総選挙後の寺内内閣の執るべき態度   『中央公論』一九一七年五月


◎今度の総選挙の結果は新聞などの予て予想して居つたが如く、政府側の勝利に帰したとする。併し政友会は単独ではまだ遠く過半数の域に達せず、所謂御用中立団と相合して議会に過半数を制し得るとする。明確なる結果両日の後を待つを要するが、大体先づ斯く想像して、サテ寺内内閣の今後執らんとする態度を考へて見よう。
◎寺内内閣の腹を打ち割つて見れば、其第一の希望は内閣の存続であらう。其存続の為めには総選挙の結果如何によつて恐らく臨機応変の策に出づるに相違ない。若し政友会が思ひの外優勢であつたならば、其要求を聴いて或は二三の椅子を其党員に与ふるか、或は二三の閣僚を政友会に入党せしむるか、不完全ながら「政党を基礎とする内閣」といふ体面を取り繕ふを辞せぬであらう。併しながら、寺内内閣の本来の希望は恐らくこゝにあるまい。出来る丈けは「政党を基礎とする内閣」といふ看板を掲げずして、政友会を我が思ふまゝに頤使せんことを欲するのであらう。それには所謂御用中立団を以て政友会を牽制し、政友会を余り優勢なものにしたくないといふことになる。而して総選挙の結果は恐らく寺内内閣の希望するが如き形勢を実現するものであらう。
◎寺内内閣の為めに最も都合よき政界の形勢は小党の分立である。一つ若しくは二つの党派が著しき優勢を示すことは其大禁物である。故に寺内内閣は政友会憲政会国民党の分野の外に多数の御用議員を作り、之を一団として政府の為めに犬馬の労を取らしめんことに努めて居る。斯くせざれば、超然内閣の基礎が危い。故に総選挙後に於て寺内内閣の先づ第一に努むるところは、御用議員の結束擁護であらう。其結果同じく御用党たる政友会との間に多少の暗闘も免れまい。併し其暗闘の結果政府と政友会と相軋るに至るやうな事はあるまい。政友会の策士は悧巧である。
◎各政党間に於ける中立議員の争奪は、何時でも総選挙後に、行はるゝ現象である。中立議員の中には純然たる御用議員ばかりではない。何れかの政党と多少の因縁を有する者も少くない。殊に政党の不人望なる我国に於ては、中立を標榜することによつて当選するといふ不思議の現象に富む。けれども、政党の応援なしには当選も一般に困難であり、又議員となつて後も政党の外に居つてはいろ/\不便があるので、全然官僚政治の保護により辛うじて当選したるものを除いては、中立議員から進んで所属の政党を定むる必要がある。政党も亦一人でも党員の多からんことを欲して盛んに入党を勧誘する。今度の選挙でも中立を標榜せるもの極めて多いが、其中にやがては公然若くは暗黙の関係を政党に結ぶもの少くなからうと思ふ。
◎併しながら、中立議員が段々政党に関係を結ぶことは、即ち政党の勢力を大ならしむるものであつて、現内閣の為めには忍ぶべからざる苦痛である。従つて寺内内閣は此趨勢に対抗して盛んに中立議員の足停(あしどめ)を講ずるであらう。先に我々は国民として大いに警戒を要するものあるを思ふのである。何故なれば、中立議員の足停は自然の傾向に反するものである丈け、之を遂行するに無理があり、従つて其間にいろ/\の弊害を生ずる虞あるからである。換言すれば、中立議員の足停をなす為めにいろ/\不正なる利益の提供といふやうなことがないと限らない。又此等の議員にしても政党の所属なき以上は、寺内内閣あつての議員にして政治家として永き生命を維持し得べき希望あるものではない。従つて堅実なる節操を彼等に求むることは困難である。現内閣の存続其事の是非は暫く別問題とするも、現内閣が其存続を計らんとして執るところの手段に対しては、我々は憲政の健全なる進歩の為めに多少警戒するところなかるべからざるを思ふものである。
◎更に問題を一転して、寺内内閣が今後の政局に当つて如何なる手段に出づべきかについては、格別の意見はない。何故なれば斯くの如き内閣其物の存続を予輩は希望せざる一人であるからである。けれども若し寺内内閣が今の儘で憲政の順当なる進歩に今日の政界を導くの誠意があるならば、吾人は速かに政友会との関係を政治上公明正大なるものにせんことを希望したい。政友会が堂々たる一国の政党として官僚政治の為めに犬馬の労を取るのは、何んと弁護しても醜陋の極である。政府も亦此醜陋を意とせずして政友会と馴れ合ふのは、恰かも密かに隠し妻を蓄ふるの類にして、政治上甚だ公明を欠くものである。寧ろ此関係を一変して公然誰憚らぬ関係に引き直すならば、独り政治道徳上好ましきのみならず、内閣其物の基礎をも一層有力にするものであらう。寺内内閣と政友会との関係を如何に結び附くることが、其関係を公明正大ならしむる所以であるかは、今日茲に説かない。只今日の儘で進むのでは、遠からず内部より破綻を来たすを免れまい。(四月廿一日)

          〔『中央公論』 一九一七年五月〕