支那と露西亜と日本
支那の国民軍は露西亜の援助を受けて居る。同じく露の援助の下に優勢を謳はるる広東の一味は、昨今北上して遠く国民軍と聯絡せんとするものの如くである。国民軍は呉張聯合軍に追ひ詰められて遠く西北の一隅に屏息して居る形にはなつて居るが、全く之を剿滅するの不可能な事は云ふまでもなく、早晩勢を盛り返して却て主客顛倒の形勢に変らぬとも限らない。而して支那の青年の大多数が挙つて呉張以下軍閥の専恣横暴を憎むこと甚しく、心中切に国民軍の頽勢挽回を祷(いの)り、更に進んでその大に成功するあらんことを冀望しつゝあるは明白なる事実である。之は我国将来の利害に取て如何の関係を有するか。孰れにしても、我々の之を好むと好まざるとに拘らず、支那の事変は今日正に右述ぶる如き実状を呈して居るのである。
国民軍が援助を背後の露西亜に求むるの事実を見て、その赤化を憤る人がある。先づ赤化を求めて後ち援助を得ることになつたのか、援助を得た結果自然と赤化するやうになつたのか、其辺はまだよく分らぬが、一方にはまた、援助は受けたが赤化はしないといふ説もある。此説も実は一応疑つて見るの必要はあると思ふ。強て支那の赤化を掩(かば)うてやる必要はないが、事態を正しく理解する為に、一応斯く疑つて見るのは、我々に必要な筈だ。何となれば我々も過去に於て同じ様な関係を支那と有つたことがあるからである。
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日本も昔し支那の革命党を大に助けたことがある。助けた人達の腹を割つて見れば、真に革命に同情せるもあり、面白半分なるもあり、為にする所あつての上のもあり、また実は日本そのものの為に図らんとするものもあつたらう。併し支那側の人達は、唯単に自分達を援けるといふ仁侠的同情の外何物もないと信じて、快く各種の援助を受けたのであつた。斯くして日本と支那の革命青年との関係は段々深くなつて行く。支那の青年が第一革命に成功したのも、一に日本の援助があつたからではないか。之れ程深い関係あつたに拘らず、其後の日本の態度が少しく変になると、彼等はすぐ自分達を利用するんだと疑ひ出し、飜然としてその態度を一変した。以来彼等は日本の一挙一動に極度の猜疑を寄せ、昔日あれ程の厚情を受けたに拘らず、今は忘恩と罵らるるまでの反抗的態度を我々に示す様になつた。於是私は思ふ、彼等は余りに自国本位的である、どんな援助を他に受けても、結局自家の立場は毫末も譲らぬといふが彼等の真面目であると。此点に於て日本は寧ろまんまと彼等に利用せられたわけになる。今日彼等の露国より受くる援助の程度は、到底昔日日本より得た大援助とは比較になるまい。我に対してすら遂に自国の立場を失はなかつた彼等が、今日少し許の援助を得たのに喜んで一から十まで露西亜のいふことを聴くとは、どうしても考へられない。斯うした関係に基いて露西亜が新に種々の便宜を獲得することはあらう。が、之に由て露西亜が支那を完全に自家薬籠中のものたらしめ得べしと考ふるは、支那を知らざるの甚しきものである。昨今の露支関係を論ずるものが、過去に於て我々の嘗めたあの苦い経験を少しも反省しないのは、如何したものだらうか。
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支那の青年が昨今露西亜に同情を寄するの事実も亦蔽ひ難い。併し之を以て彼等が自国の露西亜の如くならんことを欲し、少くとも一にも二にもその指導を蒙らんと欲するものと為すは早計であらう。恐らく今日彼等はまだ十分に露西亜を解しても居まい。而も之に同情を感ずるのは、畢竟国民軍の後援者なるが為めであらう。つまり坊主が好きだから袈裟まで好きなのである。事程左様に国民軍は多数青年の輿望を負うて居ることを看過してはならぬ。