高橋内閣瓦解のあと  『中央公論』一九二二年四月

 昨今の政界は、高橋内閣を近い中に壊れるものと観て居る様だ。この議会が済んですぐ倒れるか、臨時議会後まで持ち堪へるかは、唯時の問題だとされて居る。するとそのあとは如何なるか、少くとも憲政の常道からいへば如何なるべきであるかの問題が起る。
 併し今日の政界を憲政の常道を以て律するは、瀕死の病人に常人の養生法を勧むるよりも無理な話だと思ふ。経済学の講義が株式界の波瀾に処するに差当り何の役にも立たぬ如く、今日の政界の判断に憲政論を説くは、僕の厚顔を以てしても猶甚だきまりが悪い。
 見よ。今日の政界の波瀾は、一体其の当に起るべき所より起つて居るのかどうかを。今日の政府に幾多の失政あるは蔽ひ難い。道義上此のうへ永く其地位に留り難き程のボロを出して居ることも明白だ。併し政府は直接に点を責められてもがきあがいて居るのではないではないか。綱紀粛正といへば名は甚だ立派だが下層無頼の徒が俺の顔をどうすると詰め寄するのと、著しく其の質を異にするものではない。人を試験するに、其実力によるに非ず、御辞儀の仕様がどうの、物の言ひ振りがどうので、及落を決められるのだから堪らない。事柄の発端既に斯の如し。何を以て爾後の発展を憲政の常道を以て判断することが出来やう。


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 憲政常道の理論上の観察は別として、事実この先き政界の成行はどうなるものか。斯う云ふ観測を誤りなく読者に告ぐるの資格は、遺憾ながら全然僕に欠如して居る。政界暗中の有象無象の活躍は、大変面白さうだが、今のところ僕の生活に頓と何の関係もないのである。
 併し友達などからちよい/\聞くことはある。試みに最近さる友人の勿態らしく告ぐる所を其儘書き列ねて見やうか。


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 貴族院は、もと民間勢力の代表たる衆議院に対する防波堤として政府の傀儡たらしむべく作つたものであるけれども、政界の進運が、自ら下院に多数の根拠を有するものに非る限り政府の要路に立つこと能はざるの形勢を馴致し来るに及び、一転して政党的政府に対する旧官僚系の有力なる牙城となつた。其処で政府に取つて貴族院操縦といふことが新に重要な仕事の一となる。而して目今貴族院に於て政府の這般の御用を勤むるものゝ研究会であることは言ふを待たない。政府が研究会をして恒に後援を続けしめ得るの縁因が実に有形無形の利権並にその希望であることも、疑ない事実である。  斯くして研究会は政府の御用を勤むること、なつたとして、そんなら政府は自由に上院を操縦することが出来 るかといふに必しもさうは往かない。多数の勢でヒタ押しに押せぬ所に、上院の下院に異る特色がある。然らば其理由は何処に在るかと云ふに、(一)上院には政党的色彩を入る可からずとの伝統に制せられ、研究会も露骨に 政府に盲従し得ぬこと、(二)上院に在ては沿革上の理由其他により、少数派議員の意見も相当に重きを為すこと、(三)従つて政府に於て重大なる失態を暴露するが如きことあらん乎、研究会も不本意ながら政府反対派議員と或る点まで行動を共にせざる可からざる羽目に陥ることあること、(四)政府の失政余り甚しきに至るときは、研究会と雖も体面上一時政府反対の旗幟を翻さゞるを得ぬ事情あること(勿論その態度は強いものでなく、時としてまた容易に元に引き戻るの危険あるのだが)等を挙ぐることが出来る。
 斯う云ふ事情であるから、政府の上院操縦は、訳はない様で六づかしい。政界の小姑といふ言葉は、いろ/\ の意味で当つて居ると思ふ。政府のすきに乗じて無暗と威力を示したがる悪い癖などは、その最も著しいもので あらう。


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 高橋内閣瓦解のあとであるから、政府が結局下院に堅実な多数を作り、其の堅実性を民衆多数の道徳的後援の根拠に据へて、勇敢に上院の批判に対抗するといふ男らしき態度に出でざる限り、詰らぬボロを見せさへせねば、一卜通り操縦はつく筈である。原前首相は此点に於て遺算なきを期し、可なり巧妙な関係を研究会との間に結んで居た様である。然るに先に端なくも、中橋文相の昇格問題で政府は飛んでもない大失態を演じて仕舞つた。政府反対派は得たり賢しと此のすきを突つ付き、前議会に於ては、研究会の幹部までが一種内閣糺弾の声を発せねばならなかつたことは、人々の知る所である。
 貴族院に内閣を取つて代らんとするの意志なきは、去年も今年も同じであると観ていゝ―政変あれかしと冀ふ人のあるは無論だが。大体としては、たゞ政府に威力を示せば満足する。故に前議会に於て、原前首相の為に謀るに、一番安全な途は、中橋文相を更迭せしむることであつたと思ふ。斯くして上院の鋭鋒を外らし、一 時其威力に屈したるの態度を示せば、少くとも政治的難関としての昇格問題は消滅したであらうと察せらるゝ。 けれども政友会の事情は之を許さなかつたのである。
 政友会は、人も知る如く、利害で集つた烏合の衆である。精神的に堅い団体であるなら、文相一人の処分は何等動揺の理由とならない筈だが、清濁併せ呑む昔の僧院の如く、我が許に投じ来る者は理を非に枉げても保護するといふので集つて居るのだから、失態があればある程之を極力保護するといふのでないと、党員が安心しない。斯くして党の結束上、原前首相は中橋文相を斬ることが出来なかつたのだ。そは中橋文相に遠慮したといふよりは、天下の党員の思惑を憚つたのである。其道に依らずして勢力を獲た者は、とかく斯んな馬鹿な所に任侠振りを見せねばならぬものだ。原氏の為には聊其情を諒とするが、之が今日に禍を貽すの種となつたことは致方が無い。
 斯う考へて見ると、今度の波瀾は謂はゞ前年の問題の持ち越しである。高橋首相は大に之に悩んで屠るが、原前首相だつて生きて居たら之をどう始末したか分つたものではない。


