日本は何処へ行く?
                    土田杏村

 一 日本は存立出来るか

 日本は何処へ行くか。といふ問ひの中には、日本はどんな
形態や実質のものに遷移して行くか、といふ問題が含まれて
ゐるだけではなく、それの前提的な、もつと根本的な問題と
して、日本は独立国家として存立し得るか、或は滅亡しなけ
ればならない必然的形勢に於いてあるか、の問題が含まれて
ゐる。考察の当然の順序として、私は先づその問題を考へて
行かうと思ふ。
 日本は存立出来るか。それには二条件の考察が必要であ
る。第一に、日本は今後物質生活を遺憾なく支持し得るか。
第二に、日本は近い将来に於いて、世界の最大強国と国運を
賭しての戦争を開始しないで行くことが出来るか。
 私は国運の将来を濫りに悲観したくはない。併し日本国民
といヘども、精神だけでは生存して行くことが出来ず、必ら
ず確実に物質生活を営んで行かなければならない。然るにそ
の物質生活が今後安全に保障せられるやうな情勢がつくられ
てゐないとすれば、科学的に冷静には、何人と雖も国運の将
来を悲観しない訳にいくまい。随つて今後に於ける物質生活
支持の可能性如何は、日本存立の可能性如何を決定する第一
の条件となる。
 次に、国家の物質生活はよく必然的に支持せられ得たとし
ても、世界何れかの最大強国と戦争を開始しなければならな
い危険性が近い将来に迫つてゐるとすれば、これもまた国家
存立の可能性如何を決定する重要な条件となるであらう。そ
の戦争に勝利を占めることが、確実に科学的に論証せられる
とすれば、存立の可能性は保障せられる.併し交戦する敵国
が世界の最大強国の一つであつた場合に、その戦争に勝利を
占め得るかどうかを確実に決定することは困難であるし、ま
たよくその戦争に勝利を得たとしても、国力を疲弊せしめる
こと甚だしく、その創痍を恢復せしめるに多くの年月を要す
るであらう。戦争に勝利を占めることが疑はしければ、その
結果は論ずるまでもない。何れにせよ、近い将来に於ける戦
争の可能性如何は、日本の国家的存立を決定する重要な条件
であらう。これは第二の問題である。

 ニ 日本存立の物質基礎はとうなる

 私は先づその第一の問題を考へよう。日本の物質生活は確
実に保障せられてゐるか。将来を語るには先づ過去を清算す
ることが必要であるが、日本の物質生活は誰れもが見る如く
自足自給的には保障せられてゐなかつた。日本はその衣食住
の基礎生活を営むに、物質を外国に仰がなければならなかつ
た。小麦、豆類、木材の如きは国内的にも絶対的に得られな
いものではないから、それらの輸入を除外するとしても、綿
類、羊毛、鉄、石炭、諸種の肥料頬の如きは、現在の事情を
以てはその供給を外国に仰ぐより外はない。これを国内的に
供給しようと思つても、その供給には限界がある.斯様に衣
食住には最大関係を持つた物質を外国よりの輸入に仰ぐとす
れば、その他面に於いて、日本は確実に将来への継続を保障
せられた輸出品を持たなければなるまい.現在のところでは
生糸、絹織物、綿織物の如きものは、先づ安全に将来への継
続を予想してよい輸出品になつてゐる。綿織物は、輸入せら
れた綿の一部の再生産品である。さて斯様に、日本の物質生
活は衣食住に根本的に必要のものを輸入せしめる為めに、何
等かの商品を必然的に輸出しなければならない建前となつて
ゐるが、斯様の状態は国家存立の物質基礎として安全なもの
であらうか。
 この状態は、欧洲大戦前の英国の生活と類似するものであ
る。英国の輸入したものは食料品であり、その輸入なき限
り、英国人は餓死しなければならなかつた。また英国の輸出
するものは、再生産品であつた。つまり英国は、外国より原
料品を輸入して之に加工し、之を再輸出する事により、食料
といふ、衣食住の生活には根本的に必要な物質を得、英国の
物質生活を支持し得たのである。この政策の危険性は、欧洲
大戦までは自覚せられなかつたが、大戦の経験並びに大戦後
の経済恢復の困難により痛切に体験せしめられたが為めに、
その政策の変更は英国人に取つて国家存立の根本問題と考へ
られるやうになつた。
 いま日本の場合を顧みるに、日本現在の主要輸出品は、果
して将来安全にその継続の保障せられたものであらうか。綿
織物の輸出は支那の工業の勃興によつて脅かされるし、生
糸、絹織物の輸出は、他の諸国に於ける養蚕の勃興と人造絹
糸の発達により危険を感ぜしめられてゐる。生糸の輸出は、
実に日本の物質生活を保障する根本条件といつてもよいもの
であるが、その輸出は近年漸々に困難の度を加へて釆てゐる
ことは争へない事実である。またこれらの輸出品と交代して
将来有望であると見られる商品があるかといへば、現在のと
ころでは全く予定せられないやうな状態である。然らば日本
は今後一体いかなる方法を以て、根本的にその物資生活を支
持するのであるか。
 日本の資本主義的発達を現状の儘に放任して置くならば、
日本存立の将来は何としても悲観的のものになる。こゝに政
友会の如くに産業立国をいつて、輸出品の工業的生産を盛ん
に興隆せしめることにより、国家生活を支持しようと考へる
ものがあるけれども、かく生産せられた商品は、一体何処へ
売り向けられるといふのであるか。輸出の市場を争奪するこ
とは、世界の諸国がこれまで熱心に実行して来たことであ
り、この市場争奪戦は当然その国家を帝国主義化せしめて、
前方に戦争の危険性をのぞましめた。日本が工業立国をなす
ならば、その他面に於いては必らず軍備を拡張せしめ、大戦
への準備を怠つてならない。軍事費の節約をいひつゝ他面工
業立国を主張することほど矛盾した態度はないであらう。

