対外的良心の発揮
(一)
戦後世界の形勢に就ては殺伐なる国際競争が一層激しくなるだらうなどゝ悲観する人も尠くないが、然し第十九世紀百年間の歴史的潮流の当然の帰結として、又最近大戦終結の道徳的に展開せる現前の事実より見て、どうしても国際民主主義を外交関係の根基とする新局面を開かねばならぬ理は、之迄予輩の再三述べた所に依つて、或は読者の諒解を得ることと思ふ。十九世紀文明の基調たる民主主義が百年を経て今日尚未だ完成せざるが如く、国際民主主義は仮令来るべき新世界の基調たる運命を有するものとしても、之が相当の形に発達する事すら固より一朝一夕の事では無からう。けれども兎に角戦後の世界に於ては或は秘密外交の制限乃至廃止とか、或は国際関係の支配が野心に燃ゆる少数政治家の手より国民の掌裡に移さるゝとか、要するに道義の支配が漸を以て強力の支配に代らんとすべきは疑を容れない。而して今日平和会議を中心として各国の代表者が各々其国の歴史的立場に執着して紛々たる利己的主張を闘はしつゝある間に、道義的創造力の大底潮の汪洋として暫くも其歩を止めざるを見るは大いに吾人の意を強うするものである。然り、戦後の世界の形勢は眼あるものには既に明白となつた。此際に方つて吾人が対外的良心の発揮を同胞の国民に叫ぶのは決して無用の事では無い。
(二)
我国民は由来政治問題に関する道徳的意識は甚だ鈍い。之れ道義心が一般に鋭敏を欠くが為めに非ず、政治と云ふ事が国民にとつて全く新しい現象にして之に対する善悪の判断が未だ社会的に確定しないからであらう。仮令法律で罪悪と認めた事でも社会が真に之を罪悪として憎むに非ずんば、一般の国民は之を犯して而かも恥づる所を知らない。其例は多く之を選挙犯罪に観ることが出来る。僕の知人に田舎の富豪より嫁を貰はうとしたものがある。父親の身許を調べると前科がある。媒酌人に向つて前科者の娘を世話することは不都合だと責めると、あれは選挙犯罪ですからと平然たるものであつた。此類の事は他にも多からう。選挙犯罪なるが故に特に其醜陋を憎むと云ふやうにならなければ立憲政治の完成は期せられない。立憲政治になつても国民が斯う云ふやうな気持に居るのは、蓋し多年専制に馴れた余弊であらう。此の点の良心の鋭敏でないのが、言ひ換へれば、斯う云ふ方面に訓練を積まれて居ないのが実に欧米と我国との異る所である。併し之は国情が異るからと云うて放任して置ける問題ではない。故に我々は常に例を欧米に採つて我国民に警戒するを怠らなかつた。然るを時々欧米人の為せる所を直ちに今日の我国に責むるのは日本を知らず、又日本人を知らざるの罪なりなどと難ずるものあるは、前記の田舎の富豪のやうな考の儘で放任していゝと云ふのか。我々は難者が真に国家の発達と民心の開導とに誠意ありや否やを疑はざるを得ない。
然しそれでも国内政治の方面は心ある者の啓発誘導の結果、段々に改まつて行く傾向が見える。けれども更に一歩眼を転じて対外関係の方面を観んか。之に関する国民の道徳的判断は全然吾人を失望せしむるものである。一々例証を引くまでもない。我々は朝鮮の問題を論ずる時に、曾て朝鮮人の利益幸福を真実に考へた事があるか。又台湾の生蕃問題を論ずる時に曾て彼等の生活を幸福ならしむる所以に想到した事があるか。日本の国家並に日本臣民の利益幸福の名に於ては支那に於ても西比利亜に於ても凡ゆる罪悪が公然と許容され、否、時としては志士的行動として賞讃さるゝではないか。固より国権の伸張、国民利益の発展は大いに之を歓迎すべきである。