台湾に於ける共学の実施
植民地の教育制度が内地人と土人とを別々の学校に於て別々の教育を授けて居つたといふ事が不合理の甚だしいものであるといふ事は、予(か)ね/"\吾々の主張する所である。朝鮮に於ても台湾に於ても、之れと反対の方針が行はれて居つた事は、吾々の非常に遺憾とする所であつた。無論実際問題としては種々の不便もあらうけれども、根本の原則として之を許さない。或は表面之を許しても、而かも実際之に大いなる不便を与へて居るといふ事は、とんでもない間違であつたと思ふ。然し植民地に於ける子弟は、其植民地に於て土人と事を共にして、国家社会の発達に貢献すべき使命を有つて居るものである。此使命を完うする為めには、自ら相当の方法を以て土人に接しなければならぬ。而して此考は大事な教育時代に於て受くべきが当然である。然るを学校に於て子供が全然土人と隔離されて居るといふ事は、内地人に向つては植民地住民としての最も大切な資格の訓練を拒まるる事であり、土人に向つては内地人を理解し内地人と提携するの訓練から絶対に遠ざけらるる事である。双方に向つて最も必要な資格を奪ひ、最も其境遇に不適当な人間を作る結果になる。そこで植民地の教育方針は、少くとも其根本方針に於ては、共学主義でなければならない。それを従来の植民地統治者が全然実行しなかつた許りでなく、却つて其反対の傾向を取つて居つたのは、官僚的専制思想より来るとんでもない謬りである。然るに新聞の報道する所に拠れば、最近台湾に於て共学の制度の一部実行を見るに至つたと聞くのは、吾々の大いに欣ぶ所である。即ち内地人が台湾人の学校に入る事も、台湾人が内地人の学校に入る事広も道が拓けたのである。唯少しく遺憾とするのは、之に就いて種々面倒な条件がある事である。吾々は之を手始めに更に共学自由の範囲を拡張し、尚ほ一歩進めて全然同一の制度の下に統一せられん事を希望する。少くとも主義に於ては完全なる一視同仁を教育上に実現すべきであると考へる。此事は朝鮮に就ても同様である。
〔『中央公論』一九二〇年二月〕