法講義』の批評を載
するあり。君は予が小著を以て国民教育の為めに甚だしく
不適当にして、世に推奨することを得ざるものたりと為し、
予が所説の排斥すべき点を指摘せられたり。殊に予が國體
の解説を根本的に非なりとせらるるを見、不幸にして余が
曩に常に信ずるを欲せざりしもの洵に真実にして、美濃部
博士は天皇を以て主権者なりとするに異説ある者なること
を知れり。即ち再び『憲法講話』を取りて熟読するに、随
所君が帝国主権の天皇に帰属すると為すを根本的に排斥せ
らるを見る。若し予が君の所説を解するに於て誤れること
なくんば、君は実に天皇の国を統治するものたることを理
論上排斥すをものなり。依りて以為うに公洗学界に於ける
大家たる、君が所説の影響も亦微ならざらんか。貌に本書
『憲法講話』は文部省の開催せる中等教員夏期講習会に於
ける講演の速記なりと云ふ。若し教育に徒事するの人士此
の國體の辞を以てオーソリタチープなりと為し、深く其の
平生の確信に連ふを思ふも称する所沖進歩したる学理に拠
らざるぺからずと為すことあらば、黙る所極めて重大、学
者が論理を操りて研究室裡頭脳の明晰を誇ると自ら同一視
                       おさ
すぺ■からざるものあり。予は専ら帝国憲法を攻め、大学に
於て其の講義を担当すると維も、研究僅かに十年、未だ一
家の見鰐を立つること能はず。各般の問題に就て疑問百出
するの状に居れり。然れども我が國體の如き平明の事実に
して日月の天に在るが如く、万人黍く断て欺く能はざる所
に至りては、断じて異祝を排斥し得るの確乎たる自信あり。
若し異説なければ即ち止む。特に余が弁明を倹たずして人
人我が千古不変の國體を知れり。然れども若し異説あるこ
とを聞けば学者の論も亦醍大の確信と異る所なきものある
               や
ことを陳し七、世の惑はんとするを息め、安≠じて一般の
確信に徒ふぺきことを明にせざるぺからず。
 凡そ学理の論争は之を決定すぺき裁判所あることなし。
控訴院あることなし。大審院あることなし。仮令哲学者真
理の客観的正確なるの標準なるものを定むるあらんも、窮
克各人其の真なりと信ずる所を以て異なりとするのみ。真
理は固より二つ以上存在すること能はず。同一の事物に就
てこ様の見鮮あらば、若し其の正して真ならば他は必ず
や偽ならざるぺからず。物必ず異なかるぺからず。雨して
娯伽んぞ其の異なるを定めて人々通帰する所を知らんか。
学者の存する所以は此に在り。学者の本分は其の心カの及
 ぶ所を尽くして異なるものを発見するに在り。雨して=刀
〜祝