殊に近来の所謂国際競争の激烈なる時代に於ては自衛の為めにする場合でさへ多少悪辣なる手段に訴ふるを必要とする事もある。況んや進んで国権国利の伸張を謀らんとする場合に於ておや。此点に於て国際関係が殆んど道義の支配の外に在つた事は、十九世紀を通じて総べての国に行はれる現象であつた。けれども我々は他の一面に於て其処に悲痛なる煩悶のあつた事を忘れてはならない。尠くとも殺伐なる国際競争の反動として、極端な人道主義を主張する少数派のあつた事をも看過してはならない。露西亜のトルストイ、否、世界のトルストイは確に此一面を代表するものと云つていゝ。予輩は我国に必ずしも一人のトルストイ無かつた事を苦としない。けれども御多分に洩れず国際競争の渦中に投じた我国が、独り其多少の成功に得々として未だ曾て少しの煩悶の色をも示さなかつたのは、果して喜ぶ可き現象であらうか。今や時勢は一変せんとしつゝある。而して之に応ずべき何等の準備なくして漫然として新国際関係に入るは、我国の将来にとつて予輩は一種の不安を感ぜざるを得ない。
(三)
予輩は之まで道義的立場から内外各般の政治問題を評論して来た。殊に最近二向年此立場から支那乃至西比利亜の問題に痛激なる批判を加へ来つた事は読者の記憶せらるゝ所であらう。而して近時朝鮮暴動の勃発するに及び、之に関する朝野の言論を見て更に従来の感を深うした。朝鮮問題と前後して又日支軍事協定発表の問題がある。人種的差別撤廃の問題がある。此等の問題に関する各方面の言説の上に又同一の感想を繰り返さざるを得ない。外の問題は兎に角少くとも此等の問題、殊に朝鮮の問題の如きは、国民が之を鋭敏なる道徳判断の鏡に照らすに非ずんば到底解決の緒に就くものでは無い。畢竟あのやうな大事件も我国民が従来対外問題に対する良心の判断を誤つたから起つた問題ではないか。
(四)
朝鮮の暴動は言ふまでもなく昭代の大不祥事である。之が真因如何、又根本的解決の方策如何に就ては別に多少の意見はある。只此等の点を明にするの前提として予輩の茲に絶叫せざるを得ざる点は、国民の対外的良心の著しく麻痺して居る事である。今度の暴動が起つてから所謂識者階級の之に関する評論はいろ/\の新聞雑誌等に現はれた。然れども其殆んど総べてが他を責むるに急にして自ら反省するの余裕が無い。あれだけの暴動があつても尚ほ少しも覚醒の色を示さないのは、如何に良心の麻痺の深甚なるかを想像すべきである。斯くては帝国の将来にとつて至重至要なる此問題の解決も到底期せらるゝ見込はない。
一口にして言へば今度の朝鮮暴動の問題に就ても国民のどの部分にも「自己の反省」が無い。凡そ自己に対して反対の運動の起つた時、之を根本的に解決するの第一歩は自己の反省でなければならない。仮令自分に過ち無しとの確信あるも、少くとも他から誤解せられたと言ふ事実に就ては何等か自から反省する丈けのものはある。誤解せらるべき何等の欠点も無かつた、斯くても鮮人が我に反抗すると言ふなら、併合の事実其物、同化政策其物に就て更に深く考ふべき点は無いだらうか。何れにしても朝鮮全土に亙つて排日思想の瀰漫して居る事は疑ひもなき事実である。朝鮮に於ける少数の役人の強弁の外今や何人も之を疑はない。而して我国の当局者なり、又我国の識者なりが、曾て此事実を現前の問題として、鮮人其物の意見を参酌するの所置に出でた事があるか。