  三 国民的統制経済とは何か

 こゝに我々は、日本の如くに国家としての面積が狭く、自
然に産出せられる物資を欠いてゐながら、徒らに人口だけ著
しい率で膨脹して行く国家の悲哀を味ははなければならな
い。今後国家として優勢の地位を支持する為めには、必らず
土地の広大なるブロックと、豊富なる天然資源とを持たなけ
ればならない。海戦に於いて大戦艦主義が取られると同様
に、国家の競争としても大国主義が取られなければならな
い。こゝにラッセルがかつて予言した如くに、世界が三大ブ
ロックに分立するといふ形勢は科学的に必至のものであると
思ふ。彼はそのブロックとして、第一に欧洲諸連邦国家、第
二にサヴエート、ロシア、第三には米国を数へ、支那はロシ
アのブロックの構成要素になると観察したが、これらの観察
は、概して穏当である。世界全体の物質生活を斯様に大きく
考へた時に、日本は果して何れのブロックを構成せしめるの
であるか。日本だけが現在の国家生活を以てこれらの三大ブ
ロックに対抗することは、いふまでもなく甚だ困難なるもの
である。
 併しその構成はどうなるにせよ、日本の物質生活が、先づ
根本的に自足自給的に建て直されることは、避けがたい形勢
であつて、その自足自給に着手せずに国家生活の支持せられ
る方策は、断じて存在しないことを、私はこゝに確言した
い。輪出によつて輸入を支へる建前は、一挙には廃しがたい
が、漸次にこれを廃止しなければならない。生糸輸出は、国
家存立の前提として最も危険なるものだ。 何故なれば、生
糸、絹織物は生活の贅沢品であつて必需品ではないからであ
る。我々は農業的生産を根本的に建て直して、生糸の生産を
彼の貨物の生産に振り向けて行かなければならない。そして
斯様に自足自給の国家政策を立てる為めには、生産事業の方
向を事業家や金融家やの任意発案にゆだねてゐてならない。
如何なる生産を、どれだけの分量でおこすかは、国家の物質
生活支持の見地、換言すれば自足自給的の見地よりこれを決
定するところのものであつて、私はその経済方策を国民的統
制経済と呼ぶのである。日本の物質生活は、国民的統制経済
を実行することより外のものを以ては、確実に保障せられな
い。なほ一歩を進めては、日本の存立は結局その根本方策以
外のものを以ては支持せられないのである。
 斯様にいへば、人は私の主張を以て国家社会主義、或は社
会国民主義であるといふであらう。けれどもこの主張は断じ
て国家社会主義ではない。近来国家社会主義が可なりに強い
声で擡頭して来たが、国家社会主義は誤謬の方策であつて、
現代の国家的乃至社会的情勢には適合しないものである。私
は今次にその理由を明らかにして置かうと思ふ。

