我国労働組合の対政治思想の近況
我国の労働階級が「政治」に対して如何なる考を有し又そが如何に変化しつゝあるやは、労働問題の考察に取り、又いづれ近く普通選挙制の実施を見るべしと予定してその将来の政治的発展如何を考察する者に取り、極めて重要なる一論点であると考へる。我国の労働運動は、欧洲大戦に伴ふ世界思潮の激動に促されて、この四五年来飛躍的進歩を遂げ、従て「政治」に関する思想なり態度なりに於ても極めて顕著なる変転を示して居る。僕は今我国労働運動の前衛たる主なる労働組合の対政治思想に関し、先に最近趨勢の大要を述べて読者の参考に供しようと思ふ。
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我国労働組合の対政治思想といへば、言ふまでもなく第一に彼等の「普通選挙制」に対する態度を着眼せねばならぬ。そもそも我国労働組合は、はじめ普選問題に対しては決して冷淡ではなかつた。否頗る熱心に之を要求した時代もある。大正九年初春の政治季節の頃は、即ち東京大阪を中心として関東関西の諸労働団体が各威容を盛にして普選運動に狂奔した時で、許はば対普選熱情の最高潮期と云つていゝ。併し乍ら之を一転期として其の以後は段々に普選熱の冷却を現はして来た。所謂普選反対派なるものが漸く頭を擡げ始めて来たのである。同年十月大阪に開ける友愛会第九週年大会に於ては、普選賛成の関西派は其の反対の関東派と可なり激烈に論争した様であつた。議論決せず遂に秘密会を開くに至つたが、結局のところ普選派の旗色は頗る振はなかつたと聞いて居る。其後普選反対の気勢は関西方面の労働者間にも浸潤し、大正十年三月の大阪に於ける友愛会関西同盟会大会では、関西同盟会は普選運動を為さずとの決議を四票の差で通過するに至つた。只併し乍ら関西側は、斯く普選熱に冷めつゝも、猶多少の未練を之に繋げて居たと見へ、全然関東派に屈服するを欲しなかつた。或は行掛りといふこともあつたのかも知れぬ。孰れにしても大正十年十月東京に開かれたる日本労働総同盟(友愛会の改称)第十年大会に於ては、関西派は関東派の提議に反対して遂に之を不成立に了らしめたのであつた。その関東派の提議といふのは、組合の主張の中から「普通選挙」の四字を抹殺し之に代るに新に「全国的総同盟罷業」の一項を加へんといふのであつた。
関西側の普選に対する微温的執着は併し決して永くは続かなかつた。普選反対が当時労働階級間に於ける大勢と云ふべくんば、やがて関西派もこの大勢に押されたのである。遂に大正十一年四月の決議を見ることになつた。即ち大阪に於て開かれたる労働総同盟関西労働同盟大会は次の二項を決議したのである。
(一) 労働団体として普選運動を為すは効少くして却て害あるものと認む。
(二) されば我が関西労働同盟会は爾後普選運動を為さず。
更に同年十月大阪に開かれたる労働総同盟第十一年大会では、満場一致を以て関東側提案の宣言・綱領・主張の変更を可決した。而して其の新なる主張に於ては、「普通選挙」の一項は削除され、別に「経済行動の全国的協同」が加へられた。後者の全国的総同盟罷業を意味するものたるは言を待たない。
斯くして我国最大の労働組合たる労働総同盟は、全員一致の決議を以て惜気もなく普選要望を棄蹴し去つたのである。
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我国労働組合の中で最も早くから普選反対を標榜し且つ最も強硬に之が貫徹に努力して来たもの、代表的なのは印刷工組合信友会であらう。彼は既に大正八年頃から熱心に之を唱へ来つたのである。之に反し飽くまで普選を要望し終始忠実なる普選派を以で自ら任じ又人も許して居るのは、向上会や小石川労働会の様な官業労働組合を第一とし、賀川豊彦君を中心とする日本農民組合等之に次ぐ。農村青年の間に今日普選熱が広く且つ深く昂まりつ、あるは注目すべき現象であらう。
