悪者扱さるゝ私



 某日さる私立大学の学生数名の来訪を受けた。此人達はこの夏私が故ありて朝日新聞社を辞した時すぐ私の宅を訪ねて其の大学へ講義に来て呉れぬかと多数の学生を代表して懇請に来られた方々である。其時私ははツきりした御答をしなかつたが強て御辞りしたといふ訳でもなかつた。其後夏休みも過ぎて何の音沙汰が無かつたが、今度突然また同じ顔触れの諸君が来訪されたのである。色々面白い雑談を交へたが要件は頗る簡単だ。曰く、学生達は先生の御出講を熱望してゐますけれども何分学校当局者は承知して呉れません。本校は資本家の寄附を仰いで成立つて居るのだから吉野博士の様な危険人物を招聘しては学校が立ち行かないといふのですと。
 資本家の鼻息を窺て辛うじて成立つて往くといふ学枚も変なものだが、学校の当局者までが招聘すべき学者の鑑別に斯くまで軽卒だとは一寸呆れて物は云へない。御招きを受けると受けざるとは私に於て何等痛痒を感じないが、人を議するなら少しは私の書いたものでも読んで見たら良からう。所謂風声鶴唳に神経を尖らすことの余りに甚しき最近の世情は、危険人物共ものよりも一層危険な現象である。
 若し夫れ為にする所ある者より蒙らさるゝ私の悪声に至ては、不快を催すと云ふを通り越して寧ろ滑稽なのが多い。何とかいふ陸軍少将はよく田舎を講演し廻つて、私が露西亜より金を貰て居ると公言するとやら。又先輩の某博士は確なる筋よりの内報として、私が亜米利加から金の供給を受け陰に各方面の社会運動を助成して居ると、去る人に告げたのを聞いたこともある。某省の公文の一つに、私が屡々某国公使と会見し我国政界の内情を通報して居るとかいふ一項のあつたことも知つて居る。一部の人の間には私を謀叛人の大将のやうに思つて居る向もある様だが、悪評も此処まで来ると腹が立たなくなる。
 友人某君最近『軍事警察雑誌』といふを送つて呉れた。憲兵とかの機関雑誌だとか、詳しいことは知らぬ。送られた本年一月号を見ると、中に野村昌靖といふ人の作琵琶歌「甘槽大尉」といふのが載つてある。文字の素養なき人と見えて歌は頗る拙い。只私に関係がある様に思ふから爰に引く。先づ一方に甘粕大尉の為人(ひととなり)を極度に讃美し、他方に「社会主義又共産主義や、無政府主義にデモクラシー」の勃興を嘆ずる。其頭目の大過境(おおすぎさかえ)は、同志を糾合し革命的手段に訴へて国基を覆へさんと謀つたのだが、之を探知せる甘槽は「国家を思ふ鉄石心、思ひ迫りて止みがたく」、遂に彼を手に掛けた。夫れから彼は「其場に座して胸寛(ひろ)げ、軍刀引抜き逆手に持ち、宮居の方を伏し拝み、犯せる罪科拝謝して、腹掻切つて死せんとせしを」、同腹の盛(もり)曹長は抱き止めて刀を奪ひ取り、自分も同じ覚悟だが時期まだ早い、「早まり給うな大尉殿、大過夫妻のみにては、主義者の根絶思ひもよらず、博士阿久森始めとし、残党どもの根を絶やし、其後死なんも遅からじ、しばしの命ながらへて、後図を計り給はんや」と忠告した。そこで大尉もげに尤もと恥を忍んで一時犯跡をくらましたのだといふのである。全体の調子や之を軍人の公会に節面白く歌ひ聞かせるの事実などにも言ひたいことは沢山あるが略する。私としては吉野を博士悪森ともぢツたことに微苦笑を禁じ得ない。
 斯程(かほど)までに悪者にされて居るのだから、私立大学に嫌がらるゝ位は当然の話だ。寧ろ今日怪我もせずに無事に活きてゐる丈を僥倖とすべきであらう。

              〔『文化生活の基礎』一九二四年二月〕