∴関


]国
には真理の裁判所なくして自ら裁判所たらざるぺからず.
他方には真理は唯一にして之に達ふものは轟く皆虚偽たり
と為さざるぺからず。学者の本分の高きと共に其の貴任の
重大なる所以なり。故に凡そ学者の事物を研究し之を説明
するは、固より其の所説を以て正確なる真理と為すものな
らずんば非ず。真と偽とを決すぺき絶対的標準なく、人々
心カの及ぷ所も亦固より有限なりと錐も、苛も学者たるに
背かざらんには、天斌の材能と、学得の知識と、集め得た
る材料と、有り得ぺき方法と轟く之を尽くして真理を発見
するに努力すぺきと共に、一たび斯の如くにして発見した
る所は之を正確なる真理として主張せざるぺからず。若し
然らずして疑似の説を出さば、人を欺くのみならず、自ら
欺くものと云ふぺし。学者たる所以の本分没却す。予は常
に此の信念を基礎とし、苛も発表する所は之を真理なりと
信ぜり。予が心カの不完全なると香とは固より別論たり。
故に余が真理なりとして主張する所は之を信じて尿はざる
と共に、之と異れる見解は之を偽なりとして排斥せり。之
を学者の本分なりと信ずればなり。或は予が態度を偏狭な
りと評する者あり。然れども予は自ら予の主張する所に疑
を挟むぺき余地ありと為して、寛容の度量を示すこと能は
ずh予は常に余が主張の頑冥なる忠僕なり。
『憲法講話』の出づるや、美濃部博士と予とを以て好敵手
なりと為す者ありき。予覚君と相戦はんや。余は博士と戦
ぅの能力なく且つ戦はんと欲する者に非ざるなり。蓋し文
                         や
筆は余が長所に非ず、論理を操りて虚々実々の論を行り、
章句を舞はして正々堂々の説を吐き、角関して雌碓を決せ
んは予覚博士の敵ならんや。或は業余の文伎を弄ばんは必
ずしも快なちざるに非ずと為さんも、予は斯の如き余裕を
有せざるなり。余が憲法を講ずるは一生懸命些の余裕も之
無きなり。必ずや此の如くならざるぺからず。故に之を云
ふのみ、唯一途なるのみ、他に迂余の途なきなり。斯の如
                  でくのばAノ
き者をして出でゝ角闘せしめんとす、木偶人を以て靖妙の
衝者に当らしむるに似たり。彼妙手甲乙するも我同一事を
繰り返すのみ。余が憲法論は常に平々凡々にして一様なり。
敵甲なるも乙なるも、敵左と云ふも右と云ふも、予が所説
は別種の観を為すこと能はず。敵なきも敵あるも亦唯一に
予が所信を率直に陳述するのみ。美濃部博士若し予が此の
論文に対して弁駁を加ふることあらんも、予は又同一事を
繰り返さん。
 美濃部博士は廣ミ自家の専皇心の人後に落つるものに非
ざることを揚言し、之を疑はれんことを恐る1ものあるに
似たり。然れども斯の如きは全然杷憂に出でたる弁解たる
のみ。何人か博士が等量心を尿はん。尊皇心の有無と学理
とは別問題なり。近頃頻りに尊皇愛国を唱道し、之を自家

表のモノポー〜なるかの如くに論ずる者あり。固より俗
論たり。如何の学理を唱うるも尊皇心に於て妖しき所なく
んば、深く心を労するに足らず。
大日本帝国は万竺系の天皇之を統治す。天皇は統治者
にして被統治者は臣民たり。主権は唯り天皇に属し、臣民
は之に服従す。主客の分義確定して乗る〜ことなし。臣民
統治することなし。天皇服従することなし。之を予が帝国
國體の解説と為す。簡単明瞭なり。憲法第妄の明言する
所疑義の容るぺきなし。建国の初めに定まれる所万古変ふ
ぺからざるなり。我が邦憲法学の泰斗穂頓八束博士の所説
も亦斯の如し。而して予の祖述する所なりと錐も、此の事
たる固より穂積博士の新発見に非ず。千古変らざる所、億
兆斉しく憺る所、特に予等が言祝を倹たざるなり。雨して
美濃部博士独り之を排斥す。
 美濃部博士は天皇を以て統治棒の主体に非ずと為せり。
然らば統治者は何人なりと為すか。日く国家なるもの之あ
り。国家は意志を具有する活動体にして法律上人格たり。
雨して統治棒を有するものたりと。然らば国家の実体は何
なるか。日く多数人結合の団体なりと。之を日本帝国に当
て〜云へば、日本人民は忘団体を形成して統治棒を有す
と云ふに外ならず。即ち予が國體の解説と正に相反せり。
予は天皇を以て主権者なりと為し、美濃都博士ほ人民全体
の団体を以て統治樺の主体なりと為すなり。予は我国を以
て君主国と為すなり。美濃部博士は我が国を以て民主国と
為すなり。我が国を以て民主国なりと云ふは三尺の童子も
亦誼ゆぺからず。余りに明白なる璽ロなり。博士ほ予が人
 し
民の団体を以て統治樺の主体なりと為すほ民主々義なりと
云へるを以て、「恰も此の祝を唱ふる者は凡て民主々義の
人であるかの如く思はレむるのは人を笹ふるの甚だしいも
のである」と為せり。予は実に博士に謝せざるぺからず。
博士にして若し民主主義を執るものに非ずして唯我が国は
学理の説明として民主国なりと為さざるぺからずと云はれ
たるものならんには、予は実に博士を誕ひたればなり。然
れども人の内心懐く所の主義を問ふは実は予が真意に非ざ
りしなり。仮令心に君主々義を持すると維も、天皇を排し
人民の団体を以て統治棒の主体なりと為すは、我が帝国を
以て民主国なりと為すものにして、事物の真を語るものに
非ずと為すのみ。
 統治棒の主体は日本国民の団体なりとすれば、天皇は如
何の存在の余地を有するか。美濃部博士日く、天皇は此の
団体の櫻関なりと。又櫻関とは「団体の為めに働く所の
人」なり。団体に属する各個人も亦団体や横関なりと錐も、
「多くの場合には其の中から特に役員を選んで其の役員が
殊に多く団体の為めに働く」ものなりと云へり。即ち天皇
医掛掛転野野紆む駄新町川γ転猷紆肘掛mm私紆掛臣熟野





