現内閣の運命を決すべき転機

 原内閣は倒れさうにして倒れない。失政百出にして而かも議会に党員の著るしく増加して居るのは、丁度町の爪弾きを受けて居る高利貸が益々其富を増すやうなものである。それでも段々影が薄くなつた。国民の信望を失つたからである。而してそは必ずしも比較的長い寿命を有する内閣の末路に常に見る如く、国民から飽きられたといぶばかりではない。内閣自身に許すべからざる失態のある事が段々吾々の前に暴露されて居るからである。最もどんな政府でも所謂失政呼はりから免かるる事は出来ない。所謂失政の内には本当に失政と目すべきものか否か分らないが、只反対党から斯く呼ばるゝに過ぎないものもある。然らざるも国の為めに図らんとして偶々予期せざる結果を齎らしたといふやうな純然たる過失はどんな聡明な政治家にも免かれない。それでも其重大なものは負責引退の理由とならぬではないが、政界の常として此種のものは深く咎むべきではない。が、今日の政友会内閣はそれ以上許すべからざる道徳的失態を演じて居るのではないかとの嫌疑が国民の間に著るしい。如何なる事実を取つて之を云ふかは昨今毎日の新聞がまざ/\と吾々に示して居るから、茲に改めて云ふの必要はあるまい。且つ吾々は政界の現状並に政友会の従来の態度から右の如き道徳的失態の説の必ずしも誣言に非ざるべきを想ふものである。手短かに云へば、今日政友会は何の功績を以つて斯くも永く天下を掌握して居るのであるか。何に由つて議会に多数を制する事を得たか。国民の良心からの信任に由つてか、断じてさうではない。一言にして云へば制度の釁隙に乗じて不正の手段を以て国民の良心を瞞着して機械的に作つた多数なのである。茲に彼は知つてか識らずしてか、道徳上許すべからざる一大罪悪を犯して居る。不正の手段を以て人を誘へるものは、又他の不正の手段を弄する者を責むる事が出来ない。国会議員を初め県会議員市会議員などが奸商と結托して不正の利を貪る者ある所以である。反対党の云ふ所に拠れば、政府自ら有力なる党員に供するに暴利獲得の機会を以てしたとの噂さへある。真偽は予輩の断定し得ざる所であるけれども、斯くの如き不正手段を以つて党勢拡張の最善の手段として居る事は天下公知の事実であるから、昨今頻出する各種の醜事件に対し、今日の政友会内閣は少くとも道徳上責任を負はねばならぬと考へる。無論彼自身は飽くまで潔白を云ひ張るだらう。然し我々は断じて之を許さない。其証拠に今や天下の心ある者の鋒先は政友会の上に鋭く集まらうとして居るではないか。之れだけでも現内閣は精神的に瀕死の境に在るものと云はなければならない。
 斯くして国民は少数の政友会幹部と並に之に毒せられて居る一部の地方民とを除き、悉く信を現内閣に置かない。天下を彼等に托して安心だと考ふる者は殆ど一人も無からう。更に加ふるに現内閣は昨今殊に勃興しつゝある民主的精神に面を背けるといふ点に於て多数民衆からも見離されて居る。同時に他の一面に於て彼が又時々民衆の意に迎合せんとして断片的に時々民衆的政策 ― 例へば陪審制度の如き ― を行はんとするのが気に入らぬとて、元老官僚の一派からも危ながられんとして居る。当今の政界の中心勢力は何と云つても元老官僚と民衆との間にさ迷うて居る。此両者から共に疎んぜられては、無理に作つた議会の多数を擁しただけでは立つ瀬が無い。之れ世人が一般内閣の寿命も旦夕に迫つて居るといふ風に感じて居る所以であらう。
 それでも現内閣が不思議に泰然 ― 少くとも外観上 ― として立つて居る。倒れさうにして倒れない。之れは何ういふ訳かと云ふに、他に之に代るべき適当なものが無いからであると思ふ。拠つて以つて立つ処の積極的の根拠が無くとも、自分の地位を取つて代る者が無いといふ消極的理由だけでも、我国今日の政界では可なり押強く幅を利かし得るものと見える。