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労働階級間に於ける這般の近況を取つて、普選は未だ国民多数の真実の要求に非ずと為し、以て普選尚早論の根拠たらしめんとする者があると聞く。普選の実施に結局どれ丈の価値を認むベきやは別個の議論だが、僕達は普選熱冷却の本当の原因を究め、労働者階級の対政治思想の真相をまともに理解しておくことが必要だと思ふ。僕達の解する所に依れば、之には少くとも三つの重要な原因がある。一は我国現下の政界の極度の腐敗、二は労働運動に対する官憲の無理解なる取締で、三はサンデカリズム及ボルセヴイズムの思想的影響である。之等が主に働いて、もと相当の執着を有つて居つた普選熱を段々冷却せしめたものと思ふのである。
第一に我国当今の政界の腐敗堕落就中議会の醜態などが、労働階級をして如何に強烈に現代の政治を呪はしむるに至つたかは、何人も決して之を想像するに難くなからう。年毎に益々甚しくなる議会の醜陋は、さらでだに性急なる労働階級をして、議会政治そのものまでをも否認せしめずば熄まない。少くとも議会はブルジョア諸政客の政権争奪の演技場で、無産階級の利害とは全然没交渉なものだといふ様な考は、今日既に労働階級通有の観念となつてしまつた。我々の利福の伸張を議会に恃むは幻想だ、我々は丸で違つた別個の手段を考へねばならぬといふが、正に今日の彼等の主張ではないか。
第二に官憲の労働運動に加ふる不当の高庄的取締は如何にして労働階級の政治思想を険悪ならしめたかといふに、高圧的取締の結果、凡ゆる労働運動は惨敗の憂き目を見、為に彼等をして官憲を敵とし政府を憎み遂に一般の支配階級を憎悪せしむるに至るからである。政治に在て最も尊重すべきは諧調的精神である。諧調的精神は、自家の要望を著しき不便なしに発表し又相当の程度に傾聴せらるゝ事情の下に於てのみ、生長するものだ。然るに労働運動に於ける不当の抑圧は、労働者を駆りて憤激措く所を知らざらしめ、遂に徹頭徹尾闘争的精神に燃えしめる。斯くして彼等が政治的手段を弊履の如く捨つるに至るのは怪むに足りない。
終にサンデカリズムの思想的影響を見るに、之が我国労働運動の畑に植ゑ付けられ始めたのは、凡そ大正八年頃からとみてよからう。之には大杉栄氏一派の表裏両面の活動を見逃すことは出来まい。大杉氏の此方面に於ける勢力は何時頃から労働階級間に植ゑ付けられたか僕は能く知らないが、同氏は余程早くから一種の無政府主義的思想の所有者であることは疑を容れない。而して欧洲大戦後、世界が一般に軍国的国家主義を痛烈に排斥するといふ新機運に促され、例へば森戸辰男君の如き所謂官場の知識階級間にも一種の無政府主義讃美者の輩出するに乗じ、大杉氏一派の活動は頓に溌剌たる生気を表面に露出する様になつた。其処へ丁度労働運動に対する官憲の不当な抑圧が来る。之に憤慨して痛恨骨に徹する底の熱血漢は、偶々自家不満の代弁者を大杉氏一派の言説に求めて又は見出して、遂に知らず識らず一団の勢力にかたまることになる。而してこの一派の勢力は分量的には今日仍(な)ほ決して称するに足らぬと思ふが、思想的には可なり注目するに値するものとなつて居るのである。
以上の如き理由よりして、我国の労働組合の中堅分子は少くとも一時サンヂカリズム的思想の風靡する所となつた。政治はブルジョアの仕事だ。労働階級に取つては経済的手段だけで沢山だ。政治運動に参加するのは労働者の恥辱だといふ様なのが彼等の不抜の確信となつたのであつた。
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以上は最近までの形勢であつた。然るに極めて昨今に至り此の形勢はまた大に動揺し始めて居る。即ちサンヂカリズム的傾向より再び政治的手段への復帰とみるべき傾向が現はれて居ると思はるゝのである。
僕は茲に大正十一年九月十五日発行の労働者新聞(日本労働総同盟関西同盟会機関紙)より、中村義明といふ人の「無産階級政治運動としての対露非干渉運動」なる論文の一節を引用しよう。