∃畑




一関


J国
は国家の機関なり。団体の役員なり。甜体は人民全体なり。
天皇は之が為めに働く所の使用人として存在すと云ふもの、
実に美濃部博士が所説なり。鳴呼之果して我が建国の体制
なるか。又果して国民の確信するか。帝国憲法第一条の万
世一系の天皇国を統治すると云ふは、如何の解釈法に依り
て斯の如きの意義たりと為すことを得るか。博士は予に忠
告して他人の説を十分詮索することなくして妄に反対する
こと勿れと云へり。然れども予は如何様の思考方法を尽く
すと錐も、天皇が人民団体の役員なりと云ふを以て万世一
系の天皇国を統治すと云ふと同義なりと解すること能はず。
到底君が所説に服すること能はざるなり。
 予の最も怪訝に堪へぞるは博士の自家の所説に対する弁
解なり。博士の日く天皇が統治権の主体に非ずして人民団
体の機関たりと為すは÷決して君主が人民の役人であり
使用人であると云ふの意に非ず」と。予は博士が一たび機
関は団体の役員なり、団体の為めに働く者なりと云はれた
るを強いて前後の矛盾を各めずと雄も、他人の為めに働き、
他人の権利を行ふ者は之を使用人と云ふこと通常の用語な
らんと思為す。若し犬れ博士が予の君主機関説を以て「君
主国王と云ふものは人民の家来である、人民の使用人であ
ると云ふ意味に於て統治権の総撰者は国家の機関であると
斯様に申すのであります」と日ひ、又「それであるから欧
羅巴人は民主共和の国に於ける大統領と君主国に於ける国
王と云ふやうなものを区別しない」と云へるを以て、「諌
言の甚だしいもの」と為せるに至つては、予は深く博士が
自家の所説を主張するに勇ならざるを悼まざるを得ず。若
し統治権の主体たる所謂国家なる鴻のを以て、人民の団体
なりとすれば、之に属する統治権を行ふ者は其の使用人に
非ずして何ぞや。民主国と君主国と異る所は何れの点に在
るか。予の云へ針所を以三警口なりと為さんには、博士は
根本的に其の所説を改めざるべからず。前提を正しと為し
て之より当然生ずぺき結論を呑定するは辞すべからざるな
り。博士の頻りに自家所説の余りに明かに徹底せんことを
憂うるは、何の危ぶむ所あるやを庚はざるを得ず。
 博士若し真に天皇は国家なる他人の使用人に非ず、人民
団体の「役員」(『憲法講話』第六頁の語を用ふ)に非ず、
即ち他人に属する権利を行使するの任に当るものに非ずと
為すならんには、天皇は国家の機関なり、統治権の主体は
天皇に非ずして国家と云へる別人なやと云ふの博士が根本
原理を改めざるぺからず。天皇統治権の主体ならば他人の
使用人に非ず。自ら統治権を有するものに非ざれば他人の
役員なり、使用人なり。何れか一を以て論理を一貫せざる
ぺからず。前には天皇は統治樺の主体に非ずと断言し、後
には他人の権利を行ふものに非ずと為す。誰れか此の明白