 今日我国の政界に於ては政友会の外可なり多くの政治団体がある。憲政会国民党などの政党は申すに及ばず、所謂官僚系に属するものでもいろ/\のかたまりがあるやうだ。政友会がいけなければ他の団体で内閣が造れないではない。人或は他の政党では議会に多数の根拠を占め得ざるべしと云ふ者あらんも、然し議会の多数なるものは自然に出来た多数でなくて人為的に作つた多数であるから、兎に角政府さへ取れば誰でも政友会の多数を覆して自派の優勢を作り得ない事は無い。大隈内閣は曾て之をやつたではないか。だから政友会内閣がいよ/\いけないと極まれば、他から幾許も之に代るべき政治団体があるやうだが、偖て実際問題になると差当り政友会を措いて他に代つて内閣を組織すべきものが無いといふ所に日本政界の特色が在る。即ち今日我国の政界に於て普通の団体では政権に有り付けないのである。詳しく云へば純官僚畠の者でもいけなければ、純政党者流でもいけない。要するに旗幟鮮明なる者は、今日の政界に於て天下は取り難いのである。
 何故に斯くの如き特色を今日の政界は有するか。之に就てはいろ/\の理由を挙ぐる事が出来やうが、其内最も主要なるものは、中心勢力が動揺して未だ帰する所がないといふ点に在らう。是等の点に就ても細かに歴史を語る事は略する。唯大体の筋道を申さば、憲政創設以来十有余年の間は、何と云つても、政界の中心勢力は元老を中心とする官僚に在つた。従つて内閣は所謂超然内閣又は大権内閣であつて、政党者流の覬覦を許さなかつた。彼等の対政府反対の態度は、寧ろ御上に対する不当の暴慢のやうにさへ取扱はれて居つた。かういふ時代には官僚間に於ける政権の受授は極めて簡単に行はれた。伊藤がいけなければ山県が出る。山県が行き詰まれば松方も井上もあるといふ有様であつた。が、然し明治三十年代の中頃から段々政党の権力が伸びた。前の時代のやうに全然之を無視する事は出来ないやうになつた。斯くして政党も亦政界の中心勢力の一部を成すやうな形勢が段々と発達した。其結果内閣を組織する者は、唯純官僚といふだけでは足りない。官僚に可く、而も亦政党にも可きものでなければならない。詰り官僚と政党と両胯を懸け得るものでなければ内閣を組織する事が出来ないやうになつた。それでも初めは官僚出身にして而かも政党の操縦に巧みなものが重宝がられ、政党出身にして官僚との疎通に長ずるものが後廻しにされた。之れ斯かる過渡期に於て桂公が最も重んぜられた所以である。桂公二度び出でて、復た其衣鉢を継ぐ者は無い。昨今後藤内閣といふ説の流布されるのも、同男ならば多少政党の操縦が出来ると予期さるるからでもあらう。併し乍ら時代は有繋(さすが)に進歩して、官僚よりも政党を取るといふ事になつた。けれども官僚の勢力も亦尚ほ牢として抜くべからざるものあるが故に、今の所政党者流にして而かも官僚との脈絡を心得て居る者でなければ、鳥渡(ちょっと)政府には立て得ない。此点に於て政友会総裁原敬氏は一個の天才と云つていゝ。之れ政友会の独り今日に処して長く天下を保ち得る所以である。
 仮りに原内閣が倒れたとしても官僚内閣主義が再び盛り返すといふ事は困難だらう。全く無いとは限らない。有つた所が直ぐ押倒されるに極つて居るから、大勢の上から云へば官僚内閣は寺内内閣を以つて終りを告げたと云つていゝ。従つて官僚系の人でも濫りに政権に渇する者に非ざる限り、少し悧巧な者は後継内閣組織の大任を引受くるに躊躇するだらう。之れ全然民衆の基礎に立たざる官僚主義の最早日本に許されざるを語るものである。さればと云つて純政党で行けるかと云へば、之れ亦駄目だ。政党政治を極端に嫌ふ元老の勢力は、まだ惰性的に相当に強いからである。そこで前にも述べたやうに、民衆と元老と両胯を掛け得る者が丁度現在の政界に立ち得る、また客観的に観れば、今日のやうな過渡時代の我政界には、さういふ両胯主義の政治家の存在を必要とするものである。此点に於て政友会内閣は一種の存在の理由を有する。国民は又原氏に感謝すべき理窟もある。然し要するに誰も差当りの始末をする者が無いから、差当り間に合ふ者に留守番を頼むといつた形なので、国民の誰もが今日の儘で政界が固定していゝとは考へて居ない。
 原内閣にした所が飽くまで旗幟不鮮明の特色によつて政界に巧みに余命を繋ぐものの、代りが無いからとて何時までも立つて行けるものかどうか。吾々の観る所では、今日彼の跨いで居る民衆と元老との二大基礎は、日に日に其距りを広げつゝある。此頃の思想界の有様、殊に思想問題に関する先輩と青年との考の進み方を観る時に、益々吾々は此感を深うせぎるを得ない。斯くして原内閣は両者の距離の益々広がるのを巧く堪え得るであらうか。跨ぎ切れない時は即ち自滅の時であるが、昨今彼が一面老人の意見に聴いて取締の手を厳しくすると民間からは極度の反感を受けるといふので、随分苦しい板挟みの境遇にあるやうだ。有繋の天才も此形勢に対して何時までも巧妙なる游泳を仕終せる者ではない。今の儘で行けば何れ自滅の期も遠くはみるまいと思ふ。
 若し此際原内閣が此苦しい境遇を一転して新生面を開かんとせば必ずや乾坤一擲の大英断に出でなければならぬ。即ち両方に跨ぎ切れないなら、右足を抜くか左足を抜くか、今まで愚図々々して居つたので大分信用を損つては居るやうだが、然し今にして改むるも未だ左程遅くはない。浅薄な悧巧を売物にして在来の方策を押通さうといふのは、余命を繋ぐ所以では無くして、寧ろ自ら其墓を掘りつゝあるやうなものである。孰れの態度に出づるかは断定は出来ないが、兎に角年を改めて現内閣の前に置かれた根本的大問題は此点の解釈に在ると思ふ。

                                〔『中央公論』一九二一年一月〕
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翔屠

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