  四 国家社会主義の誤謬

 国家社会主義とは何であるか.それはたしかに社会主義の
一種である。然らば社会主義の基礎思想は何であるか。先づ
マルキシズムであるといふべきであらう。然らばマルキシズ
ムの主張する経済理論の根本は何であるか。それは労働価値
説の上に立つた搾取説であらう。そこには必ず資本と労働と
が存在し、資本家と労働者とが対立する利害を以て存在しな
ければならない。資本家は労働者の上に搾取をなすが、そこ
には資本が必要であり、この搾取行程は労働を以てする生産
の中に於いて行はれるのである。言葉は簡単であり、また必
ずしもマルクスの論述してゐる理論の筋道を迫はないけれど
も、マルキシズムの主張する社会経済理論は、結局以上のも
のであるといつてよい。
 併しながら金融行程の高度に発達した現代の社会経済生活
に、この見方はもはや適用の困難なものになつた。何故なれ
ば金融家或は銀行は所謂生産者でなく、生産行程の外に立つ
てゐるに拘らず、生産者以上に大いなる利益を得るところの
ものになつてゐるからである。マルキシストによれば、金融
家は金融資本家であつて、諸方に眠つてゐる小額の資本を寄
せ集めた上、これに活動性を付与して事業家の使用に提供し
たものだといふのである。いかにもこの考へに従へば、金融
家の運転する貨幣は資本であらう。併し金融家に対するマル
キシストのこの観察は誤まつてゐる。銀行は頭金をその儘貸
附けるのではなく、この預金を見せ金として思ひの儘に信用
を発行し、その信用貨幣を貸附けて事業家より利益を収める
ものである。金融家は事業家以上に儲けるが、それは労働の
上に搾取する生産の行程に於いてなされたのではない。また
労働の上に搾取したのでもなければ、生産を以て儲けたので
もない。金融家の運用する貨幣は、資本の名目を以て呼ばる
ベきものではない。今や大いなる儲けを収める者は、生産に
於ける資本家ではなくて、金融家だ。そして現代の社会経済
は、この金融家が生産者を支配する処の社会経済制度を持つ
ものであり、語の厳密なる意味を以てはその社会制度は資本
主義制度と呼ばるべきものでもない。
 然るにマルキシストは金融資本といふ語を使用し、資本主
義高度の発達を金融資本主義と呼んでゐるのは、大いなる誤
謬といふべきである。金融は、断じて資本ではない。もしも
それが資本であるならば、労働に対しなければならないし、
それの儲けには生産行程の進行する時間が考へられなければ
ならないが、金融にはかくの如き性質は付与せられないの
だ。我々は、金融資本或は金融資本主義といふ語を先づ廃棄
しなければならない。私はこれまで幾度繰り返してこのこと
をいつたか分らないが、コンミユニズムに反対する人達まで
がその語を使つてゐて憚るところのないのは心外である。金
融資本をいふならば、その時既にマルキシズムを容認し、身
をマルキシストに転身せしめてゐるのだ。
 さて、国家社会主義にかへる。国家社会主義は資本主義に
反対するものであるといふ。現に無産党や無産党に近い新政
党は、資本主義への反対を高調してゐるが、資本を以て搾取
する事業家は現にそれ程強力な敵となつてゐるか。断じてさ
うではない。最大の儲けを収めるものは金融家であつて、事
業家は労働者と共にこの金融家の膝下に身を属してゐるので
ある。然らば反資本主義をいふことに何程の意味があらう
か。反資本主義をいふ限りは、労働者の立場に立ち、生産行
程の中にあつて、資本家即ち事業家に対立しなければならな
い。この時最強窮極の敵即ち金融家は、その攻撃せられてゐ
る事業家の楯の影に退いてゐる。勿論生活行程内に於いて、
労働者は資本家に対立しないのではない.私はその厳然たる
事実をも否定しようといふのではない。ただ現在の社会で
は、生産行程内に於ける労働対資本の対立的抗争を以ては、
社会問題は根本的に解決せられないといふのである。
 またあへてそれだけではない。労働者と資本家とは、階級
的に対立し、そこに階級闘争が起る。併し労働者及び資本家
の社会階級は、元来は国境を以て制限を受けるものではな
い。階級は国際的であることをそれの本義とする.然らば階
級闘争を主たる手段とする社会主義は、国際主義に向ふが当
然であつて、国家社会主義は一の矛盾した概念である。社会
階級は何故国家的に制限せられなければならないか。社会階
級の見方からは、国家的制限といふ見方は生み出されない。
階級闘争の上に立脚する反資本主義の旗印は、つひに一の現
代的迷信であるに過ぎないのだ。私の主張するところは、そ
の国家社会主義ではなくて、国民的統制である。共同社会と
Lての全国民生活の立場に立ち、金融を少数者の支配にゆだ
ねることを廃して金融の国民化を断行し、その金融支配を通
じて国家内の生産の方向分量等を自足自給的ならしめるやう
に統制することである。私の立場は生産行程内に於ける社会
階級ではなくて全国民であり、私の支配を欲する対象は、資
本ではなくて金融である。そしてこの支配によつて全生産を
自主自律的ならしめ様といふのである。
 私はかうした立場を統制国民主義と呼ばうと思ふ.現代日
本改造の旗印は、国家社会主義や社会国民主義やまた単なる
日本主義やファシズムやではなくて、統制国民主義でなけれ
ばならない。それは資本主義、社会主義の何れからも絶縁し
た統制国民主義でなければならない。
 統制国民主義の立場に立つならば、日本の存立は確実に保
障せられる。またそれ以外のものを以ては日本の存立は必ら
ずや危険に瀕しなければならないから、結局に於いて、近い
将来に日本は統制国民主義の日本になるであらう。