鮮人動揺の現前の事実に対して吾人の常識は到底之を従来の統治の失敗に帰するの外は無い。朝鮮統治に対する国民の一人としての不満は予輩曾て本誌上に於て少しく之を述べた事がある。予輩の之を述べた所以は失政を曝露して当局を苦しめる積りは無い。只頑くなゝる彼等に自己反省の必要を促し、以て朝鮮問題の真の解決を計らんとする微衷に出づるに外ならなかつた。けれども当局者は曾て自己の失政に反省の色を表はさない。或は云ふ、鮮人の統治には誤り無しと。或は云ふ、法規の命ずる所は洩らす所無く之を実行したと。或は云ふ、鮮人の発達の為めに日々努力して怠る所が無いと。或は云ふ、彼等の今日物質的生活の幸福は遥かに併合以前に優ると。而して結論として曰く、斯くして朝鮮人に日本の統治を不満に思ふ理由は無い、現に多数のものは総督府の恩沢を謳歌して止まないと。若し此等の言を時々起る排日的現象に対する責任回避の為めに唱ふるものならば許し難い不都合として之を責めなければならない。若し又真に善意を以て斯く信じて居るならば、彼等は異民族の心理に余りに盲目にして、吾人は彼等に植民地統治の能力を疑はざるを得ない。而して我国民が、殊に国民中の識者と称する者が、斯かる官吏の弁解を不問に附して怪まず、否、却つて多くの場合に於て彼等と同一の見解に立つて朝鮮問題を論ずるものあるは我々の甚だ意外とする所である。官吏の任務は或は法規の命ずる所をなすを以て畢るであらう。併し国民の任務は問題を本当に解決するまでは畢らない。而して問題の本当の解決は飽く迄事実の真相の明瞭なる認識に根拠しなければならない。
自己反省を欠く結果は所謂失政の批難を否認する。而も反抗の事実ある以上強いて原因を他に求めなければならない。茲に於て言ふ、朝鮮の暴動は第三者の煽動に因ると。而して其槍玉に上げらるゝものは外国基督教宣教師である。無論事実問題としては暴動と宣教師との関係を冷静に攻究する必要あるは言ふを俟たない。随つて又責むべきものは仮借する所なく責むるに何の妨げもない。けれども自分に失態が無い、随つて憤る筈も無い、それでも憤るのは誰か第三者の煽動があるだらうと云ふ風な考へ方は、第一に暴動の意義を軽視するの弊に陥り、第二に鎮定の方策を誤る。加之さうでも無いものを他人の煽動に乗つたのだらうなどゝ云ふ所から益々反感を挑発する事にもなるし、又不当の嫌疑を掛くる結果として其外国人の本国との友好を紛更するの惧が甚だ大である。独り朝鮮許りでは無い。支那でも西比利亜でも、動もすれば某国の尻押だの某国の煽動だなどゝ云ふので、最近どれ丈け国交の妨害をなして居るか分らない。而して之も一部の当局者が自己の責任を免れる為め窮策として唱へて居る間はいゝ国民全体が之に附和雷同するに至つては以ての外の大事である。
(五)
自己反省を欠くの結果の如何に憂ふべきかは前述べた通りである。が中に就き差当り今度の朝鮮問題に関聯しては特に次の二点に注意する事が必要と思ふ。
第一は日本の朝鮮統治が鮮民の心理に事実上如何なる影響を与へたかを究めずしては問題の解決は出来ないと云ふ点である。日本の統治が善かつたか悪かつたか、又之に対して朝鮮人が如何なる考へを有つべき筈であるかと云ふ様な事は暫らく問題外に置いていゝ。只之を朝鮮人がどう観たかを検するのが必要である。鮮民が斯く考へる事に道理ありや否やを姑く第二に置いて、事実鮮民が日本の統治をどう考へて居るかを鮮民の立場から考へることが必要だと云ふのである。不幸にして形式政治家は此観察を怠るを常とする。彼等は云ふ、之丈けの世話をやれば鮮民に文句は無い筈だと。無い筈だとの妄断は一転して彼等は日本の統治を謳歌して居ると云ふ迷信となる。戦前独逸は自国文化の至上を信じ、殊に世界各国の青年学生が自国に来り学ぶの事実に迷うて、世界は皆自分の国に味方するものと極めて居つた。