なる矛盾に欺かれん。
然れども予は博士が論理を貫くに怯なるを青むるよりも、
寧ろ天皇は他人の使用人に非ずと為し、予が国家法人説の
論理の結果を予想して、天皇を以て国家の使用人役員なり
と為すものなりと云へるを彗妄りと云はれたるを喜ぶ者
なり。何となれば若し果して然らんには博士も亦予等と同
論にして国民議と必ずしも見る所を異にする者に非ずと
為すぺければなり。博士の臼く、「帝国々樺の最高の源が
天皇に在ることは言ふまでもないことであります」と。又
日く「間接櫻閑は、元来君主に属する所の権力を行ふもの
なり」と。又日く、「日本が万竺系の天皇を上に戴いて
天皇は天ツ日嗣と仰がれ、子孫永く此の国に君臨し給うて
皇統連綿天壌と倶に窮りなかるぺきことは、尚く国民の確
信をなして居るのであります」と。之等の語句処々に散見
                  つ
す。他の部分と並列すれば木に竹を接げるが如き感を生ず
るものありと維も、必ずしも之を病まざるなり。皆天皇の
統治棒の源泉たり。統治樺を有する者の天皇なるを云ふも
の、予は博士が「国民の確信」を認得するの正確なるを喜
ぷのみ。其の前後の矛盾を指摘するに暇あらざるなり。
 然りと錐も博士は自ら廣〜此の確信を離れて日本帝国を
以て民主共和の国と顆を同じうするものと為すの論説を為
せり。民主国とは何ぞや。君の鋭く所に依るに、「全国民が
国家の最高櫻関たるもの」を云ふ。最高櫻関とは、国家の
活動の総て出づる所の原動力なり。「即ち国民の全体が金
棒を握つて居る」ものを民主国と為す。郁つて前の国家の
性質の条を見れば国家は忘団体なり、国民全体の結合な
り。而して統治樺の主体なりと為す。之れ独り民主国の性
質を説くものに非ずして、君主国と維も皆包括せらるぺし
と為すの一般的定義なり。故に日本帝国も亦国民全体を以
て統治棒の主体と為すものなりと為さざるぺからず。国民
全体統治樺を有するは民主国に非ずや。博士或は日はん、
統治棒の主体として之を有すると、最高櫻開として之を有
すると自ら異れりと。最高横関の義たる容易に解し難しと
錐も、君が所説を以て窺へば、総ての統治の活動の原動力
たる人又ほ人の団体なり。若し然らんには最高機関と云ふ
は即ち統治棒の所有者に非すや、統治樺の総環者に非ずや。
即ち統治棒の主体に非ずや。統治棒の主体とは統治の活動
の床動力を云ふ○終らざれば主体に非ざるなり。若し最高
機関なるものありて活動の源泉たらば、別に統治棒の主体
あることを得ず。若し統治棒の主体ありと為さば別に活動
の源泉たる人又は人の団体ありと云ふは無意味なり。若し
強いて此の矛盾を了牌せんとすれば、所謂統治棒の主体な
 るものは空名にして実際の活動なき木偶たり。最高機関が
真実の活動体なりと為さゞるぺからず。然るに博士は国家
締付増畑偲…湖濁遠
fg竣監邑EEllll