  五 戦争は避け得られるか

 さて次に我々は国家存立の第二の前提である戦争の可避如
何を考察して見よう。一国家が自足自給的になつたとすれ
ば、他の国家と戦争を交へることは必要でなくなる。輸出を
必然とする国民経済の建前に於いては、市場争奪の為めの戦
争をも決行しなければならないが、自足自給の国家に対して
何れの国家が積極的に侵略戦を開始するであらうか。私は日
本が将来にはらんでゐる日米戦争の危機をも、日本が自足自
給的になることによつて自づから解消せしめるものだと信じ
てゐる。
 満洲国が建設せられてから、日本の自足自給主義は実行に
容易のものとなつた。満洲国は勿論独立国家であつて日本の
属国ではない。満洲国を健全に発達せしめる為めには、第一
にこの国家自体の利害的立場に立ち敢て日本の利害的立場を
以てこれを蹂躙しないことを念慮にしなければならない。こ
の点に関して、私は今に於いて日本の民衆に警戒して置きた
い。併しながら、ラッセルがいつた意味のブロックとして
は、日本は満洲国と相結んで一のブロックをつくり、世界に
その存立を確保することが出来よう。そしてこの満洲国との
間には輸出入を以てする相補の物質生活が確保せられなけれ
ばならない。我々がこれまで他の国より輸入を仰いでゐたや
うな物資は出来るだけこの満洲国に於いて生産するやうに
し、また日本はその満洲国へ多種類の商品を輸出するのであ
る。支那は日本の商品の輸出せられる主要市場であるし、ま
た支那は当分のところ日本より商品を輸入しないではゐられ
ない国であるが、この貿易の為めには満洲国を緩衝地帯とな
すことが出来る。勿論満洲国は、世界の各国に対し機会均等
を以て門戸を開放してゐるけれども、日本は地勢上この競争
には優越を占めることが出来る。また満洲国自身の存在とし
ても、日本との間にブロックを組成せしめることは不可避の
ものであるといつてよい。
 日本は存立出来るか。私は答へる。統制国民主義を以て
は、日本は世界の諸情勢に処して立派に存立出来る、また新
建設の満洲国と日本とは、当然一のブロックを組成せしめ
て、世界にその存立を確保することが出来る、と。