曷(いずくん)ぞ知らん、全世界は殆んど挙つて文化の名に於て我に抗敵して来る。此悲しむべき事実の前には独逸国民も余程眠が覚めたやうだが、我国の為政家並に国民の多数は暴動の事実に遭遇して尚容易に覚めようとしない。如何に深切を尽しても継母の深切は子供を懐かしめない。小糠三合あれば聟に行かないと云ふのが人間の意地である。此有り触れた真理に通暁せずしては容易に多数の人を操縦する事は出来ない。分つた人、捌けた人として下男や女中の尊敬を受くる大家の旦那などゝ云ふものは、畢竟斯かる平凡な人類の心理に通じた人である。植民政策成功の秘訣は又此外に出でない。多少趣が違ふが、昔伊太利王国が羅馬占領の際法皇領の市民に対して採つた態度の如きは、心理尊重の道に於て第一歩を正しく踏み出しさへすれば、其後の始末が如何に容易なるかを語るものであろ。要は第一歩の踏み出し方如何に在る。而して此第一歩に於て誤らんか、後に至つて如何に悔ゆるも及ばざるの難局に遭遇する事は現に我々の経験しつゝある所である。聞く所に依れば、我々が従来動物に近しと迄蔑すんで居つた台湾の生蕃さへ、所謂一寸の虫にも五分の魂に洩れず、一部邦人の心無き所業に対して深き怨恨を抱いて居るとやら。況んや朝鮮人は兎も角も長き歴史を背景として独特の文明を有する民族ではないか。自分の値打は自分の思ふ程世間で高く買つて呉れないと同じく、他の人は此方の思ふ程自分で自分をつまらないと思はないものである。自らを不当に高く値踏し、他をば不当に低く値踏みするの弊は殊に民族の間に甚だしい。其れ丈け我々が自ら一日の長を自負して他の民族に臨む場合には、取り分け対手の心理を尊重するの必要がある。之を等閑に附して而も朝鮮統治に成功を期するは、所謂木に縁つて魚を求むるよりも難い。
第二に暴動の起因が第三者の煽動に在りと考へて居る間も亦吾人は到底根本的解決に達する事が出来ない。外国宣教師が事実どれ丈け朝鮮の暴動に関係ありやは先入の偏見を去つて冷静に事実其物を明白にする必要がある。彼我共に納得し得べき明白なる事実に基くに非ざれば人を責むるも何の効も奏しない。予輩は一部の宣教師の間に極端に日本の統治を誤解し、又極端な反感を之に向けて居る者あることを耳にして居る。けれども基督教の精神並びに其伝道の動機其他いろ/\の事情から考へて、彼等の大部分が暴動其物の同情者であるとは思はれない。況んや教唆煽動の事実おや。予輩は又外国宣教師と総督府との間に詰まらぬ誤解に基ゐする反感の有つた事を知つて居る。若し夫れ朝鮮統治の政策に対する多少の不平に至つては、我々日本人が日本の立場から考へて之を抱いて居る位だから、彼等が鮮民其物の立場から考へて之を抱くは許し難い事であるにしろ、多少之を諒とすべき事情はある。況して彼等は鮮民の開発指導に就ては日本人の先輩である。而して対日暴動の指導者の多くが彼等の教育したものゝ間から出て居る以上、自ら之に一種の同情を寄するは又怪しむに足らない。之丈けの情状を酌量して、然る後に我々は彼等宣教師の態度を吟味すると云ふ措置に出でなければならない。軽々に彼等を煽動者呼ばはりをするのは国交上面白くない事は言ふ迄も無いが、一つは日本人の偏狭を曝露する実例たるのみならず、又一つには事実の真相を明かにする所以でも無い。
