本屋との親しみ
                 − 大正一四・八・一八 −



 私が本屋の店頭に立つとき、いつも若い婦人が化粧品屋の店頭に立つ時の心持が分るやうな気がする。彼等が好んで新しいものを売る店を択ぶのに、私はつとめて古い本屋をあさり廻るのがたゞ一つ違ふ。

 私がまだ小学枚にも這入らぬ頃、私の家では新聞雑誌の取次を片手間にやつて居た。人口一万足らずの町ではあるが、当時新聞を取る家は十軒となかつたやうに思ふ。番頭に蹤いて一緒に配つてあるいたことを憶えて居る。新聞ばかりではない、宣伝用の政治的小冊子などの取次も頼まれたものと見え、その売れ残りの数十冊が日清戦争前後まで土蔵の中にうづ高く積まれてあつた。斯んなことが私をして子供の時から格別書物に親しましめた因縁ではあるまいかと思ふ。

 小学校に這入つたのは明治十七年だ。入学のとき束修のつもりか一升徳利を提げて校長に謁し、其後暫くは年長の姉のそばに机をならべて居るを許された程だから、昔の寺小屋から脱化したばかりの不整頓極まる学校であつた。二十年頃から段々学校らしい学校となり立派な教師も来たのであるが、其の中に特に私共に書物趣味を吹き込んだ一人の先生を今なほ忘れることは出来ぬ。そは宮崎県の人で山内卯太郎といふ人格者だ。今も御郷里に健在で居られることゝ思ふ。そんなことから私は子供の時から可なりの蔵書家であつた。書物道楽の相棒に清野金太郎君といふがある。今は平壌の育英界に名校長として令名を窓にして居る人だ。私は清野君と共に『小国民』の熱心な愛読者で、石井研堂先生の大の崇拝家であつたのだ。
 其頃になると段々世の中も開け新聞雑誌の読者も殖えて来、従て独立の商売として立ち行く様になる。私の家では既に取次をやめて外に新しい一軒の書店が出来て居た。そして其の書店に私は清野君と共に学校の帰り毎日のやうに入りびたつて居たものである。本屋との腐れ縁は子供の時からなか/\濃厚であつた。

 二十五年中学に入るべく父母の膝下をはなれて仙台に出た。当時中学は全県に一つしかなかつた。時の校長は大槻文彦先生、部下の教員は今の一高教授今井彦三郎先生、府立一中教諭人見泰三郎先生、女子高師教授森岩太郎先生なんどいふ粒揃ひだつたので、私の書物趣味はいやが上にも燃えざるを得ぬ。かくして私は仙台のあらゆる古本屋の上得意となつた。中にも通称馬鹿本屋と呼ばるゝ者とは格別親しかつた。そこの主人は中々馬鹿でない、余りに不愛想なので馬鹿とあだ名されたのだが、本を値切ると「そんな心掛けでは貴様は出世しないぞ」などゝ罵倒するのが振つて居た。云ひ値で買へば代価はいつでもいゝと云。半年でも一年でも貸して呉れる。而も曾てそれを帳面に附けたことがない。夏休み後母の臍繰りなどを貰つて帰り突然借りを払はうと云ふと、彼はちよつと目をつぶツてすぐ総計幾らと云ふ。それを私共は些の懸念なしに黙つておとなしく払つたものだ。頗る気前のいゝ痛快の男だつたが、惜しいことに早く死んでしまつた。其のあとは今に本屋として繁昌して居るさうである。

 三十三年の秋東京に来た。大学生時代もよく神田辺の古本屋をあさつたが、余りに店あ多いので特別に親しみを覚えるまでに深入りしたものはなかつた。其後支那へ往たり西洋へ往つたりして自然古本屋との縁が遠くなり、帰朝後も丸善の新刊物に応接するのに忙殺されて無沙汰して居つたが、大正十年の夏からまた不図古い疾ひの古本道楽が燃え出した。尤も今度は明治の文化、殊にその政治的方面、就中が西洋文化に影響された方面と研究の範囲を限定して掛つた。斯うした方面の資料を集めて置きたいといふことは小野塚法学博士のサゼツシヨンにも因る。どうしたはづみか十年の夏急に思ひ出した様にあさり始めたのであつた。それから遂に東京中の古本屋は固より、名古屋・京都・大阪の本屋とも親しくなつてしまつた。昨今は東京に居て一ケ月に少なくとも一度位宛(ずつ)あちこちの本屋を一巡しないと気がをさまらぬ感がする。御幣かつぎの善男善女が日を決めて神社仏閣をお詣りするのと同じ気持かとも思ふ。尤も詣づる先きは神でも仏でもない、本屋の主人諸君には失礼だが、よい椋鳥が引つ掛かればいゝがと待構へて居る連中といつて差支へあるまいが、此方だツて油断もすきもない飛んだ善男善女なんだから、まあ五分五分の勝負だらう。それでも永く取引して居ると敵味方ながら遇て憎くも思はれない。時たま旅をしてひよツくり行く先で見知り合の本屋にでも遇ふと、どういふものか、下らぬ友達に遇ふよりも余ツ程親しみを感ずることが多い。高いのボルのと悪口を云ひながら、本屋さんは矢ツ張り私共に取て一種の親しみを覚えしむる友達である。

 かうした意味の一友人たる一誠堂主人から其の編輯せる書目集に何か書けといふて来た。乃ち取りとめもないこの拙文を以て責を塞ぐことにする。主人の努力を飾る何の役にも立つまいことを只管恐縮する次第である。

               〔『一誠堂古書目録』一九二五年一一月〕