山関


]国
なる統治権の主体は自ら活動力を有するものなりと為せり。
然らば即ち活動の源泉に非ずや。既に活動体たる国家なる
ものありて、別に活動の源泉たる最高機関の存すること解
するぺからず。若し天皇なる最高機関が統治の出づる所た
らば、天皇は統治樺の主体なり。即ち予等が國體の解説の
如し。若し之を排して国民全体の団体たる国家なるもの自
ら活動力を有し、統治樺の主体たりと為さば、天皇は活動
の源泉に非ず。「国民の全体が全権を提つて居る」所の民
主国なりと為さざるぺからず。博士の帝国統治の主体は国
民全体の団体なりと言て而かも民主国に非ずと云ふは全然
解すぺからざるなり。
 宜なるかな美濃部博士の廣主君主国と民主国との区別を
為すの曖昧なるや。博士は君主国と民主国との区別は純粋
なる形に於ては「梢発達したる国家に於ては」存在し得ぺ
きものに非ずして、「君主政体(予等の所謂國體)と共和
政体とは互に相接近して其の間の区別は必ずしも明瞭なら
ざるに至れり」。其の区別は「必ずしも判明疑を容れぬも
のでは無い」と為せり。即ち博士が君主国と民主国とを区
別するは、実在の有様に就て之を区別するに非ずして、唯
想像上の区別たるのみ。実在の有様に在りては二者接近し
て区別明瞭ならずと為す。日本と北亜米利加合衆国と必ず
しも明瞭の区別あるに非ず。日本と仏蘭西共和国と國體漸
く相接近すと為すなり。極力排斥せざるぺからざるの思想
なり。予は曹て國體の観念上永遠無窮なるぺきことを主張
                 みだ
す。國體の区別は判然明瞭両断して滑るぺからざることを
主張す。歴史は国の興亡を録せり。事実上國體の革命ある
は之を認めざるべからず。然れども国にして未だ亡びずん
ば主権の所在は永久不変なることむ認めざるべからず。然
らずんば国何を根基として存立するか。建国の体制虎に滅
びたるに尚其の国存すと為すことを得るか。北亜米利加に
英雄出でゝ民主の組織を覆して自ら国王たる者あるに至る
                   ブーツ ヤ
も、尚合衆国ありと為すことを得るか。学漏士の社会党王
位を纂奪して、人民全体を以て主権者と為すに至るも、称
して王国と云ふぺきか。國體は柄然確立千古動かすべから
ざるなり。美濃部博士も或は日く「日本の政体は歴史始ま
つて以来、常に君主政体であつたので、是は古往今来万世
に亙つて永く動かすぺからざる所であります」と。然らほ
博士は我が国は君主國體の変じて共和國體たるに至る「梢
発達したる国家」の例外たりと為すか。然れども博士は再
び今日に在りては「国家の権力の全部が天皇御一人に属し、
御一人の御随意に総ての政治を行はせ給うと云ふのでは勿
論ない」と断言し、立憲政体.の行はる〜に至れる後は「君
民同治の政治」と為せり。「君主と国民と共同して国家の
権力を行つて行く」に至れりと云ふを見るに及んでは、博



