亡国の予言=鄭鑑録
   日本と朝鮮との交渉に関する研究の一

 此頃矢釜しい問題になつて居る大本教では、大正の何年とやらに日本に一大国難が起り殆んど滅亡の悲境に陥るが、唯一の安全地帯たる綾部に救主が出て、この皇国を再び万代の安きに復すると予言したとか。世の中が混乱して一時民心の帰嚮する所を知らざるに至つた場合には、よく斯んな予言めいたものが唱へらるゝもので、敢て珍らしい事ではない。而して朝鮮でもかう云つた様な予言は、百年この方普ねく伝唱され、既に久しさ以前から相当に根強き国民的迷信となつて居ると聞いて居る。
 朝鮮の亡国の予言は、鄭鑑録といふ本に載つて居るさうだ。鄭鑑録と云ふ本を知つて居ますかと朝鮮の青年などに聞くと、大抵知つて居ると答へるが、サテ見た事があるかといへば、然りと答ふる者は案外に尠い。危険な迷信を流布するもの、徒らに民心を擾乱するものとして、李朝時代に於ては此本の公布を厳禁して居つたから、自然民衆の眼に遠かつたものであらう。かくて本は無い。けれども其内容は甲から乙と口伝へに伝はつて、遂に之を知らざるものなき程になつた。故に朝鮮土民の思想を識る上から云つて、鄭鑑録と云ふ本は余程研究の値打があるものと謂はねばならぬ。
 予は先年朝鮮に在る一友人の好意に依り一本を手に入れた。無論写本である。厚い美濃紙の両面に十二行三十字詩が総計四十三枚になつて居る。公布の禁以来甲から乙と写し伝へた所から、字の書き損ひや書き足し省略等いろ/\になつて、今では内容が彼此随分違つて居る事になつたといふ。朝鮮通の畏友今関天彰君の説によれば、無慮三十種もあらうかとの事である。併し最も根本な点は大抵一致して居るとの事である。
 鄭鑑録は漢文で書いてある。但し余程朝鮮臭い漢文であるさうだ。予の先年之を手に入る、や、久保天随氏に乞ふて読んで頂いたが、氏にも一二ケ所分らない所があつた。一つには書写の際の誤脱もあらうが、又一つには普通の漢文とは丸で違つた書き方もあつた為であらう。併し漢学の素養ある人には大体読めぬ事はない。 書いてある内容は何かと云ふに、朝鮮滅亡の史的経過の予言である。之には段々官吏の腐敗や、地方豪族の横暴や、民衆の苦悩やを型の如く述べ立て、夫より外国との面倒な交渉から戦乱の巷となりて滅さるゝに至る順序が、詳しく書いてある。読んで見ると成る程日清戦争の事もあれば、閔妃の暗殺の事から、日露戦争の事や併合に至るまでの事が符節を合するが如く出て居る。従つて鄭鑑録に基く迷信は、日韓併合後民間に一段と高くなつたと云ふ事である。
 但し鄭鑑録の予言は亡国だけではない。一旦亡びた後、やがて東の方より一偉人が現れて人と国とを救ふとある。そこで今まで一々予言が的中したのであるから、此再興の予言も中らないと諦める事は出来ないと信ずる事になる。是れ朝鮮人が今日現に独立復興に強き確信を繋けて居る所以であつて、其根拠の迷信に基くにしろ、兎に角為政者の大に留意せねばならぬ所である。
 如何に鄭鑑録に基く迷信の強きかを示す一つの証拠として、曾て前記今関君からこんな話を開かされた事がある。朝鮮の再興は何とやら云ふ滝壷の水の乾き上る時なりと鄭鑑録に書いてあるとかで、或る古老は併合以来右の滝壷の側に庵を結び、毎日水面をながめては日を暮して居るといふ事である。旅人試に水の増減を問ふに、此数年間に五六寸も減つたとて私(ひそか)に喜びの微笑を洩したとやら。其愚笑ふべきが如くにして亦其情の大に憫むべきものがあるではないか。
 兎に角吾々は、鄭鑑録の内容が示す様な迷信は、今日国民の間に広く行き渡つて居るといふ事実を看逃してはならない。そこで吾々は鄭鑑録の内容を詳しく研究するの必要がある。少くとも鄭鑑録の内容だと今日の朝鮮人の考へて居るものゝ如何なるものなるかを研究するの必要がある。之を知らずして朝鮮に臨むのは、病を診ずして薬を与へんとするが如きものである。併し予は今茲に其内容を詳しく読者に伝ふるの遑を有しない。之は他日に譲るとして、兎に角右の様な迷信が普ねく行き渡つて居る事、而して此迷信が昨今ことに強くなり、独立運動などの根柢ともなつて居る事を指摘して置く。更にも一つ注意して置きたい事は、此迷信は今に始つた事でなく、既に数十年の昔に在り、此迷信に基く一種の運動として東学党の乱があつたと云ふ事である。東学党は日清戦争の原因を為すものであるから、吾々日本人には全く新しい名前ではない。而して最近の独立運動の中堅を為す天道教は、実に東学党の一変形とも観るべきものであるから、鄭鑑録の迷信は最近天道教を通じて大に世間を騒がしてゐると謂つていい。天道教は一昨年の独立運動以来表て立つて活動が仕悪(しにく)くなつた。それかあらぬか、此頃は外の名に隠れて運動を続けてゐると見へ、朝鮮に居る友人などより、大本教類似の予言めいた事を朝鮮人中に言ひ触らす者が昨今多くなつたと報じ来る者があるが、之は二三子の説明するが如く、大本教の侵入の結果ではなくて、もと/\朝鮮にあつた鄭鑑録の迷信が又姿を換へて活躍して居るものであらうと思ふ。

                                〔『文化生活』一九二一年六月〕