  六 コンミユニズムと非統制資本主義

 統制国民主義の主張をなほ一層明確ならしめる為めに、私
は他の両端であるところのコンミユニズムと非統制的なる資
本主義を以ては、日本の改造は断じて達せられ得ないことを
論じて置かうと思ふ。
 いかなる主張も、歴史的に或る情勢の上に主張せられるも
のでなければならない。すペての時代を通じ、すべての情勢
に適当するといふやうな政治的主張は、存在する筈がない。
現にマルキシズムを主張するものは、現代日本の改造を指導
する原理として、マルキシズムが最適だと考へてゐるのであ
らう。然らばマルキシズムを継承したと称する我が国最左翼
のコンミユニズム運動は、果して現代日本の困難を救済する
ものであるか。私は今の場合最左翼の理論が理論的に正しい
かとか弁証法的唯物論の哲学がどうだとかをいふ空問題を考
へようとは思はない。最左翼に属するものは結局一個の観念
論者であつて、それらの閑問題に精力を消耗せしめはするも
ののこの理論を実行した結果日本の民衆生活は何処へ行くか
の具体問題を考へてゐない。
 私は敢て批評しようと思ふ。コンミユニズムの理想はどれ
だけ結構なものであつても我々の顧慮するところではない。
我々の語るのは、百万年後の遠い将来のことではなくて、半
世紀乃至一、二世紀後の日本の生活のことだ。三、四世紀も
さきのことだといふならば、我々はもはやその主張に耳を傾
けないでよいことである。さて日本をコンミユニズスム化する
とはいかなることであるか。日本とロシアとを連結して一の
ブロックをつくり、そこに共同支配の物質生活を営むことで
ある。然るにそのブロックの主となるべきロシアの物質生活
はいかなるものであるか。五箇年計画が成功したにしてもロ
シアの物質生活はなほ根本的に救済せられず、金融も恢復せ
られないから、世界経済生活の上に依然として貧困の地位を
守らなければならない.これに比較すれば、日本の資本主義
は高い発達を示してゐるし、その物質生活もまた大いに幸福
である。然らばロシアのブロックに投じて両者の間に共通の
物質生活を営むことは、日本を貧窮化せしめ、日本の生活困
難を一層深化せしめることに外ならない。一の失業問魅を解
決するにしても、ロシアと連結するよりは満洲国と連結する
方が遙かに有利であらう。かくして最左翼のコンミユニズム
運動は、観念論者の妄動であつて、日本改造の歴史的観点よ
りすれば、何の価値をも持つことの出来ないものだ。日本の
民衆は、最左翼運動が全然無価値であることに就いて徹底窮
極的の確信を持たなければならない。これに反対するコンミ
ユニストがあるとすれば、私はその人と何程でも徹底的に論
争することを避けるものではない。
 理想をコンミユニズムに置くが、官権による抑圧の苛厳で
ある日本の現段階としては、この程度のカムフラアジユせら
れたマルキシズムを主張するより外はないとしてゐる旧労働
党的(現在の大衆党の一部)見解もまた我々の諒解し得ない
ものである。コンミユニズムに対する抑圧の苛厳であること
は、日本の特殊事情ではなく、コンミユニズムの理論より必
至の情勢であらう。そしてコンミユニズム運動は、その苛厳
なる抑圧の原因となる制度を突破する運動である筈だ。然ら
ばいかなる弾圧があるにせよ、その弾圧に抗して最左翼的に
活動することこそは真正のコンミユニズム運動であらう。抑
圧に対しカムフラアジユした運動とは、結局は緩慢なる運
動、勢力の微弱なる運動を意味する。かうした安全地帯に身
を置きつゝ内心ではコンミユニズムを信奉してゐるやうなこ
とをいふ強がり屋の卑怯極まる態度を、私は唾棄しようと思
ふ。中間主義は成立しない。車は、車の上にのつてゐて推し
ても進まない。車を進ましめるものは、先づ地上に降り、然
る後に車を推せ。中間主義者は、最左翼に赴くことによつて
自らを清算すべきである。
 以上の如くにして最左翼主義や中間主義のコンミユニズム
は現在の日本を救済する道ではなかつたが、私はまた次に非
統制の資本主義もまた日本の生活を進展せしめる所以でない
ことを高調しようと思ふ。非統制の資本主義とは、現在の日
本の資本主義の如くに、資本家はその企業の方向分量に関し
自己の欲するところに随つて活動するところのそれを意味す
る。この資本主義の将来もまた甚だ危険なるものであると思
ふ。日本の資本力は、米国の資本力に及ばない。日本の大計
画事業を遂行しようと思へば、外資即ち主としては米国の資
本を輸入せしめなければならない。またよくその出資を日本
の銀行に仰いだとしても、その事業計画が大規模となるに随
ひ、事実上日本の銀行は米国の銀行に再保証を求めるやうな
状態となるであらう。その結果として、日本の経済生活は、
今度はロシアのブロックに所属する代りに米国のブロックに
所属することゝなる。資本主義の高度に発達した米国のブロ
ックに所属して、徹頭徹尾米国の金融家に支配せられる日本
の国民生活を考へて見よ。我々はこの生活を幸福であるとは
言ふことは出来ない。一体人々は一国が一国を支配すること
を政治的にだけ考へてゐて、経済的に考へてゐない。併し経
済的の支配こそは、政治的の支配にも超えて、優勢であり、
また決定的なるものである。現在の如き非統制的なる資本主
義の将来は、米国ブロックへの所属以外の結果を齎らすもの
ではない。
 斯くして私は断じていふ、最左翼のコンミユニズム運動も
最右翼の非統制資本主義即ち自由競争資本主義も共に将来日
本の生活を幸福ならしめるものではなく、一は日本を貧窮化
するし、他は日本を金融奴隷化するものである。日本は必ら
ず統制国民主義の根本態度を取らなければならない。