士が我が國體の、「万世に亙つて永く動かすぺからざる所」
と云ふの其の確信に出でたるや香やを疑ひ、断乎として帝
国は民主国との区別を曖昧ならしむるを排斥せざるを碍ず。
然れども君が君主国と民主国との区別を絶対的に主張せ
ざるは、寧ろ君が根本思想の当然の結論なり。凡そ国民全
体の団体たる国家が統治樺の主体なり。日本に於ても然り。
英音利に於ても然り。仏蘭西に於ても然り。国民全体が統
治棒の主体たるは凡ての国に通ずる一般的定義にして、統
治樺を有する者の一人たり、又は多数人たり、又は国民全
体たるの区別は存在せざるなり。然らば固より君主国と民
主国と之を統治棒の所在に依りて区別することを得ざるな
り。美濃部博士は最高機関なる観念を持し来て、君主と民
主とを区別すると雄も、最高櫻関を活動の原動体の義と為
して、郡つて博士が国家原理を覆すことを為さずdて忠実
       むか
に君が論理の幣ふ所に従へば、這般の区別は佳に政治施行
の設備の態様の異るものたるに過ぎずと為さざるぺからず。
君が國體と政体とを区別せず、國體と云ふも実は「政治組
織の区別即ち政体の区別に外ならぬ」と云ふを以て論竺
質せりと為さざるぺからず。何となれば統治樺は如何なる
国に在りても国民全体の団体に属するものなればなり。予
は統治樺の国民全体に属するを民主国と為す之れ恐らくは
予一人の一家言に非ず。何人と錐も統治棒の国民全体に属
するは民主国なりと云ふを常軌を通するの思想と為し、用
語当を得ずと為す者なからん。故に予は政体と國體との区
別を認めず。仮令君主ありと維も統治棒は国民全体たる国
家に属すと為すを以て如何なる国をも皆民主共和の国たり
と為すものなりと為し、此の思想に従へば日本帝国も亦天
皇主権者に非ずして国民全体統治者たるの民主国たりと為
                     つ
さゞるぺからずと為せり。之予が従来力を渇くして団体主
権祝を排斥し、國體と政体とを最も明確に区別すぺきこと
を提唱せる所以なり。然るに博士は予の此の如きの思想に
従へば、「総ての国は民主国となつて君主国の基礎が動か
されるもの1如くに論じて居るのは如何なる根拠に基づく
か、更に其の理由を鰐することが出来ぬ」と云ひ去りて顧
慮することなし。前には如何なる国も亦人民全体が統治者
なりと為し、自ら之を如何なる根拠に基くか、其の理由を
辞すること能はずと為す。或は前言は戯れたるのみと為す
か。然れども之言語上の矛盾のみ。仮令帝国を以て民主国
なりと云ふの学者あるも、実際上の影響に至りては断じて
恐る〜に足らず。美濃部博士の云ふが如く「我が帝国が万
竺系の天皇に依つて統治せられることは、我が民族千古
の確信を為して居る所で、永遠に亙つて動かすぺからざる
所である。國體の区別とかいふょうな観念の異同に依つて、・
さながら此の確信が覆へされるかの如き説を為すのは我が
ー賢軒〓〓.叛ピrトkい卜い卜接†L一転gaいd乾ぎ.巨もい転附賢m甑抗心身冷L転諒臣曇旨r卜針酢打mk転宅




J関


一国
/\1ノノュ
     ュ
国民を侮辱するもの」なり。然り真に然り。誰か博士の現
に由て此の確信を変へんや。予は此の説を唱ふる所の博士
自身の確信も、亦其の所説と全然分離して動かざるが如き
ものあるを見て、頗る予が意を強うせり。
『憲法講話』に見えたる國體論の全然誤謬にして絶対的に
排斥すぺきは、必ずしも詳細の論説を尽くさずと錐も、以
上指摘したる所に依りて明なること、火を見るが如けん。
美濃部博士の自ら屡j召はる1が如く、帝国の万世一系の
天皇に依りて統治せらる1は、我が建国の体制にして、天
壌と与に変らざる所、憲法の基礎にして国民の確信なり。
予も亦国民の一員として此の確信を賦有し、歴史の真実と
憲法の宣言と疑似を挟むの余地なく、異説の容るぺきなき
が故に、平明の事を平明の語を以て、天皇は主権者なり、
統治権の主体なりと説けり。國體の筆固なること万古不変
固より学者の舌の動かし得ぺき所に非ずと雄も、此の義を
噴昧にするは思想上極力之を排斥せざるぺからず。之憲法
を専攻する予の職費なり。予は特に独り美濃部博士を費む
る者に非ず。博士が衷心の確信予等と異るなきは屡ミ博士
の宣言する所たり。尊皇心の人後に落ちざるは君が自ら誇
る所なり。然れども発表する所の学説に於て天皇統治者に
非ず、国民全体が統治棒の主体なりと云ふときは、之を誤
謬として排斥せざるぺからず。之予が以上の論を読む者の
悪く直に首肯する所ならんと信ず。事たる平々にして他奇
なし、迂曲の論を為すを用ひず、予は唯直裁に『憲法講
話』の所説の誤れるを示せるのみ。以て学生の尿義を発す
る者を啓き、一般国民殊に教育に従事する人士の盤惑せら
          ◆■一▲
れんとするを軋むるに足らん。
 学理を詳説して積極的に予が見解を述ぷるは本論の目的
に非ず、之を略サパ然れども美濃部博士が根本の思想たる
国民全体の団体が統治権の主体なりと云ふに裁て、此の理
論の欧羅巴に於て広く行はる1所以の消息を述ぶるは、世
人をして事の真相を知らしむるにカあらん。今之を単簡に
述ぺて本論を終らんと欲す。此の思想は美濃部博士が、
「今日の進歩したる学者の問には定説」なりと揚言する所
なり。暗に天皇は主権者なりと云ふは進歩せざる学者の言
たりと為すに似たり。夫れ或は然らん。然りと錐も予は進
歩したる学者たるの名誉を買取るが為めに、自家の確信を
払渡すことを得ざるの愚直漢なり。凡そ国家法人説なるも
のは民主の思想を法学の飾にかけて圧搾したるものなり。
其の本義民主共和に在ること予が夙に主張したる所なり。
之予の一家言に非ず。欧羅巴の学者国家法人説を唱うる者
の斉しく認むる所たり。彼等は民主と云ふを賞讃の語なり
と感覚す。仮令国王なる者あるも、我が国は民主的なりと
云ふは、自ら一種の愉快を感じて之を云ふなり。我が国に

