対支政策の転回



 過般の政変で段祺瑞一派が脆くも全敗し、所謂親日派は根本的に凋落して再起の望無きものとなつた。代つて立つた直隷派が、噂の如く英米の傀儡か否かは姑く措き、日本の所謂勢力が北京の政界に於て特殊の根柢を失つた事丈けは疑を容れない。今や我々は徒らに諸外国の辣腕を羨望的に兎や角云ふを罷めて、此際如何にして局面を我国の有利に展開すべきやを考ふるの必要に迫られて居る。
 官僚外交の当局者は、段派の滅亡は必ずしも親日派の凋落ではない、と云ふかも知れない。今度の安直両派の争闘に対しても帝国政府は諸外国と共に絶対的中立を表明した。事実に於て我々は決して政争の何れの派にも特別の援助を与へなかつた事は疑無い。従つて段派を以て親日派と云はるゝのは我々の迷惑とする所でなければならない。併し之は形式論で、実は過去に於て帝国は余りに段派援助に深入し過ぎたので、最近時勢の迫る所、已むを得ず方針を変へても已に晩かつた。政府は本気に中立を決心したのだけれども、世間では之を信じない。否、帝国の軍人中にも内々段派を授けるのだと考へたものも少からずある。従つて軍人側の意見では、最後まで段派の勝利を確信して居つたではないか。支那の一部の人が、日本現に段派を援けつゝありと伝へたのは、為めにする所ある流言であつたとしても、肝腎の段派自身が最後まで日本を自派の友と考へて居つたことは、形勢の段々不利となるや曹汝霖の徒をして屡々帝国公使館に足を運ばしめたことによつても分る。支那人が敵味方共に日本を段派の友と見做し、西洋人も亦之を疑はなかつたのだから、最近の中立の声明は実際に於ては何の効果もなかつた。之れ過去に於て余りに深入し過ぎた結果である。而して深入し過ぎた事の結果は、単に之ばかりではない。急に方針を一変することによつて、段派自身からも遂に非常に怨まるゝと云ふ事になる。同じやうな過ちをセミョノフ問題についても之を観るが、下らないものに引つかゝつて飛んでもない馬鹿を見る事が殆んど帝国外交の一特徴をなすの観あるは我々の遺憾とする所である。