  七 日本の経済は何処へ行く

 日本は何処へ行くか。日本は存立出来るかを前提とすると
ころのこの問題を解決しようとして、その日本の民衆である
ところの私は、また自然に日本を何処へ行かしめなければな
らないかを論じてゐた。日本をして行かしめなければならな
いところこそは、日本が行くところのものである。私はなほ次
にその将来日本の生活の経済的、政治的、教育的部面を細論し
ようと思ふ。こゝでもまた、それらの部面が何処へ行くかは、
それらの部面を何処へ行かしめるか、の問題になつてゐる。
 第一に、日本の経済は何処へ行くか。経済について私は既
にやゝ詳しく論じておいた。要するにそれは国民的統制の経
済でなければならないし、また国家存立の必要上、将来必ら
ずそれになると私は信ずるのである。内容は既に書いたから
単に項目的に列挙するならば、第一には、自足自給の方針を
以て産業各部面の発達の方向と分量とを統制することであ
る。第二には、銀行の運用を少数金融家の手にゆだねず、こ
れを国民化することである。第三には、生産に於ける資本家
と労働者の階級的対立に社会改造運動の主力を置かず、両者
は寧ろ生産者としてその利害を共通的ならしめ、その上に全
支配力をふるふ金融家に、共同対抗することである。一産業
部門内の階級的対立の問題は、右の如き共同戦線が成立した
後、労資双方側より選出組織せられた産業委員会により解決
せられなければならない。生産者が金融を支配し得た場合に
は、国民への分配は簿記的に果たされ得るが故に、戦闘的な
所謂労働争議は必要でなくなる。労働争議は、生産者の共同
戦線内に於ける勢力の濫費でもあれば、また生産が未組織的
であることの表現でもあるのだ。
 私はなは第四として、人口の制限を主張したい。非統制的
な人口増殖は国民の力を増大せしめる所以のものではない。
第五に、国民の食糧に対して統制方策を建てなければならな
い。国民の営養政策は、今日まで少しも顧みられてゐなかつ
たものに属する。第六に、都市区域の無制限な膨脹を制限し
なければならない。日本の都会は甚だ不経済に横にだけ膨脹
し、縦に膨脹してゐない。かくして農業地域を益々減少せし
めるし、また原生産的な農民精神を頽廃せしめて徒らに投機
的空気を醸成せしめてゐる。第七に、之に関連して、消費生
産組合を発達せしめなければならない。商品が出来るだけ仲
買人の手を経ない様になれば、都会は縮少せられるし、農民
もまた救済せられる.