つ一

於けるが如く民主々義を執ると見らる1が為めに、我を
「裔ふるもの」「侮辱するもの」なりと感覚する者は殆ど之
あらず。之彼我国情歴史の異るに由る○蓋し欧羅巴人本来
の思想立国の精神は民主に在るは歴史の明かに示す所なり。
後に国王あり、皇帝あるに至れりと雄も、彼等は固より人
民の奴僕たるのみ。(フレデリツタ大王の語)若し人民の
奴僕たる所以を忘れて国政を自家の事たらしめんと欲する
に至れば、其の本釆の職分に反す。故に或は自ら弁併して
天祐を呼称する者あり○然れども人民を満足すること能は
ず。国王は固より人民を以て己の赤子なりとせず、人民は
仰ひで之を慈父と為さざるが故に、中世以降欧羅巴の歴史
は君民間争の過程と為れり○国王は国は我なりと称して
ハルイ第十七世の語)専横を極めんとし、人民は君主の位
の自家の承諾に基づくことを主張して国王を放伐するの権
利を高唱せり(社会契約祝)。遂に或は国王の首を創ね、或
は人民の血を道塗に流し、窮る所暴発して仏蘭西大革命と
為れり。革命を経て世康平に帰せりと維も、再び君主を以
て主権者と為さんは彼等の忍びざる所なり。何となれば君
主は人民の不倶戴天の仇敵なればなり。然れども直に共和
国を樹てんも亦危ぶむ所なきに非ず。革命の惨目前に在れ
ばなり。即ち国家なる一大偶像を捉へ来て之を主棒者なり
 とするに至れり。然れども紙↓の形像を以て満足すること
                                        ・−P
能はず、其の本体を得んとして再び立国の思想に反へり、
之を人民の団体に見るに至れり。之近時国家団体説国家法
人説の起りし裏面の理由にして、之を本来民主的なりとす
る所以なり。少くとも君主の主権者たるを排斥すること国
家法人説の本義たり。而して第十九世紀に於て憲法相次い
で制定せられ、政治の活動も亦法に依るものたらしむる所
謂法治国の起るに及び、国家法人祝は法律上の観念として
彼等の民主思想を満足せり。固より国家法人現には数種あ
り。或は実体なき擬制として之を云ふ者あり。又有機体と
して又は団体として実在すと為す者あり。美濃部博士は田
体に活動力ありと「看傲す」と云ふが故に、実在と為すか
擬制と為すか明瞭ならざれども、他の論点より推せば之を
活動の本体と為すこと↓来述ぶる所の如し。其の何れに属
するを問はず国家泣入説が欧羅巴人の民主思想に迎合し、
今日に広く行はる〜所以の理由は多々ありと錐も、試に其
の著しきものを拳ぐれば二あり〇一は国政の君主天の事
に非ざるを示し得るに在り〇二は国会の君主と対等又は対
等以上の樺能を有すと為すことを得るに在り。国政の君主
一人の事に非ざれば欧羅巴人の極力明かにせんと欲する所
たり。君主は元来人民の置ける所なり。又は潜して国王た
るに至れるのみ。天下は六の天↑に非ず天下の天下なり。
然るに国王之を檀私するに至れるは歴史の示す所の如し。