朝鮮の暴徒が多く基督教徒の間から出たからと云ふて、宣教師其物が日本の敵であるかの如くに考ふるのは余りに軽卒な論断である。総べて斯くの如き運動は国民の開発に伴ふ一つの免る可らざる結果である。何故民心が開発して而も日本に敵対すると云ふ馬鹿な事をするかと問ふならば、此処に日本の静かに反省すべき何物かゞあると答へて置かう。善かれ悪かれ鮮民が教育され開発されてあゝ言ふ運動を起したのは、恰度支那の留学生が日本の教育を受けて熱烈な革命党となつたと同様である。日本の教育は決して留学生に革命を鼓吹はしなかつた。朝鮮の基督教学生が暴動を起したが故に宣教師の教育に責任ありと云ふならば、日本の教育は正に前清朝に向つて大いなる責任を負はねばならぬ道理であつた。
予輩は固より先に宣教師の無罪を弁護せんとするものではない。只かゝる国交上極めてデリケートな問題は事実の慎重にして公平なる糺明を俟つて論ずべく、而して軽卒なる論断の結果、徒らに責任を他に嫁して自ら反省するの労を避くるは断じて大国民の襟度に非ざるを断言し度い。自分の事を棚に上げて徒らに人を傷けるのは個人の間に在つても此上も無き醜態である。而して国家問題としては啻に醜態だと云ふ許りでなく、事実の糺明を怠らしめ、問題の根本的解決を誤らしむる所に、堪うべからざる弊害が横つて居る。
一体我国には何か事があると、其れを一二少数の陰謀に帰し度がる僻がある。早稲田大学に騒動が起つたと云へば後藤男が黒幕に居つて操縦したとか、朝日新聞撲滅の運動が起ると、其蔭に犬養氏があるとか、事実さうであつたかなかつたかは固より予輩の与り知らざる所であるが、斯んな風の解釈をして喜ぶ癖、又斯んな風に解釈せねば根本の真相が攫まつたとは云へないと云ふやうな癖がある。之惟ふに古い専制時代の歴史哲学に累せらるゝ謬解ではあるまいか。専制時代では一人の英雄が天下を率ゐ、又英雄と英雄との談笑の間に外交の懸引が決まる。随つて又此間に無限の歴史的興味もある。例へば維新の大業も之を南洲と海舟との一場の会合の展開として観れば歴史は先に一個の微妙なるローマンスとなる。而して歴史を総べて斯う云ふ立場から解釈すると、歴史的進化は即ち個人的なる陰謀詐術、誤解瞞着等の綜合的成果にして、後から見れば興味ある物語になるが、直接其事に当れば之程危い仕事は無い。併し今日の時勢は最早斯くの如き個人的なる不合理の横行を許さない。無論其局に当る者は少数の識者であるに相異ないが、併し彼等を動かすものは大体に於て国民の間に流るゝ犯し難い一大潮流である。随つて所謂裏面に活躍する個人的陰謀は固より小波瀾を誘起するの効無きに非ざるも、汪洋として流るゝ一大底潮を如何ともすることが出来ない。熊谷直実が一子小次郎の首を無官太夫敦盛の首なりと偽つて実検に供へた。何も彼も飲み込んで居る義経は直実の苦衷に感激して敦盛の首に相異ないと之を受け取つた。併し今日の時勢に於ては如何に義経と直実との間に意志の疏通があつても、小次郎の首は何処までも小次郎の首と云はずしては到底問題の解決は出来ない。けれども陣屋の熊谷に限りなき興趣を感ずる日本の国民は現代の歴史の解決にも動もすれば此筆法を用ゐたがる。ロイド・ヂョーヂを操縦するものがノースクリッフなりとか、ウィルソンを操縦するものはハウス大佐であるとか、又はロイド・ヂョーヂがヒウスをして南洋諸島の問題に関して日本に当らしめて居るとか様々の事を言ふ。予輩は之等の事実を直ちに否認するものではないが、斯う云ふ考へ方が常に我々を誤つて、朝鮮の問題に就ても、支那、西比利亜の問題に就ても、何かと云ふと一言目には何某が黒幕に居ると云ふ風に解して遂に問題の真相を捕捉するに失敗せしむる。孫逸仙は曾て従来の革命は英雄革命なり、我輩の陣頭に立つ今後の革命は国民革命なりと称して、新時代に於ける運動の国民的意気を発揮したが、此見識が無ければ到底現代各種の運動を諒解することは出来ない。