  八 日本の政治は何処へ行く

 次に、日本の政治は何処へ行くか。
 政友会と民政党とが互に交替して政治を運用する現在の状
態は、日本の生活を幸福ならしめないだけではなく、寧ろこ
れを不幸のものにしてゐる。経済を離れた政治はない。政治
は経済の上に何等かの統制を加へ、その統制せられた経済を
通じて国民の物質生活の上に寄与するところのものである。
併し今日の経済界は、経済自体を以て一の鞏固な組織をつく
つてゐるものであるから、好況となるも不況となるも、その
原因は経済自体が固有するものであり、内閣がかはつた位の
ことで左右せられるものではない。然らば内閣の交迭は財界
に全く無影響であるかといへば、さうではない。経済の外的
表現は金融であり、その金融の動揺は財界に最も大いなる影
響を与へるのだ。それ故に国民経済を幸福ならしめる為めに
は、第一に金融を安定化せしめなければならない。金融の安
定は、国民生活の安定である。然るに政友、民政の交替は事
実的にいかなる現象を生ぜしめるかといへば、通貨の膨脹と
収縮とであつて、今収縮せしめられたばかりの通貨が内閣の
交迭と共に、膨脹せしめられ、またその内閣の瓦壊と共に収
縮せしめられるといふやうのことであつては、内閣の交迭ほ
ど金融の安定を攪乱するものはなく、随つて国民生活を不幸
にするものはないのである。勿論金融は金融自身の組織を持
つから、内閣が通貨膨脹政策を取らうと思つても、その事情
の備らない限り、容易には膨脹せしめられるものでない。併
し少なくも内閣の交迭はこの方向への景気をつくり、結局に
於いては膨脹せしめられるやうのことになるのである。政民
両当[ママ]の対立こそは、現に国民生活を一層不幸ならしめてゐる
有力な障害物なのだ。
 然らば無産党は如何。無産党は普選当初こそ進歩的な国民
より期待せられたが、その後の行動はこれらの進歩分子にさ
へ倦怠と失望とを与へるものに隋落[ママ]してしまつた。無産党の
分裂病は、労働組合の対立以来不治の病気にまで生長した。
何人かがその合同を策したとしても、現在の無産党の後身を
以ては合同は絶対に不可能であるし、またよしその合同を果
したとしても、勢力はすでに消耗せられて居り、果敢な戦闘
力を持たない。また無産党の左翼はマルキシスムといふ理論
を持つが、その右翼は全く無理論のものになつてゐる。偶々
右翼が理論を持つたとすれば、国家社会主義といふ如き中途
半端のものであつて、根本的にはマルキシズムより離れてゐ
ない。結局右翼は生ぬるいマルキシストであり、その取る反
コンミユニズムの旗印を完全に説明し得ない。大衆党の各分
子が社会党を嘲笑するとしても、結局は目糞、鼻糞をわらふ
の類であつて、我々は両者の間に何の区別をも見ることが出
来ない。無産党は、どれだけ勇敢になつても、反資本主義の
旗印だけはおろせないやうな運命に置かれてゐるが、このこ
とこそは無産党を壊滅せしめる癌なのだ。反資本主義は、も
はや現在の社会的国民的の情勢に適しない標樺となつてゐ
る。世界はそれ程変転してゐるのであるが、名目主義に捕は
れた無産党は、依然たる旧夢を貪つてゐるのだ。
 三反主義を取る新党は、その三反主義を以て実質的には如
何なる立場を取らうといふのであるか。これもまた資本主義
に反対して国家社会主義を取らうといふものゝ如くに見える
が、反資本主義と国家社会主義との誤謬であることは、既に
論じた通りである。その他新らたに組織せられた無産党類似
の諸小党は、みな国家社会主義的の誤謬に陥つてゐるのだ。
日本主義を標榜する諸団体は沢山にあるが、これらはまた空
漠たる精神主義を標榜するだけで、国民の物質生活を幸福に
するための基礎原理を持たず、またそれを考へようとさへし
てゐない。