……CGTはアミアン憲章に於て「政治的中立」を宣明した。日本の労働階級は先年来普選運動の白熱化するに対して政治運動 − 議会運動 − を否定し、純経済運動 − 直接行動 − のみを持て進むことを正当と教へられた。されど其は政治運動を極く狭義に解釈し、政治運動則ち議会運動と曲解せるが為であつて議会運動より広きより高き意味の政治運動の否定でなかつたことは勿論である。労働組合が社会革命の到達に於ける万能に非ずして、其の為には革命的無産階級の政党と協力しなければならないことを知る我等は、政治運動 ― 議会政策を超越した更により高き意味での ― が労働組合運動の革命的使命を完からしむるに必要なることを否定するものではない。今日日本の無産階級は労農ロシア対資本主義日本の国際間題に対する自己の意思を表示し、且自ら其の解決方法を提示せんが為に、全無産階級協同の運動を起して居る。対露非干渉運動 ―
それは正に政治運動である。たとへ其目的達成の為に総同盟罷業をする様なことがあつても、夫は資本主義日本政府の政治に対する抗議であり容喙である。故に我等は今明白なる認識を以て、政治運動を、しかも夫は少数左翼派のみに止らず労働階級の急進保守凡てを包容し無産階級の協同策戦を以て対露非干渉運動を起して居るのである…
右の論文は用語に多少不明の点はあるが、要するに我国の労働運動が漸くサンデカリズムから離れて再び政治― 彼等のいはゆる広き意味に於ける政治に還らんとする新傾向を語るものとして、極めて注目すべきものと思ふ。大正十一年九月大阪に開かれた労働組合総聯合創立大会の決裂の如きも亦明白に労働階級間に於ける這般の新傾向を表現せるものと謂はねばならぬ。
労働組合の中でも、小さい団体で、あまり闘争的経験を有たないものは、兎角理論的興味に跼蹐し、無政府主義・サンヂカリズムの信者たることを喜ぶといふ気味があるが、大きな組合で、多年の実際的経験に富むものは、自然集団の統制・規律・訓練を重んじ、常に実証的に行動の方策を建てんと骨折つて居る様だ。是れ彼等が最近仏蘭西のCGTの宣言や綱領に対する興味を減じて漸次労農露西亜の実際政策に多大の感興を寄せる様になつた所以である。孰れにしても、サンヂカリズムの実際的欠陥と労農ロシアの実験的効果とは、我国労働運動の方向決定の上に多大の影響を与へて居る。但し我国の労働運動が斯くして再び政治に還らんとするとは云つても、在来の議会政治を頼りにすることの万々なかるべきは疑を容れない。何となれば在来の議会政治の労働階級の要求を満足し得ざる状況に在るは、今に於て毫も変る所はないからである。
然ちば我国の労働階級は今後その政治的活動を如何なる形式に於て表はすだらうか。之が我々の最も注目すべき所であり又我国に取つて亦最も重要の関係ある所である。彼等は今や結束統制の必要を自覚して居る。団体的行動として秩序ある活動の上に目的の達成を期して居る。只其団体的結束と統制的協同とをば、個々の問題に就ての一時的聯結の主義の上に置くか、根本的精神の全般的且恒久的共感の主義の上に置くか、之等は今の処未だ明白でないが、何れ遠からず解決を迫らるゝ問題である。斯くして労働階級の政治運動の開展は、社会文化の根本問題に根を挿し込んで来る。之等の点は読者と共に今後の発展に観やう。
之を要するに我国労働階級の対政治的態度は、之を三種に分つことが出来る。一は安価なる議会万能主義者で、二は軽佻なる議会政治否認派である。併し之等は今日の労働運動の本流を作るものではない。今日の労働運動の大勢は漸く政治的手段に依て無産階級独裁の目的を達せんとするに在る様だ。此種の人々の間にも具体的の方法はといへば色々の考があらうが、要するに彼等が議会をどう利用するか又は議会をどう改めんとするかゞ観察の要点だ。労働運動が再び政治に接触して来たといふ丈けでは、まだ海のものとも山のものともきまらないが、とにかく斯かる新傾向を示して来ただけでも、我々に取つては実に興味深い研究問題の提示に当るのである。若し夫れ将来の発展に就ては、更に其都度研究報告を怠らぬであらう。
〔『中央公論』一九二三年一月〕