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 貴族院に於ける昇格問題の難関は、原前首相の承認した政友会内閣の債務である。而かも家子郎党は這の債務の正直な弁済を面目として承知出来ないと云ふ。原氏はどうかかうか一時をごまかしたが、高橋氏に至つて弥縫し切れなく々ったのは、必しも両氏のタクチックの巧拙の問題ばかりではないと思ふ。今日までの経過に依れば、高橋首相は一旦債務を弁済して仕舞うとしたらしい。果して家子郎党は一大事出来と盲目的に騒ぎ出した。中年に迎へられた養子だけに遂に首相は見事この牽制に屈したので今度は上院が承知しない。こゝに今次の大波瀾が起る。元来高橋氏としては、綺麗に旧債を弁済して新規に自分の思ふ通りの内閣を作るべきであつた。一蓮托生も連帯責任も、自分の思ふ通りに内閣を改造してからの話だ。それを現内閣は前内閣の継続だの、原氏以来の結束を機械的に墨守するのが政党内閣本来の主義だのと云ふ俗説に累せられて当初の決心を翻したのは、返す/"\も残念である。政党内閣―連帯責任―一蓮托生―之等は内閣の首班としての総理の腹が十分据つてからの上の話だ。他人の作つた内閣の頭に据へられて其儘で押し通せといふのは、丁度代りに出た野球の選手に前任者の服装道具その儘でやれといふに同じく、能く考へて見ると本人の為では無論なく、又政党の為にも国家の為にも決して得策ではないのだ。此点に於て政友会の愚妄や実に及ぶ可らざるものあるが、高橋氏亦大に去就を誤つたと思ふ。


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 政界の波瀾は貴族院から起つた。併し貴族院に内閣を取つて代らんとするの意思もなく又其の実力もないことは明白だ。仮りに貴族院中の官僚系が内閣を組織したとしても、政友会が下院に一敵国を作る以上は、之が為に新内閣の悩まさる、程度は現内閣の貴族院に苦めらるゝの比ではない。故に官僚系にして本当にも一度天下を取りたいと云ふ野心があらば、もつと政友会に対して生温るい態度を取る筈だ。殊に今頃官僚内閣の出現するは自昼の幽霊同様戸惑ひの甚しきものなるだけ、政友会の可なり立ち入つた後援を確実に恃めぬ以上は、誰も物数奇に之を作るものはあるまい。
 さうすると貴族院の連中は憲政会辺と結託して後継内閣を作る様なことはあるまいかと云ふに、之はどうも考へられないと思ふ。現在の上院多数派は、不幸にして憲政会と縁が遠い。否容易に接近し難い歴史的関係にも在る。加之万一憲政会が天下を取ると云ふ事になれば、政友会は極力其出現を防止するだらう。日本の様な変態的政界に於ては、天下を取りさへすれば容易に多数を作れるのだから、故に内閣を明け渡すことは政党に取つて実に致命傷だからである。
 そこで、政友会は早晩崩れるとして其の後を嗣ぐものは憲政会だらうと観ずるのは、所謂憲政常道論の御目出度い信者のみであつて、我々には殆んど其実現を想像することすら出来ぬ。而かも政変は近さ将来に於て到底避く可からずとせば、考へ得べき今後の発展は、(一)政友会内閣が一部改造の結果上院より一二の閣僚を抜くことに依つて収まるか、又は(二)普選をやらぬとか其他の条件を容れて政友会と妥協し、他日また之に天下を譲るの黙契を以て官僚内閣を復活するかでなければならぬ。而してこの二つの孰れに落ち付くかは、議会後に於ける政府の跡始末の手際如何による。政府の隠れたる圧力は今でも上院に於て中々重い。政友会それ自身さへ陰忍して一時多少の移動に甘ずれば、まだ/\天下は持てると思ふけれども、驕児往々時勢を味識せず、猪突却つて自ら事を誤るの恐なきかゞ危ぶまれる。
 いづれにしても、斯んな風に政界の発展して行くのは、憲政の常道に外るゝは勿論、吾人の理想より見て寧ろ慨嘆すべき状勢であると謂はねばならぬ。上下両院を通じ議員諸氏にも少し真摯に時勢を観る人はないものか知ら。


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 以上友人の慨然として説く所を憶ひ出すまゝ書き列ねて与へられたる問題の答とする。