山本内閣と普選断行  『中央公論』一九二三年一一月

 山本内閣は今度の議会に普選案を提出すると云ふ。のみならず来年の総選挙は普選で行く堅い決心だと云ふ。首相代理としての後藤内務大臣の法制審議会に於ける答弁は、キビキビして痛快を極めて居る。多年国民の要望して居つた普通選挙も、愈々今度実現を見るらしい。併しこれ山本内閣の功と云はんよりは寧ろ時勢の賜(たまもの)と見るべきは論を俟たない。
 世間ではよく普通選挙が政党内閣によつて産れずして超然内閣によつて始めて行はる、に至れるを、不思議だと云ふ。形の上では成程不思議であるが、我国の政界の実状から云へば不思議でも何でもない。買収請托等によつて辛じて多数を集めてゐる政党が、選挙権の拡張を喜ばざるは明々白々の道理で、普選の実行を我国の政党内閣に期待するの、木に縁つて魚を求むるの類たる事は、僕の本誌に於て何遍となく説いた所であつた。若し政党にして普選を説くものありとすれば、そは皆現状打破によつて新運命を開かねばならぬ境遇にある少数党に限る。多数党が普通選挙を云ふのは時勢に推され民衆に阿るので、真の腹ではない。故に我国に於て普選の実行は、実際問題としては、現状打破を利益とする政府に望むの外はなかつた。而して憲政会や革新倶楽部は単独で天下をとるの力はない。偶々旧式の山本超然内閣が現はれ、之が来るべき政戦に政友会と相対略せんとするに当り、武器を普選に択んだのは、極めて利巧な戦略だが、又極めて自然な陣立でもある。
 僕は普選提案を以て、先づ山本内閣の一戦略と見る。併し元来普通選挙は憲政の根軸をなす貴重な原則で、政争の掛け引きに利用せらるべき筈のものではない。山本内閣が之によつて政争上の如何なる便宜を得やうが得まいが、普通選挙は之に拘らず独立の存在理由を有する。どうせ行はれるものなら、斯う云ふそれ自身の目的に適ふやうに施行せられん事を冀ふのであるが、戦略として之を採用せる疑ある山本内閣は、果して如何なる待遇をその掲ぐる所の普選に与ふるであらうか。この点に我々は最も細密なる監視を必要とする。普通選挙を制度として実現せしめたからとて、それだけで彼を謳歌するのは早過ぎる。


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 一説に曰く、山本内閣は成立の当初非常時に於ける奮起を理由として各政党の好意的援助を求めた。否寧ろ強要した。他の党派の事は暫く置く。流石に政友会は体よく之をはねつけた。併し何と云つても議会に絶対多数を制する政友会を敵に廻しては仕事がやり難い。そこで政府部内の策士は桂公の古智に学んで一種の因縁をつけやうと試みたが、原敬なき政友会は石にも噛り付くの辛棒がなく、オメ/\政府の誘ひに応じないのが大政党の面目だなどと威張る。斯うした態度に対抗すべく発見された武器が普選の断行だ、と。
 蓋し前にも述べた如く、普選の断行は政友会にとつて一番の苦手だ。政府としては、その断行の上に政友会の地盤を崩すの可能性を認めて居るが、併し之を恐れて政友会が折れて来るなら之又面倒がなくて誠に結構だ。政友会が折れてよし、折れなくてよし、兎に角政府が政友会を向ふに廻して思ふ存分その経綸を続け行ひ得るが為めには、どうしても普選を旗印にせねばならないのである。斯う見れば政府の戦術は誠に巧妙を極めて居り、従つて又政友会が昨今周章狼狽を極めて居る様も理解出来るが、併し乍ら我々のこゝに大いに憂ふる所は、斯くして普選が、政界の情偽の為めに縦横無尽に弄ばれると云ふ点である。政府の都合がどうあらうが、我々国民は憲政の完美を冀ふ立場からして、一旦纜(ともづな)を切られた普選が、何物からも妨げられずに、その当然の目的地に達する様希望せねばならぬ。


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 山本内閣が一切の情誼を排し、又あらゆる障害と戦つて、遂に普選を断行したとする。それで我々は安心し得るかと云ふに必ずしもさうではない。更に我々は断然実施した普選を、彼が来るべき総選挙に如何に利用するかを監視するの必要がある。僕は先きに政友会の地盤を崩すに普選は屈強の武器だと云つた。若し政府が政友会の地盤を崩すに急なるの余り新選拳法を不当に利用するが如きあらばこれ政友会の犯せる従来の過りを、更に大規模に繰返すものに外ならずして、無辜の新権利者は道徳的訓練の機会を奪はれ、政界の混濁は益々甚しきを加ふるに至るだらう。斯くては普選を実行しても何にもならない。普選は何の為めに実行するか。単に当然の権利を広く一般民衆に及ぼすと云ふだけではない。従来の選挙権者は余りに深く政党と悪因縁を結んで居るとし、その穢風に染まざる新鮮分子を奮起せしむる事によつて、政界を廓清し、又腐敗手段以外の方法に依ての政治家と民衆との接触交渉を頻繁にし、以て国民の向上発達を促す所にある。この趣意を徹底するでなければ、否この趣意を蹂躙するが如き事あらば、仮令普選の実現に尽力したとしても、彼は遂に普選の敵たるを免れない。


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 斯くして我々は、普選断行と云ふ歴史的名誉を荷ふべき山本内閣に向つて、更にその有終の美を済すべく、来る総選挙に之を最も忠実に利用せられん事を希望せざるを得ない。新聞の報道する所によれば、政府では納税資格の撤廃に伴つて、選挙区制や罰則等に就いても周到なる改革を加へんとするものの如くである。此所に若干普選に対する誠意の認められぬではないが、併し愈々実際に之を適用する段になれば、どうなるか分らない。手心によつて左右さる、余地は大いにある。一つには政府に警告し、又一つには国民と共に監視を怠らざらんとする所以である。