旧式の歴史哲学に狗泥するの弊が唯事実の真相に通ずるを防ぐる丈けに止まるならまだ我慢も出来る。けれども此思想が更に一歩を進めて各種の対外政策を指導するに至つては国家の利益の為めに到底之を黙視することは出来ない。何となれば此思想は外交に於ける国民的勢力の影響を無視するからである。近時我国の対支並びに対西比利亜政策の失敗の原因は、外交問題の解決は其局に当る個人を操縦すればいゝものだと云ふ考に基き、凡ゆる手段を尽して其籠絡に努めた結果では無いか。人間は器械ではない。如何に巧妙な手段を尽しても必ずしも此方の寸法に合ふやうに動くと限らない。況んや彼が如何に動いたからとて背後の国民が納得しない以上、外交問題の解決は決して一歩をも進むるものではない。
(六)
前内閣の援段政策が原内閣となつて不徹底な南北融和勧誘策となり、而して勢の迫る所遂に日支両国間に締結せられたる凡ゆる秘密条約公表と云ふ段取にまで進んだのは、当局者に何の弁解があるにしろ、我々国民は断じて之を最も見苦しき失態の曝露と断ずる。我国の外交史上に斯くの如き一大汚点を印したる原因は、一つには偏狭なる利己的政策の誤りにも因るけれども、又一つには世界の物議と支那民衆の排日心理とに重きを措かなかつた罪であり、殊に袁世凱とか段祺瑞とか有力な一人の利己心を満足せしめれば、支那の天下は如何様にも操縦が出来ると誤解した事である。而して排日の事実起れば、当局は故意か有意か自ら反省するの煩を避けて直ちに第三者の煽動に帰する。而してさらでだに開拓を怠つた彼の国の民心をして之が為めに一層憤慨の念を強うせしめる。斯くまでして努めた苦心と又投じたる巨資とは、今日になつて見れば只失態の曝露によつて酬いられたに止つたではないか。斯くても当時対支外交の衝に当つた人々は、我々は斯く々々の計画を立て斯く々々の利権を拡張する積りであつたと負惜しみを言ふ。それ丈けの計画が先方の民心の自由な納得を得て確実に得られるかどうかを顧慮することなく、只所謂経綸を述べ立つる丈けの事なら、我輩は一夜の中に世界併合の方策を立案するを難しとせない。
之と同じやうな事は満蒙の問題、西比利亜の問題に就ても丁々実例に徹して論ずる事が出来るが管々しいから今は略する。
日米問題の如きも、多少趣は違ふが結局は同一に帰すると思ふ。米国に於ける排日の根本原因は一つは、日米両国人の接触より来る共同生活上の幾多の不便であり、又一つには我国の東洋政策より類推して米人が我対外発展の根本動機に対する不安疑惧の念である。此中のどれ丈けが誤解に属するかは事実問題として別に論究するを要するも、少くとも我に於て大いに反省するの必要あるは云ふを俟たない。而して漫然人種的差別待遇の不当を説いて彼を責むるは、其主張にどれ丈けの真理あるにしろ、自己反省を欠く点に於て我々は国民を警告するの必要を認める。況んや日米問題の本質は所謂人種的差別待遇に非ざるに於てをや。随つて予輩は日米問題の解決も亦或意味に於て国民の自己反省を欠くの態度に誤られて居ると信ずるものである。
何れにしても我々の自己反省を欠くの態度が今日どれ丈け外交的失敗の原因を為して居るか分らない。人は云ふ、国際関係は殺伐だと。けれども一面に於て世界は割合に公平である。我々は事実の公平明白なる諒解の上下道理によつて問題を解決せんとする態度さへ誤らなければ、世界的共同生活の中に帝国の地歩を確立するに毫も困難は無いと思ふ。此考よりして吾人は国民に向つて対外的良心の発揮を力説するの必要、今日より急なるは無いと考ふるものである。
〔『中央公論』一九一九年四月〕