えノ

古来或は君主に対し或は神命に違うぺからざるを以て、又
或は正義に従ふぺきを以て、之を制抑せんと試みたるもの
誠に多しと雄も、葛も其の目的を達すること能はず。宗教
道徳の能はざりし所、今之を法律を以て遂行し、君主の専
横を防がんとするもの実に国家法人説の効用たり。美濃部
博士も亦此の思想の影響を受けて統治権は「君主の御一身
の利益の為に存する」ものに非ずと為せり。然れども我が
邦君民の関係の欧羅巴諸国又は支那に此して顕然として異
る所あり。以て國體の精華と為すぺき要点なり。我が国の
歴史は欧羅巴の歴史の君民闘争の歴史なるに此して、君民
和合の歴史なり。君は民を虐ぐることを思はず。民は君を
干すことを願はず。暴君虐主と称すべきもの数千載を通じ
て之なきは世界無比と云ふべし。其の原因の何れに存する
ゃは暫く略するも、君主を以て不倶戴天の仇と為し、法を
以て之を圧抑せんとするが如きは、日本人たる者の夢想だ
もせざる所なり。彼我国風の異る誠に天淵の如しと云ふぺ
し。今仮に君主一人の私事と公事とを区別するの必要あり
とするも、唯之を区別すれば足る。実は人民の団体たる国
家なる法人と云へる一大怪物を顧出して、君主を威嚇する
ことを要せざるなり。−国会を以て君主と対等又は対等以上
の地位に居らしめんとせば、君主を以て統治権の主体と為
すを得ざるは云ふを倹たず。若し国家なる法人別に之あら
ぱ君主も其の櫻関たり、国会も亦其の磯関たりと為すぺし9
美濃部博士の昏て説けるが如く、君主と国会とは共に国家
の直接機関にして、国会は君主の設備する所に非ず。自立
して国家の機関たり。君主独り国権を総渡するに非ず。立
憲政体は「君民同治の政治」なりと為すは、国家なる法人
を抽出し来て、之を二機関の上に超然たらしむるに依りて
始めて説明することを得べし。然れども斯の如きは実に我
が立憲政体の構成に非ず。帝国議会の地位たる今詳に説か
ずと雄も、必ずなかるぺからざるの直接櫻関に非ざるは云
を倹たず。帝国議会なしと錐も、日本帝国は手足欠けたり
と為さず。若し民主の思想に従へば、人民の代表会議たる
国会は会社の株主総会の如く之を直接機関と為すべからん9
然れども君主国に在りては固より国会あることを要せざる
なり。又国会ありと雄も日本帝国の君主国の基礎を動かす
ものと為さざるなり。若し然らざらんか、憲法の発布は我
       あらた
が建国の國體を革めたるものと為さざるぺからざらん。
『憲法講話』の中又屡ミ之を認むるが如きの口調を見る。
然れども予若し之が為めに『憲法講話』は憲法の制定に依
りて、我が国命革まりて民主と為れりと為すものなりと云
はゞ、美濃部博士は再び予を以て君を迩ゆるものなりと為
すならんか。
          ハ『太陽』第十入巻第八号、明四五・六)