何ぞ進んで世界改造の問題に参与せざる

 近く開かるべき講和会議の問題に関し、我国論壇の一部には欧米の問題は専ら欧米の決定に任かし、日本は主として東洋の諸問題の有力なる決定者たるべしと唱ふるものがある。若し此意味が欧米に於ける個々細目の決定は出来る丈け欧米に譲るの方針を取り、其代り東洋問題の決定は出来る丈け我々の主張を容れて償ふ事としようといふ意味ならば我々は固より同感である。然しながら若し日本が東洋の問題に関する殆んど絶対的の決定権を認めらるゝの代償として、他の欧米方面の問題に関する発言権を犠牲にしてもいゝといふ意味ならば、我々は断じて之に反対せざるを得ない。
 従来の戦争は両立し得ざる利害の衝突から起り、従つて講和も亦両立し得ざる利害関係の一時的な、人為的な、又弥縫的な技巧的調停に依つてなされたのであつた。今度の戦争、従つて又之を終結すべき講和談判も右の如き性質のものであるならば、欧米の問題は之を欧米人の決定に委し、我は独り東洋の問題に対する優良なる発言権を獲得すべしといふは極めて適切の議論である。然しながら今度の戦争は固より其直接の起りは利害の衝突であつたけれども、漸次其の性質を変じて正義と侵略との争となつた。従つて今度の講和会議は単に利害の調節のみを以て終るものでは無い。否、寧ろ之は附随の事業ともいふべきであつて、主として攻究せらるゝのは、永久平和の保障を目的とする世界改造の問題でなければならない。果して然らば之れ最早や欧米人のみの問題ではなくして総ての世界人類の共同の大問題である。少くとも今度の戦争に参加した総べての国家の平等に発言権を主張し得べき問題である。単に利害の調節のみを目的とするものであるならば、講和会議に於ける発言権の範囲と程度とは自ら各国家の今度の戦争に対する実際的努力の夫によつて定らなければならない。其の方面も無論ある。然し乍ら少くとも世界改造の大問題に於ては、南米の小国と英米等の大国との間に決して発言権の軽重の別あるを許さない。只事実会議の席上に於て特に或国の発言が重きをなすと云ふ事はあらう。只其の重きをなす所以は断じて強大なる国家を背景とするが為めではない。講和使臣其人の人格と、彼の代表する国民の精神的品格が実に其の発言を重からしむるものでなければならない。
 斯くして我日本は世界改造の大問題に対して英米と全く同等の発言権を有して居る。而して我政府当局と国民とは果して此点に関して明確なる意識を有つて居るであらうか。此頃は斯んな馬鹿なことを云ふものが余りなくなつたが、一時は我国の戦争参加が専ら日英同盟の誼による、而かも地中海に貴重なる艦隊を送つたのは何の根拠に由るかなど、説くものすらあつた。而して地中海艦隊派遣其他種々の方法に由つて現に欧洲の真中の戦争に参加して居りながら、今尚世界の問題に対する我れ自らの発言権を十分意識せざるものあるは寔に慨嘆に堪へない。之には世界の真中に於ける帝国軍隊の花々しき活動を、何等正当の理由なくして殊更らに秘密にして居つた当局も悪い。然し罪の源は要するに国民の世界的同感の極めて浅薄なるに帰せなければならない。福田博士の如きは今年夏頃から日本の須らく進んで講和を提議すべきを主張して居られたけれども、世界的同感の背景を欠く我国民の間に何等の反響が無かつたのは怪むに足らない。現在の日本国民が後備(あとぞな)へとなつて居るのでは、博士の達見も嘸(さ)ぞ心細い事であらう。
 併し問題はいよ/\具体的になつて来た。国民の精神的準備の熟否如何に拘はらず、世界改造の問題は遠からずして吾人の眼前に提供せらるゝ。遅蒔きながら我々は全力を尽くして此点に国民の覚醒を促さなければならない。講和問題に関する各般の準備事項も亦此見地を根本として攻究せられなければならない。若し夫れ講和大使の人選に至つては、須らく一に此見地に依るべきは論を俟たざる所である。今度の談判は支那の李鴻章や露西亜のウイッテを相手とするのとは事が違ふ。樽俎折衝の間に君命を辱めずといふと、如何にも外、辞令に巧みにして、内、深智遠謀を蔵するの、謂はゞ腕の冴えた喰へぬ奴を適任者とすべきが如きも、廿世紀の新時代に於ける講和大使としては之れ丈けでは足りない。何よりも大事な資格は広汎なる文化的修養と敬虔なる道徳的品性とを結び付け、而かも世界の思想に透徹したる理解を有し、あらゆる問題に最も高尚なる見識を有す人物でなければならない。

                       〔『中央公論』一九一八年一二月〕