  九 統制国民主義ヘ

 ファッショは現下の問題だ。日本にもそのファッショの空
気の興隆したことだけは争はれない。併し特にファッショを
標榜して立つた政党といふものはない。然らば今後ファッシ
ョは、独立の政党として組織せられるであらうか。何人もさ
うした政党が組織せられないとは断言することが出来まい。
満洲事変が或る程度の解決を得た時には、我が国にもファッ
ショ的政党運動は相当の勢力を以て興隆して来るのではない
かとさへ私は予想しないでもない。その政党運動はとにかく
として、現に×[伏せ字]部内に於けるファッショ的情熱の旺盛である
ことは、最も注目せらるべき現象であらう。
 併し少なくも情勢は変化した。旧自由主義も旧マルキシズ
ムも現下の情勢を論ずるには、全く無力の骨董品になつてゐ
る。ジャーナリズムが依然としてその旧堡砦を守つてゐるこ
とは、ジャーナリズムにも似合はしからぬ保守的態度であつ
て、現下の情勢に対応する感覚を麻痺せしめてゐるものとい
はなければならない。現に国情は、古い知識の定石を似ては
観測せられがたいものとなつた。併しいかなる現象にも、法
則は絶対に欠除してゐるのではない。古い見方の定石は無力
であつても、新らしい見方の定石を以ては、社会現象はやは
り一の必然的な法則的進展をなしてゐるのだ。私は、今後興
る政党は、既成政党や無産党の立場より完全に解放せられ、
旧自由主義と旧マルキシズム、及びそれの変歪せられた形式
のものを基礎理解とせずに、統制国民主義の統一的理論の上
に立脚した政党であることを信じてゐる。それは日本の存立
を目標とした政党であり、日本の物質.生活を安定幸福ならし
めると同時にその民族の歴史的精神を恢復するところの政党
なのだ。マルキシズムは唯物論の上に立脚したが、社会の弁
証法的進展を信ずるならば、誰れか近い将来に於いて、観念
論的傾向がこれに対立して興ることを否定し得よう。併し真
の立場は両者の止場にある。物質を救済すると周時に精神を
見失はない立場こそは、国民の真に求めるところのものなの
だ。

  十 日本の教育は何処へ行く

 最後に、日本の教育は何処へ行くか.
 日本の教育は、今や一の行き詰まりに際会しつゝある。入
学を希望するものに全く異常といつてよい入学難があり、卒
業したものに全く絶望的な就職難がある。その入学に勝利を
占める為めに、学校の教育はただ入学準備を目標とした教育
となつて堕落するし、就職難あるが故に学生は何の為めにそ
の学校に入学したか分らないことになつてしまふのだ。その
入学難を緩和しようと思へば学校を増設するより外はない
が、今でさへこれ程の就職難を前にしてゐる学校を増設した
結果は、一体どうなるといふのであるか。日本の教育は現に
行き詰まりになつてゐると私がいふのはそれなのだ。
 教育制度には、今や根本的の改造が加へられなければなら
ない。この行き詰まりは、日本の教育が学校教育の或る体系
を本幹として取り、成人教育の広汎なる部面を閑却したとこ
ろより来たものである。教育は、この体系立てられた学校制
度の中でだけ行はれるものではないし、また職業を得る為め
には、その学校教育が基準とせられ、これに或る特権が付与
せられるといふものであつてはならない。教育の本幹は所謂
成人教育であつて、学校教育ではない。そして教育は必ずし
も職業の準備となるものではなく、すでに職業を持つたもの
が自己の生活を完成せしめる為めのものなのだ。この見方に
立つて改造せられるのでなければ、就職難を準備せしめる教
育は、結局社会にとつて無用の長物に堕し去るに相違ない。

                         『経済往来』七年四月号