軍備縮小の徹底的主張


 近く開かるべき華盛頓会議は軍備縮小の協定を主題とする会合である。太平洋及極東に関する複雑困難なる問題も附議せらるゝからとて主題を曖昧にしては不可(いけな)い。蝕くまで軍備縮小の会議たらしめなければならぬ。而して吾々は之を機として是非とも海陸両面の厖大なる軍備の大縮小を決行するの覚悟が無ければならない。
 よその国はいざ知らず、今日の我国の軍備は誰が見たつて不釣合に厖大である。政府の予算を見るがいゝ。有らゆる文化的設備を犠牲に供して軍備の充実に全力を傾倒して居るではないか。交通機関の不完全、何よりも大事な教育的設備の欠乏、之等は何の為めか。座敷を塵埃だらけにして飯も食はず子供も学校に遣らないで只管門と塀とのみを堅固にしたつて何になる。所謂軍備の充実に依つて国力の発展を夢想する者は、鰒(ふぐ)の腹のふくれるを喜ぶの類にして、図に乗ると軈て破裂するの悲惨を覚悟せねばならぬのである。
 夫れでも、其の厖大なる軍備が帝国の防備として完全に其の任務を尽し得るのならまだいゝ。国家の防衛が兵隊と軍艦とばかりで動くと思ふ者は、自働車を買つてガソリンを用意しない様なものだ。軍器弾薬の供給を如何する。石油は如何。将た戦時に於ける国民の衣食は如何。之を全然等閑に附して而かも仍ほ今日の軍備を其儘維持せんとする者の妄や驚くに堪へたるものがある。本当に自動車を活用せんとならば、其中二三台を売り飛ばしても速に多量のガソリンを買へ。ガソリンを用意せずして自動車を買ひ揃へよと勧める自働車屋に警戒するを要すると同じく、産業教育等を等閑に附して軍備の充実拡張を説く軍閥者流の言を、吾々は眉に唾(つば)して聞くの必要があるではないか。
 今ある丈けの軍備を有効に活用するが為にも、軍費の一部を割いて他の文化的施設に転用するの必要はある。軍国主義者でも真に国を思ふの至誠があらば、少くとも此点に於て軍費制限論者とならねばならぬ筈だ。併し乍ら吾々は更に一歩を進めて、今日の軍備は果して帝国の防衛に必要なものであるか否かを省量して見たい。軍国主義者は動もすれば曰ふ。我等はたゞ帝国の消極的自衛の為に策するのみと。然し、国防に積極消極の別を立つるは抑も人を欺くの甚しきものである。四隣に敵なしとする見地を取れば、国防は国内の警備を以て最高限とする。が、東も敵だ西も恃めぬと疑つてかゝれば、之等の敵を優に圧倒し得るに至るまでは、国防の安全 ― 消極的の意味に於ても ― を語ることが出来ない。所謂積極消極の別は主観的の観念で、自分丈が自衛の為と思ふても、過度の拡張は相手に於て之を積極的の脅威と感ずるや必せりである。此意味に於て、帝国今日の軍備が東洋に於ける一大脅威であることは、残念ながら、争ふことの出来ぬ明白な客観的事実である。之がたま/\国際間の問題になつたからとて今更驚くには当らない。
 併し国際的一大脅威として問題になるのは固より日本の軍備ばかりではない。英国の海軍然り。仏国の陸軍然り。北米合衆国の海軍拡張の計劃に於て殊に然りである。而して其結果自ら軍備拡張の競争といふ不祥の形勢を馴致し、各国共に苦むことゝなるのである。而して軍備の問題は、各国共に、如何に苦しいからとて単独に縮小制限の断行には出で兼ねる。一旦剣を抜いて起つた者は、中途如何に闘争の過誤を悟つても我れひとり剣を棄つる訳には行かない。是れ即ち軍備制限の国際的協定の必要なる所以である。
 軍費の負担が国民の生活を脅すの甚しきは、近代国家の通有の現象である。如何にかして此苦痛を脱せんと熱望するも、単独では何とも始末の附け様がない。と云つて互に睨み合つて居ては益ゝ拡張を競ふのみである。斯くして国際的協定は必然起らざるを得なかつた。第一回万国平和会議はこの為に出来たのであつたが、不幸にして目的を達しなかつた。軍国主義者は、此時の失敗を指摘して軍備制限の国際的協定の不可能を説くも、吾々はあの時以来二十年の長きに亘り、世界の人々の良心が如何に此問題に思ひ悩んだかを識るが故に、今次の華盛頓会議を最も厳粛に迎へざるを得ざるものである。之を一時の権略に出づると為すが如きは妄誕の甚しきものと謂はねばならぬ。
 さらでも我国は不釣合な軍備の拡大に苦んで居る。之が結果たる各種の欠陥が最近到る処に暴露して、最早や単独でも緊縮の断行に出でねばならぬ必要に迫られて居るの際、華盛頓会議の提唱に接したのは実に勿怪(もっけ)の幸である。必要の上から云へば、日本は最も多く此機会を利用すべき地位に居る。現に今回を機として最も多くの利益と幸福とを得るものも我が日本であらねばならぬ。若し此際権衡問題がどうの相手方の肚裏がどうのと、巧に国民を瞞着して這の好機の利用を誤らしめんとする者あらん乎、吾人は之を眼中軍閥ありて国家なき不忠の徒輩として断々乎として排斥しなければならない。

                        〔『中央公論』一九二一年一〇月〕