而し下それは又何故かといふに、一に軍閥討滅の使命を帯びて起つたと信ぜられて居るからに外ならぬ。事程左様に呉張以下の軍閥は蛇蝎の如く憎み嫌はれて居ることに注意せなくてはならぬ。若し真に軍閥の討滅を図るものなら、そは無条件に国民多数の信望を得る。国民軍たると否とに拘はらないのである。又其事に当る者を現実に援助する者あらん乎、そはまた直に国民の同情を買ひ得る。露西亜たると否とを問はぬのである。故に支那の青年が露西亜に同情を表はすのは、寧ろ軍閥憎悪の反映と観るべきであつて、之が為に支那の赤化を苦慮するは、甚だ失当の見解でないかと考へる。若し夫れ支那の赤化を救はんとの口実の下に、国民軍討伐を標傍する呉張一派に左担するが如きことあらん乎、そが余りに支那青年の熱望を無視するものたるは、多言を要せずして明である。
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国民軍が特に露西亜の援助を甘受して居るの事実から、両者間に於ける思想的連絡を推測するのも、我々の経験に徴してまた容易に肯はれぬ。昔支那の革命運動は、徹頭徹尾日本から援助を仰いだばかりでなく、多数の日本人を聘して其の指揮官とさへした。外国人の眼から見たら、支那人を雇兵とした日本人の仕事と思つたかも知れない。併し之に依て支那の人はどれ丈け我々の希望を容れて呉れたか。一つには日本人側の浅慮の為めもあつたらうが、要するにあれ迄に打込んだ援助も、結局は砂上の楼閣に過ぎなかつたではないか。国民軍の露西亜に対する関係は、果して之とどれ丈け違ふだらうか。
加之強て同情を以て考へれば、国民軍が露西亜の好意にすがつたのにも、若干諒とすべき事情がないでもない。云ふまでもなく、赤手空拳では軍閥は倒せぬ。何処からでも可い、先づ金と武器との豊富なる供給を得なければならぬ。之を得る為めには、少し位の利権の譲与は固より已むを得ぬのである。この点は清末の革命青年に在ても全然同一であつた。而して昔の青年は、この要求の満足を日本に於て充したのだが、今日の日本は、不幸にして支那青年の多数の希望に反し、何れかといへば寧ろ軍閥に好意を表する様に見ゆる(少くとも支那の人々は斯く信じて居るのである)。日本以外を探して見ても何処の国も容易に相談に乗つて呉れぬ。加之国民軍の場合に在ては、其の居る処の地位が遠く海港を離れて居る為め、縦令外国より物資を買つたとしても、途中で反対派から奪取される心配がある(現に馮玉祥は屡々斯の経験を嘗めたと聞く)。さすればどうしても背後の露西亜に秋波を送るの外に途はないのである。此点に於て彼等は、軍資武器の供給を求むるについて、選択の自由が与へられて居ないものと謂はなければならぬ。その反面に於て、彼等の一派が西北の辺境にあゝして活躍を続けて居る以上、何と云つても、露西亜から相当の援助を得て居るの事実は、到底隠すことは出来ぬ。
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斯く考へれば、我々が国民軍と露西亜との連繋に過当の昂奮を感ずるのは、少しく軽卒だと云はなければならぬ。之を怖るべきものとなして呉張一派の軍閥に好意を表するが如きに至つては、啻に無用の業たるのみならず、支那民衆一般の輿望を無視するの甚しきものたるは申すまでもない。無論彼方を助けたり此方に邪魔したり、少しでも干渉の嫌ある行動は此際厳しく慎まなくてはならないが、彼国民衆多数の期する所に対しては、隣国の誼として我々大に尊敬を払ふべき義務がある。わが対支政策は、その重要な一素因としてこの基本に立つべきことを忘れてはならぬ。支那の希望を尊敬し、露西亜とも好誼を進めつゝ東洋に於けるわが日本の立場をも十分に伸ばし得べき方策は、一体立て得ないものであらうか。
〔『中央公論』一九二六年九月〕