 何れにして目下の北京政府には、日本にとつて何等特別の因縁のないものとなつた。最近まで日本はいろ/\の意味に於て外交上優越の地位を占めて居つたが、今や此特権的地位は完全に覆されて、我々は他の諸国と同列に立つて競争せねばならぬ事になつた。事に依ると他の国が特権的地位を代り取つて居るかも知れない。其上若し過去に於ける特権的地位の過度の利用が少らず支那の民心の反感を買ひ、且つ又之に乗じて種々陥穿の策を弄するものありとすると、日本は可なり不利なハンデキャップを附けられた訳になる。斯くして外交上相当の地歩を占めようとするには、非常の奮発が入る。況んや我々は支那に対して為すべき事の多き到底欧米各国の比にあらざるに於ておや。濡れ手で粟の夢からは全く覚めなければならない。贈賄と強圧によつて利権を獲得すると云ふ旧式の手段は全く之を捨てなければならない。即ち対支政策はこゝに一転回して、新規蒔直しをやらなければならない。而して新しい方針は徹頭徹尾誠意と公正を中心とすべきは云ふを俟たない。今日の場合、政治的に観て極めて不得策と思はるゝ小幡公使の段派元兇擁護の声明が、其卒直の点に於て意外の好感を寄せらるゝに観ても、如何に支那の民心が誠意と公正を喜ぶかゞ分る。国民の決心と外交当局の手腕とによつては今日の不利な形勢を近き将来に転回するの望みは全く無いでない。
 只此際呉々も注意しなければならないのは、過去の失敗を再び繰り返してはならないと云ふ点である。過去の失敗は誠意の欠陥も慥かに一つの原因には相違ないが、もう一つは支那の時局に対する観察と見識に大いなる誤りのあつた事を数へなければならない。此点に深い注意を払はなければ如何に誠意と公正とを看板にしても失敗を繰り返すべきは火を観るよりも明瞭だ。然らば何が過去に於ける失敗の原因であつたか。予輩は其最も主なるものとして次の三つを挙ぐる。
 第一は所謂有力者の勢力を過信せることである。即ち我が政府は、袁世凱とか段祺瑞とか最も傑出せる人物を選び、之と結んで事を為すと云ふ方針で一貫して来た。之は独り支那に対してばかりではない。何か面倒な外交問題が起ると、我国より第一流の人物を流し、対手国一流の人物と秘密裡に会談することによつて事件は完全に始末し得べし、又此方法によつてのみ始末が着き得るのだとするのが、我国先輩政治家通有の思想である。米国に向つてすら、大統領に直談判することによつて総ての困難なる問題が解決が着くと考へて居るのだから堪らない。尤も支那は日本が山県公の日本であると同じやうな意味に於て袁世凱の支那であり、又段祺瑞の支那であつたことがあつた。併しながら只一人の人を専制時代の君主の如く見做して交渉するに方つて我々は、他面民衆勢力の勃興を観ねばならず(殊に最近の支那に於て此点が最も著しい)又共和国となつた後の支那に於て最高の地位は兎角他の嫉視を免れ難い、と云ふ現象を観なければならない。甲と乙と勢力を争ふとする。甲は丙の力を藉りて乙を討伐した。甲は其地位の安全を計るが為めに遂に丙をどうかせねばならぬ必要に迫らるゝ。否、之れより先き己に丙は其事あるを予期して甲に反噬する計画を廻らす。斯くして甲乙の争は、やがて甲丙の争となり、更に又其々の争を導いて底止する所を知らない。此間に処して最も有力なるものが武力統一の功を全うすると云ふ事は殆んど不可能である。況んや統一の為めに武断主義を取るものは、其れ丈け又民間の反抗と憎悪とを強からしむるに於ておや。而して過去に於ける帝国の官憲は此武力統一の可能を信じ、或る一人の有力者を選んで極力之を援くるの方針に出でた。支那をして一日も早く安定を得しめんとした誠意から出でたものであつたにしろ、外面の形は武断主義の援助となり、而かも事実に於て支那の治平を幾分攪乱するの嫌ひないでなかつた。
 第二は主義の提携がやがて情実となり、遂に大局の打算を謬る事である。例へば段祺瑞が支那に於て最も有力なるものにしろ、其一派を極力援くる事の結果、遂に深入し過ぎて段派以外のものは全く眼中に措かない。段派の敵とするものは又自分の敵とすると云ふ盲目的態度を取るやうになる。段派を援けるのは日支共存を基礎とする東洋の平和の為めとするなら、此主義の達成が一切の行動の準拠でなければならない。此主義から観て段派の行動に誤りがあるなら断乎として之を糺さなければならない。場合によつては弊履の如く之を捨てなければならぬ必要もあらう。大義親を滅すると云ふ事もあるのに、一旦授けた以上見殺しにむ出来ぬと云ふて妙な所に武士道を担ぎ出すが如きは、甚だ国家を誤るものである。主義の為めに或一派を授けるのはいゝ。情実が主義を犠牲にするやうになつては以ての外だ。個人の交際なら格別、公けの行動としては過去の対支政策には此種の過ちが甚だ多かつたと思ふ。
 第三に外交上の方策を利権擁護の犠牲としてはならないと云ふ事である。支那と日本と親善ならざるべからざる一つの理由は経済的方面にある。故に外交関係の開拓の基礎の上に、各種の利権を獲得するは夫れ自身決してわるい事ではない。只其獲得の手段方法が、飽くまで公明正大でなければならない。而して其一旦獲たる利権は.之を適当に擁護するは固より勿論であるけれども、之が為めに、外交方針を左右する事は大いに慎まなければならない。而して過去の対支外交には果しで此嫌ひはなかつたらうか。我国は段祺瑞政府と親むことによつて各種の利権を獲た。此利権を確実にする為めには段政府の存立継続を便利とする、否必要とする。斯くして我国は段祺瑞一派に向つて過分の援助を与へ以て彼国民心の反感と疑惑とを蒙らなかつたらうか。余りに外交方針を犠牲にし過ぎると、利権獲得の原因までが何等か不正の手段で獲たものではないかと疑はるゝ。此点に於て我々は大いに警戒する所なくてはならない。

 今後の対支政策はどうすればいゝか。之は之からの問題として更に研究を続けよう。只其先決問題として過去の明白な誤りを再びせない丈けの要心をする必要がある。対支政策の新転回は先づ以て此警戒から発足しなければならない。

                             〔『中央公論』一九二〇年九月〕