国際問題の処理に関する驚くべき無智と無責任
国際問題の処理に関し、私共は今日程無智無責任の甚しい時代は嘗てなかつたと考へて居る。
日本が海外諸国交通し始めたのは、もと左う久しいことではない。従て所謂外交を有つ様になつたのも比較的新しい事だ。而して其の短い時期に於てすら、顧れば随分と失態を演じたのだが、併しその孰れの失態を挙げたつて、最近の夫れ程に醜と拙とを極むるものはない。年と共に進歩するといふが総ての物の通則なるに、外交のみは独り我国に於て儼乎たる一例外をなして居るのが妙だ。
失態の一つの原因は、云ふまでもなく世界の形勢に関する当局の驚くべき無智である。当局の総てを無智と誣うるを穏ならずとせば、驚くべき程極度に無智なる一部の当局(例へば軍閥)の意見を外交界に跋扈せしむることだと云つても可い、之等の事実は別に証明を要するまでもなく明白だが、余りにヒドいから一つだけ例を挙げて置かう。そは先般世間の論評に上つた武器問題に関する当局の打算の大過誤である。長春会議に於て、我国は武器の獲得に垂涎措く能はざるチタ側の腹を見透した積りで、大に彼を譲らしめ得べしと期待したのであつた。そして愚図々々するなら武器は浦塩の白軍側にやつて仕舞うぞと豪語したのであつた。口善悪(くちさが)なき俗人は白軍に武器を遣りたいばッかりに長春会議の順調なる進行を妨げたとすら云ふ者もあつた。少くとも其の決裂を聞いて大に愁眉を開いた者のある事実は疑ふことを得ない。斯かる期望の是非は暫く措き、所謂白軍なるものに若干の期待をおきし之等の打算には、抑(そもそも)何の拠る所があつたのであらうか。長春会議の決裂後間もなく、帝国駐箚軍隊の未だ撤退を了せざるに、所謂浦塩政権なるものは見る影もなく潰散して、白軍の残塁意外に脆弱なることを示したではないか。為に帝国政府は武器を交附すべき相手を喪ひ、去れば卜て先の声明の手前今更赤軍にやるといふ訳にも行かず、「放棄」の二字に辛くも面目を立てた積りで、而かも周囲の憫笑の裡に、引き上げねばならぬ羽目に陥つたではないか。而して斯の如きもの皆責任ある当局者が赤白両派の勢力の判定を根本的に誤つた結果ではないか。
更に遡つて寺内々閣が段祺瑞政府の勢力の打算を誤れる、軍閥の巨頭連が欧洲大戦の当初独逸の優勢を誤信せる如き、算へ来れば際限はない。近くは張作霖の勢力を盲信し、之を後援するの意味に於て北京に於ける借款問題に断乎たる態度を示さず、為に英米と歩調を一にせずといふが如き、亦私(ひそか)に恐る、形勢の誤診よりして復び救ひ難き窮地に陥るなからんかを。
我国外交の歴史に由来失敗の跡は頗る多い。併し其の多くは無智なる民間の盲論に累されたるに因し、当局の聡明辛うじて之を甚しからざるに救ふたことを常とする。今や形勢は全く之に反し、民間の世界的智識漸く聡明を開けるに拘らず、廟堂の君子ひとり著しく蒙昧を極むる様になつたのは、誠に不思議の現象と謂はねばならぬ。
若し夫れ失態に対する責任感念の欠如に至ては言語道断といふの外はない。西伯利の出征、金だけでも十数億は使づた筈だ。得る所は日本民族に対する不信と怨恨とのみ。而かも其の基く所は当局の誤算専ら重きに居るのに、彼等は恬として恥ぢる所なからんとする。私かに思ふに、彼等いまだ其の迷夢より覚めず、其の企劃せる所、仮令失敗に帰しても、帝国の為に努めたるの誠意は以て誇るに足ると考へて居るのではあるまいか。若しさうなら、彼等に事を托するは益々剣呑の沙汰だと謂はなくてはならない。
我々はこの糺弾に於て現加藤内閣を主ら攻めんとする意思はない。同じ過誤は政友会内閣も其前の寺内々閣も大隈内閣も一様に冒したのだ。否之を後援した議員は固より、或点まで之を黙認した国民も全く責なしと謂ふを得ぬと考へる。何れにしても我々は最近余りに屡々繰り返した苦い経験に鑑み、世界の形勢にもつと聡明を開かうではないか。殊に東北亜細亜諸国の形勢に付ては、一層戒心して事実を有の儘に観且つ受取り、一切の偏僻から脱れようではないか。而して偏僻頑迷に加ふるに邪視盲聴を国民に強い、其の大に誤れる形勢の打算に基いて各種の企劃を樹つる者に対しては、鼓を鳴らして排斥の陣を張らうではないか。
而して我等の敵は果して何処に在りや。読者の慎慮を促す所以である。
〔『中央公論』一九二二年一二月〕